第55話 エルフィナの生い立ち
さらに数日を経て、ようやく二人は山岳地帯を抜けた。
道は平坦になり、広い草原があたりに広がっている。幾度か羊の群れを連れた人とすれ違った。どうやらこの世界にも遊牧民というのはいるらしい。
雰囲気的には――行ったことはないが――モンゴルの様な感じに思える。
そろそろ日が落ちるので、野宿の準備に入っていた。
先ほどすれ違った遊牧民から羊のミルクとチーズをもらったので、今日はそれを使ってのチーズシチューだ。
「ふと気になったんだが、森妖精って、水と光だけでほとんど平気って話だが、赤ん坊もなのか?」
「というと?」
「人間の場合は母乳で育てるという話があるから、どうなのだろうと思ってな。俺の世界だと、親がいなかったりしたら代替で子供用のそういう製品があったんだが」
実際、コウは妹が生まれてからずっと、赤ちゃん用の代替ミルクを妹にあげ続けていた。母親は母乳の出が悪いといって、授乳も全くしなかったのだ。
「そうですね……人間の赤ん坊がどうだかはわかりませんが、森妖精も赤ん坊のうちは母親の母乳も与えられて育つそうです。私も記憶にないし見たことはないのですが。ただ、毎日というわけではないですね。前に木の実を食べたりするといいましたが、それよりは少し多いくらいの頻度だと聞いてます」
個人差はあるが大体数日に一回くらいらしい。
「そもそも、赤ん坊は寝てる時間の方が多いですからね。特に森妖精の赤子はよく寝るそうで、一ヶ月寝たままとか珍しくないとか」
「……それはすごいな」
あまりに生態が違い過ぎて理解が追い付かない。
人間で一ヶ月赤子が寝続けたら、現代日本なら病院直行コースだ。
面倒を見る分には楽なのかもしれないが。
「私もよく寝る子だったと聞いてます。まあ、反動なのか、歩くようになったら……その、あちこち行っては親に心配かけていたらしいですが」
「その頃から今の素養があったってことか」
「……ほっといてください」
ぷい、と拗ねたように顔をそむけるが、耳の先が赤いので感情がバレバレだ。
「そういえば、エルフィナの両親はエルフィナが外に出ることになって、心配はしなかったのか? まさか勝手に出てきたわけ……ではないよな」
エルフィナの年齢的に『未成年略取』などは当てはまらないというか、強制してない以上違うとは思うが、そうは言っても娘可愛さのあまり追いかけられてはたまらない。
「それはありません。ちゃんと両親の許しを得て氏族を出てますよ。まあ、ちょっと厄介払いされたところはありますが……」
「厄介払い?」
コウが訝し気な表情――というよりは少しだけ剣呑な雰囲気になる。
「あ、大丈夫です。別にそこまでのことではないです。少なくとも両親は、私のことを愛してくれていたのは確かですし……ただ、その、氏族でも私の存在はやはり異端だったんですよ」
そういうと、エルフィナは焦げ付かない様にと、鍋を一度かき混ぜる。
「そういえば、コウの生い立ちは聞いたのに、私のことは話してませんね。別に私は、貴方ほどの話はありませんが……せっかくですし、話しておきましょうか」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
エルフィナは、キュペルの南の森林地帯の一角、ティターナの森と呼ばれる場所で、そこに住むいくつかの氏族のうち、クレスエンテライテの氏族に生まれた。
森妖精は寿命が長いこともあり、また、その、ある意味植物に近いとすらされる生態ゆえか、子が生まれる頻度は非常に低い。
実際エルフィナは、氏族の中では三百年ぶりに生まれた子供だった。
それゆえ、氏族の中でも大切に育てられたという。
コウには妖精族は法術を使う者は多くないといったが、これには少し語弊がある。
正しくは、戦闘などに使うような法術を使う者は滅多にいないというだけだ。
人間と関わりが特に深い洞妖精は、特に鍛冶系の法術は非常に得意としているし、海妖精や河湖妖精も主に水の浄化などの法術は得意として、人間社会と共存していることが多い。
山岳妖精も、鉱山を見つけたり坑道を掘るといった法術は得意としていて、人の社会と関わっている。
そして、森妖精でも、やはり法術というのは便利なので、全く使わないわけではない。
いわゆる『生活法術』とされる法術を使うための法印具であれば、普通に行商人に頼めば購入できるため、わずかに取引のある商人などに頼んで入手してもらっているのだ。
なので当然、文字の適性を各自知る必要がある。
