第54話 異世界の食べ物
エンベルクを発ってから十日。
ようやく道が下りに入ってきた。
おそらくあと数日で平坦な場所に入り、人里も増えてくるだろう。
別に二人とも高速で飛翔できるので飛んでいけばいいのだが――そこは二人とも旅を楽しむこと自体が目的なので、するつもりは全くなかった。
元々、先を急ぐ旅ではない。
とはいえ。
「今日はもう休むか。ちょうど、宿場があそこに見えるし」
日はまだ高く、行こうと思えばあと五キロくらいは進めるだろうが、コウはここまでで休むことを提案した。
「でも、まだ日が高いですよ」
「まあそうなんだが、さすがにそろそろ疲れがかなり来てるだろ、エルフィナ」
「う……」
強がりを言えないあたり、それを否定できないくらいには疲れている自覚もあるのだろう。
実際、タイミングが悪くて出発してからここまでの十日間はずっと野宿だった。
さすがに野宿では十分休みきれないだろう。
しかも平坦な道ではなく、山道なのでどうしても体力は普通より使う。
「すみません……コウは大丈夫そうなのに」
「いや、そうでもない。俺もさすがに、ちゃんと休みたいのが本音だ」
普通の野宿であれば、どちらかが不寝番などをして警戒が必要だが、この二人に限ってはそれは必要はない。
エルフィナが精霊に頼んで事実上の不寝番をしてもらっているので、二人とも夜はゆっくり休むことができていた。
とはいえ、さすがに雨が降ることもあるし、そもそもいくら毛布などがあっても、ゆっくり休むのは難しい。
やはり天井や壁がある場所の方がいいし、柔らかい寝台が欲しい。
そんなわけで二人は少し早いが、宿場で休むことにした。
定期的にある宿場は、簡易な宿と食事処があるだけ。
ただ、法術によって獣除けなどが施されていて、よほどの大物が来ない限りは安全に過ごせる。
ちなみに食事はお金を出せばもらえるが、基本的に割高だ。こんな場所だからそれは仕方がないだろう。メニューもこの街道を通る商人などは多くなく、仕入も安定しないため保存食を加工したものなどが中心になる。
それでも、思いっきり休める寝台と、体を洗うためのスペースなどがあるのはありがたい。服は替えも含めて何着か持っているし、生活法術――エンベルクで購入した本――で、洗濯などはできていても、体は拭くだけだった。
あるいはやろうと思えば強引に水場を作ってお風呂にすることもできただろうが、後始末を考えるとさすがにちょっと遠慮したのである。
「ふぇぇぇぇぇ~~~~。やっぱりちゃんと柔らかい場所はいいですね……」
エルフィナが寝台の上でのびていた。
相変わらずこの世界は布や綿などの品質がいい。ここに限れば、明らかに日本より上だと思う。
日本では高級家具屋などでしか見ないようなふかふかのベッドが、こんな場末の宿にすらあるのだから驚きだ。
「とりあえず俺は体を洗ってくるが……エルフィナはどうする?」
「ああ、私は別にいいです」
「……いいのか」
「ああ、別に汚れたままとかじゃないですよ。水の精霊にお願いして、定期的にちゃんと洗ってるのです」
思わず呆気にとられた。
「法術では難しいでしょうけど、精霊はそういう曖昧なことは得意なんですよ。まあ、ホントはゆっくり水浴びしたいのは否定しませんが、こういうところで体洗うよりはそちらの方が快適ですので」
確かによく見ると、エルフィナの髪も肌も、これまで十日間歩いてきたとは思えないほどきれいだった。
少しだけ羨ましくもなる。
「わかった。まあじゃあ、ゆっくり休んでくれ」
「はぁい……」
弛緩しきった返事は、途中から寝息に変わるのではないかと思えるほどだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「寝ちゃいました……やはり疲れてましたね……」
時刻はすでに夕方。
お昼ご飯すら食べずにエルフィナは眠ってしまって、目が覚めたのは夕方である。
この時期はかなり日が長くなってきているので、もう夕食の時間の方が近い。
ちなみに先ほどから、定期的にエルフィナのお腹が鳴っている。
最初こそ恥ずかしそうにしていたが、もう開き直ったらしい。
「お腹すきました……」
早朝に軽く食べた以降、ずっと歩き続けて、昼から寝ていたのだから当然だろう。もっとも腹ペコ森妖精というのはレアな存在のはずだが。
「といっても、ここの食事はそんなに期待できませんしね……早く街に着きたいです。やっぱいっそ、風の精霊の力で……」
