第77話 不穏な噂と学院祭準備
「……で、二人でずっと水練をしていたのですか!?」
休み明け。
寮に戻ったエルフィナを待っていたのは、ステファニーとアイラから質問責めだった。
エルフィナは、初日の夜のことだけはなんとなく気恥ずかしかったので伏せて、二人で泳ぎの練習をしていたことだけ報告した結果が、前述のステファニーの言葉である。
「コウ様って、もしかして男色趣味……? これだけ素敵な女性がいたら、私だって襲い掛かりますのに」
伯爵令嬢がとんでもない発言をしている。
「あ、あのティファ、コウはそんなことはないですから、そこは勘違いしないでください」
「でも、一緒に寝泊りして何もなかったのでしょう!? それとも、隠してるだけで実はもうキスくらいはしたのですか?」
「ちょ、ティファ!? そんなことしてませんから、キスだってまだ……!?」
発言してから、とんでもないことを口走ってることに気付いたエルフィナが、顔を真っ赤にする。
それを見て、ステファニーとアイラがにんまりと笑った。
「つまり、キスしたい、と思ってるんですね、少なくともエフィは」
「え、えと……それはその……」
「いい傾向ですわ。もっとも、こんな素敵な美少女と一つ屋根の下にいて襲い掛からないコウ様は、やはり男色趣味なのかと疑いたくなりますが……その辺りの調査はキール様にお任せいたしましょう」
「おや? ティファも休み中に何かありました? キールゲン様じゃなくてキール様になってますねぇ?」
耳ざとく気付いたアイラの言葉に、ステファニーの顔が一瞬で紅潮した。
「な、何でもありません、気のせいです!! それよりアイラ、今日から本格的に、学院祭の準備、手伝ってもらいますわよ!!」
「はいはい。エフィちゃんもがんばりましょー、おー」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「戻ったぞ、コウ。で、どうだったんだ、エルフィナさんの水着姿は」
寮に戻ってきたキールゲンの、部屋に入って最初の言葉に、コウは思わず「は!?」と大声を出してしまった。
「いや、だから。行ったんだろう。彼女と河に。で、どうだったんだ?」
「……なんでそれをお前が知っている……」
「ティファから聞いた。とても素敵な水着を選ばせたと聞いてるが、詳細は教えてもらえなかったからな。なので、直に見たであろうコウに聞いてるわけだ」
何気に、キールゲンがステファニーのことを呼ぶ際に愛称になっているのだが、そこに気付く耳ざとさは、少なくとも今のコウにはなかった。
「で、どうだったんだ? あの容姿に、それにたいそうスタイルもいいと聞いてるが」
「……お前にだけは絶対に話さん」
「酷いなそれは?!」
キールゲンが大げさに嘆く。
実際、他の人間に見せたくないのは本音なので、その話題はそこで強引にぶった切った。
もっとも、キールゲンもそれ以上追求するつもりはなく、会話は休み中のキールゲン側の事情に移っていく。
「バーランドが?」
「ああ、戦争の準備をしてる、と疑われてもおかしくはない動きがいくつもあるらしい。ここ一ヶ月ほどで特に顕著だそうだ」
「アルガンド王国以外、というのは……ないか」
「あるとしたらアザスティンか帝国しかないが、考えにくいだろう?」
二人とも、学院での研究テーマである地形政治学で学んだ地形を思い出していた。
バーランドは、東にアルガンド、西に帝国、南にアザスティンがあるが、帝国側はロンザス大山脈という大陸最大の高峰が連なり、それを抜けても、しばらくは広大な湿地帯で、軍隊を進めるどころか、通行すら容易ではない。
南のアザスティンとの間も、大陸の剣、とまで呼ばれる険峻な山々が連なっていて、まともに往来もできない。
唯一、安全に移動できるはアルガンドだけなのだ。
「あとは帝国が裏から手を引いているかどうか、か」
「だが、少なくとも今回は帝国が動いている気配はない。水面下では分からんが、表立った動きはないらしい」
二十年前の戦いでは、バーランド、アザスティン両国には少なからず帝国の支援があった。
そもそも、両国が総力をあわせたところで、その戦力はアルガンド王国の半分にも満たないのだ。
元々、両国のある場所は、かつては人がほとんど住んでいなかった地域である。
基本的に山岳地帯であり、アルガンド王国が成立した頃は、帝国との間の緩衝地帯として空白地帯だったのだが、長い年月の中で、帝国、あるいは王国に色々な理由でいられなくなった者達が集まるようになり、いつしか国家の体を成していたという国だ。