森妖精の場合、森に『魂の鏡』に相当する機能を持つ『森の水鏡』という特別な『樹』があって、それで文字の適性を判断することができるのだ。
しかし。
百歳の誕生日にその適性を確認されたエルフィナは――完全に何の文字にも適性を示さなかった。
これには氏族全体が驚いた。
森妖精は、基本的に文字との相性が、他の種族より良いとされている。
他の妖精族が得意とする、いわば特化した分野にはやや及ばないものの、全般的には非常に優れた適性を示すことが多い。第二基幹文字の適性を持つ者の割合は、普通の人間の百倍ともされている。
ところが、エルフィナの適性は完全に皆無。
無論、氏族始まって以来の出来事だった。
そのため、エルフィナは実は森妖精ではないのではなどと中傷されたりしたこともあった。
両親だけは変わらずエルフィナを愛してくれたが、それでも氏族からは距離を取るようになっていった。
そしてそれから二十年ほど後に、ある事件が起きる。
その日、すさまじい嵐による落雷によって火事が起きた。
豪雨なのに火の勢いはとどまらず、氏族の者たちが使える程度の法術ではどうにもならないほどだった。このままではティターナの森が焼けてしまうと思われた時――膨大な水と風によって、火は一気に鎮火された。
それをやったのは――エルフィナだった。
その時に初めて、エルフィナが精霊使いであることが判明したのである。
もっとも実は、エルフィナ自身は幼い頃から自分の周りにいる精霊たちといつも会話をしていた。
他の人には見えていないそれは、きっと子供だから見えているのだろうと思っていたのだ。
ただ、あの火事の時、精霊たちに『お願い』したら、風の精霊と水の精霊が、任せなさい、と言ってくれたのだ。
精霊使いは、妖精族の中にごく稀に誕生する存在と云われている。
その出現率は第一基幹文字の使い手と同じ。つまり数百万から数千万人に一人。
だが、母数が少ない妖精族の場合、数世代に一人いるかどうかという数になる。
しかもエルフィナはいきなり水と風の精霊を使役して見せた。長い妖精族の歴史でも、記録にある限り一人としてそのような存在はいないという。
そのため、氏族内でもエルフィナをどう扱うべきかは、紛糾したらしい。
その一方で、エルフィナはその頃から森の外に興味を示していた。
火事の少し前にもらった、外のものだという菓子がとても美味しかったのに感動したのがきっかけである。
エルフィナにとって幸いだったのは、氏族の者たちがエルフィナを、ある意味腫物の様に扱う一方で、両親だけは変わらずエルフィナを愛してくれたことだろう。
今から思うと、両親も少しだけ氏族の者たちと距離があったように思うが、その理由は今も分からない。
そしてエルフィナは外への興味を膨らませていき、百五十歳になった時、両親に森を出たいと打ち明けた。
それに対して両親は反対することはなく、ただ、外でやっていけるための力を身につけなさい、とだけ言ってくれた。
実はエルフィナは、それまで――法術が使えないことの穴埋めに――弓の特訓はずっとしていたが、剣は全くやっていなかった。それで、この時から父に剣を教えてもらうようになった。
そして、父が合格といってエルフィナを送り出してくれたのは、両親に相談した時から三年余りが経過してからだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「後はコウの知る通りです。うっかり精霊と話してるところを見られてしまって、捕まって……ですね」
話し終えたエルフィナは、鍋の状態を確認するようにもう一度かき混ぜた。
チーズの芳香が辺りにふわりと広がる。
「十分、波乱に満ちてたと思うが……」
「そうですか? でも私は、両親がずっと私を大切に思ってくれていたので、辛いと思うこともなかったです。それに……」
エルフィナのすぐ横に何やら小さな存在――超ミニサイズの精霊が七体出現した。
呼びかけもしないのに顕現しているらしい。
通常時と違い、掌サイズで、存在が凝縮されているのか目を凝らさなくてもよく見える。
精霊の研究家が見たら、確実に卒倒する光景だ。
どこか、ぬいぐるみめいた可愛さがあるようにも思える。
「この子たちも、いつも一緒にいてくれましたしね」
「そうか」
「ただ、今から思えば私の両親も、氏族の他の人たちとは少し距離があったように思います。私が原因かもですが……。父は氏族随一の剣の使い手で、母は随一の弓の使い手でしたが、正直それだけの技、どこで必要だったのかと思うほどで。もしかしたら昔、冒険者だったりしたのかもですね」
