第60話 王立アルス学院
地球で言えば大学の講義室めいた、扇状に机が僅かに高さを設けて並ぶかなり大な部屋。
そこに年齢は十台半ばから後半、一部二十台といった感じの男女が、およそ百人ほどがそれぞれ着席している。彼らは男女それぞれ、ほぼ同じ服を纏っていて、先ほどまでは雑談に興じていたが、今は全員が、ある一転に注目していた。
その扇の要の部分、つまり教員が立つべき場所に立っているのは、真新しい、その部屋にいる者たちと同じ服――学生服に身を包んだ男女だ。
「冒険者のコウです。見聞を広めるためにきました。短い間ですが、よろしくお願いします」
「同じく冒険者のエルフィナです。見ての通り森妖精なので、少し世間知らずなところもありますが、よろしくお願い致します」
立っていたのは、コウとエルフィナだ。
二人の挨拶に、その部屋にいた他の者達から歓声が上がる。
とりあえず歓迎されてないということはなさそうだ、とコウは判断し、軽く会釈した。
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王立アルス学院。
アルガスにある、全寮制の教育機関である。
アルスという名は、建国王アルス一世に由来し、創立は三百年以上昔だ。
通う学生の年齢幅は広く、関連する教育機関も含めると三歳から入学が認められ、特に上限はない。
ただ、一部の例外を除けばたいていは二十半ばくらいまでには学院を去る。
年齢的に、三歳から六歳くらいまでが幼年部、七歳から十三歳くらいまでが中等部として一応クラス分けされていて、十五歳以上は必ず全て同じ扱いとなる。
なおこの年齢分類はあくまで目安であって、学力に合わせて所属するクラスが変わることが多い。
アルガンド王国には、日本で言うところの義務教育的なものはない。
ただ、神殿が毎週一度、子供たちに勉強を教える教室を開いている。
これは、『理の学び』と呼ばれ、理の日に開催されることからそう呼ばれる。
ここで学ぶのは最低限の読み書きや初歩の算術で、日本で言えば小学校低学年程度の内容だが、一般的にはそれだけでも十分生活はできる。
フウキの村が、読み書きできる者がほとんどいなかったのは、神殿すらなかったからで、この世界の識字率は意外に高いらしい。
無論地域にもよるし、その後文字や算術を必要としない仕事に従事して忘れてしまう者も少なくはないが。
そして、学問を究めたいと考える者はより上位の教育機関へと進むが、その中でも最高峰が、王立アルス学院である。
神官になることを目指す者や、最初から法術の実践的な部分を学ぼうとするのであれば、神殿や法術ギルドに属する方が早い。
また、商いをしていくのであれば、商人に弟子入りする方が早いだろう。
王立アルス学院では、各学問の専門家から講義を受け、さらに研究を進めるための機関である。
学院とあるが、日本で言えば大学、あるいは大学院に近い。
元々は貴族の子女に学問を修めさせるために創設されたらしいが、現在では平民にも広く門戸を開き、多くの学生が在学している。
貴族は親が男爵以上の爵位持ちであれば入学試験は免除されるが、平民らは入学試験で一定以上の実力があることを示さなければならない。
ただ入学後は、学院内では身分の上下を問わず、その成績だけで評価されるというのが創立以来の決まりらしく、身分だけで入った貴族はやがてついていけなくなってやめるケースが多いらしい。
十五歳で高等部に配置されそうになって中退するなどは、よくあることらしい。
卒業は一定の研究成果を以って認められる。
よって、成果を出せずに何年も『留年』する者も少なくなく、中退する者も多い。
ただそれでも、この学院で学んでいたという実績は評価され、特に入学試験に合格している平民は、卒業できずに中退だとしても、官吏等に取り立てられることも多い。
その卒業の難易度ゆえに、この学院の卒業生は専門にもよるが、国の各機関から引く手数多らしい。
そして国王からの依頼が、この学院に入り、ある人物を護衛することだった。
護衛対象の名前はキールゲン・エル・アルガンディア。国王ルヴァイン四世の嫡男にして、現在王位継承権第二位の王子である。
この王子の身の回りに、最近妙なことが続けて起きているというのだ。
最初は見られている気配がある、という程度だったが、やがて部屋に侵入されたとしか思えないような痕跡があったり、誰かにつけられたり、ということが起きた。
無論、王子には当然護衛として、一応形式上は同じ学生として入学した者がいる。
王子と同じ年齢であり、それぞれ剣や法術に優れた者だったのだが、コウ達が王都に着く前日、学院で爆発事故があった。
それ自体は法術の暴発で、たまにあることでもあったのだが、よりによって王子がその法術試験場の近くにいるときに起き、しかも不自然なほど巨大な爆発だったという。
かろうじて、護衛二人が王子を庇うことで事なきを得たが、二人は重傷を負い、治療に専念せざるを得なくなった。
