第56話 法術の恩恵
「ようやく着きましたね、コウ」
エンベルクを出て二十日目。
コウとエルフィナは、ようやくシュテルの街に到着した。
シュテルの街は、アルガンド王国を流れる大河、アルカーナ河のほとりにある街である。
アルカーナ河はアルガンド王国の北半分を流れる大河で、王都アルガスもこの河のほとりにある。
河口は北方、パリウスのさらに辺境にあり、冬は凍り付くこともあるため、海に出るための水路としては使えないとしても、内陸部でも五百メートルにもなるその幅は、大型船すら航行可能な水路として、この地域では昔から利用されてきた。
シュテルの街は、その中継点の一つとして栄えた港町である。
海特有の潮風などはないが、海かと見間違うほどの河の大きさに、コウは唖然としてた。
海が近いクロックスならともかく、ここは相当に内陸だというのに、これだけ広い河というのは日本に住む者からすれば想像を絶する。
「広い河だとは聞いてたが……すごいな」
シュテルの街の辺りでは、アルカーナ河はほぼ南北に流れる。
そのあまりの大きさ故、橋を架けることはされていない。
そもそも橋を架けると船が航行できなくなるという問題もある。
そしてシュテルの街は実質二つに分かれている。
東地区と西地区、要するに河の両岸に存在するのだ。
そしてその間を、定期船が頻繁に航行しているようだ。
「港に船もいっぱいですね。クロックスほどではないですが、凄いです」
さすがに外洋に出る拠点でもあったクロックスほどではないが、それでも多くの船が見える。実際、ここから北と南それぞれに行く船が一度ここで物資の補給をする場所なのだろう。
ちなみにこのシュテルの街はパリウスの西隣に位置するヴァンラント公爵領に属する街だ。
ヴァンラント領は牧畜が盛んな地域で、先に会ったような遊牧民も多い、パリウスと並んでのんびりした雰囲気で知られているらしい。
乳製品などの生産はとても盛んで、アルカーナ河を利用して王都をはじめとしたアルガンド各地に送られているという。
「とりあえず今日はここで宿泊して、明日以降で船を確認しよう」
「ここからは船旅ですか?」
「その予定だ。王都へ直接入れる定期船とかがあるはずだ」
輸送路であると同時に人の移動も行うための水路なので、そこそこの頻度で船が出ているはずである。
とはいえ、現在はすでに夕方が近い。
結局あの後は野宿ばかりだったので、久しぶりにちゃんとした寝台で眠れるのと、ありあわせではない食事の期待をしつつ、二人はシュテルの街に入っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ごちそうさま」
周囲は何を言ったかは分からないだろうが――エルフィナは手を合わせてそういうと、満足そうに顔を綻ばせた。
コウもそれに続く。
最近はすっかり『いただきます』『ごちそうさま』が定着してしまっていた。
とりあえず宿を取った二人は――あいにく二人部屋一つしか空いてなかった――とりあえず食事に出た。
この街は船乗りが多いからか、宿と食事処が別々なことが多いらしい。
夜まで騒ぐからだという。
宿で紹介された食堂で食事をしたのだが、これが文句なしに絶品だった。
この地域の特産であるチーズや乳製品をふんだんに使った料理は、どれもとても美味しかったのだ。
「シュテルは特にいろんなチーズなどを使った料理で有名なんですよ。ここは港町だから、各地から色々な食材が集まってくるので、ホントに多種多様で。何日か滞在したいくらいですね」
そう言いながら、ニコニコと例の『料理大全』からの知識を披露しているのはもちろんエルフィナである。
実際どれもとても美味しかった。
チーズシチューなどはもちろん、パンにチーズをのせて焼いたのは、若干生地の厚みなどが違うとはいえほぼピザだったし、パスタ――細い麺状ではなくどちらかというとマカロニなどが近いが――のチーズソース和えなども美味しかった。
コウとしてはイタリア料理が近いが、味付けは香辛料をふんだんに使っているので、だいぶ感じは違う。
どちらかというと唐辛子に近いものが多く使われていて、チーズのまろやかさでその辛さが和らいで、絶妙な味になっている。
「まあ急ぐ旅ではないからのんびりしてもいいが……」
「いえ。定期便があったら乗っちゃいましょう。先ほど調べたのですが、王都までは三日くらいはかかるみたいで、船の上で出る料理とかもあるらしく。そちらも興味があります」
「まあなら……明後日の夕方か」
宿で出る前に聞いた次の定期便の予定は明後日の夕方。
十五時頃という話だった。
「ちょっと楽しみですね。私、大きな船は初めてですし。コウは……前の世界であったりします?」
「いや、船に乗る機会はなかったから、俺も初めてになるか」
飛行機ならあるが、それは論外だろう。
街に入る前に見えた感じだと、帆船の様だった。
小さなボートであれば経験はあるし、第一カントラント河を渡る際に使っている。
だが、あのような大きな船は経験がない。
