第48話 これからの道
「あまり面白くない、というより聞いていて不愉快になる話だったとは思うが……」
話し終えたコウは、一息つくようにお茶をすすった。
いつの間にか日は地平の下に沈んだようで、空の主役は星々になりつつある。
少しだけ冷めたお茶は、だがそれでも僅かな芳香を残しており、少しだけ気分を和ませてくれた。
「親殺し。それが俺だ。多分……あの時に俺の中でどこか壊れたのだとは思う。未だに『アレ』を殺したことに罪悪感はな……おい、どうした?」
ラクティも、そしてエルフィナもメリナも、目に涙を浮かべていた。
「いえ、大丈夫です。ただ、悲しくて。私は、その、家族というのは無条件で愛してくれる、という風に思って、でもそんな現実があって、そのことが……コウ様のことが悲しくて……」
「そうは言っても、ラクティだって叔父から殺意を向けられただろう」
「叔父は……そうですが、でも、父も、覚えてはいませんがきっと母も、私を慈しんで、愛してくださったことは確かです。でも、コウ様は……」
「私も、両親には愛されていると……今も思ってます。親が子に愛情をくれないというのは……ちょっと私にも想像が出来なくて」
もっとも、親といっても血の繋がりのない他人だった。
今ならわかるが、あの殺した両親からしても、コウの扱いは本当に困っただろうと思う。自分の子ではなかったのだから。
ただそれでも。
間違いなく自分たちの子だったはずの妹をあのように死なせたことは、やはり許しがたいし、彼らを殺しておくべきだったという気持ちは、今も変わらない。
「ありがとう、ラクティ、エルフィナ。まあ、どちらも本当の親じゃなかったし、それに、俺はそれほど不幸だとは思ってない。妹を守れなかったことは……今でも悔やまれるが。でも、じぃさんのおかげで、結構まともな人間になれたとは思ってるんだ」
実際、橘老に引き取られるまでを思い出すと、自分でもちょっとどうかと思う。
自分や周囲を攻撃する相手を無条件で排除しようとする、異常なほど警戒心の強い少年。周囲が敵かも知れないと、いつも考えていたようにも思える。
誰がそんな存在が近くにいていいと思うだろうか。
「コウが立場や力が弱い人が虐げられている時に、その相手に対して攻撃的になるのは、その過去が理由なんですね」
「否定はしない。そこまで酷いと思ってなかったんだが……」
「隣にいて怖くなるくらいには、そういう傾向強かったですよ」
ラクティに比べると、エルフィナは容赦がない。
だが、そのくらいずけずけ言ってくれる方が、今のコウには心地よかった。
自分自身、もうそれほど引きずってないつもりでも、一気に話したらそれなりに気が重くなっていたのだ。
「でも、理由が分かったら……そうですね。私にとってはそれはむしろ好ましいとも思えます。それにしても、コウの剣技や格闘術は、そのタチバナという方から?」
「ああ。今にして思えば、じぃさんに使うなと言われた理由はよくわかる。どの技一つとっても、人を壊すことに特化してたからな……」
彼が、コウがこのような世界に迷い込むことを知っていたはずはないが、彼の教えてくれた剣術や格闘術のおかげでこの世界を生き延びることができたのは、間違いない事実だ。最初の黒竜にしても、刀がなければどうにもならなかっただろう。
そもそもなぜこのような武術を彼が修めていたのか、今となっては知りようもないが、そのおかげでここまで生き延びれたことには感謝しかない。
もっとも、『人に使うな』という戒めは完全に破ってしまっているが、さすがにこの世界を見たら、橘老もそこまでは言わないとは思う。
「ずいぶん強いとは思いましたが……元からですか」
「ああ、そうだな。多分、そういう技術が、俺のいた世界の方が洗練されているのだとは思う。この世界は法術があるから、あまりそちらが発展しなかったのかと思うし」
エルフィナは何かを思い出すように、その形のいい顎に細い指を添え、視線を上に向ける。
「そうですね。単に剣などの武器の扱いだと、むしろ妖精族の方が優れてることが多いとはよく聞きますし。弓は言わずもがな、ですが」
「……そうなのか?」
それはやや意外だったので、コウはラクティに問いかけてみる。
「そうですね……学院でも剣術に優れた方はいましたが、元をたどれば妖精族の剣術だと言ってたかと。だったわよね、メリナ」
「そうですね。元々妖精族は寿命が人間より……森妖精は別格としても、他もやや長い分、長く研鑽を積んだり、技術などを継承していることが多いのです。ただ、法術がありますから、法術と組み合わせての戦いの技術は発達してます。冒険者であっても複数人で組む理由は、やはり戦いになった際に法術の支援があるとないではまるで違うからだと聞きますし」
誰もが魔法めいた力である法術を使えるがゆえに、それとの組み合わせが重視され、戦いの技術それ自体は磨かれてこなかったという事か。
するとむしろ、法術に適性がある妖精族の方が武術が発達したというのも不思議にはなってくるが。
「ああ、それは簡単です。コウ、法印具ってどこで手に入りますか?」
「法術ギルド……ああ、なるほど、外に出ないと、妖精族は持ってないのか」
「そういう事です。もちろん全くないわけじゃなくて、昔外に行った人が持ち帰った法印具が今も保管されてたりしますが、ごく一部。それ以外にもないわけではないのですけど。森妖精は特に文字への適性が高いとされてますし、それは事実ですが、一方で法術の使い手はそう多くないんです。だから弓や剣の技を磨いたとも言えますね」
