第87話 パーティの夜~終幕
「初めまして、クライス・エンバレスです。コウ殿……でよろしいか?」
「はい。初めまして、クライス殿。名前だけなら、存じてました」
「え? お……コウ様、どこで?」
「パリウス公の卒業論文だ。二人の名前があったから」
「ああ、そういえば図書館にありましたっけ……」
「それはお目汚しでした」
あらためてクライスを見る。
コウとおそらくほぼ同年代。背も同じくらいだ。
濃い茶色の髪に深い緑色の瞳、顔立ちは際立っているというほどではないが整っていると言える。アルス王立学院を卒業したということはその優秀さは疑う余地もないし、第一あの論文をラクティと二人で書き上げたのならば、むしろその能力は極めて高いと言っていいただろう。
「論文拝読させていただきましたが、あれはすごいですね。あれだけの情報を集め、分析し、理論として体系付けるのは容易な事ではないと思いますし」
「ふふふ。そうでしょう。あれは私もちょっと自慢です。でも、あれを読んで理解できるコウ様もすごいですが。あの論文は、クライス様が的確な資料を集めてくださったからこそできたことです」
「いやいや。私は資料を集めて、あとは分析に協力しただけだろう。あの理論の骨子は、ほとんど君が作り上げたじゃないか」
「クライス様の資料と助言あってですよ。本当に助かりましたから」
コウの目からみれば、どちらもすごいと思える。
膨大な資料の中から適切な資料を取捨選択するには、それなりの能力が必要だ。
そしてそれを分析するのも、そこから理論を組み上げるのも、少なくともコウは出来る気がしない。
エルフィナはもちろん、アイラやリスティも無理だというのは顔を見ればわかった。
「ラクティが論文のパートナーにクライス先輩を選んだのは、誰もが納得しましたからね。あの時の学院でお二人以上の方はいなかったですし」
アイラの言葉に、クライスが少し赤くなった。
「い、いや。私はそこまでじゃない。それをいったら、ラク……パリウス公は私より四つも年下でこれだけの能力があるのだから、この先を考えると、とても楽しみだよ。彼女と協力して論文を仕上げられたことは、私にとっても誇りだ」
「そんなことないですよ。クライス様だって十分すごいです。ね、アイラ?」
「え、ええ……そうですね」
そのやり取りを見ていたその場にいるクライスとラクティ以外が、全員「あれ?」という雰囲気になる。
「コウ」
エルフィナが顔を寄せてコウに声をかける。
「これ、このクライスって人、ラクティに惹かれてません?」
「……多分な。本人すら自覚してない気がするが」
コウですらわかるのだから、相当にわかりやすいといえる。
実際問題、ラクティはすでに公爵位を継承しているわけで、当然この先、夫を迎えてネイハ家を存続させる義務がある。彼女をふったコウとしても、この先彼女に良人が現れてくれることは――兄としても――期待したいが、ラクティと同レベルで話ができる人というのはそうそういない。
そういう意味ではクライスは、地位なども含めて現状ほぼ満点に近い男性だ。
傍から見てるとその好意は明らかだが、クライス本人はおそらく無自覚だろう。
ラクティも全く気付いた様子はない。
エルフィナからすれば、なぜ自分に向けられているそういうのは全く気付かないのかと言いたくなるが、相手も無自覚だからだろうか。
ラクティとクライスは楽しそうに話をしているが、その内容は共に作成した論文関連の話だ。正直、コウにすらついていけない内容になっている。
高卒程度の経済学の知識では到底太刀打ちできない話が続いているが、男女の色っぽい雰囲気になる気配は、完膚なきまでに存在しない。
「先は長そうだな……」
これに関しては本人たちに任せるしかないし、余計なお節介をするつもりは、コウにもエルフィナにもない。
「そういえば今更ですが。アイラやリスティは、好きな人いないんですか?」
話が盛り上がってるラクティとクライスを横目に、エルフィナが二人に向き直った。
「えっと……」
「私はいません。ラクティ様が憧れですからっ」
言い澱んだアイラに対して、リスティははっきりと断言した。
それはそれでどうなんだと思うが、リスティもまだ十五歳とのことなので、それはこれからだろう。
「アイラは……誰かいるのですか?」
エルフィナが我が意を得たりとばかりに踏み込む。
これまでさんざん揶揄われたので、意趣返ししたいだけという感じだが。
「その、あれです。い、一応お付き合いしてる人はいなくもないっていうか」
「え!?」「ホントですか!?」
そんな気配が全くなかったので、エルフィナとリスティが驚いていた。
「その、学院の研究生です。実家の関連でお会いして、なんとなくというか」
「あー。たまに話してた人?」
