第51話 少女たちの夜
「すごい勇気だと思います」
コウの部屋を出て、自室に戻ったラクティに声をかけたのは、エルフィナだった。
この二人は、ラクティの希望で部屋を同じにしてもらっていたのだ。
ちなみにメリナは別室で、今はもう寝ているはずだ。
「それだけ苦しくなると分かっていても、踏み出せるというのは」
ラクティの顔は、コウの部屋を出た時の笑顔ではなく、コウの前で泣いた時以上に、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「分かっては……いたんです。絶対あの方は応えてくれないって。でも私は、私の気持ちをもう止められなかった……このままお別れなんてできなかった」
泣き崩れるラクティを、エルフィナは支えるように寝台に導いた。
ラクティはぼそぼそと、告白の顛末をエルフィナに話す。
エルフィナは、ただそれを聞いていた。
すべてを話し終えたラクティは、まだ頬を流れていた涙を拭うと、顔を上げてエルフィナに向き直る。
「貴女が羨ましい。コウ様と共に行くだけの力を持ち、コウ様と共に行くことが出来るだけの自由がある。それが本当に羨ましくて……妬ましく思っている自分に、本当に嫌気がさします」
「私は……ただの仲間ですから」
その言葉に、ラクティはゆっくりと首を横に振る。
「いいえ。貴女も、コウ様の……お兄ちゃんのことが好きです。それは、分かります。いえ、私だから分かるんです」
「私にそんな気持ちは……」
「ありますよ。同じ方を好きになってる女性のことを見抜けない女性はいません……とまでは言いませんが、私は分かります。そしてお兄ちゃんも、貴女を、少なくともとても信頼し、大切に思ってらっしゃいます。それは、私のように『妹』としてではなく、です」
「そう……なんでしょうか」
エルフィナはラクティの言葉に、全ては納得できなかった。
コウに信頼されているとは思う。
そしてエルフィナも、コウをこの上なく信頼している。
あの、絶望的な状況から救ってくれた恩人。
確かに、あまりにも敵に対して容赦なく、恐ろしいとも思えることがある。
ただそれは、彼の他者を思いやる気持ちが根底にあるというのは分かっていた。
その本当の理由がわかった時、その考えが正しかったと確信できて、彼をより理解できるようになった、と思っている。
両親と並んで、世界で一番信頼している人だと断言できる。
お互い、あまりにも特殊な力を持っているという、ある種の共通認識もあって、コウのいる場所こそが自分が立つべき場所だ、と思えるほどだ。
この思いは、助けられた直後から変わっていない。
だから無理やりに彼に同行したし、この先も一緒に行くのは当然だと思っていた。
では、これが異性に対する好意かといわれると、エルフィナには分からない。
そもそも、確かに実年齢ではコウやラクティより遥かに上だが、エルフィナもまだまだ若輩。
人間に換算するなら、ラクティとほとんど変わらない程度の年齢である。
そうでなくても、森妖精は感情の起伏が小さいとされている。
ラクティが強い思いでコウに告白したことは分かるが、それほどに強い、泣き崩れるほど強い感情が自分にあるのかといわれたら、少なくとも今はない。
そもそもそんな強い感情を自分が持つこと自体、想像できない。
「私には……よくわかりません」
「わからないなら、これから分かればいいんです。大丈夫。誰もが初めてする恋は、本当に何も分からないんですから。これでもまあ、私は王都で色々見てきたのでそれなりに経験はあったんですけどね」
「そうなんです?」
「……ごめんなさい、嘘です。私も……初恋でした。まあ、友人たちの恋の応援とかはしてたので、なんとなく知ってるつもりになってはいましたが……本当につもり、でしたね」
ラクティが通っていた王都の学校は、上流階級が多く通う名門校だった。
当然、他の公爵家を含め、有力貴族の子女も多く、王族すら通っていた。
そういう環境では、良くも悪くも貴族同士の恋愛が盛り上がる。
アルガンド王国の場合、恋愛すら正面から当たれ、などという人もいるくらい――考えてみたら結局自分もそうしてしまっていたわけだが――なので、隠すような人もあまりいなくて、学校でもそういう話題には事欠かなかった。
そういう意味においては、ラクティもやはり経験豊かとはいえないまでも、何も知らないというほどではないと言える。
ただ、周囲に比べるとやや年下だったのもあり、ラクティ本人にはそういう話は全くなかったので、自分自身が体験することはなかったのだ。
しかし実際に好きになると、文字通りの意味で、知ってるだけだったと思い知らされた。
これが絶対に実らない恋だと気付いたのは、いつだったが。
命を懸けて守ってくれたから惹かれただけだと自分を誤魔化そうともしたが、誤魔化そうとしている時点でそれは無理な話だった。
そしてコウを見ていて、彼が自分を、少なくともそういう対象とは全く見てくれていないという事に気付いてしまった。
彼が冒険者となって屋敷を出てからは、会う頻度は大幅に減ってしまったが、たまに会う時のコウを見て、それが少しずつ確信に近付いていく。
完全に確信できたのは、コウの過去の話を聞いた時。