しかし王都方面に行く場合、実質河の流れに逆らって進むことになるが、うまいこと風が吹いてくれないとまともに進めないのでは――とまで考えて、コウはふとあることに気付く。
「……また常識がないと言われそうだが。もしかして、船に風を起こす法術具とか備えられてるのか?」
「そりゃあそうでしょう。そんな都合のいい風なんてそうそう吹きませんし」
法術便利すぎだろう、と思ってしまう。
確かに風を起こすだけなら、それほど複雑な法術にはならない。
そして継続的に起こし続けるのは人間には難しいが、法術具なら問題はない。
最初にいたフウキ村がむしろこの世界では著しく後進地域だったのと、街並みや機械がほぼ存在しないことから、文明レベルは地球で言えば十六世紀から十七世紀、産業革命前だと思ってしまうが、法術の存在のせいで場合によっては二十世紀以上だ。
ただ逆に、法術が便利すぎて、それ以外の発達が起きなくなってる部分もあるのだろう。
例えば、法術砲というのはあったが、確認した限りこの世界に火薬は存在しない。正確には必要としていない。法術で代用できてしまうからだ。
ゆえに銃器は存在しない。法術があっても弓が生き残っているのは、攻撃法術を誰もが使えるわけではないことと、射程においては弓の方が上回るからだ。
ただそれゆえに、地球には存在したクロスボウの様な機械式の巻き上げ弓は存在しない。クロスボウは基本水平発射のため、その有効射程は長くはない。そして当然、連射は効かない。これならば、法術でも代用が出来てしまうというより、法術の方が強力なのだ。ゆえに誰も作ろうとすらしなかったのだろう。
船についてもそうだ。
おそらく法術で、地球における動力機関めいたものは作ることはできる。
それと、外輪船やスクリューなどが開発されれば、風の影響など全く関係ない船を建造可能だろう。
だが、自由に風を起こせるので帆船でも全く困らないため、そういう発想にならないのだ。
その割には陸上の移動手段はいまだに徒歩や馬、馬車だけになっている。
ただ、自走式の車の研究はされていると前に見たことはある。
最大の難点は稼働時間だという。
法術具は『稼働し続ける』ということをやると、法術具に使った魔石の大きさにもよるが、あっという間に蓄積された魔力が枯渇するらしい。そうすると再度法術を付与する必要があるが、それはかなり時間がかかるらしい。
そのため、移動手段としてはどう考えても不向き。馬に与えるエサなどを考慮しても、馬車の方が効率がいいそうだ。
このあたり、ガソリンなどの容易に補給・蓄積可能な『燃料』があった地球とは、単純な比較はできない。
魔法めいた力の存在があると、ここまで技術に違いが出るというのは、実際に見てみないと実感できなかった。
「コウ?」
「ああ、いや。法術って本当に便利なんだな、と思ってな」
「貴方がそれを言うと……ある種嫌味になりそうですね」
「そういうつもりはないが……」
「むしろ、法術がないという貴方のいた世界がなぜ成り立っているのかが、私たちにとっては不思議に思えます。まあ私は全く使えないとはいえ、それでも少なからず恩恵は受けてます。でも、法術が全くない世界って、まともに生活していくのすらできるとは思えませんから」
「……そう、かもな」
厨房で火を起こすのも、水をきれいにするのも、汚水を処理するのも法術で行っている。なくなっても他の方法があると思うのは、それがなかった世界にいたコウだからだろう。
この世界の人間からすれば『法術がない』というのは地球で言えば電気も動力もない、というのに等しいのかもしれない。あるいはそれ以上か。
世界の在り様があまりにも違うから比較するだけ無駄だが、あるいはお互いの技術を融合させたら、さらに色々できるのだろう。
とはいえ、コウとしてもそんな知識を持ち込むつもりは全くない。
コウは明らかにこの世界においては異分子だ。
それが、外からの知識を持ち込めば、この世界にどんな影響があるかなどわかったものではない。
それに、コウ自身そんなに詳しいわけでもない。
「ま、結局世界そのものの在り方が違うんだろうな」
「ですね。それに……」
エルフィナは美味しそうにチーズがたっぷり乗ったパン――追加で頼んだ――を頬張る。
「コウの世界でも、こういう美味しいものはあったのでしょう? 美味しい食事だけは、世界共通ですね」
「まあ、そうだな」
なんでも食事に結び付けるエルフィナはともかく、人間が生きてる以上、必要とするものは同じだ。
美味しい食事もその一つだろう。
明後日には船に乗って王都へ向かうことになる。
このアルガンド最大の都市である王都アルガス。
きっとそこは、パリウスやクロックスとも違う、新しい発見があるに違いない。
それを楽しみにしつつ――とりあえず、目の前で美味しそうに頬を膨らませているエルフィナを、コウは楽し気に見ていた。
なお、直後にエルフィナが恥ずかしそうに顔を背けたのは言うまでもない。
間章はここまで。
次はいよいよ四章、王都編です。