「まあ、そういうかと思って、今日は俺が食事を作ることにした」
「ほえ?」
「頼んだら材料は売ってくれたし、厨房を使う分には構わないそうだ。料理法術の調整もなんとかなったし、ちょっと挑戦してみた」
「挑戦してみた……ってことはもうできてるのです?」
「ああ。あとは仕上げだけなので、起きるのを待ってたんだ。食べるか?」
「もちろんですっ」
異様な食いつきにちょっと驚く。
とりあえず食堂に移動すると、コウはそのまま厨房に入った。
すでに用意していたお皿の上にあるのは、塩や香辛料で味付けをした穀物だ。
メインはここで手に入ったお米を日本の様に炊いたもの。少しどころではなく大粒だが、予想通り、味の感じはほぼ日本のご飯と同じになってくれた。
さらにその上に溶けたチーズをのせてある。
そして今作っているのは、ある種卵焼き。いい感じの形のフライパンがあったので思いついたものである。
今のところ客はコウとエルフィナしかいないらしく、宿の主人はコウが自分で食事を作るというと、厨房は好きに使え、と言って外の仕事に行ってしまった。
なので今は自由に使わせてもらっている。
コウが作ってるのは、要するにオムライスだ。
無論これがこちらの言葉でどういうべきか等わからない。
確かオムはフランス語だったかでオムレットの略だったと思うが、そもそもオムレットがどういう意味だったか……包むだったか板だったか、自信がない。
ちょっとだけスマホが欲しくなる。あっても意味がないが。
とはいえ、作り方自体は問題はない。
ちなみにこの世界でも鶏の卵は食用に使う。卵はたくさんあったので売ってもらった。この世界でも栄養豊富な食材として重宝されるようだ。
そして二つのフライパンを使って完成した卵をライスめいた穀物の山に載せ、食堂に運ぶ。
「なんですか、これ。穀物の上に……焼いた卵?」
「地球の料理だ。同じものがこっちにあるかわからないが……俺の世界の言葉では『オムライス』っていうんだが」
「少なくとも見たことはないです。っていうか上の卵、なんかプルプルしててバランス悪いんですが」
それはそうだろう。これはまだ完成形ではない。
「これは最後に仕上げがあるんだ。こうやって……」
卵の上にナイフを入れる。
すると、卵の表面が割けて中から半熟状態の卵が穀物全体を覆った。
ゆっくりと重力によって半熟の卵が拡がっていく様子に、エルフィナの目が輝いている。
「ふわぁ……なんですか、これ。すごい……どう表現していいかわからないです」
「まあこっちに似た料理がある可能性はあるが……」
「ないですね。初めて見ます」
「……断言するな」
するとエルフィナは、荷物――寝室に置きっぱなしは不用心なので持ってきている――の中から、分厚い本を取り出した。そこには『世界の料理大全』と書いてある。
「……は?」
厚さが五センチ近くありそうな分厚さ。
大きさも日本の百科事典とかそのくらいはある革装丁のその本は、どう考えてもやたら重いと思え、そんなものを旅の荷物に入れていたとは驚きだが――。
「この本にこんな料理が載ってるのは見たことありません。だから、少なくとも普通ではまず知られていない料理です」
「……その本の中身、全部覚えてるのか?」
「そうですけど?」
さも当然とばかりの返答。
正直、エルフィナの頭は特定方面に特化されすぎてないかと思えてくる。
第一全部覚えてるなら持ち歩く必要はないのでは、と思ったが、それを指摘すると「全記述を完全に暗記してるわけではないので」と当たり前の答えが返ってきた。
そもそも荷物を預ける場所もないから、確かに持ち歩くしかないだろう。
ちなみにこの本は、パリウスで冒険者として仕事を始めた最初の頃に、盗賊退治の仕事の報酬を《《全額》》費やして買ったという。
全ての料理の挿絵まで入った特装本だとか。
あの時の報酬は銀貨で支払われたはずだが……。
エルフィナの食事に対する執念を垣間見た気がする。
「食べてもいいですよね?」
「ああ、もちろん。上手くできたとは思うんだが」
というよりは失敗しようがない。
味付けは一応事前に確認してるし、卵にも少しだけ味を付けてある。
失敗するとしたら卵が上手く焼けなくてきれいに開かないことだったが、それは文句なしに完璧に成功した。
「なんですこれ。ものすごく美味しいです。卵がふわふわトロトロで、穀物の味付けは薄味なのに、卵と絡むと味が凄く濃厚になります。なのに、どこかふわりとした甘みすら……卵にこんな食べ方があったなんて」
