第94話 星空と伝承
風で湯気が晴れて見上げた空には、文字通り満点の星空が広がっていた。
「これは……また見事だな」
空に広がる、星の天蓋。
フウキの村にいた頃から何度もこの星空は見ているが、温泉に入りながらというのはまた風情が違う。
ちょうど月がどちらも出ていないのようで、星々の光を妨げるものも何もない。
ただ、コウが知るいかなる星座も、そこにはなかった。
改めて、コウはここが異世界だと痛感させられる。
「コウのいた世界にも、星ってありましたか?」
「あったよ。まあ、並びは全然違うが……星空の美しさは、同じだな」
日本でここまでの星空が見られる場所は限られていたが、幾度か覚えがある。
もっとも、この見えてる星が地球の星々と同じであるかもわからない。
「この世界では、星は過去に世界を越えた人々の魂の輝きとされてますが……コウの世界はどうなんですか?」
「世界を越えた?」
聞きなれない言い回しに聞き返す。ただ、おそらくの意味は推測できるが。
「あ……要するに死んだ人、ですね」
「なるほどな。俺の世界は色々と知識や観測が発達しててな。星が、太陽と同じだという事が分かってるんだ」
「太陽と……同じ?」
顔は見えないが、エルフィナの頭の上に疑問符が舞い踊ってるのが分かる。
「太陽と同じように、光輝いているのが星なんだ。ただ、あまりに遠いから、太陽ほど強く光ってないように見えるだけでな」
「遠くの灯りがあまりよく見えない的な?」
「そういう事だ」
「そうすると、あの星々一つ一つに、この大陸の様な世界があるという事に?」
「あるかもな。まあ俺のいた世界と同じかは分からないし……俺のいた世界でも、俺の住む星以外にまだ人の住める星は見つかってなかったからな」
「星に住む……のですか?」
「あ……そうか。そもそもそうなるか……」
エルフィナがまた混乱したようだ。
惑星と恒星のことをどう説明したものか。その前に宇宙についても説明が要る。
そもそもこの世界が地球と同じような惑星であるかもまだ分からないのだ。
ただ、地平線などを見ると、地球同様わずかに湾曲してるのは間違いないので、おそらくはそうだろうとは思っているが――。
「コウ?」
「また今度話す。いざ説明するとなると、ちょっと時間がかかる気がする」
「わかりました。それに……星がきれいなのは、確かです。それにしてもコウの世界はすごいですね。星々の正体を把握しているってことですか」
「そうだな。ただ、星について詳しいことが分かったのは、そんな昔のことじゃないから、それまでは俺の世界でも星は神秘的なものだったんだ」
「そうなんですか?」
「こっちにあるかわからないが――特に明るい星をいくつか繋いで、いろんな形に見立てたりしていたり、あるいは運命の星があったりといろいろだ」
「いろんな形?」
「ああ。伝説や伝承の英雄や動物とかにな」
「なんかそれ、面白そうです」
エルフィナが星空を指さし、何か辿っている様子が見る。
星空のキャンパスに絵を描こうというのだろう。
「ちなみに例えばどんなものが?」
「それこそいろいろだ。伝説の英雄だったり、その伝説に出てくる動物だったり。あとは俺の世界は、いわゆる魔獣や竜といった存在は全くいないことが今はわかってるが、そういう存在は伝説の中にはよくいるんだ。そういった存在が神々に認められて、星に上げられた、という伝説があったり」
「伝説の中にはいるのに……実際にはいないのです?」
「ああ。自分たちが理解できない現象を見ると、神や精霊、あるいは想像上の存在にその理由を求めて、それが伝えられて伝説になる。。それに、この世界と違って、俺の世界は言葉や文字は地域や時代によってかなり違うから、正確に伝わらなかった伝承も多いと思う」
「言葉が違うって、なんか大変そうですね。じゃあもしかして、初めて会ったら言葉が通じないとかも?」
「ああ。というより違う国だと言葉が違うのが普通だ。たとえ隣の国でもな」
「コウのいた世界って、この世界よりずっと広かったんですか?」
クリスティア大陸の大体の広さは、わかってる範囲では北アメリカ大陸より少し小さい位だ。ただ、これが全てかどうかはわからない。
とはいえ、現状この大陸の人々はこの大陸以外の世界をほとんど知らないので、その意味ではこの大陸が世界全てといえるだろう。
