3話 詰みって知ってますか?
夜、俺は出した答えを伝えるためにアニノマの下へ向かう。俺以外に気配のない直線はかなり不気味で、電灯がついているとはいえ、暗い通路を歩くのは抵抗があった。気持ち速めに足を進めて、アニノマの部屋の前でノックをする。
「奏だね、入りな」
ドアの向こうからそう言われたのを確認して、俺はドアを開けた。その途端に奥から、不快感のある煙が俺の方に伸びてくる。少なくない時間待っていたのか、アニノマの気分はあまり良くなさそうだ。
「夜に教えろと言ったのは確かに私だ。だが、もう少し早く来ても良かったんじゃないのかい?」
「否定はしない。ごめん」
「いや、元はと言えば私のせいだな。奏は謝らないでいいよ。それで――」
口から煙を吐き出して、アニノマは俺に早く言うよう促してくる。余程早く終わらせたいのだろう。目の下が暗いように見えるアニノマに俺は言った。
「この仕事、やることにした」
「……そうかい、正直驚いたよ。メイは納得したのかい?」
「ああ、問題ない」
夕食を食べた後、メイに伝えて時間を空けておいて貰ったのだ。今言ったことと同じように言って、複雑そうな表情をしたメイの顔を思い出す。
『えー受けちゃうっすか』
『悪いな、心配してくれてるのに』
『まあ、先輩が決めたならそれで良いっす。いつも通り、補助員として先輩のお手伝いさせて貰うっすから』
『ああ、頼りにしてる』
『……ふふっ、任せてくださいっす!』
とは言え、納得自体はしてもらえたので良かった。あとは荷物を持って走るだけ。それで皆がもっと楽に生活できるはずだ。
「じゃあ私は寝るから、奏も早く戻りな。一世一代の大仕事、眠いから失敗したなんて言わせないよ」
「そうだな、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
そう言って俺はアニノマの部屋の扉を閉める。もう日は跨いでしまった。明日……いや、今日のためにしっかりと寝よう。自身の部屋へと向かう真っ暗な廊下を、俺はのんびりと歩いていった。
「うわっほんとにゲート出てきたっすよ。いよいよ依頼主はバケモンっすね……」
「その化け物が大金くれるんだ、頑張るしかないよ。……じゃあ、行ってくる」
「頑張りな」
そう言ってタバコを吸うアニノマを尻目に、俺は梯子を登り始めた。もっと緊張するかもと思っていたが、今まで積み重ねてきた経験がなんとか心臓を抑えている。蓋を押し上げて外に出ると、仕事でいつも見る景色とは違う景色のように見えた。
ゲートの方向を確認しつつ、手に握られたトランクへと目を向ける。今まで運んだ物の中でも軽い側に属するコレが、一兆になると思うととても重く感じた。そんな幻覚を抑えようと、時間制限があるので一度に限った深呼吸をする。その後、耳にある魔道具通信機が機能するのを確認するついでに、自分自身を鼓舞するつもりで一言言った。
「運び屋『脱兎』。行きます」
『行くっすよ、一攫千金を目指して!』
ゲートが開いてから時間にして五分程度。ここからだと俺では一時間かかるかどうか、といった感じだろう。もしゲートがE級のものなら、運次第ですぐに閉じられるはずだ。正直、間に合うかどうか怪しい。
魔力の量では何一つ問題はないので、有り余った魔力を俺が使える分だけ纏う。いつも通りどこか不完全燃焼な不快感を抱えながら、俺はゲートのある方へ駆け出した。
今はすでに一月、なかなかに鋭い風が肌に突き刺さる。白い息を吐いたそばから置いて行き、トランクを風に靡かせながら俺は走った。昨日の事もあって張り込みされることも考えていたが、心配する必要はなかったらしい。目に入るのはこの辺りの住人だけで、居住区にいるような身なりは一つも無かった。
『額が額ですしケーサツとかが追ってるモノだと思ってたんすけど、そんな事なさそうっす。魔力の反応は特になし、ちょっと期待ハズレっすね』
「そんなこと言うもんじゃないぞ。簡単に済むならそれが一番だ」
呑気にメイと話すことができる程度には静かに仕事は進んでいく。拠点を出て三十分もすれば居住区に近づいてきたのか、段々と見上げなければいけない建物も増えてきた。ふと、違和感があった俺は足を止めて周囲を見渡す。
瓦礫、古びた家、この辺りに暮らす浮浪者。いつもと何一つ変わらない光景でも、それぞれがいつもと違うように感じた。この辺りの人は皆、お金を対価に匿ってもらう協力者ばかりなはず。俺の姿を見ても特に反応されないはずなのだが、瓦礫の影、窓の向こうから気味の悪い何かが向けられている。
『……先輩? 何かあったっすか?』
注目されているのに似た感じがとても気に入らない。浴びたくない視線から逃げるために、俺はすぐ近くにあるマンションへ駆け込む。この際、前のように屋上を伝って進んで行ってしまおう。そう考えて階段を登ろうとしたが、それはどこにも見当たらない。目に入ったエレベーターが動くかは運任せだったけれど、ボタンを押せば体を軋ませながら動き始めた。
表示を見る限り屋上は十階にある。階を一つ上がる度に揺れるエレベーターの中、光る文字板を眺めているとメイが話しかけてきた。
『先輩、お願いがあるんすけど……』
「どうしたんだ?」
耳を傾けても、その続きは流れてこない。話は進まないまま、壁に示された数字は少しずつ増えていく。言い淀んでいるらしいメイに、緊張させないよう声を和らげて言った。
