2話 この依頼、一日も待ってくれません!
「マジで?」
あまりにも馬鹿らしい、小学生でも考えたような値段に俺は正気を疑った。今までに受けてきた依頼の、どの報酬とも桁に差がある。そう訊くものの、アニノマの顔は真面目そのものだった。ただし――
「奏がそう思うのもおかしくないさ。それに、きな臭いで済まされない点もある」
そう付け加えた上でだ。「余計なことは私に任せればいい」と一部を隠されてアニノマから仕事を貰うことは少なくない。わざわざ俺に言うあたり、相当怪しいのだろう。
普通なら受けるものではないと考えた上で、あの報酬額が俺の思考を鈍らせる。危険だとしても、成功さえすれば一生安泰だ。もう一人の自分にそう言われているみたいだった。ひとまず、話の続きを聞いてみることにする。
「まず一つ。依頼者が分からないこと」
「何言ってんの? 記憶でも操作されてんじゃ――」
本日三度目の拳骨に悲鳴をあげる頭を俺は撫でた。本音二割、冗談八割のそれが通用しないので、しばらくは静かに聞くことにする。鋭い視線を受けつつ、アニノマはため息を吐いて端的に話し始めた。
「外に出てタバコを吸ってた時にね、気づいたら足元に置いてあったのさ」
彼女は「これが現物だよ」と言って、一つの封筒とトランクを手渡してくる。一見すると何の変哲もないトランクでしかないが、留め具に触れてみると何か仕掛けでもあるのかびくともしない。そして、どこか汚れたようで汚れていない手紙の中身は、機械的に文字を綴られていた。
『翌日、東京に開くゲートにコレを運べ。報酬は一兆円。その場で交換することとする』
苦笑して顔を上げると、アニノマはため息を吐きながら話を続けていく。
「子供の遊びなら良かったんだがねぇ……あまりにも不自然だし無視するのは流石に怖いのさ。それが置いてあったのは今朝だから、運びは明日に行うことになる。突然になってすまないね」
「いや、まだ受けるとは決めてない――」
「そうだね、それが問題だ。運びに期限をつけない、それが奏、あんたが受ける仕事に付けた条件だ。その上で、あんたはどうする?」
そう問いかけてくるアニノマの顔は、母のモノではなく一人の組織のボスのモノだった。この依頼にある懸念点を全て考えた上で、部下に答えを出させようとしている。
俺が出した答えは、一旦待ってもらう事だった。答えですらないただの逃げだが、今ここで答えを出したとしても後悔する予感がする。
「ボス、少し待って――」
「わざわざ言わなくてもいいよ。今すぐ判断する必要もないし、夜にでも聞かせておくれ」
首を縦に振りながら、アニノマはそう言った。仕事も終わったのだからとりあえず休めと、俺は部屋から追い出される。特に当てもなく一本道を戻っていくと、曲がり角で壁に寄りかかる影があった。
「あっ先輩帰ってきた」
「メイじゃん。何でここに?」
「それ訊くっすか? 待ってたに決まってるでしょ」
俺の胸を突いて、メイは目を細める。わざわざ待たせていたのかと謝罪すると、メイは笑みを浮かべて俺の手を引っ張った。おそらく台所の方に向かっているのだが、突然どうしたのだろうとメイの顔を見る。
「私を待たせた責任、取ってください!」
「……にしても、先輩って何でもできるっすよね」
「いや、そんなことはないよ。中途半端なやつばっかだし」
まな板の上に乗せられたトマトを切りながら、そう呟くメイに返した。俺の魔力を込めてある包丁は、綺麗な断面を描き出していく。あらかじめ油を熱しておいたフライパンに豚肉ともやしを入れ、なるべくバラけるようにして淡々と炒めた。肉に少し色がついたのを確認してから、トマトと溶き卵をさらに加える。あとは軽く味をつければ完成。
机に突っ伏して料理を待つメイの目の前に、盛り付け終えた皿を置いた。メイは顔を上げると、その匂いからか顔をほころばせる。俺が向かいに座ったのを確認して、メイは手を合わせて――固まった。
「ご飯忘れてるっすよ」
「まだここ来て二十分経ってないぞ。米なんて求めんな」
「えー! あんまりっすよ!」
しくしくと、わざとらしく文句を言って箸を運び始める。米なしとはいえ、メイの目を見れば満足してもらえるだろうと言うのは分かった。俺も食べ始めゆっくりとしていると、メイが思い出したように言う。
「そう言えば、ボスと何の話してたっすか?」
「ん? 別に、いつも通り仕事の話だけど……なんか怪しいんだよな」
「え、何すかそれ」
興味があったらしく、ご飯のおかず代わりにさっきのことを話した。うひゃーっと、駄目なものを聞いたような悲鳴をメイはあげる。「やばいよな?」と訊くと、メイはそう長い時間考えずに頷いた。
