第57話 王都アルガス
アルガンド王国は、クレスティアと呼ばれるこの世界最大にして唯一の大陸の、北東部に位置する大国である。
歴史も古く、その建国は四百年以上前。
かつては領土拡張のための戦争も多く行っていたらしいが、ここ百年ほどは侵略戦争を仕掛けられたことはあっても、仕掛けたことはなく、また、仕掛けられたその全てを撃退し、国情は安定しているといえた。
現在の国王はルヴァイン四世。
即位から二十年あまり経つが、まだ四十半ばという年齢だ。
直近でのアルガンド王国最大の危機は、二十年ほど前のルヴァイン王の即位直後に、帝国の支援を受けて西にあるバーランド王国とアザスティン王国が同盟を組んで攻めてきたことだろう。
これを撃退した立役者が現国王と、そしてアクレットらしい。
王都アルガスは、その歴史、国力に見合った巨大なものだった。
元々広大な城壁に囲まれた城塞都市だったのだが、人が増えて現在ではその外縁部にも街が形成され、どこまでを王都と呼ぶのかについては、議論が分かれるところである。
一般的には、王城と貴族の邸宅が固まっている中心部を『王城区』、かつて作られた城壁の内側を『壁内区』、その外側を『外縁区』と呼ぶ。
実際にはさらに細かく分かれるが、概要としてはこの理解で問題はない。そして三つの区画を合わせた人口は、五十万人以上とも言われている。
大きな特徴として、街の中心近いところを大河が横切っている。
この河がアルカーナ河で、王都の水源であり流通の要だ。
この河は壁内区の南岸に沿うように流れていて、その幅は五百メートル近い。
事前情報で王都の中に大きな河が通っていると聞いた時、コウは地球のパリのセーヌ川くらいをイメージしていたが、それとは桁違いである。
というよりは、昔は河の北側にあった街なのだろう。
それが拡大し、南側にも広がって今の巨大都市になった。
おそらくは元は中州だったと思われる大きな島も多く、橋も何本もかかっている。
驚くべきは跳ね橋すらあることだろう。
確かにそれがなければ大きな船が航行しようとしても、橋が邪魔になる。
とはいえ、それほど巨大な跳ね橋がこの世界にあるというのは、コウの想像を絶していた。
日が傾きつつあるこの時間は、河面が少し茜色に染まっていて、とても美しく思える。
「クロックスもパリウスも大きな街だと思いましたが、ここは桁違いですね……」
「ああ、そうだな……」
エンベルクを発って一ヶ月弱。
コウとエルフィナはアルガスを見渡せる小高い丘の上にいた。
本当はシュテルの街から船で直接王都に入るつもりだった。
ただ、船頭が王都が初めてなら、と紹介してくれたのがこの丘である。
南側から見下ろす王都は、その壮大さがわかって素晴らしいと力説してくれた。
多少無駄に時間がかかるが、別に急ぐ旅ではなかったので、二人は王都の手前で船を降りて、大回りしてきたのだ。
確かに、この光景は絶景と言えた。
正直に言えば、コウは当然、これ以上の巨大都市を知っている。
橘老と東京に行った事があるのだ。
住んでいた場所の近隣では最大の都市だった仙台を遥かに凌駕する摩天楼の連なりには、さすがに圧倒されたものだ。
ただ、この街はそれとは違う驚きがあった。
広大な平原の中に突然出現する巨大な街並み。
だがこの距離で見る限り、格子状に大きな道が整備された計画都市であるようだ。建物の高さも均一で、それゆえに街としての統一感も感じられた。
そしてとても広い。
王都の人口は五十万人。
地球の中世欧州に存在したどんな都市よりも巨大だ。
そもそも地球における中世の都市の規模は、せいぜいがあのトレットくらいで、パリウスやクロックスの様な十万人都市すらほとんど存在しない。
産業革命直前のロンドンでやっと六十万だったと確か授業で聞いた記憶がある。
ちなみに同時期の江戸が百万人。これが世界最大の都市だったらしい。
それを考えると、これだけの大都市を維持運営出来ている時点で、少なくとも文明レベルのそれは、見た目だと中世だが、実質は産業革命前後か、それ以上と考えるべきだろう。
法術という、地球にない技術の存在が大きい。
アルガスは周辺にも衛星都市と言えるものがいくつもあり、アルガス周辺の都市圏全体の人口は、四百万人近いともいわれる。アルガンド王国の人口の一割がこの地域に集中している計算になる。
そこまでくると、現代の日本の大都市ともいえる規模だ。
はるか遠く、王城区の中心付近には、輝く尖塔を持つ建物がいくつか見える。
王城と、おそらくは神殿などだろう。
どちらもパリウスやクロックスとも規模が違う。
見える範囲の外縁区の道すら、石畳で舗装されているか、時々光を反射して美しく輝いて見えた。
「私の故郷の森みたいな広さがありますが……とりあえず、冒険者ギルドですか?」
「そうだな。何をするにしてもギルドに顔を出してはおくべきだろうからな」
