第75話 魔獣との戦い
「……あれか」
先日エルフィナと訪れた河のほとり。
木々が生い茂っていて、数日キャンプするには非常に良かったその場所は、剣呑な雰囲気にあった。
理由は言うまでもなく、小高い丘の上にいる魔獣の存在だ。
猛禽類の頭に獅子に似た猛獣の躰、皮膜を持つ蝙蝠にも似た翼と、鳥の様な、しかしどこか金属めいた光沢のある翼がそれぞれ一対ずつ。
間違いなく、ブラステインだ。
「やや小型の個体ですね。三メートルほどでしょうか」
彼我の距離はおよそ五十メートルほど。
しかもコウとエルフィナはどちらも姿を見えないようにしているので、この距離ならばさすがに気付かれることはないだろう。
「あれで人語を解するのか」
「ええ。もっとも、思考そのものは猛獣のそれに近いので、交渉の余地があるかといえばわかりません」
「まあ戦闘になる前提の方がよさそうだな。空を飛ばれると厄介だが……」
ブラステインの能力で警戒すべきは、上空から降り注ぐ刃羽の攻撃と、その強靭な体から繰り出される爪などの攻撃だ。
それと、強力な風を操る力を持っていて、弓などはほとんど当たらないとされている。
「まあ、ある程度は出たこと勝負だな。行くか」
「はい」
エルフィナは今回最初から弓を取り出していた。
さすがにあれに自分が接近戦をできるとは思っていない。
姿を消すのをやめて歩いて近付いていくと、ほどなくブラステイン側が気付いたらしい。
彼我の距離は十五メートルほど。
魔獣が少しだけ威嚇するようなうなり声をあげるが――飛び立つ前にコウが大声を上げた。
「ここから立ち去るなら討伐はしない! 無駄な戦いは避けろ!」
果たしてそれが聞こえたか――答えはすぐわかった。
「断る。我はここに人間二人を攻撃し、殺すのが目的だ」
あまりに予想外の答えに、コウとエルフィナは顔を見合せた。
通常、ここは街道から少し外れた場所なこともあって、人が来ることはめったにない。
「どういうことだ!」
「我はここにいる二人を殺すためにここにいる。それだけだ」
「普段ここには誰もいないはずではないか?」
「知らん。我はここにいる二人を殺すだけだ。誰もいなかったのであれば、二人で来たものを殺すだけだ」
あまりにおかしい。
魔獣が言っている内容から察するに、あの魔獣はただ『この辺りにいる二人組の人間を殺す』ことだけを目的としている。
だが、魔獣がそんなことをするとは思えない。
だとすれば――。
「まさか本来の狙いは……俺たちか?」
二日前まで、コウとエルフィナはこの辺りにいた。
周囲には他に人はいなかった。
魔獣の目的がこの辺りの人間を殺すことであれば、そしてここに普段人がいないのは他ならぬコウとエルフィナはよくわかっている。
そして魔獣が現れたのは、昨日のことだ。
もしそうなら――入れ違いになったという可能性が出てくる。
それであれば、最初に訪れた冒険者が帰ってこれたのも理解できる。
おそらく脅されただけで、殺そうとはしてこなかったのだろう。
だが。
魔獣がそんな曖昧な行動をするはずはない。
となれば――人語を解する魔獣なら、取引の余地はおそらくある。
実際、ブラステインはごく稀だが飛行騎獣として飼いならされている場合もあるという。つまりそのくらい頭もいい。
だとすれば、ブラステインの行動は、何者かがコウ達を狙っているという事を表す可能性がある。何者かがブラステインにコウとエルフィナを殺すことを『依頼』したという事になる。
「お前はそれを人間に頼まれたのか?」
「話す理由はない。お前たちはちょうど二人。ならば殺すのみだ!」
魔獣が皮膜の翼を大きく羽ばたかせ、浮かび上がった。
「仕方ない。討伐する。ただエルフィナ、精霊は使うな」
「え?」
「なにかおかしい。あまり力を見せない方がいい」
何かが引っかかる。
例えば、もしこの戦闘それ自体が、何者かの意図であったとすれば。
コウ達があと数日この場所にいたら、最初にこのブラステインと戦っていたのは間違いなく自分達だ。
それが、このブラステインに『依頼』した者の狙いだとすれば――。
「誰かに見られている可能性がある。弓で援護を頼む」
「わかりました。気を付けて!」
言うとエルフィナは少し距離を取ると、弓を引き絞り――矢を放つ。
射放された矢は正確にブラステインに迫り――だが、その手前で突然大きく軌道を変えた。
「風の結界、ですか」
ブラステインの能力の一つ。
ブラステインの周囲では風が渦巻いていて、飛び道具はもちろん、法術ですらなかなか命中しない。