「はい。親の紹介でしたがこの先どうするかは……迷ってます。実家は兄が継いでくれるのでそこは考えなくてもいいのですが」
アイラの実家は王都で日用雑貨を扱う商会で、色々手広くやっている。新しい商品(法術具含む)の開発などもやっていて、その関連で学院と研究協力もあるらしい。
研究生というのは、卒業資格を手に入れてもそのまま学院にとどまっている人のことで、当然非常に優秀という事になる。
「私はティファやエフィちゃんみたいな『恋してます』という感じじゃないんです。ただなんとなく、この人ならいいかなという感じで、あまり面白くもないので、話さなかっただけで」
「なんかそれはそれで大人っぽい感じですね。あ、エルフィナちゃん可愛いっ」
リスティの感想が果たして妥当なのかは判断に迷うところだが、『恋してます』といわれてしまったエルフィナが頬を染めて、むしろその可愛さにリスティが盛り上がっている。
「何の話です?」
話が一段落したのか、ラクティとクライスが戻ってきた。
「いえ、別に何でもないですよ、ラクティ」
下手にラクティに知られると面倒だと思ったアイラは話をさっくり切った。
そうして他愛ない会話を続けていると、やはり見覚えのない男性が近づいてきた。
「失礼する。コウ殿、エルフィナ殿」
「父上」
彼を父と呼んだのは、クライスだ。
つまり――。
「貴方は……」
「失礼。私はアルスバート・エンバレス・ディ・ユグニア。以後、お見知りおきを」
現ユグニア公爵。つまりラクティやバルクハルトと同じ公爵だ。
年齢は四十八とのことだが、まだまだ若く見える。
そして、王妃ラテリアの実兄でもある。つまり、ルヴァインから見れば義理の兄でもあるというわけだ。
もっともアルガンドでは外戚が権勢をふるうということはほとんどないらしい。
妻になる人物はあくまで家族として迎えるもので、もし政治などに関わらせるなら、公的な役職を与えるものだという。女性同士の横のつながりがないわけではないが、それが政治に影響を与えることがほとんどないらしい。
暗躍や陰謀を好まないアルガンドらしいと言えるだろう。
「コウです。初めまして、ユグニア公」
「エルフィナです。よろしくお願いします、公爵閣下」
「噂には聞いていたが、これほどに美しいとは。いやはや、驚かされる。それにコウ殿。この度は王子殿下を守ってくれたこと、心より御礼申し上げる」
彼から見れば、キールゲンは甥になる。当然心配していたのだろう。
「それだけではなく、パリウス公を助けてくれたのも貴公だと聞く。それも、本当に感謝してる」
「えっと……?」
ラクティに関してユグニア公に礼を言われるのは予想外だった。
「ユグニア公は、私の父の学院時代の後輩なんです。その縁で私も、学院時代は公爵閣下に色々便宜を図っていただいたこともあったので」
コウの疑問にラクティが答えてくれた。
「何。先輩……前パリウス公に受けた恩に比べれば、大したことではない。とはいえ、行方不明になったり、領主就任直後に叛乱がおきたりと、心配の種ばかり寄越すから本当に寿命が縮んだぞ」
「その節は申し訳なく。でも、コウ様のおかげで、全部乗り切れましたから」
「そう聞いている。だからぜひ、挨拶しておきたかったのだ」
そういって、差し出された手を、コウもとった。
「アルガンド王国は貴公に本当に助けられた。王子の伯父としても、そして一貴族としても、礼を言う」
「私は私にできることをしてきただけなので。ですが、それが結果として援けとなったのであれば、喜ばしいです」
その後しばらく話したのち、コウとエルフィナはしばらく食事に集中した。
言うまでもなくエルフィナは延々と色々、というよりおそらく全メニュー制覇の方向で動いている。
人数が少ないパーティで、しかも参列者の中で間違いなく一番目立つ存在がそんなことをしていれば当然注目の的なわけだが――エルフィナの食に対する欲求がそんなことで止まるはずはなく。
結果、コウは何回か彼女の食べっぷりについて質問を受けることになったが、コウも答えられるものではなかったのは言うまでもない。
「相変わらずすごい食べっぷりだな、彼女は」
ようやく話が一段落したのか、キールゲンとステファニーがコウの元に来た。
ちなみにコウはもう十分食べたので、飲み物だけの状態だ。
「まあ、あれがこのパーティに参加した目的だしな。仕方ない」
別にがっついて食べてるわけではなく、見た目だけなら可憐な森妖精が普通に食べてる光景だ。ただそれが止まらないだけである。
「まあそれはそれとして。この三カ月、本当に感謝する、コウ」
「それはもう何度も言われた。俺も学院は、思った以上に楽しかったよ」
「そういえば、地形政治学の研究生がコウがいなくなるのを嘆いていたよ。もっと一緒に研究したかったってな」