エルフィナが感激のあまり踊りだしそうな勢いだ。
というか、表現がほぼほぼ食レポだ。食事好きなだけあって、そういう才能もあったのだろうか。
とりあえず作った甲斐があったと思える反応だった。
コウも食べてみるが、日本で作ったそれに比べると、やはり穀物の感触の違いはやや気になるが、それほど違和感はない。
とりあえず美味しくできたと自画自賛したくなる。
とりあえず無言で半分ほど食べたところで――視線を感じて顔を上げると、エルフィナがじーっとこちらを見ている。いつの間にか、彼女の前のお皿は空だった。
「……もう食べたのか」
エルフィナのオムライスの大きさは、コウのそれの二倍近くにはしてあったはずなのだが――もうお腹に消えたらしい。
「その、すごく美味しくて……。おかわりとか、ない、ですよね……」
しょぼんとしている様子が何とも言えない。
普段は、神秘的と言える美貌も相まって美しいと思えるエルフィナだが、こういう顔を見ると本当に可愛いと思えてしまう。どちらかというと小動物めいているが。
とはいえ、さすがにもうおかわりはないというか、穀物が尽きてしまっている。
次の街で補充するにせよ、今作るのは無理だが――。
「さすがにオムライスは無理だけどな」
そういうと、厨房に戻る。
法術で実現した簡易オーブン――エルフィナの持っていた料理法術の中にあった――の中の《《それ》》はいい感じに焼きあがっていた。
火傷しない様に皿に取り出すと、エルフィナの前に置く。
「これは?」
「こっちにも多分似たような料理はあると思うんだが……俺の世界では『キッシュ』という名前の料理で、卵と乳を使った料理だ。今回は塩漬け肉とほうれん草を入れてある」
本来のレシピはパイシートや生クリームを使うが、なくても何とかなる。どちらかというとスペイン風卵焼きとかがこういう感じだったか。
ただ上手く焼き上げられたと思う。
大きさは直径十センチあまり。上にチーズをたっぷりのせてある。
ほうれん草はコウが知るそれによく似ているが、知ってるものよりは苦みが強い。ただ、むしろ味が濃いともいえ、組合せは悪くないと思う。
とりあえず四つに切って、一切れをエルフィナの皿に乗せた。
「これも……見たことないですね。近い料理はありますが、こういう型で焼くのではなく、混ぜて炒める感じなら」
要はスクランブルエッグというところ――と思ったら、エルフィナの見せてくれた本のページによると、それよりは大分豪快だった。どちらかというとひき肉や野菜と卵を混ぜて炒める料理のようだ。
「美味しいです。それに卵のふわふわの柔らかさの中にお肉の食感がいい感じで……ほうれん草の苦みがとてもいいアクセントです」
相変わらず幸せ満面の笑顔というべきか。
本当に作り甲斐があると思えてしまう。
結局、キッシュも三切れはエルフィナのお腹に消えた。
さすがにそれで満足してくれたらしい。
「コウ、今度また元の世界の料理作ってください。外の世界の料理もとても美味しいですし、あちこちでいろいろ食べたいですが、コウの世界の料理もとても気になります」
「そんなに得意でもないんだがな……」
「この美味しさでそんなこと言ったら、料理人の人たちが泣きますよ。楽しみにしてますね」
別にプロではないのだがと思うが、レパートリー自体は実は多い。
橘老に引き取られてから、食事の担当は途中まで分担していたのだが、橘老はやたら濃い味が好みで、任せるとどうしても味が濃くなりがちだった。彼の健康も考えるとそれは良くないと思えて、結局コウが作ることが多くなったのだ。
そのためか、料理のスキルはやたらと向上した。
オムライスもキッシュも、その時に覚えたものだ。
同じ材料が準備できるとは限らないものや、レシピがうろ覚えのものもあるが、この世界にない料理は他にもありそうだ。
「そのうちな。俺もまあ、この世界の食事は結構美味しいとは思ってるし……明確な目的地があるわけでもない。あちこちの料理を食べて回るのは、それはそれでありだろうしな」
「そうですね。そういう旅の方が、楽しそうです」
満面の笑みを浮かべるエルフィナを見て、コウは前以上にこの旅を楽しめそうだと思うのだった。
今回のサブタイトルの『異世界』はエルフィナから見て異世界、つまり地球のことでした。
ちなみに盗賊退治の報酬は銀貨五枚(約50万円)ほどだったと思われます……。




