第93話 温泉での休息
「では、もう心配はない、と」
「はい。魔獣は一時的にある存在に怯えていただけで、それが去ったので、元の住処――北方の山のさらに向こうに戻っていきました。逆を言えば、あの先は魔獣の領域です。そこに踏み込むようなことがあれば――」
「理解しております。魔獣を駆逐してまで、という意思は我らにはありません。そこは、街の者全てに戒めとして今後も伝え続けましょう」
一通り――竜がいたことはぼかして追い払ったことにしたが――説明し、明日には魔獣がいなくなることを伝えると、トーマス町長は心底安心したようだった。
キルセアがいなくなったことを感じた魔獣たちが移動を開始したのは、翌日の昼頃で、コウとエルフィナはある程度それらを見届けてから戻った。街に戻ったのは、翌日の夕方である。
一応ある程度見届けてはきたので大丈夫だとは思うが、森で狩りをする猟師が明日の朝確認をするので、コウたちはそれまではハクロの街に滞在することになった。
初日にも利用した森泉亭だが、初日は夜遅くまで調査に出てて、文字通り眠っただけで、翌日も早朝から出かけたので、やっとのんびり利用できることになる。
宿は、コウにとってはどこか少しだけ、日本の温泉宿を思い出させる雰囲気もあった。
さすがに寝台はあるが、総じて床が板張りになっているのが、あるいはそれを感じさせるのか。
日本にいた頃、橘老の道楽の一つが温泉巡りで、よくコウも付き合わされた時のことを少しだけ思い出した。
部屋はエルフィナの希望で一部屋――別部屋でとコウが言いかけたがエルフィナが問答無用で一部屋にしてしまった――だが、非常に広く、見晴らしも良かった。
とりあえず少しくつろいでいると、すぐ食事が運ばれてくる。
食事は、メインはおそらくこの周辺で獲れたであろう鹿肉のローストで、どれも申し分ない味付けだった。特に店主の趣味だというパンが絶品で、エルフィナがものすごくたくさん食べていたが。
森泉亭は高級感はあるが小規模な宿で、今日の客はコウとエルフィナ以外、あと二組しかいないらしい。
そのどちらも比較的高齢の客で、まもなく寝入るということなので、温泉は自由に使ってください、とのことだった。
事実上の貸切らしい。
「い、一緒に入りますか?」
などとエルフィナはからかっているつもりで……言うのにも相当に勇気が必要だったのだろう。
実際には真っ赤になっていた。
もっとも、温泉はしっかり男女別になってるのだが。
そんなわけで、二人とものんびり湯に浸かろうと温泉に向かったのは、すっかり暗くなってからだった。
「なんか懐かしい雰囲気だな」
さすがに檜の風呂という訳ではなく、浴槽は大理石に似た石材で造られたものだったが、大きな浴槽の温泉は日本の温泉宿を思い出す。
とりあえず体を流し、浴槽に浸かっていて――ふと、浴室に入るものとは違う扉があるのに気が付いた。
立ち入り禁止、という感じでもなかったので扉を開けると――
「露天風呂か!」
しかも、いわゆる岩風呂的なものだ。
まさかこの異世界で、露天風呂にめぐり合えるとは思っていなかった。考えてみれば天然温泉があればあっても不思議ではないのだが。
思わず、懐かしさに訳もなく嬉しくなる。
月がなく、灯りもほとんどないため、足元が不安になりそうになるが、入口に置いてあった法術具で足元を照らしたのでほぼ問題はない。
湯はかなり濃い白濁とした色で、色々な成分が溶け込んでいるのだろう。
この辺りの薀蓄は、橘老が相当に詳しかったが、コウはそこまでは分からない。
「これは……思わぬ拾い物だなぁ」
のんびりと湯船に浸かる。
岩風呂だが、ちゃんと湯船の底は滑らかに加工されている。
湯の温度も丁度良く、秋が深まりつつある季節には、最適の環境だった。
かなり広いため、そのままのんびりと湯船の中を移動し――。
「……え? コウ……?」
突然の声に、思わずコウはそちらを向き――慌てて回れ右した。
そこに、文字通り一糸纏わぬ姿のエルフィナがいたのだ。
暗さと湯気でほとんど見えなかったが、それでも一瞬見えたその肢体は、あまりに美しかった。だが、さすがにそれを凝視する度胸は、コウにはない。
「ふえぇぇぇぇぇぇぇ!?」
背後では、エルフィナが湯船にしゃがみこんだらしい音がした。
「す、すまん」
「な、何でコウがここに……? 確かに私、女性用のお風呂にいたはずなのに……」
「た、多分だが、外風呂は男女が繋がっているんじゃないか……?」
「……そう、みたいです」
建物の構造を確認したのだろう。
エルフィナが納得したのか、ふぅ、とため息を吐く。
今思い返せば、扉の上に何か書いてあった気がするが、ほぼ読めなくなっていた。
「すまん。俺が内風呂に戻ろう。エルフィナは……」
「いえ、いいです。せっかく、気持ちがいいですし」
その言葉と同時に、背後の気配が少しだけ動いた。
どうやら少しだけ離れたところで、少しだけ岩陰になるところに収まったらしい。
「あ、あの、でも、その……できれば、こっちは向かないでください。まだその、恥ずかしいので」
「分かった。俺もちょっとそんな勇気はない」
その言葉に、明らかに安堵した雰囲気が伝わり、コウはむしろおかしさがこみ上げてきた。
最近、エルフィナは自分の気持ちを理解したからか、コウに過剰とまでは言わない程度に積極的に触れてくるようになっているが、こういうところでは、やはり年相応――百五十歳以上にいうのも妙ではあるが――の反応を見せる。
そこが可愛い、と思うようにはなっていた。
「でも、本当にこのお風呂って気持ちいいですね――」
「そうだな。俺の世界には『風呂は命の洗濯』って言い回しがあるくらいだからな。要するにのんびりして楽しめってことなんだが」
「ふふ……なんかいいですね、それ」
ぱしゃ、という音が響く。
秋が深まるこの季節の空気は冷たいが、それが逆に風呂の温もりをさらに気持ちよくしてくれているかのようだった。
その時、不意に少し強い風が吹いた。
「あ――コウ、空、凄いですよ」
「空?」
言われて、コウは空を見上げる。
風で湯気が晴れて見えたのは――。
最初背中合わせで語らせようかと思ったけど、いくら何でもそれだと間違い起きるかと思って修正しました(ぉ