エルフィナが見かけによらず剣が達者な理由がよくわかった。
コウの知る地球における創作や伝承などのエルフだと、むしろ魔法めいた力が主体というイメージがあったが、この世界はどちらかというと武器戦闘の方が得意らしい。地球だと鉄製品がダメ、というものすらあった記憶がある。
似ているようでやはり大きく違うらしい。
そして、そういう武術を持ってること自体が、この世界においては個人戦闘においては大きなアドバンテージになるのだろう。
ましてコウの修めている武術は、この世界には存在しないものだ。
「そういえばコウって、身体は元の世界から変化したりしてないんですか?」
「体が以前と……その、前の世界から変わったという感覚はない。強いて言えば……死ににくいかもしれない、という気はするが」
「死ににくい?」
「ああ」
竜と戦った最後の時、およそ百メートルの高さから落下した。一瞬竜に刀を突き立てたとはいえ、それで減少した落下エネルギーなどたかが知れている。
あの高さは日本のビルで言えば三十階くらいから落ちた計算になり、そんな高さからパラシュートもなしに生身で落ちたら、普通、間違いなく即死する。そもそも肉体が千切れてバラバラになっても不思議はない。
だがあの時、地面に転がった時点でもまだ意識があった。
普通に考えてあり得ない。
その後に傷が癒えていたのは、あの竜が何かしてくれたのだろうとは思う。
あるいはあの時に死んで、蘇生された可能性――あれだけの存在ならそれすらあるかもしれない――はあるが、肉体的には何か変わったという気はしない。
あるいはその時にこの世界では異常ともいえる全文字適性という力が備わったのかもしれないが、それはわからない。
これについては考えても答えは出ないだろう。
「その、コウ様はやはり元の世界に……帰りたいのですか?」
「……正直に言うなら、分からない」
自分がこの世界において異物であるのは間違いない。
全文字適性などという、確率的にありえないような存在であることが、逆説的だがこの世界に本来あるべき存在ではないのだと思う。
もっともこれに関しては同レベルで異常ともいえるエルフィナの存在もあるから何とも言えないが。
ただそれでも、やはり本来自分があるべき世界は地球だと思う。
それに、確かに天涯孤独の身ではあるが、かといって未練がないかというとそういうわけではない。
橘老が遺してくれた遺産、それ自体に未練はないが、彼がコウに残そうとしてくれた気持ちだけは、やはり受け継ぎたいと思う。
彼がコウの将来を願って、残り少なかった人生すべてをかけてコウをいわば真人間にしてくれたのだ。彼が遺してくれた道標を無駄にはしたくないという気持ちはある。
そしてそれは、日本で達成すべきことだろう。
かといって、日本に戻ったところで、親を殺し、正当防衛とはいえ他に三人も殺してきた人間であることは事実だ。
この世界で殺してきた人間を数える気はないが、日本での殺人はやはり本来は殺すべきではなかったと、少なくとも他者は思うはずだ。
普通の人間は簡単に人を殺せない。だが、コウは今も日本に戻っても、本当に必要だと思ったら、おそらく躊躇いなく殺すか、少なくとも再起不能になるくらいのことは確実にやる自覚がある。
そんな社会の異常者が、今更日本に帰ってどうするのかという想いもまた、コウの中にあるのは否定できなかった。
どういう形であれ、必要だと思ったら、人を殺すことそれ自体に一切の躊躇がない自分は、日本にいるべき存在ではないだろう。
そして、コウにとってこの世界が居心地がいいのは事実だ。
人殺しを許容できるから、というわけではない。
ただ、日本よりもより自分らしくいられる、そんな場所になりつつある。
日本よりこの世界の方が、別れがたい人が多くいるのは事実だ。
戻るべき理由と、戻りたいと思う気持ち。
戻るべきではない理由と、戻りたくないと思う気持ち。
そのどれもが、コウの中にある。
いまどちらかを選ぶことはできない。
「ただ、戻るための手段は、探すべきだと思ってる」
どちらの道を選ぶにせよ、選択肢を用意できなければ意味がない。
だから、そのために日本に戻る方法は探すべきだというのが、今のコウの結論だった。
「……わかりました。だからコウ様は、王都に向かわれるのですものね」
「ああ。ラクティには本当に世話になった。いつか……あるいは元の世界に戻るにしても、必ずラクティにはもう一度会いに来るよ」
「はい。約束ですよ」
「その時は私も同席させてください、ラクティ様」
「ええ、もちろんよ、メリナ」
それからコウはエルフィナに向き合った。
「エルフィナ。今話した通り、俺はこんな人間だ。それに、王都に行くのは全て俺の都合でもある。エルフィナが付き合う理由はない。別にここで……」
「話す前に前置きし忘れましたが、今更貴方がどんな人間だろうと、私は貴方に助けてもらった。その事実は変わりませんし、少なくとも、私は今の貴方を信頼しています。だから、別れる理由はありません」
きっぱりと言い切ってから、エルフィナは少し茶化すような口調になる。
「まあ、前の世界で女性を何人も侍らせて淫蕩極まる生活をしていたとか言ったら、さすがに考えたかもしれませんが」
コウは盛大に咳き込み、ラクティは我慢できずにお茶を噴き出していた。