故に非常に厄介とされる魔獣なのだ。
ゴゥ!! という音と共に、ブラステインがもう一つの翼を羽ばたかせる。
直後、煌きを放つ死の刃の雨が降った。
逃げ場はなく、そして回避も不可能なはずのその刃は――。
しかし、先ほどブラステインに向けて放たれた矢同様、突然その軌道が変わり、コウを捉えることはできなかった。
「ヌ……」
「風の結界だったか。同じことを法術でやればお前の攻撃も通じないよ」
高密度の風による、遠距離攻撃の完全遮断。
「ならば、それで耐え切れぬほどに撃ち放つのみだ!!」
再び魔獣が鋼の翼を羽ばたかせる。
より強力な力を込められた刃羽が、上空からコウめがけて撃ち放たれ――。
それと交錯するように、一筋の閃光がブラステインに迫った。
直後。
「ガアア!?」
交錯した閃光は、エルフィナの放った矢。
あの強力な風の結界は、ブラステインの攻撃時にはおそらく展開されていないと踏んで、エルフィナはその攻撃と同時に矢を撃ち放ったのだ。
そしてそれは正確に――魔獣の左の瞳に突き刺さった。
たまらず魔獣が地に落ちる。
そしてそこに――。
「[縮地]」
コウが最大速度で踏み込んだ。
驚いたブラステインは、その巨大な前足を振り下ろそうとして――直後、視界を喪った。
残っていたはずの右の瞳にまで、矢が突き刺さったのである。
そして、その矢が魔獣の視界を奪い、さらに脳に突き刺さりその衝撃で四肢が一瞬硬直したところに――。
「はあ!!」
コウの大上段からの彗星のごとき一撃が、魔獣の頸部を捉えた。
振り下ろされた刃は、そのまま振り抜かれ――。
半瞬遅れて、魔獣の首が地に落ち、残った身体が頸部から血しぶきを上げて崩れ落ちる。
完全に絶命していた。
「ふぅ。援護ありがとう、エルフィナ」
「いえ。しかし……すごいですね。魔獣の首を一撃ですか」
とりあえず生死の確認はする必要すらないだろう。
「とりあえずこれで終わりだろうが――やはりなんか奇妙だったな」
「はい。私も思いました。ブラステインは確かに……誰かに頼まれていたような感じでしたね」
「人語を解するからといって、そんな取引までできるものなのか?」
「可能だと思います。彼らは宝石を好むとも云われてますから、それらを与える代わりとかで雇うとかはないわけでもないと」
「確かにそういう記述もあったことはあったが……」
もし人に頼まれてこのようなことをしていたとすれば、その人間側の意図が問題だ。
もし狙いが自分達だとしたら。
考えられるのは、キールゲンの護衛を排除しようとしたという事か。
その可能性は否定できない。
だとしても、その目論見は完全に失敗となった筈だが――。
もう一度、周囲を観察してみる。
だがさすがに、見える範囲には誰もいない。
最初に誰かに見られているかもしれないと考えたが、やはり考えすぎだったのか。
だとしても、コウはまだその不安を拭えないでいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その男は、しばらく唖然としていた。
その視界の向こうでは、二人の冒険者が打倒したブラステインの死体を目立たぬ場所に埋めようとでもしているのか、ごそごそと何かをやっていた。
「……なんという力だ。あのブラステインの刃羽を弾くほどの防御法術を一瞬で展開するとは。それにあの森妖精の娘の弓も侮れん……」
あれだけの防御法術が使えるなら、そのほかの能力もあるとみるべきだろう。
つまり実力を完全に発揮することなく、ブラステインを撃退したという事になる。
冒険者であることは分かっていたが、想定以上の恐るべき手練れと言えるだろう。
護衛を排除できたと思ったら、もっと厄介な相手が護衛になっていた。
王子の護衛になるほどだから、ブラステイン程度で殺せるとは思っていなかったが、ああも一瞬で討伐されるのは想像をはるかに超えている。
「王子を殺す際は、もう少し準備を徹底するしかないな――」
男は、使っていた法術を解除する。
すると視界が切り替わり、見慣れた部屋の壁が見えた。
コウが気付かないのは無理もない。
男は[動物同期]という人間以外の存在と感覚を同期させる法術を使い、この力で男はブラステインとコウ達の戦いを見ていたのだ。
さすがのコウでも動物までは気を配ることはできなかった。
「だが、必ず王子は殺す。そしてこの国を混乱に導き、そして我が国が悲願を果たすのだ――」
男はそういうと、窓から見える光景に目をやる。
そこには、アルガスの中心たる王城が見えていた。




