第58話 王宮への呼び出し
「なんだ?」
王都に来てまだ数時間。
訪ねてくる人などいるはずがないため、少しだけ警戒しそうになるが、声は先ほど受付た宿の人のようだ。
「おくつろぎのところ申し訳ありません。伝言というか、お迎えが来ておりまして」
伝言だと、このタイミングならサフェスからだろうかと思ったが、迎えというのが分からない。緊急の案件でもあったのかと思ったが――出てきた名前は予想外のものであった。
「ハインリヒ殿下から、コウ様とエルフィナ様に王宮にいらしていただくようにと……既に馬車が回されて、宿の前に待っているそうです」
確かに王都に来たら会いに来いとは言われていたが、来てその日にいきなり呼び出されるのは、予想外だった。
せっかちにもほどがあるが、既に馬車まで用意されていては、断るのも難しい。
というか、待ち伏せでもしてたのかといいたくなる。
「分かった。すぐに行く。……だ、そうだ。とりあえず、殿下の用件が終わってから考えよう」
「ですね。しかし、この手回しの良さを考えると、冒険者ギルドにそもそも通達が来ていた気がします」
「だろうな。俺たちが来たら、すぐ連絡しろとか言っていたんだろう。彼ならありそうだ」
宿すら先ほど決めたのに、宿に入ってすぐ連絡が来るのだから、冒険者ギルドから連絡が行っていない限りはありえないだろう。
サフェスに会った時に言われなかったのは、あの時彼が忘れていたか、
それでも、馬車まで回して来る辺り、あらかじめ準備していたとしか思えない。
まあ、時間もまだ日暮れまでは少しあるし、夕食の店を探すのには困らないはずだ。
ちなみにこの世界の時間は、地球とは少し異なる。
そもそもフウキの村では時間など意識せず、『朝』『昼』『夕方』『夜』というくらいしかなかった。
ただこれは、かなりの例外で、普通は神殿に時刻を刻むための装置がある。
要するに時計だ。
時間の基本概念である『時間』というのはこちらにもある。
そして地球と同じく、一日が二十四時間。
ただ、それ以下の概念は地球よりやや大雑把で、一時間が二十四分割されているだけだ。
その一つを以って『刻』と呼ぶ。地球で言えば分にあたる単位だ。
時間の言い方も『十時の二刻』というと、地球で言えば十時五分頃をさす、という感じだ。ただし『十時半』という言い回しはあるようだ。
それより細かい時間の単位――地球だと秒に相当するもの――もあるにはあるが、一般ではまず使われないという。
なお、コウの感覚では、おそらく一時間が僅かに地球より長い。
というのは、一刻が地球と同じであれば百五十秒ほどのはずが、それよりは五秒ほどおそらく長い。
合計すると、一日は地球で言えば、おそらく二十五時間近いと見ている。
ちなみにこの時計、なんと最初は神々から与えられたという。
実際調べて驚いたが、神々に与えられたかどうかはともかく、元は一つの巨大な時計だったらしい。
その力を分け与えて複製を作ることができるらしく、世界中の神殿にある時計は、全て原初の時計の複製になる。
驚いたことに、全て完全に同じ時を刻む。
つまり、ある意味では全部が電波時計並の正確さをもつということだ。
オリジナルの時計は、大陸最西部、ファリウス聖教国というところの大神殿にあるそうだ。
これは同時に、少なくともこの大陸内では時差の概念はないことを意味する。
ちなみに時計とはいうが、地球のそれと見た目は全然違う。
この世界の時計は円柱に大きさの違う二つの円盤が水平にくっついているもので、下の円盤が少し大きく、こちらが時間を表す。
上の円盤が刻を表し、上の円盤が二十四回動いて一回転すると、下の円盤の時間が一つ進むという形だ。
下の円盤は二十四回動いて、それで一日となる。
刻より細かい目盛りがなく、その単位で動くため、より細かい時間の概念は一般化しなかったらしい。