この依頼がおかしいのは前提、地雷疑惑のあるものを引き受けるのか受けないのか。この際だからと、メイに意見を聞いてみることにした。
「え〜………………受ける必要あります?」
「無いな。ただ、成功すれば何でもできるぞ。足を洗って居住区にも行ける、警察に個人まで特定されてなければだけど。まあ、メイならそこは問題ないよ」
「……先輩は運び屋やめたいっすか?」
突然、メイにそう訊かれる。話の流れが分からなかったが、余程のことがなければやめないだろう、俺はそう返した。すると、メイは首を横に振って答える。
「じゃあ、私もここにいるっすね」
そう言って、メイはもう残り少ない料理を減らしていった。それを見てもう少しメイと話すべきかと思い、どうしようかと悩んでいると通路の方から新しく足音が鳴る。顔を向けると、仲間の名取颯太が顔を出した。
どうやら、いい匂いがする方へ来たら俺たちがいたらしい。ついでだからとフライパンに残っていた物を温めてやると、申し訳なさそうにして椅子に腰をかけた。俺は会話から外れて聞きに徹しようとすると、二人が気まずそうにしている。なので、今の話を名取にも振って場を持たせることにした。
「へー、やればいいじゃん」
「はあ? 受けない方がいいに決まってるっすよ」
二人で意見は対立し、期待していたような雰囲気ではないが目の前で会話が加速する。止めようとも考えたが、最初に言ったのは俺なのでそれはやめておく。蚊帳の外で眺めていると、それはいつの間にか一対一のプレゼンへとなっていた。
「じゃあ、まずは私からっす」
「いやちょっと待って」
「え?」
「『え?』じゃないだろ。なにこれ」
この状況を理解できてないのは俺だけなのか、止まることなく話は進んでいく。いつ用意したのかも分からない紙を持って、メイは俺の前に立った。『やらない方がいいと思う』か、内容が薄い。
「まず、報酬からっす。何すかあの馬鹿みたいな数字、小学生のノリっすよあれ」
「まあ、それはそうだな」
「しかも荷物を押し付けてくるって、絶対ヤバイっすよそれ。先輩呪われるっす」
「勝手に呪わないでくれ」
雰囲気が柔らかいが、考えている事は真面目のようにも思える。それが幻想でないことを祈りつつ、俺は続きの説明を待った。
「それに、今でも充分生きていけてるっす。だから先輩には下手に命を賭けて欲しくないっす」
「……そっか」
俺はメイに心配されているみたいだ。それも、かなり深刻なレベルで。もしかすると、俺が思っている以上にこの状況は胡散臭いのかもしれない。メイがあそこまで不安がる姿は久しぶりだから、少し考える要素に加えてもいいだろう。
メイは話が終わったのか、横にそれて俺の隣に座る。そこから入れ替わるように、名取は俺の前に立った。名取の持った紙には『俺は受けた方が良いと思う。まず第一の理由として――』。
メイと同じ時間で用意したとは思えない程に、ぎっしりと詰められたそれから目を逸らす。どうして二人とも間を取ることができないのだろうか。呆れつつ目を戻し、耳を名取に傾ける。
「じゃあ言うけどさ、俺ら裏社会の人間は信頼でやってきてる。そんな常識があってこの金額だしてんだ。騙すにしては馬鹿らしすぎる」
「そこは俺も考えてた。一応ここはこの辺りで有名な方だし、突然喧嘩を売られるとは思えない」
「そうそう。つまり、一兆はガチ。となれば、多少のリスクは覚悟してでも受ける価値はある。それに、出南は今のところ失敗ゼロ。受けない理由がない。一兆あれば何でもできるんだからな」
「……やっぱりそうかな」
「俺からは以上」と言って、名取はメイの隣に座った。どうするのか、と二人から押しかけられたのでどうにかして落ち着かせる。決めたら教えるから今は勘弁して欲しい。俺はそう伝えて、自分の部屋に逃げ帰った。
部屋の中でベッドに倒れて、俺は何も考えず天井を見つめる。このまま寝過ごしてしまうような勢いで、俺は思考を巡らせた。運ぶだけならそれほど難しくない。裏社会の信頼と言うのは別に嘘を吐くことに限らないからだ。組織間で争っているわけでもないのに他を襲撃するようなとこには誰も近づこうとしない。いつ自分が襲われるのかも分からないからだ。それを理解しているから、誰も無闇に行動しない。
つまり、俺が警戒すれば良いのは警察だけ。やたらと問題のあるこの依頼をどうするのか、俺は体を横にしてしばらく考え続けていた。
それはそれとして、プレゼンはもう少しまともにやって欲しい。