こうして、コウとエルフィナはアルガスへの第一歩を踏み出したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「コウ殿とエルフィナ殿ですね。アクレット殿から話は聞いていたので、会うのを楽しみにしていたよ」
柔和な笑顔で二人を迎えたのは、アルガスの冒険者ギルドのギルド長、サフェス・ラングラーである。
年齢が極めて分かりづらいが、自己紹介を交えた話だと、かつてアクレットとパーティを組んでいたこともあるらしいので、四十歳くらいにはなるだろうか。
「コウだ。多分しばらく、王都にいると思う」
「エルフィナです。コウともども、よろしくお願いします」
「こちらこそ。優秀な冒険者は大歓迎だ。見ての通り、この街は広いからね。意外に厄介ごとも多いんだ。君達の実力だと物足りないような仕事もあるかもだけど、手伝ってくれると嬉しい」
「そのつもりだ。できるだけ協力する」
ギルドに入ってきた時に見たが、壁にある依頼貼りだし用の掲示板には、まだ多くの依頼の張り紙が残っていた。
冒険者が暇そうにしている様子はなかったから、仕事に困ることはなさそうだ。
「宿はもう決めているかい?」
「いや。お勧めがあったら教えてもらいたい。なんせこの街は初めてだ」
「分かった。受付で聞くといい。いい宿を紹介してくれるよ」
サフェスと別れたコウ達は、受付で宿を教えてもらうと、そちらに向かった。
王都の街並みは、予想はしていたがクロックスともパリウスともまた違い、特に表通りはどこか洗練された印象を受ける。写真でしか見たことがないが、パリの大通りとかがこんな感じだったか。
ただ、中心街に近いこのあたりだと、少し大通りをはずれてもその印象が変わらないのが凄い。道は清潔だし、建っている建物もどれもきれいに保たれている。
そしてそれは、この街の豊かさを示すと同時に、治安が安定していることも表していた。
「きれいな街ですね、コウ」
「ああ。とても……なんというか、行き届いている、という感じだ」
「ん……なんか美味しそうな匂いが……」
ふらふらとエルフィナが進行方向から少しずれて歩き出すと――その先にはパン屋があった。
パンはこの世界でも一般的な食べ物だが、大半は固いパンばかりで、日本の柔らかいパンになれたコウには時々そういうのを食べたくなることが多かった。
ただ、この店に並んでいるのは、何やら柔らかそうな見た目のパンが多い気がする。
「まさか日本人のパン職人がいたりは……しないか」
実はコウはパン作りもやったことはある。やろうと思えば自分で作ればいいわけだが、さすがに手間がかかるのでやってない。
ただ、王都にしばらくいるなら考えてもいいかもしれない。宿の厨房を借りればできなくもないだろう。この王都なら必要な材料は揃うはずだ。
「エルフィナ、食事はあとにしよう。とりあえず宿だ」
今はちょうど十五時前後のはずだ。
お昼ご飯は王都に着く前に食べてしまったので、コウはいい匂いだとは思ってもそこまで食欲は刺激されないのだが――エルフィナは違ったらしい。
とはいえ、名残惜しそうに店を振り返りつつも、エルフィナも諦めて宿に向かう道を急いだ。
紹介された宿は、高級すぎず、かといってうらぶれた様子はない、コウ達の感覚でも丁度いい、と思える宿だった。
壁内区にあり、ギルドからも近く、目抜き通りから一つ入ったところなので、さほど喧騒にも悩まされないだろう。
既に話が通されていて、とりあえず一週間の部屋を確保する。
長期滞在にも対応しているようで、冒険者ご用達の宿のようだ。
「とりあえず、落ち着きましたね。今日は食事は、どうします?」
コウは二つ並んだ寝台の脇に、自分の荷物を置いて、寝台に腰掛けた。
硬すぎず、柔らかすぎない寝台は、この宿が細部にまでこだわりがあることを感じさせた。
ちなみに部屋は同じだ。最初、部屋を二つとろうとしたが、エルフィナはさくっと寝台の二つある部屋で、と通してしまった。
実際、男女でも冒険者の場合同じ部屋で寝泊りするケースは多いが、この辺りは日本の倫理観があるからか、コウはやや抵抗がある。実際、パリウスでは別部屋にしていた。コウが確保していた部屋が一人部屋だったからというのもあるが。
エンベルクでは、そもそも宿で落ち着いて休むということがほとんどできず、大半をアルフィンの隠れ家で過ごしていた。
エンベルクからアルガスまでの道中は、野宿のが多く、宿も大部屋ばかりだった。唯一、部屋がなかったのでシュテルの街では相部屋になっていたが、お互い旅の疲れもあったしすぐ寝てしまっていた。
ただ、ここでは長期滞在予定で、宿で二人で同室というのはコウとしては少し気になるが――エルフィナは気にした様子はない。
二部屋ではお金がもったいないでしょう、というのが彼女の主張で、それは確かに正しいのだが。
「そうだな。夕食には少し早いし、せっかく初の王都だし、下で街のオススメの場所でも聞いて……」
コウが言いかけたところで、コンコン、控えめに扉をノックする音が響いた。