彼に話した通り、あれでようやく、すべてに合点がいったのだ。
その一方で、コウがエルフィナを見る目は、少なくとも自分の様に妹としてではないことも、あの彼の過去を聞いた時に確信できた。
彼が好意を抱いているかは分からない。
ただ、自分のように『家族』ではなく、大事な仲間だと思っているのは間違いない。ならば、これからそれが好意に変わる可能性は十分にある。
目の前にいる森妖精の少女をあらためて見る。
初めて会った時から、本当にびっくりするほどきれいだと思った。
ラクティ自身、比較的容姿には恵まれたという自信があったが、この森妖精の少女を前に、それを誇る気には到底なれない。
この少女を見て心惹かれない人は、男女問わずいないのではないかと思えるほどだ。
そしてラクティは、彼女と幾度か話しているうちに、少なくともエルフィナがコウに対して好意を持ってるのは確信している。これには絶対の自信がある。
まだ恋にすら届いていない好意。
それをまだ自覚できていないエルフィナが、ラクティにはとても愛おしく思える。
「エルフィナさんって、なんか妹みたいです。いっそ、妹認定してもいいですか?」
「え? 妹……ですか。さすがに……年齢的には私がお姉さんでは」
「いいんです。私の方が先に恋をしたのですから、私がお姉さんです。で、妹が私の素敵なお兄ちゃんへの恋心をまだ自覚もしてないから、ちゃんと導いてあげないといけないんです」
エルフィナの頭に疑問符が舞い踊る。
その理屈だと、エルフィナにとってもコウは兄になってしまうはずだが。
「細かいことはいいんです。妹としては、素敵なお兄ちゃんに変な人はくっついてほしくない。でも、可愛い妹ならありです」
「え? え? あの、だからそれは……」
「というわけで! 今夜は語り明かしましょう。お兄ちゃんの素敵なところを、たくさん教え合うのです。まずは私を『お姉ちゃん』と呼ぶのですっ。あ、『お姉様』でもいいですよ。とにかく、今夜は寝かせませんよっ」
どうもラクティが変な方向に走り出してしまったらしい。
ただ、ラクティが落ち込んでいるよりはいいと思えたし、エルフィナも、自分の知らないコウの話を聞くのは、悪くないと思えた。
結果。
翌朝、眠そうにあくびをかみ殺している少女が二人、生産されることになった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「では、王都での再会を楽しみにするとしよう。さらばだ」
ハインリヒはそれだけ言うと、軍勢を率いて、エンベルクを後にした。
来た時と同様、パリウスから転移門で王都に戻るのだ。
コウらも王都を目指すと聞いて、最初ハインリヒは、ならば同行するかと誘ってきたが、アルガンド王国を見て周るためにも普通に陸路を希望し、その申し出は辞退している。
「それではコウ様。私はしばらくお別れとなりますが、どうかお元気で」
少しだけラクティの目が赤いのは、昨日泣いたためだろうか。
ただ、それ以上に最初眠そうにしていたのはどういうことか――なぜかエルフィナも眠そうだった。
確か同室だったから、女の子同士、最後に積もる話でもあったのかもしれない。
ラクティは、形式どおりの挨拶を済ませると、エルフィナに近づき、顔を寄せる。
「エフィちゃん、お兄ちゃんのこと、よろしくね」
「……はい。ラクティさ……お、お姉ちゃんも、頑張ってください」
ラクティがものすごく不満そうな顔をしたので、エルフィナは慌てて言い直した。
昨夜色々とあったのだが、それはコウも知らないことだ。
今のも非常に小さい声なので、コウにはもちろん聞こえていない。
ラクティは満足そうに頷くと、コウに向き直った。
「では、失礼します。お兄ちゃんも頑張ってね♪」
コウとエルフィナ以外には聞こえないような、しかし弾んだ声でさらりと言うと、 コウが訂正させる間もなく、ラクティは馬車に乗り込んでいた。
そして、軍列が去っていく。
後には、やや呆然とした様子のコウとエルフィナ、それにエンベルクの残留部隊と、アルフィンがいた。
「お二人は王都でしたね。本当にお世話になりました。特にコウ殿には、自分の実力不足を思い知らされました」
そういうと、アルフィンは手を差し出した。それに応えて、コウもその手を握り返す。
「こちらこそ、貴女の調査があればこそ、これほどに早い解決に繋がったと思う。感謝する」
アルフィンはそれに笑顔で答え、それから、なぜか微妙な表情になっていたエルフィナにとも握手する。
「エルフィナ殿も、お元気で。また再会する時には、成長した私をお見せできるよう、力を磨いておきます」
「そう気負わなくても、貴女も十分に素晴らしい力の持ち主だと思います。正直、コウを基準にしたら色々おかしくなりますから」
「それはそうかもしれないが、実際に目の当たりにしたのだ。その一端だけでも届くように、頑張ってみますよ」
アルフィンへの挨拶を最後に、コウとエルフィナも、歩き出した。
目指すはアルガンド王国の王都、アルガス。
彼らの旅は、新たな道を進み始めた。
第三章終わり。
パリウス編終わりとも。
次話はおなじみ解説資料ですので読み飛ばしても問題ないです。
第四章は王都編となりますが、その前に王都までの道のりの間章が入ります。




