第82話 事件の顛末とエルフィナの気持ち
目が覚めたとき、体が酷く痛んだように思えた。
ただ、それが程なく、痛みもなく実際にはほとんど怪我をしていないことに気付き、コウはゆっくりと目を開けた。
目の前にあったのは――
「コウ!!」
涙に濡れたエルフィナの顔があり、それがすぐ見えなくなる。
それが彼女に抱きつかれたのだと気付くのに、数瞬を必要とした。
「これで好きか分からないといわれましてもねぇ」
「そういうな。それにこの場合、仲間が大怪我をしたのだから、心配するのは当然とはいえる」
視界の外で聞きなれた声が聞こえて、コウは僅かに頭を動かした。
予想通り、キールゲンとステファニーが立っている。
「目が覚めて何よりだ、コウ。そして、礼を言わせてくれ。コウがいなければ、多分俺はここにはいない」
「……よく覚えてないが、あの後はどうなった? 刺客は……多分死んだのだと思うが」
「アレは君の法術じゃないのか?」
「いや、法術を発動させたのは覚えてはいるんだが、その後は記憶がないんだ。死んだかな、とも思ったくらいだが……」
「実際死にかけてたよ。完全に無防備にあの規模の法術を受けて、生きていたのも驚きだが……」
「僅か数日で、あれほどの怪我を完全治癒してしまうエフィの力にも驚きましたわ」
エルフィナは、今も泣きじゃくって抱きついたままだ。
コウは、とりあえずエルフィナの頭をなでて落ち着かせつつ、ゆっくりと上体を起こした。
僅かに痛みを感じなくはないが、それはどちらかというとずっと寝ていたから、体が強張っているだけだろう。
キールゲンがあの後の顛末を簡単に説明してくれた。
学生や学院祭に来ていた人で怪我人が数人でただけで、被害はほぼなし。
最後に混乱したが、騎士団の助けもあってどうにかパニックなどにはならず事態は収束させることができ、学院祭は一応終了したらしい。
実質、重傷者はコウ一人だった。
ただ、そのコウは生きているのが不思議な状態だったという。
急ぎ王宮に運んだが、王宮医官でも助からないと諦めたのを、エルフィナが何とかすると言って部屋を閉ざし――本当に何とかしてしまったらしい。
二日間部屋から出てこなかったエルフィナが出てきた時、コウはほとんど元通りだったという。
「エルフィナ……ありがとう。どうやら俺が生きているのは君のおかげのようだ」
「まったくです。本当に……貴方は、無茶をしすぎです」
「それは俺からも言いたい。アレはほとんど、自殺行為……というより自殺に等しかったぞ」
「護衛だからな」
「だからといって、普通あそこで飛び込めるものではない……いや、これは俺が言う資格はないな。命を助けられた行為にケチをつけては、あまりにも情けない。だが、最後のあの法術は何だ?」
あの時、あの場所は天与法印を持つ刺客以外、一切の法術が使えなくなっていたはずだ。
にもかかわらず、コウは法術を使って刺客を倒した。
「まったく無策で飛び込んだわけじゃないんだ。確かにあの状況は、法印に魔力を『充填』できなかった。だが、魔力が全く存在できないなら、法術は『発動』すらできないはずだ。しかし法術はあの排魔の結界の中でも使えていた。つまり、文字によって意味を与えられた魔力なら存在できるわけだ」
法術の発動の三段階目、『構築』は文字の形になった魔力を組み上げて法術の形にする。
つまりのその時点では、たとえ天与法印の持ち主であろうと、魔力を体の外側に出しているのだ。
「それはその通りだが……」
「だから、相手の法術の構成を『奪って』反撃できないかと思ってな。まあ実際やったら変換がまともにできずに、死にかけたわけだが……」
「なっ……」
それはつまり、あの一瞬で敵の放った法術の魔力を奪ったことになる。
そんなことができれば、それはあらゆる法術を無効化するのすら可能になってしまう。
「ただ、奪えた魔力は本当に少なくて、威力を僅かに弱めることしかできず、ダメかと思ったんだが、瞬間、法印めいた何かが閃いて――で、それに魔力を『充填』したらできたので、法術を放った。まあ、意識があったのはそこまでだが」
「……じゃあ、あの時放ったのは、おまえ自身の法術なのか?」
「多分そうだと思う。そのやり方で奪えたのは、[炎]の魔力の一部だけだった」