「大陸はもう少し多いな。クリスティア大陸くらいか、もっと大きなのも含めて……全部で大陸は六つあった。一つは人がほぼ住んでいないが」
「それはものすごく広いですね」
「と言っても、俺のいた国は島国でな。そこまで広くはない。広さだけなら、パリウス公爵領よりもずっと狭い。辺境を外せば……いや、それでもパリウスの方が広いな」
「国ってたくさんあったんですか?」
「あったな。確か……二百ぐらいだったはずだ」
「す、すごい数ですね」
ちなみにこの世界の国は、帝国の版図の一部とされてる国を別に数えたとしても、三十そこらだったはずだ。
「まあ小さい国だと、それこそパリウス領都より小さい国とかもあったはずだ。でかいのだとクリスティア大陸よりでかい領土の国もあったが」
「人も多い……のですよね」
「ああ。全世界だと、確か七十億人は超えていたはずだ」
あまりの数字にエルフィナは言葉を失っていた。
思わず手で数えてしまう。
「……なんていうか、理解や想像が追い付かないです……」
「すまん、混乱させたな……まあこの辺にしよう。せっかくの温泉に星空だ」
「はい」
もう一度星空を見上げる。
「前の世界でも、温泉に入りながら星空見たりもしてたのですか?」
「たまにあったな。じぃさんが温泉好きだったから、あちこちよく行ったんだが。じぃさんは酒もセットだったが」
「コウのいたところって、そんなあちこちに温泉があったんですか?」
「ああ。およそあらゆる地域に温泉があったと思う」
「それはすごいですね。先ほどの話も興味はありますし、いつか行ってみたいですね……」
「そうだな――難しい気はするが」
そもそも帰る手段すら分からない。
キルセアの話だと、少なくとも竜ですら地球の存在は知らないようだ。
そもそも、なぜ自分がこの世界に来ているのか。
そして、なぜこの世界の誰にもないほどの、特異な能力を保持しているのか。
そこには、きっと何か意味がある。
あるいは、何者かの意図がある。
漠然とした感覚だが、なぜかコウはそれに確信があった。
ただ、エルフィナもあまりにも特殊だ。
その特異性はコウに匹敵する。
だが、エルフィナは間違いなくこの世界の存在であり、コウのような異世界からの訪問者ではない。
あるいはコウの持つ特性も、珍しいというだけかもしれないが、この特異者二人が出会うことも、誰かの意図だという可能性もあるのだろうか。
「考えても分からんか」
「何をです?」
「いや、なんでもない」
何かの意味、あるいは意図があったとしても、今それを推測することはできない。
それにコウ自身、エルフィナとの出会いも仕組まれていたとは思いたくなかった。
「あ、そういえば。コウ、キルセアに最後に何か聞いてましたよね。エルスベル……でしたか」
「ああ。この世界の伝承を紐解くと、必ず最初に出てくる、一万年前に消えたとされる存在だ。一万年も伝承が残ってるだけでも驚異的なんだが、どういう存在だかは分からない。キルセアなら、と思ったんだが残念なら知らなかったらしい」
キルセアですら知らなかった以上、この世界で調べる方法は過去の遺跡を探すくらいしか手はないだろう。
「……コウ。ちょっと不思議な話をしていいですか?」
「なんだ?」
「私の氏族であるクレスエンテライテは、森妖精の氏族の中でも、というより妖精族の中でも最古の一つなんです」
今更古い氏族自慢をエルフィナがするとも思えないので、コウは訝し気な顔になった。
「私は昔話とかおとぎ話とか伝承とか好きで、子供のころからたくさん教えてもらったり自分でも読んだりしていました」
後に外に飛び出す好奇心旺盛なところは、子供の頃からだったようだ。
思わず想像できて、コウは少しだけ笑いそうになる。
「今は大陸のあちこちに住んでる森妖精ですが、元は三つの氏族から分かたれたとされてます。そして森妖精も最初から今と同じ言葉と文字を持っていて、その記録をずっと残しています。正しくは、氏族の長の記録は全て残っているのです。私の氏族の、初代の長であるクレスエンテライテからずっと」
つまり、森妖精の長い歴史のすべての記録ということになる。
「といっても森妖精の記録ですから、正直ほとんど変わり映えがしないわけで、中には生年、長になった年、世界を超えて樹に還った年しか記録がないこともありますが……」
森妖精特有のあの生態だと、本当に何もないという場合何もなさそうだからすごい。