一日の始まりが深夜になるのもこの時計に由来する。コウとしてはわかりやすくて助かったが。
なお、午前、午後といった概念はない。
オリジナルの時計の複製は、ある程度の神殿であれば置いてあり、神殿が時刻にあわせて鐘を鳴らすので、多くの人々はそれで時間を認識する。
ただ、現在ではやや大型――地球で言えば柱時計程度の大きさ――ではあるが、法術を利用した時計もあって、裕福な商人や貴族の邸宅などい設置されてることもあるらしい。
僅かにずれていくが、定期的に神殿の鐘の音で時刻を合わせられるので問題はないようだ。
なお、こちらの見た目は地球の時計に近く、二つの円盤の外側が刻、内側で時間を表す。ただし大きく異なる点として、針が回るのではなく、文字盤が回る。一番上の部分で時間を示すのだ。
この点に関して言えば、針の形で時間が分かる地球の方が便利だとは思える。
ちなみに、今は十五時過ぎ。
夕食には早いので、街見物がてらとコウらは考えていたわけだが、その予定は翌日に回すしかないだろう。
コウらは最低限の荷物だけ持つと、宿の前に出て……やや唖然とした。
考えてみたら、王宮からの迎えなのだから当然かもしれないが……あまりにも豪奢な馬車だったのだ。
道行く人々も、なにごとかと遠巻きに見ている。
この状況でこれに乗るのには結構な勇気が必要だが、かといってまさか断って歩いていくわけにも行かない。
「……御伽噺にでも出てきそうな馬車ですね」
エルフィナもそれなりに驚いているらしい。
その表現には、コウも同意だった。
知っている御伽噺は確実に違うだろうが、こういうところは世界共通のようだ。
そして馬車の前に、いかにもな感じの御者が立っていた。
「コウ様とエルフィナ様ですね。お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
案内されるままに馬車に乗り込むと、扉が閉じられ、馬車が進みだした。
外から見た限り、車輪はごく普通の硬い車輪であり、いくら豪奢な馬車でも乗り心地は悪いだろうと覚悟していたのだが、乗り心地は驚くほど滑らかだ。
ガラガラ、という車輪が石畳を叩く音はさすがに響くが、それも防音効果でもあるのか、非常に小さい。
そして、馬車の揺れは、正直ほとんど分からないほどだ。
というよりは、これは……。
「これ、乗る部分は浮いているな」
「え?」
「法術によるのか、あるいは他の技術なのか分からないが、多分車輪がある部分と乗る部分が切り離されていて、浮いたような状態になっている。だから、さほど揺れないんだろう」
「……すごい技術ですね」
「そうだな。まさかこんなものを見れるとは思わなかった」
地球で言えば、サスペンション機構、ということになるのだろうか。
地球ではバイクや車にはついていて当然の機構だが、この世界でそれがあるとは思わなかった。もっとも機構が同じとも思えないが、いずれにしても相当に特殊な馬車だろう。さすが王族の馬車というべきか。
馬車は、街の目抜き通りを抜け、王城区へ入る。
本来、王城区は入る際に身分確認などが必要になるらしいが、まったく止まることなく門を通り抜けた。
そのまま貴族の邸宅の間を抜け、王城へと近づいていく。
「……間近で見ると、すごいですね」
馬車の窓から王城を見上げ、エルフィナは呆然としていた。
コウも、これほどの城郭を間近で見るのは初めてだ。
パリウスの屋敷もクロックスの城郭も相当なものだったが、文字通り格が違う。
美しさの中にも威厳すら感じさせる白亜の城郭は、まさにここがこの国の中心であることを見る者に印象付けるだろう。
そのまま城門も素通りすると、中庭のような庭園の、大きな扉の前に馬車は止まった。
見ると、屋根が大きく張り出しており、雨天などでも来訪者が濡れることなく建物に入れるように配慮された構造だ。