「あり得るかもな」
それだけの技量があったというなら、あるいはその可能性もある。
氏族を抜ける森妖精は、考え方が氏族を出たことがない者と違うだろうから、少しすれ違いがあるくらいは不思議ではない。
だとすれば、その娘であるエルフィナが氏族を出たのは、必然かもしれない。
「弓はお母さんから?」
「ですね。母の弓の技量には追い付いたと思ってますが……父の剣にはまだ敵いません。コウならあるいは、と思いますが」
妖精族の剣術というのは興味があるが、さすがに今からキュペルまで行くわけにはいかないだろう。
「まあでも、何とか認めてもらって、その時に餞別としてもらったのが、この剣です。いつ用意していたのだろうと思うんですけど……すごい特殊なんですよ、この剣」
「特殊?」
エルフィナがどうぞ、と鞘ごと渡してきたので、コウはとりあえず受け取ると、剣を抜こうとして――驚いた。びくともしない。
「抜けない……?」
「ええ。私にしか抜けないような法術がかけられているんです。他にも……そうですね。その剣を持って、少し私から離れるように歩いてみて下さい」
とりあえず言われるままに歩いてみる。
すると突然、剣が極端に重くなった。とてもではないが、持っていられない重さだ。百キロほどはあるような気がする。
「私から離れると、異様に重くなるらしいんです。移動したり触れてなければ重くならないそうですが。霊鋼で作られた剣というのは、いろいろな法術を付与できることは知ってますが……正直これだけの機能を付与したら、結構高いはずなのですが」
道理でエルフィナが捕まっていた時、近くに放置されていたわけである。
エルフィナ曰く、少なくとも金貨十枚ほどは必要になるらしい。
普通の家族が数年暮らせる金額だ。
言ってはなんだが、質素かつそんなお金があるはずのない生活をしている森妖精が、どこでどうやってそれだけのお金を工面したのか、エルフィナもわからないらしい。
本当にかつては冒険者だったのかもしれない。
「……ただ、本当にエルフィナのことを案じているのはわかるな」
「はい。まあそれでも、最初にあんな失態をしてしまったわけですが……今更ですが、助けてくれて本当にありがとうございます、コウ」
「今更だな。それに俺も、エルフィナには助けてもらっている。お互い様だ」
実際一緒に旅するようになって、一人の時よりも楽しいと感じている。
それに戦いの際にも、とても助かっている。
精霊を使わなくても、エルフィナの卓越した弓術は、下手な法術よりはるかに有効な場合が多いのだ。
「あ、そろそろいい感じですね。食べましょう。明後日にはシュテルの街、ですよね?」
「ああ、そうだな。そこから船で一気に王都までは行けるはずだ」
エルフィナがよそってくれた皿を受け取る。
チーズの溶けた香ばしい匂いが鼻腔を満たし、食欲を刺激した。
器を膝において、手を合わせる。
「いただきます」
一口食べると、その香りを裏切らない味が広がっていく。
それからふと顔を上げると、エルフィナが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「その……前から気になってたのですが、コウ、食事前に手を合わせて小声で言ってるそれ、なんなんでしょう?」
「ああ……『いただきます』か?」
こちらには相当する言葉がないので、もちろん日本語。
こればかりはどうしても、長年の習慣で食事前には必ず言ってしまう。
「俺の国の言葉で、食事前の……挨拶というか決まり文句の様なものだ。食事に感謝してそれを頂く……という感じで」
「食事後の……『ゴチソサマ』とかいうのも?」
「聞こえていたのか。ご馳走様、だな。どちらも食事に対する感謝の様なものだと思っていい」
「……私もやってみます。ええと……『イタダキス』?」
微妙に間違っていて思わず吹いてしまった。
「惜しい。『いただきます』だな」
「……イタダキマス」
「ああ、それで合ってる。終わった時は『ごちそうさま』だ」
「大丈夫、今度は覚えました」
実際食事が終わったら、エルフィナは今度はきれいに『ごちそうさま』と言ってコウと同じように手を合わせた。
まさかこの世界でこの仕草を見ることになるとは思わなかったが――なぜかそれが嬉しく思える。
いつか日本に帰ることになった時。
あるいは、容易に行き来できるなら、その時はエルフィナやラクティに少しだけでも日本を見せてあげたいと――なぜかふと、コウはそう思っていた。




