第52話 地球との違い
コウとエルフィナがエンベルクを発ったのは、五月中旬過ぎ。
そろそろ夏の気配が色濃くなってくる季節である。
といっても、パリウスはかなり北方にある上、エンベルク周辺はかなり高地のため、実はまだかなり涼しい。
コウの体感では、気温はまだ高くても二十度ほど――この世界に温度を表す一般的な尺度はない――で、朝夕は十度ほどとかなり寒いと思えるほどだ。
二人はエンベルクから東へと進路を取った。
無論、徒歩である。
街道は一応あるが石畳などで舗装された道ではなく、轍の後が道に刻まれている。
山岳地帯なので急な雨もあり得るが、出発した日は幸い全く雨には降られず、二人はとりあえず日が暮れるまで歩き続けた。
「……今更なんですけど」
エルフィナが野宿の準備をしながら思い出したように口を開いた。
「なんだ?」
「道、わかってるんでしょうか?」
そういわれるとは思わず、コウは呆気に取られてしまった。
「私の記憶するパリウスの地図だと、王都アルガスに行くには、いったんパリウス方面に向かって主街道に出てから、南に向かって、それから西に折れると思ったんですが」
エンベルクはパリウスからおよそ百キロほど西にある。
正確には少し南にずれるのだが、その先は険しい山岳地帯が続いており、少なくとも大きな街道はない。
普通は、やや遠回りになってもいったんパリウス方面まで戻り、それから主街道を南に行き、クロックス領との境付近で西に折れるのが普通なのだ。
「ああ、まあそうだけど、こっちからでも行けるんだ。道が悪いから少し時間かかるけど、途中から船で向かうことができる」
「船?」
コウは荷物に入れてあったアルガンド王国全体の地図を見せる。
「ここ。大きな河があるだろ。この山岳を越えた先にあるシュテルという街から、この河を運行する定期便が出てるらしい。エンベルクまで来てしまってるから、そっちから行こうかと思ってな」
「なるほど。しかし……よく知ってましたね、こんな道」
「まあ、キュペルの南にいたエルフィナは知らないのは無理もないと思うが」
するとエルフィナは訝し気な顔になる。
「いえ。アルフィンさんに、コウと一緒に王都に行くという話をしたら、じゃあ途中まではラクティさんと一緒に戻るんですね、と言われたんです。だから、少なくともアルフィンさんはこの道知らないと思いますが」
「……そうか、あまり使われない道なのか」
「コウはどこでこの道のことを?」
「今回エンベルクに行くと聞いたから、周辺地図はだいたい押さえておいた」
すると今度は、エルフィナは何とも言えない顔になった。
「……前から思ってたんですが、コウってそういう情報を理解するの、早いですよね。ラクティさんの仕事も理解できてたし」
「そう……かもな。昔から地図を見るのは好きだったしな」
エルフィナが、コウを不思議なものを見るように見つめてきた。
「地図って……見てて面白いもの……なんです?」
「人によるかもだが、俺は面白いと思ってる。じぃさんと一緒にあちこち行くことがあったから、先に現地の地図とか見て、どこに何があるとか把握して、どんな場所だろうと想像したり、行かなくても地図さえあればどういう場所かとか想像したり……ないか?」
「……全然分からないです。なんか不思議ですね。そういうのを聞くと、ホントに違う世界の人なんだなって思ってしまいますが」
変なところで理解されてしまっていて、コウとしてもなんとも言えない表情になる。
「まあ、この世界は俺のいた世界ほど正確な地図があるわけじゃないがな。でも、街道の繋がりとかはちゃんと書いてあるから、あとは現地に行く楽しみがあるというか」
「でもそれじゃあ、地図が間違ってたら……迷っちゃわないです?」
「迷うだろうな。でも最悪、俺たちは何とかなるだろ?」
「……確かに」
地球と違って、確かに地図が正しいという保証はない。
だが、飛行ができる二人であれば、最悪飛べば何とかなる。
「方角は太陽で分かるしこの時期なら、かなり正確だしな」
「そうなんです?」