「ここからは、こちらの者がご案内いたします」
馬車から降りると、二人の侍女が待っていた。
メリナが屋敷で来ていたのと同じような服ではあるが、実用性重視でありながら、ドレスとまでいかない、見た目にも気品めいたもの感じさせる。
元々、高位の貴族や王族に仕える使用人は、その多くが中級以下の貴族の子女であることが多い――メリナもそうらしい――というのはラクティからも聞いているから、彼女らもその可能性が高い。
ごく自然に『武器をお預かりいたします』といわれ、武器を渡した。その際、エルフィナは武器が重くなることをちゃんと注意している。そういう武器もよくあるのか、受け取る側も意外そうな顔すら見せなかった。
加えてコウは法印具の手袋も預ける。
案内されたのは、フロアだけで言うなら三階の、おそらくは来客用の待合室か応接室と思われる部屋。
案内してきてくれた二人の侍女は、部屋に入るとおそらく別の者が用意していたお茶などを整えると、「しばらくお待ちください」といって退出していった。
応接室か待合室か、どちらか判断がつかないのは、あまりに部屋が豪華だからだ。
パリウス公爵邸の経験からだと、普通に考えれば待合室にまず通されるはずだが、ここが応接室だといわれても違和感は全くない。
部屋は万事広く作られていて、天井が特に高い。
日本の学校の教室の倍ほどの広さで、天井に至ってはコウの身長の三倍以上あるだろう。
廊下側の壁には、価値は分からないが大きな絵画がいくつか飾られている。
外に面する壁は床から天井の手前まで届く大きな窓がいくつかあり、一つは大きな露台に通じる巨大なガラス戸になっていた。
床に敷かれている絨毯も冗談のように柔らかな感触であり、ソファなども座るのが憚られるほどに高級だと分かる。
かつてパリウスの邸宅で過ごしていたコウでも、さすがにこの雰囲気には気後れしてしまう。
むしろ、あまり馴染みのないエルフィナの方が、珍しそうに辺りを見たり触ったりしている。
「コウ、見てください。この絵、多分パーテッツィアの作品ですよ……って、コウに言っても無駄でしたっけ……」
「ああ。いい絵だというのは分かるが……」
最近まで引きこもりだったはずのエルフィナでも分かるということは、相当に有名な画家の作品なのだろうが、さすがにコウは分からなかった。
ただ、いい絵だというのは分かる。
そうやって、二人である意味田舎から出てきたおのぼりさん状態で部屋を見回していると、コンコン、と扉を叩く音が響いた。
コウが「はい」と応じると、先ほどの侍女が入ってきて、続いてこれぞ執事、というような風体の、年配の男性が入ってきた。
「お待たせいたしました、コウ様、エルフィナ様。こちらにいらして……」
恭しく頭を下げる執事の努力を無駄にするかのように、バン、と扉が大きく開け放たれた。
「おう、来たなコウ! 待っていたぞ!」
現れたのは、やはりエンベルクで会ったハインリヒだ。
さすがに服装は軍務に就いていたときとは異なり、おそらくは王族としての普段着だろうか。
それでも一般からすれば、豪華と言い切れるものだったが、その後ろに会われた人物は、更に格式が上だと、見た瞬間に分かるレベルだった。
「へ、陛下。陛下がこのような部屋に参られるのは……」
「気にするな。弟の個人的な知己として呼んでいるのだから、形式ばる意味はない」
そう言って、ハインリヒに続いて部屋に入ってきたのは、ハインリヒにどこか似た、ただ、彼より苛烈さを三割ほど減らし、代わりに貫禄や威厳を四割は増したような人物。
紹介される前から、コウもエルフィナも、この人物が誰なのかはすぐに分かった。
「私はアルガンド王国、第五十一代国王、ルヴァインだ。よく来てくれた、歓迎しよう、コウ殿、エルフィナ殿」