「今じゃなくても良いよ。仕事が終わったら二人で話そう」
返事はないだろうと思いつつ、その場で軽くストレッチをして俺はドアに向き直す。開くのを待っていると、覚悟を決めたように息を吐いて、いつもより高い声が耳に入った。
『先輩っこの仕事終わったら私と――』
目的の階であることを告げるベルが鳴る。ドアが開いていくのを無視して、俺はその続きを待った。けれども、メイは『終わってからで、やっぱいいっす!』と言って話してはくれない。空気を読まないエレベーターに心の中で文句を言いつつ、ひとまずはそれで良いかと意識を切り替えた。そして、眩しさなんてまるで感じない曇り空へ――
『「え?」』
メイと同じ声が漏れてしまったのは偶然なんかではなく、必然的なことだった。いきなり地面が破壊され、その破片が俺の肌に傷をつくる。咄嗟に伏せると、すぐさま二発目が頭上を通り過ぎた。
まともな組織ならやるはずもない急襲に、焦った俺は声を張る。それと同時に、このまま攻撃を受けていてもジリ貧だと思い、姿を見られないよう姿勢を低くして別の建物を目指した。
「メイ、魔力の反応は!?」
『えっと、全方位に三十。ゲートの方にも続いてる……す』
「同じモグリだよな。バレてたのか?」
いや、そんなわけが無い。依頼の手紙とトランクがあったのが昨日、依頼のことを知っている人は少ないし商売敵に漏れることは考えづらい。依頼者側だって、誰にも気づかれずにアニノマの懐まで近づけている。それほどの実力者なら、情報を漏らすなんてヘマはしないだろう。それこそ、自ら広めようとでもしない限り……。そう考えた時に、俺の中で答えが出た。
「嵌められたか」
『何ですか、嵌められたって』
「下にいる奴らは殺し屋か何か。依頼主は俺に依頼した通りに伝えて退散ってことだ。欲しかったのは荷物じゃなくて俺脱兎の命かウチ組織の崩壊とかだろ」
『そんな……』
冷静に考えれば分かることだった。あんな小学生みたいな金額をバカ真面目に受け取って、結果は出来レースの参加権を押し付けられただけ。今から皆に助けてもらうまで耐えるのも手だが、俺にできるとは思えない。
「これはもう駄目だな。メイ、ボスに繋げられるか?」
『駄目なんて、そんなこと――』
「早く」
少し静かになった隙を突いて、ビルの谷間を飛び越えた。しかし、俺の思った通りに進むわけがない。細く、鋭い銃弾がコンクリートを破り、そのまま俺の足を貫く。衝撃と痛みからか、上手く着地できなかった俺は倒れてしまった。その手元にトランクはない。
『どうしたんだい? メイが随分と焦ってるみたいだけど』
「罠だった。多分、俺らが狙いだ」
『……そうかい』
『脱兎、あんたはうちに帰ってくるんじゃないよ。ここもバレてる可能性があるんだろう?』
「ああ」
『私たちもすぐに逃げる。身を隠すために事実上の解散にするが、また集まるまで脱兎はそのまま逃げてな』
「了解」
『一応言っておくけど、死ぬぐらいなら警察の世話になりな。いつか迎えに行ってやるから』
「……ありがとう。じゃあそろそろ」
『そうか、じゃあ達者にな。メイ、逃げるよ』
『えっ嘘ですよね……やだ私また……先輩、ボス待ってください! 私が先輩のこと助け、やだ先ぱー』
通信が切れる。ここから逃げる手段は幸運以外にないわけだが、これからどうしようか。残っているのはこのボロボロの体とハンドガン一丁だけ。戦闘が始まればまず助からないし、捕まろうものなら相手の名誉になるのは目に見えている。本当に助かる方法はないのか。
絶望感に足を引かれ、覚悟を決めて自決と洒落込もうかと体を起こした。――その先にあった希望になりうる物が目に映る。さっき落としたトランク、あの中にある物次第ではどうとでもなるだろう。
「いけるか? ……いや、やるんだ」
最初から罠なのだから、中身もロクな物ではない。分かってはいたが、俺は最後まで希望を持っていたかった。
開けるための仕掛けは分からないが、幸い俺にはハンドガンがある。留め具と思われる部分を弾が尽きるまで撃ってみると、形が歪んで簡単に壊れた。
それを見てトランクに手をかけると、抵抗される事なく中身を見せる。
中にあった魔道具は黒い雲だけを映していた。持ち手のような部分に手をかけると、雲は流れてトランクの内側を映し始める。それは鏡だった。どんな効果がこれに込められているのだろうか。早く調べようと魔力を込めつつ、持ち上げると――
そこには見たことのない女の姿があった。白髪に赤目、こんな状況でなければ見惚れていたであろう美少女。俺の動作を真似するように、その瞳が困惑で揺れ動く。その見知らぬはずの影は別の何かに重なったように俺には見えた。
高い悲鳴を上げて鏡は割れる。俺がそれをしたのだと気づいたのは、破片が足元に散らばった後だった。同時に、白髪が地面にまで垂れているのに気づかないわけがない。
「どうなってんだよ!」
俺は襲撃を受けていたことすらも忘れていた。ただ意味の分からない現実から逃げたかった。無我夢中で魔力を込めて、脇目も振らずにその場から駆け出す。
「俺は、何を――」
「目は覚めたか?」
目を開くと、そこにあるのは綺麗な天井だった。
一歩一歩、書き溜めの減っていくこの危機感よ。まあ、見てくれる人がいる限り頑張ります。