「今は五月下旬。この世界は六月の終わりの日が夏至だから、今の季節の太陽が昇るのは東よりいくらか北側だ。この世界が俺のいた世界と全く同じとは思わないが、最初にいた村で見てた時も、太陽の動きと季節の動きはほぼ同じだった。とすれば、季節が太陽の角度で変動してると思われるし、そうなれば季節から方角は分かりやすい。むしろ夏至、冬至がとても分かりやすいから、俺の世界より計算しやすいくらいだ」
そこまで話したところで、エルフィナが夕食の準備の手も止めて頭を抱えていた。
「……どうした?」
「いや、その……太陽や年月から方角を読むとか、季節がどうとか、どこの学者なのかと……」
「……この世界ではそのあたりは一般的な知識じゃないのか」
「当たり前でしょう。言っておきますが、私が人間社会の常識を知らないからそういうことを知らないわけじゃないですよ」
エルフィナは頬を膨れさせている。
さすがにそういうことを思ったわけではないが、そういえば確かに、フウキの村の人たちも太陽の昇る方角は理解していても、季節によって日の長さが変わることはあまり気にしていなかった。一応把握はしてたようだが、基本的に農作業と紐づいていたのだろう。
文字通り、日が昇ってから仕事を始め、日が落ちたら休む暮らしだった。
もっとも、あの場所は時間観念すら曖昧だったが。
「コウの世界では、そういう知識は当たり前だったんですか?」
「そうだな……少なくとも俺の住んでいた地域では常識だ」
夏に日が長く、冬に短い。季節によって太陽が昇る方角が少しずつ変化し、日照時間が変化する。太陽の角度が変わることが季節の移り変わりの原因であるといったことは、義務教育の範囲内だったはずだ。
この世界が惑星で、地軸の傾きがあるというところまで同じなのかはわからないが。
「すごいですね……」
「俺の場合だと、ああ、ええと、まあ段階的に学校は変わるが、合計十二年も勉強してたからな。こっちに来る直前までずっとだ」
「十二年!? え、コウって……何歳でしたっけ」
「十八……ただ、そろそろ十九かもな」
「じゃあ、六歳の頃から?」
「ああ。正確には、俺のいた地域は七歳になる年になると、学校に入る決まりなんだ。それは、俺みたいに親がいない子でも関係なくな。で、たいていの人は高等教育を受ける学校まで行くから、十二年。まあ俺はそこから、さらに上の学校に入る予定だったので、さらに追加で四年勉強する予定だった」
エルフィナが指折り何かを数えてる。
「じゃあ、二十二歳まで勉強ばかり?」
「ばかりってことはないが……そうだな。その後仕事を始めるのが一般的だった」
「森妖精の私ならともかく、人間の寿命で二十二歳でまだ一人前じゃないってことですよね……もしかしてコウの世界って、人間の寿命長いのですか?」
「どうだろうな……この世界とそう変わらないとは思うが。長生きする人は、百十歳以上とかも聞いたことはあるが、だいたい八十から九十位だと思う」
「ちょっと長い気はしますが……そう変わらないですね。でも、それだけ長く勉強してられる社会だったってことですか」
ああ、そういうことか、と改めてコウは思い直した。
そもそも、二十二歳になるまで勉強だけして生活できるほど、この世界は甘くない。
何の仕事をするにせよ、子供だって重要な労働力だ。
実際子供の教育は神殿が行っているが、それとて最低限の読み書きと四則演算程度。コウからすれば小学校一年生程度の勉強を、数年かけて行う。
理の学びと呼ばれ、理曜日に神殿で行う教室だ。
ただこれとて、神殿がある街でしか行われず、子供も毎回来るわけではない。
貴族であれば高等教育を行う学校もあるが、それは限られた人間――貴族以外にも門戸は開いているらしいが――だけのものだ。
ほとんどは、日本でいえば小学生が終わる頃には、もう大人として扱われる。
実際、この国の成人年齢は十四歳。
ラクティがその年齢で公爵位を継承したのも、成人と認められる年齢だったからだ。
彼女の場合は唯一の後継者だったので継承を急ぐ必要があったし、前に聞いた限りでは貴族や裕福な商人の場合、日本の高校生くらいの年齢までは学問に従事してることもあるらしい。
とはいえ、やはり日本は平和で恵まれた社会だったのだと、改めて思わされる。
「確かにそうかもな。実際俺のいた地域は、ホントに平和な地域だったしな」
コウは五人も人を殺してきているが、おそらく普通の人が殺人を犯すことなど、まず一生ないだろう。