だから、僅かに威力が落ちて、生きていられたのだろうと思う。
だが、キールゲンは唖然としていた。
「……それはつまり、あの瞬間、あの排魔の結界の中で、『充填』できたということか? コウ、お前も天与法印を持っているのか?」
「いや、それはないと思うが……そういうのって、わかるものなのか?」
「天与法印は、基本的に体の表面に法印が浮かび上がってるらしい。たいていは胸や手、稀に腕や額などだ。魔力を集め易い部位に顕れることが多いらしい。だが……」
コウは、ようやく泣き止んだエルフィナを引き剥がしてから、再度自分の体を確認したが、そういった物はない。
「今だから聞くが、コウ、それにエルフィナ。君たちは何者だ。あの、最後に放たれた法術。あれは尋常な威力ではなかった。一瞬見えたあの文字は、間違いなく、第一基幹文字の一つ、[火]だ。それに、エルフィナも、正直アレだけの怪我を、しかも意識のない相手の怪我をこんな短時間で完全治癒できる法術など聞いたことがない。奇跡でもあり得ない。だが……叔父に聞いたが、君の法術ランクは、灰、ということだそうだな」
ランク灰。つまり、法術にまったく適性がないということを意味する。
極稀にしか存在しない、文字にほとんど適性がなく、有効な法術が組み上げられない人くらいにしか付与されないランクだ。ある意味その稀少性は、第一基幹文字の使い手に匹敵する。
「まあ、多分事情があるんだろうが、さすがにこれだけのことになると王子として看過できない。で……父上に確認したら、コウが話すなら、ということだった」
おそらく国王は、アクレットから報告は受けているのだろう。
いくら秘匿するとはいえ、アクレット一人で収めるには、コウや精霊使いの特殊性は、大きすぎる。
「……一応これは秘匿される話なので、他言無用に願いたいが、いいか?」
「父上からの話で、察しはついている。ティファもいいな?」
「もちろんです。未来の王妃として、約束いたしますわ」
何気に聞き逃せない話があった気がしたが、その追求は後にすることにした。
「俺は、第一基幹文字を、それも複数扱うことができるんだ」
「やはりか……とんでもない学友を得たものだ。それにそれなら、あの状況で使えたのも……ありえることかもしれない。第一基幹文字ってのはそれだけ規格外だしな」
「では、エフィもですか?」
エルフィナは一瞬、コウに確認するように視線を向けた。
それに対して、コウは小さく頷くと、エルフィナは再び二人に視線を戻す。
「いいえ。私の『法術ランク:灰』というのは事実です。私はまったく、法術は使えません」
「それでは一体……」
「私は、精霊を使えるんです」
そういって、エルフィナは水の精霊を顕現させた。
その姿に、キールゲンとステファニーが目を丸くする。
「……なるほど。法術ではないが、法術、それも第一基幹文字に匹敵するとされる精霊の力……納得だ」
「隠していてすみません。でも、多分あまり知られない方がいい、という判断で……」
「妥当な判断だと思う。というか、こんなことは俺も他に話せるものではない。ティファもいいな」
「もちろんです。それに、お二人が私たちの友であるのは変わりませんし」
コウとエルフィナが、少しだけ顔を綻ばせる。
コウもエルフィナも、お互い規格外とされるほどの力の持ち主だが、それであっても変わらない彼らのことが嬉しく思えた。
「さて、まあ二人の力が分かったところで……事後報告をしておこうか。まず、元々コウが派遣されるに至った爆発事故を含めた一連の事件だが、やはりというか、バーランドの仕業であると確定した」
件の爆発事故も含め、キールゲンの周囲や、それ以外で起きていたことは、ことごとくキールゲンを殺し、さらに王族をも殺すためのものだったらしい。
王都内に他にもいくつもの仕掛けが見つかったという。
あの排魔の結界の規模は実は極めて大規模で、あの瞬間は王都中心街の『王城区』全域で法術が使えなくなっていた。
結界の基点となる装置は学院内にもあったが、王都の各所にも設置されていたという。他にも爆発を起こす法術具なども多く確認された。ただいずれもすでに回収、無効化されている。