何者かが王子を狙っている確率は極めて高いとみられているが、現状、第二王位継承権者とはいえ、彼を狙う理由も勢力も不明であることから、調査の状況は芳しくない。
一方、たとえ王族といえど長期にわたって学院を休学することは望ましくなく、新たな護衛を探していたところに現れたのが、コウだったのだ。
そんなわけで、怪我をして休学になった護衛の代わりに、コウが護衛として入学するというのが、今回の仕事である。
一応、建前上は護衛ではなく、短期入学という体裁だ。
入学試験は受けておらず、コウとエルフィナは冒険者ギルドが持っていた推薦枠を使っての入学となった。
冒険者が学院に短期入学して研究を手伝ったりすることは稀にあることなので、ギルドはそういう枠を持っているのだ。
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「この制服、どうです?」
型通りの挨拶を終えた後、いったん学院の職員に説明を受けるために、二人は別室で待機となった。
その場所で、なぜかエルフィナはやたらと楽しそうにそれを着てくるくると回っている。いつもと全く違う服に少しテンションが上がってるらしい。
この世界の被服文化がコウのいた世界――それも先進国である日本や欧米――と比しても遜色ないのはよくわかっていたが、この制服はもはや日本のそれだといわれても疑わないレベルだった。
そもそもで学生服というのは、地球では日本や一部の国の独自ものもだと思っていたが、よりによって異世界にそれがあるのは予想外だ。
女子の制服はデザイン的にはブレザーと呼ばれていたものに似ていて、上着の色はやや暗い赤色。それに上品な装飾が施されている。
季節は夏に入りかけた時期だが、夏は上着を脱げば問題ないらしい。
上に着る白いシャツはシルクかと思うような手触りと光沢――実際虫が作る糸を使っているらしいのでシルクと言えるだろうが――で、首元にリボンが着いている。
リボンのデザインは標準のものもあるが、学生が自由に変更していいらしく、貴族の女性の間ではここでセンスを競うらしい。
下はスカートだが、まさかこちらの世界でプリーツスカートがあるとは思わなかった。色は上着と対比になるような黒に近い紺色にわずかに複雑な模様が入っている。
膝の下まであるスカートの長さは昨今の日本のそれとは異なるが、全体としてのデザインは日本のお嬢様学校の制服だと云われても、全く疑う余地がないレベルだ。
さらにその上に柔らかなローブを羽織る。このローブは通気性がいいわりに水を弾くそうで、雨具の代わりにもなるらしい。
ちなみに男子の制服も素材はほぼ同じ。
ただし上着の色は赤ではなく深い緑色で、下は当然裾の長いパンツだが、その生地の肌触りは正直日本の制服より上な気がする。それにとても動きやすい。
胸元はリボンではなくネクタイに近い装飾をつける。強いて言うなら、短いネクタイというべきか。
「似合ってる……と思うぞ」
妖精族特有のやや長い耳のおかげで異世界感が強いが、それがなければ地球で金髪の美少女留学生と言っても通りそうだと思えた。
さぞ人気が出ることだろう。この世界では金髪はそれほど珍しくはないのでエルフィナが人気者になるかは……いや、多分なるとは思うが。
「ありがとうございます。コウも似合ってますよ。それに……なんでしょう。なんかしっくりきますね。いつもと全然違う服なのに、違和感がないというか、着こなしているというか」
それはそうだろう。
この服は新しく仕立てられたばかりとはいえ、元々この世界に来る直前まで、高校生だったのだ。
似たような制服は着慣れている。
「しかし……この世界で学生になるとは思わなかった」
「私は……噂に聞いてはいたのでとても楽しみだったりもするのですが……コウは学生だったことはあるのですか?」
「ああ。というか俺くらいの年齢だと、俺の住んでいた地域であればほぼ全員学生だったな」
「そういえばこの間言ってましたね……なんていうか、凄く……教育に力を入れているんですね」
この世界からすればそうとしか思えないだろう。
七歳から十五歳まではほぼ全員が学校に通って、読み書きはもちろんこの世界の水準でいえば相当高度な教育を施される。
そこからさらに上位の学校に進学となるが、大学はともかく高校までは日本ならほとんどの人が当たり前のように進学する。
しかしこの世界の水準からすれば、それは驚異的な数字だろう。
そう考えると、本当に平和な地域だったと改めて思わされる。
そして同時に、自分がどれだけ異分子だったかも痛感する。
そういう意味では、この世界に来たのはあるいは必然だったのかもしれないが。
「コウ?」
「あ、いや。なんでもない。ま、仕事ではあるが……滅多にできない経験ではあるしな。エルフィナは楽しそうだが」
「そうですね。なんかとても楽しみです」
そういうエルフィナは、長い耳を除けば本当に留学生のようにも見えるのだった。