「それは光栄だな。まあ、でもそれなら、この先実地で色々勉強は続けるだろうさ」
「まさに冒険者の特権だな。少し羨ましくもある」
この世界は、高度に情報化された現代の地球とは違う。
実際に行ってみないと分からないことは多い。
そういう調査こそ、冒険者の本分の一つでもある。
「必ず無事に帰って来いよ。もし何かあれば、俺が迎えに行くぞ」
「私も、エフィに何かあったらじっとしていられませんからね。ですから二人で必ず、またアルガンドに戻ってきてください」
「ああ。俺にとっても、この国は――故郷みたいなものだからな」
「……今更だが、コウっていったいどこの出身なんだ? それだけの知見や武術はいったいどこで身に着けたのか……今まで気にしていなかったが」
ふと、この二人になら話してもいいかと思ったが――さすがに思い直した。
このタイミングで話しても、混乱するだけだろう。
「かなり遠い……東の方だよ」
「東……もしかして諸島部か?」
「まあそんなところだ」
クリスティア大陸の東には、多くの島々が点在する。
そのほとんどはどの国にも属さず、それぞれ独自の文化や風習が残る島で、統一した政府なども存在しない。
大陸に近い島々とは交易もあるが、東方諸島部全体の調査はさほど行われておらず、どれだけの島があるのか、はっきりしていない。最東端に到達したと思われる記録はあるが、全体像はまるでわかっていないのだ。
「なるほどな。なんで大陸に来たのかは……そのうちまた教えてくれ」
「わかった。そのうちな」
さすがにそろそろ解散時間かというところで――ある人物を見つけた。
エルフィナも気付いて、二人でその人物のところへいく。
「アクレット。最初はいなかったよな」
「ああ。ちょっと遅れて来たからね。楽しんでるかい、パーティは」
「お食事はとても美味しくて満足してます」
エルフィナの言葉に、アクレットが笑う。
「うん、王宮料理人が腕によりをかけたそうだからね。彼らも満足だろう」
そう言ってからコウに向き直る。
「君ならわかっているだろうが、排魔の結界の中で『充填』を行うことは、天与法印以外では不可能だ。たとえ第一基幹文字であろうとも」
それはコウにも分かっていた。
キールゲンは第一基幹文字だからと納得してくれたが、第一基幹文字といえども、普通の文字と同じものだ。そこに例外はない。
「ではなぜ使えたのかは……私にもさっぱり分からない。ただ、君がこの世界の人間ではないことが理由の可能性は、あると思う」
「その話は、国王陛下には?」
「していない。さすがに彼も混乱するだろう。それがどういうことか分からない以上ね。それに、全文字が使えることも彼には話していない。彼は国王だからね。それほどの存在となれば、さすがに国益を考えて私とは違う考えを持つだろう」
つまり、無理矢理にでも国に縛り付ける可能性も、否定できないという事だ。
「アクレットは……違うんだな」
「アルガンドの臣民としては失格かも知れないがな。私自身はまあ、ルヴァインの友だし、アルガンドで生まれ育っている。今更そこは変えられない。だが、君もエルフィナ君も私とは違う。それに私の師であるアルバトス・ウェンリーに、文字の適性が大きな者は、それに見合う何かを成すべき存在だと思え、と言われていてね。おそらく君たちは、アルガンド王国だけが独占していい存在じゃない」
「|《法聖》アルバトス……ですね」
「ああ。今はどこに住んでるのやら、だけど」
「まだ存命なのか」
「多分ね。もう八十歳超えてるはずだけど、生きてはいると思う。もし機会があったら会うといい。まず見つけるのが難しいだろうけど」
そう言ってから、アクレットは何枚かの紙を取り出した。
「法術符だ。まだ何も入っていない。今回、バーランドが排魔の結界を使ってきた以上、同じ状況になる可能性はあるだろう。これは特製の法術符で、第一基幹文字はさすがに無理だが、第二基幹文字の法術くらいなら籠められる。何かの役に立つと思う」
「ありがとう、アクレット。思えば……最初から世話になりっぱなしだな」
「はは……そう思うなら、陛下や殿下の言葉じゃないが、無事に帰ってきてくれ。元気な姿を見せてくれれば、私はそれ以上は望むことはない」
そういって、アクレットは手を出した。
コウもそれを握り返す。
「壮健で。君の行く道が良き未来につながっていることを願っている」
「ありがとう、アクレット。必ずまた帰ってくる」
その後しばらく歓談した後――パーティは終了となった。
コウとエルフィナはその日だけは王宮に泊まった後、翌日からバーランドへ行くための準備に取り掛かる。
そして出発の朝――。
……パーティだけで三話も使ってしまった(汗)
さすがに次で四章は終わります。




