第73話 二人の距離感
「この法術、すごい便利ですね。これはちょっと精霊行使ではできそうにないです」
夜。
河原で釣った魚をメインに食事を済ませた二人は、河から少し離れたところで休むことにした。
無論、既に水着ではなく普通の服に着替えている。
エルフィナは雨天でさえなければ別に森の中で眠るのは気にしなかったし、実際今回の荷物に、テントなどの準備はなかった。
夏とはいえ、夜はそれなりに冷えるが、毛布さえあれば十分だと思っていた。
だが、コウが『試してみたい術がある』といって、展開した術は、なんと即席のテントを作る術だった。
周囲の木々が急激に繁茂し、直径三メートルほど、高さは二メートルほどの円形の、木々と葉で作られたテントである。
内部の床には、ふわふわする何かの草が編みこまれて敷物状になっており、そのまま横になっても気にならないほど。
「木々が豊富な場所じゃないと使いづらいけどな。砂漠なんかじゃちょっと無理だと思う」
「それ以前に、構築に三十文字近く使う時点で、コウ以外には使いこなせないと思いますよ」
この術、第一基幹文字や第二基幹文字こそ使っていないが、非常に複雑な術になっていて今回発動に用いた文字は実に二十八文字。コウでもこれまでで最大の文字数である。
「そうかもだが、もう少し研究すればもっと短くもできると思う。上手くいけば、旅での荷物の削減に使えるだろうし」
「コウは面白いですね。こんな高度な法術をこんな風に使うことなんて、あまり考えません。簡単な術で家事を一部助けるような術はありますが、これほどに規模の大きな術を、こんなことに使うなんて」
「便利なものはより便利に使いたいもんだろう?」
「それで公害対応を思いつけないのも不思議ですが……」
それに関してはコウは何となく理由はわかっている。
コウにとって、公害対策などは個人でどうにかするものではない。
コウは確かにほとんどの法術を自在に組み上げられるが、その発想はあくまで個人レベルだ。
大規模な施設で何とかするような行為が、個人の法術で出来る、という発想にはなかなかならないのだ。
こう言っては何だが、自分ではなくこの世界の住人が全文字適性という力を手に入れた場合、おそらくその汎用性はコウの比ではないだろう。
「まあ、感覚の違いの問題だとは思う」
コウは毛布を広げると、エルフィナに背を向けて横になった。
「休み、どうなるかと思ったけど、それなりに楽しかったな。まあ、明日以降どうするかは、また明日……」
「コウ。あの……私、似合っていませんでした?」
エルフィナの言葉に、一瞬コウが硬直した。
エルフィナも、食事からテントへの驚きで、別に言及しなくてもいいかも、と思ったのだが、眠ろうとしてから今日のことを思い出し、ここまで頑張って何もしないのはと思い直したのだ。
「……いや。そんなことはない。よく似合っていたと思う」
「でも、全然見てくれなかったです」
「あー。いや、その、なんだ。正直に言うと……目のやり場に困る。エルフィナが美人なのは分かってたけど、ああいう風にされると、どう接したらいいか分からない」
「それは……すみません」
エルフィナの顔が紅潮する。
昼間の行動を振り返ると、恥ずかしさで逃げ出したくなるくらいだ。
「いや、その、謝られるようなことじゃないんだ。ただ、その……なんだ。一応俺も男だし、魅力的な女性がいたら、間違いだって起きるかもしれないし」
上体を起こして、コウは嘆息する。
間違いといわれて数瞬考えて……エルフィナはさらに真っ赤になった。
今なら、顔から火の精霊が召喚できそうだ。
「あ、えと、その……す、すみません……」
「だから謝られるようなことじゃない……けど、この際聞くけど、なぜ突然こんなことを?」
「ティファ……ステファニーからの提案です。その、コウが私をどう思ってるか、誘惑して聞き出せ、と……」
「ホントに彼女は伯爵令嬢なのか……?」
「それはなんとも……」
「大体、エルフィナの気持ちはどう……」
「ティファに言わせると、私はコウのことが好き、だそうです」
「……なんで他人事なんだ……」
「私には分からないんです。コウのことを好きか嫌いかで問われたら、好きです。でも、それが恋愛感情なのか、というと……元々妖精族の中でも、私たち森妖精は感情の起伏が少ない、とされてますから……」
それに、とエルフィナも上体を起こした。
「コウにそのような感情を持つことを怖いと感じているのも事実です。私は森妖精です。少なくともあと数百年は生き続けます。でも、コウは人間です。異世界から来てるので完全に同じではない可能性がないとは言いませんが、おそらくこの世界の人間と同じだとすれば、あと百年も生きることはできないでしょう」
「……そうだな。確実に俺の方が先に死ぬと思う。そうでなくても……俺がいつまでもこの世界にいるとは限らない」
絶対に不可避の別れが来る。
エルフィナにとっては、それが数年後だろうが数十年後だろうが、同じだ。その後に愛する人を喪った数百年が待っている。
その悲しみが想像できるだけに、そちら側に踏み込む勇気を持てないのだ。
迷うようなエルフィナに、コウはぽふ、とエルフィナの頭に手を置いた。
「そう急いで結論を出さなくてもいいさ。正直、俺も君に対する感情は良く分からない。仲間としては信頼している。好きか嫌いかで言うなら、間違いなく好きだといえるし、君を魅力的だと思っているのも間違いない。今の距離感は俺にとっても心地いいと思ってる。ただそれが、それが恋愛感情なのか……俺にも分からない。もっと言えば、そんな感情の機微が俺にあるのか、というのもあるしな」
「コウは、自分が思ってるよりは、ずっと普通になってる、と思いますよ。まあ、そもそも異世界からの変わり者ではあっても」
「……そうだな。まあ、異世界から来た、というのも何かしらの抑制になってる感じもある。ただ、まあ一つだけ……」
「なんでしょう?」
「今日みたいな格好をするのは、他の連中の前ではやめて欲しい」
今日のことを思い出し、再度エルフィナの顔が真っ赤になる。
「……わ、分かりました。すみません……」
「いや、正直本当に似合っていたし、きれいだったし可愛かったとは思う。ただ、他の男が……キールらであっても、あまり見せたくはない、と思ったのは事実だ」
そういう独占欲は、恋愛感情の発露の一つなのだが、コウ自身それは自覚がなかった。
そしてエルフィナもまた、そう思ってもらえるだけでも十分と満足してしまっていた。
「じゃあ、この辺りなら誰もいませんし……明日は一緒に泳ぎませんか? とても気持ちよかったのは事実ですし」
「……ああ、分かった。しかし、エルフィナって泳げるのか?」
「結構泳げますよ。氏族の中では、一番泳ぎが上手かったんですから」
「森に住む森妖精が泳ぎが得意ってのも面白いけどな」
「森にだって泉や川はありますよ。私の速さを見て驚かないでくださいね」
「分かった、楽しみにしている」
結局。
翌日からは二人とも普通に河で水泳で競っていた。
エルフィナが使った水着は最初に自分で選んだワンピースタイプなので、コウもそれほど戸惑わずに済んだというのもある。
ただ、エルフィナは一度もコウに勝つことはできなかったが、これはエルフィナが泳ぎが下手だからではなく。
単にコウが普通に現代の地球での泳ぎ方を知ってるからというだけだった。
エルフィナは悔しがって何とかその泳ぎ方をマスターして、最後はかなり上達していたが、その頃には休暇は半分が終わっていた。