「本来なら、王子である俺を殺害後、駆けつけた騎士らも皆殺しにして、王都全体で破壊活動をしつつ、最終的には本当に陛下を害するつもりだったらしい。だが、その前にコウに倒された、というわけだ」
「……刺客はあの時に死んだと思うんだが、良くそこまで詳しく分かったな」
「実は、他ならぬバーランドからの情報があってな」
バーランドは現在、国が大きく二分されているという。
二十年前の報復を望む『再戦派』と、アルガンドとの協調路線によって、国を立て直すべきだという『穏健派』である。
国王は現在老齢で、どちらにも属してない。
国王には息子がいなかったらしく、現在王位継承権は二人の甥が争っている。
この二人が、それぞれの派閥のトップらしい。
その穏健派から、今回の件について再戦派の暴走であることと、今回の計画の情報がもたらされたのは、学院祭の三日目の夕方、まさにあの刺客が結界を発動させた頃だったという。
「これに関しては、アルガンドが完全に後手を踏んだ形で、王宮では父上の怒号が数日鳴り響いていたよ」
「数日……ってことは、俺は何日も寝ていたのか?」
「ああ、気付いていないのか。お前、三日間も寝ていたんだぞ」
「……どうりで空腹を感じると思った。そういえば、ラクティは?」
「今日は用事があるから外している。彼女もものすごい心配していたから、後で覚悟しておけ」
「その三日間、エフィはずっと貴方に付きっ切りでしたわ。その意味が分からないとは、言わせませんよ、お互いに」
言われて、エルフィナの顔が紅潮する。
「まあ、その話は二人でしてくれ。あとで食事を運ばせるが……。明日以降で立てるようになったら、父上から話があるとのことだから、来てもらうことになる」
キールゲンはそう言うと、ステファニーと共に部屋を出て行った。
彼らがいなくなってから、ここはどこだろうと部屋を見渡すと――どうやら王宮の一室のようだった。
「改めて、ありがとう、エルフィナ。精霊にも感謝するよ」
向かい合ったエルフィナは、先ほど泣きはらしたためか、少しだけその目が赤い。
「今回で分かりました。私は、貴方がいない世界を考えられないくらいに、貴方のことを大切に思っています。貴方がいることが、私にとっては何よりも嬉しいことであり、それ以外の全てがいらない、と思えるくらいに」
「……俺は……」
「知ってます。貴方がそれほど私に対して強い気持ちを持ってないことも。その理由の一つが、おそらく貴方が違う世界から来ているから、ということも。だから、これから先は、私が貴方にとって、世界など関係なしに必要だと思われるように頑張る、というだけです」
今回、コウが死にかけたことで、逆にエルフィナにとっては気持ちをはっきりさせることができた。
エルフィナは、コウから少し離れると、僅かに紅潮し、緊張しつつも、それでも真っ直ぐにコウを見据える。
「私は、貴方が好きです。世界中の誰よりも、たとえ何があっても、どの世界にあっても、貴方と共にありたい。だからこれからも、一緒にいさせてください」
エルフィナははっきりとそう告げる。それが、彼女にとっての絶対の真実であると確信したその言葉は、だが、コウにとってはすぐ応えられるものではなかった。
「だが……俺はいつか元の世界に帰るかも知れない。それに……この世界に残っていたとしても、おそらく俺はせいぜい数十年で――」
それに対してエルフィナはゆっくりと首を振った。
「そんな先のことなんて知りません。私は今、この時に貴方と一緒にいたいのです。ただ、それだけなんです」
人から見れば永遠ともいえる永い時を生きる森妖精。
だがそれでも、エルフィナにとっては今この瞬間、たとえわずかな時だけでもコウとともにいたい。
ただそれだけが、エルフィナにとってはこの先数百年よりも、優先すべきことなのだ。
「……分かった。少なくとも、一緒にいてくれると嬉しい、と思う気持ちは俺にもある。今はそれで……いいだろうか」
「はい、今はそれで、十分です。いつか貴方にとって私が、誰よりも大切だと思わせてみせますから」
ふわり、とまるで風に舞うように、エルフィナが再び歩み寄ると、そのままコウに抱きついた。
コウもまた、エルフィナを優しく抱きとめる。
秋の陽射しが、部屋に穏やかに差し込んでいた。
エルフィナ⇒コウはやっと認めました。
さて、逆はいつになるのやら(ぉ