とはいえ成立はそれなりに遡り、アザスティンは百五十年前、バーランドも百年前に成立している。
いずれにせよ国力差を考えれば、バーランド一国で軍を動かすというのは考えられない。
「まあ、今ここで気をもんだところでどうにもならないな。何か動きがあったら王宮から連絡は来るようになってるし、とりあえず俺たちは目の前の問題に対処する方が先だろう」
あと一か月足らずで始まる学院祭の準備である。
「まあ、そうだな」
学生側の準備も佳境に入っており、各種物資の購入申請やら、学院施設の使用許可が次々と学生会に持ち込まれる。それらの申請の不備をチェック、妥当性を判断し、学院祭でのスケジュールを調整、決済していくだけでも一苦労だ。
「まあ、こういう準備が楽しいのだろうが」
「違いない。まあ去年まではラクティ殿がいてくれたから、本当に助かっていたが……」
遅れて入ってきたステファニー、アイラ、エルフィナらにキールゲンが仕事を割り振っていく。
見る人が見れば、キールゲンとステファニーのやり取りが微妙に変化しているのに気付くのだが、少なくともコウは気付かなかった。
夏の終わり、朝夕に僅かに秋の気配を感じる季節に、学生会の膨大な仕事に謀殺される日々が、始まろうとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふぅ、大体目処は立ったか」
いよいよ学院祭まであと二日。
既に関係各所への伝達を済ませ、あとは当日の準備のみという状況だ。
ちなみに、エルフィナは当日の仕入のための書類の不備のチェックを先ほどまでしていたのだが、ついに疲れて撃沈した。
元々、こういう書類仕事は向いていないのだろう。
それでも几帳面な性格のおかげで、きっちり書類をチェックしてくれる仕事ぶりは、学生会全員の高い信頼を得ていた。
「しかし、ずいぶん色々やるものだな……改めてみると」
基本的には、ノリそれ自体は高校の文化祭だ。
ただ、使ってる予算と、仕掛けの規模が違う。
大学の学祭でもここまでは行かないのでは、と思うほどだ。
各研究室は、出し物があるところとないところがある。
キールゲンの所属する地形政治学研究室は、今回は、というよりここ最近は不参加だ。
中心人物であるキールゲンが学生会の会長だから、さすがに無理があるのだ。
ただし、クラスの出し物はある。
クラスは、主に入学時期によってのみ構成されるもので、普段は各自研究課題が違うので、一緒に机を並べることはないのだが、このようなイベントではクラスで一丸となって取り組むことが求められるのだ。
キールゲンらのクラスは、即興劇または一幕劇のある喫茶店。色々な衣装を着て、短い劇をやり、観客席は飲食を提供できるようにしてある、という複合の出し物だ。
出演者は数人のチームを組んでいて、それぞれのチームで思い思いの劇を披露するのだ。キールゲンは今回、護衛だからという理由でコウ、エルフィナとチームを組んでいる。
ただ、即興劇なので飛び入りも認めていて、その場合に衣装も貸し出す。
他にも、本格的な賭博場や、学内の周遊道を用いての競馬、コウ達のクラスのような即興劇ではなく、ホールを使っての本格的な演劇や演奏会など、演目も様々だ。
「一年に一度の祭りだしな。王都の人々も、結構楽しみにしてる。学外でも連携して色々な商店が出張販売するから、この辺り一帯が祭りめいた雰囲気になる」
「護衛の身としては、心配の種が増えるがな。学外の人間が自由に出入りできる、となると、刺客の可能性を考えざるを得ない」
「そこはまあ……任せた。まさか俺一人の都合でこれをやらないわけにはいかないからな」
「まあ、学院祭の三日間だけだからな。せいぜい気合を入れて頑張るさ」
「そっちもだが、劇も頼むぞ」
「……そっちはあまり期待するな……」
一幕劇は台本はあるが、覚えるの自体は簡単だ。
一方の即興劇はちゃんとした台本があるわけではない。
ただ、服装に応じた『キャラ付け』のようなものはあり、それに合わせた練習をさせられたのだが、コウはどうやら『演劇』というものにはまったく向いていなかった。
これで、交渉ごとで『演技』をするのは別に不自由はないのだが、どうやら自分と違う何かを演じるのが苦手だったらしい。
ちなみに、エルフィナの演技はコウに輪をかけて酷いものなのだが、『妖精族っぽい』と評判だった。
本人が羞恥心に打ち震えていることは、この際置いておく。
そして、さらに二日が過ぎる。
学院祭が始まった。