それだけ平和な世界が、あの日本だった。
「なんかコウが不思議なところ、分かった気がします。コウって、この世界の常識はないのに、この世界と前の世界が似たところだと、それがどんなに難しいことでも、すぐに理解してしまうんでしょうね」
言われてみれば確かにそうかもしれない。
地形やそれに影響を受ける環境など、前の世界の漠然とした知識は、ほぼこの世界でも同じように適用できる。
法術や精霊の存在を除けば、前の世界とこの世界はそう大きく変わるところはない。今のところ、だが。
あとは竜がいたり、魔獣がいたりというくらいか。
「そうかもな……まあ、それでも常識知らずなのは否めないが」
「ですね。時々あまりにも常識を知らなくて驚くくらいです。面白いですけど」
「……それで遊ぶのは程々にしてくれ」
エルフィナの楽しみらしいので止めはしないが、毎回揶揄われると面白くない。
エルフィナはそれを了承したのかどうなのか、クスクスと笑っていたが、ふと思い出したように笑うのをやめると、コウに向き直った。
「そういえばふと気になったのですが、コウ、さっきそろそろ十九歳と言ってましたが、誕生日が分からないのですか?」
「ああ、いや。俺の誕生日は、八月三十一日。この世界に存在しない日なんだ」
「……び、微妙ですね。でもそれなら、もうすぐと言えるのでは?」
「そうなんだが……俺がこの世界に来た時、前の世界は三月だったんだが、この世界に来た時、こっちは十月だったんだよ」
「ほえ?」
「月がずれたというか、そもそも一緒になる理由も分からないしな。なので、正直どうしたものか、というところだが……まあこの世界に来てもう半年過ぎてるし、誕生日まで五カ月余りだったから、そろそろ十九歳と言っていいのかな、と思ってな」
するとエルフィナがまた何かを指折り数えていた。
「うん、そのまま月を数えると、コウの誕生日はだいたいこっちの三月末頃、というあたりですね。そういえば、前の世界でも月とかはあったんですか」
「あったな。あと一年が十二カ月というのも同じだ。ただ、毎月同じ日数とは限らなくてな。二月は二十八日だったり二十九日だったりするし、三十一日ある月と三十日しかない月がある。一年の日数も少し違って、三百六十五日だったり、四年に一回一日多かったり」
エルフィナが大混乱していた。
「よ、よくそれで暦と言えますね……そんな法則がない状態で」
「言われてみたらそうかもだな……慣れてしまってるから違和感すらなかったが」
ただ実際のところ、暦とは天体運行のリズムを法則にあてはめたものだから、そう都合よくなるはずがない。
だがこの世界は月齢や一年は都合よく揃っていることになる。
やはりそもそも一年や一日がある理由が、地球とは異なるのか。
もっとも地球よりはるかに誤差の少ない天体運行で都合よくなっているという可能性もある。あるいは数千年、数万年単位だと調整が行われるのか。少なくとも百年単位では今の暦で正確に年月を計測出来ているのは確かだ。
そこまで考えて、ふと別のことが気になった。
「そういえば、エルフィナの誕生日はいつなんだ?」
「私ですか? 二月一日です。……今年は、捕まってる間に過ぎてましたね」
コウがエルフィナを助けたのは三月頭。
エルフィナが捕まっていたのは、一月半ば頃かららしいので、誕生日はあの小さな部屋に閉じ込められていたという事になる。
「すまん」
「ああ、別に気にしないでください。人間は生誕日を祝う風習があると聞いてますが、森妖精はそういうのはあまりありません。毎年祝ってたら大変です。節目で祝うことはありますが、それもあまり。なんなら誕生日に寝てたなんてことだって珍しくないですから」
相変わらず独特の生態だ。
とはいえ、それでもあの時期のことはエルフィナにとっては辛い記憶であるのは間違いないだろう。
本人は自覚がないだろうが、その美しい顔に少しだけ翳がさしているようにも見える。
ふと。
次の誕生日は話の通りなら、百五十五歳。少しキリがいいだろうから、ちゃんと祝ってあげようと。
漠然と、そんなことをコウは考えていた。
なんとなく書いたお話。
地球との違いと似てるところを少し書いておこうかと思いまして。