「森妖精は独自の暦を持たないので、その記録は聖歴で記されてます。つまり、始まりの時には少なくともファリウスと何かしら関係があったと思われるのですが……」
ちなみにこの世界の暦のうち、年号は各国において異なる。
アルガンド王国であれば、アルガンド歴というまんまの名前で、建国の年を元年とした暦を使う。これは各国とも同じだ。
そしてその最古の暦が、聖歴と呼ばれる暦で、これは大陸最西部、ファリウス聖教国、正しくはその中枢たる聖教会の暦。
アルガンド歴だと今年は四一七年だが、聖歴だと今年は一〇二四五年。つまり、『エルスベル』が消えた頃が元年だと思われる。
これが、ファリウスに『エルスベル』の記録があるかもしれないと考える根拠でもある。聖教会は聖歴の開始とともに設立されたと云われているのだ。
言い換えれば、『エルスベル』が消えると同時に設立された可能性もある。
「初代の長、クレスエンテライテは生年が不明で、長になったのは聖歴一〇〇八年。つまり、聖教会より、森妖精の方が歴史は浅いんです」
「つまりそれまでは、氏族という単位はなかったと?」
「ということになります。初代のクレスエンテライテ以降、森妖精をはじめとした妖精族は氏族単位で集まるようになるのですが、ではそれ以前がどうだったかというのは、全く記録がないんです」
同じだ。
九千年前から一万年前の、記録の断裂。
一万年前にあったと思われる『エルスベル』の消滅。その次の記録は必ず千年ほど空いて始まる。それは、その千年を超える寿命を持つ森妖精ですら逃れられなかったのか。
「そしてもう一つ奇妙なのが――初代クレスエンテライテの記録に『聖歴一三一九年、世界で最初に森妖精の子が誕生した』という記述があって、クレスエンテライテはその誕生をことのほか喜んだと伝えられています」
「新しく氏族になって最初に誕生した子……というわけではなく?」
「それなら『氏族の新たな子』といいます。この言い回しは今もしますが、それ以後は子供が生まれた記録は後に長になる者以外にはありません。『世界で最初に誕生した森妖精』というのはこの一回だけなんです」
それは確かに妙だ。
素直に解釈するなら、それまで森妖精には子供が生まれなかったということになる。
「私も昔は不思議に思わなかったのですが、後で考えると妙だなと思って」
気になるのは『世界で』という言葉。
つまりそれまで、森妖精という存在はこの世界にはいなかったのではないか。そして九千年前に森妖精という存在がこの世界に現れたのだとすれば、辻褄が合う。
正しくは『この世界で初めて生まれた森妖精』ということだ。
九千年前に森妖精という存在が誕生したか、または他の世界から現れたか。
他の世界というのは荒唐無稽過ぎるように思えるが、コウのように現れるケースがないとは言えない。
そもそも『エルスベル』というのが人間が作った国家や社会だと推測していたが、そこにいたのが人間とは限らない。
もしかしたら、人間が『誕生』したのも九千年前なのか。
他にも色々考えられるが――。
「……だめだ、考えても判断できる材料が少ない」
「またコウ、色々考えてますね。顔を見なくても分かります」
「それほど悩んでいるつもりはないんだが」
「まあ、私も不思議だなと思ってるだけです。過去がどうあれ、今私は貴方といられることが嬉しい。それは間違いなく真実です」
その言葉に、思わずエルフィナの方を見ると、彼女もこちらを見ていた。
星明りだけではあるが――その顔は、とても美しく思える。
「大好きですよ、コウ」
「……そういう不意打ちはやめろ」
返答に困って、コウはそっぽを向いて顔を半分ほど湯に鎮める。
もっとも、エルフィナも顔が火照って真っ赤になっている自覚がある。
それは温泉の熱気のせいだけではないだろう。
多分暗くてコウには見えていないだろうが。
「言いたくなったんです。……またいつか、ここに来たいですね」
「そうだな。機会があれば……」
もう一度、空を見上げる。
瞬く星々の輝きが、二人を見守ってくれているかのようだった。
その後。
すっかり長湯をしてしまった二人は、部屋につくなり倒れこむように眠り、朝までまったく目覚めることはなかった。
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