第45話 内乱終結
オルスベールは酷く苛立っていた。
彼の思惑通りであれば、今頃は『顧客』から多くの援軍が着いているはずだ。
あるいはマラユも、上手く領主軍を撃退出来れば戻ってきて、領主軍を挟撃し一気に決着をつけるという未来図すらあり得ると思っていた。
マラユの軍は百人と少ないとはいえ、あの地形ならばマラユ一人で千の軍にも匹敵する。
無理やり集められた雑兵ごとき、一瞬で蹴散らしてくれると期待していた。
しかし現状、援軍はただの一人も来ず、マラユが戻ってくる気配もない。
それどころか、ドパルから定期報告すら来ない。
今も激戦が繰り広げられていて、それどこではないという事か。
人数が少ない分、長期戦になればドパル陥落のリスクもある。
そうなれば身の破滅だ。
かといってさらなる援軍はもはや難しい。
いくら雑兵と思われるとはいえ、領主軍と目視可能な距離でにらみ合っている以上、追加で軍を出したら当然攻撃されるだろう。
それに、迂闊にドパルに兵を入れるわけにいかないので、やはり援軍は出せない。
あるいはここで用兵に長けた者がいれば、囮部隊を出して領主軍の注意をそちらに引き寄せ、領主軍が動いたところの側背を突く、という献策をしたかもしれない。
兵の練度が違うという前提条件があれば、一気に片をつけられる可能性もある。
だが残念ながら、オルスベールの部下には用兵に長けた者はいなかった。
雇われた傭兵も指揮官としての経験を持つ者はほぼいなかった――というよりパリウスが平和だったのでそんな経験を持つ者はほぼいない――ため、そのような策は出てこなかったのである。
結果オルスベールは砦に籠ったまま、ただ時間だけが過ぎて行った。
兵の数なら八千と一万。兵の練度を考えれば圧倒できる可能性もあるとはいえ、待てばより確実な勝利がもたらされるはずである以上、そこは待つべきだとオルスベールは考えていたのだ。
「くそっ。一体どうなっているんだ……なぜ援軍は来ない」
長期の籠城戦を行うことは想定しておらず、蓄えはどうだったかと考えているところに、侍従が慌てふためいて駆け込んできた。
それを見て、オルスベールはようやく自分が待ち望んだ報告が来たと考え、内心歓喜する。
だがその侍従からの報告は、オルスベールがまるで想像もしなかった内容だった。
「王弟殿下が、勅使として開門を求めてきております!」
最初、字面だけがオルスベールの意識の上を滑って行く。
その内容を理解するのに、オルスベールはかなりの時間を必要とした。
王弟殿下、それに勅使。
今聞くはずのない単語だ。
ややあってようやく意味が繋がると、今度は頭が真っ白になった。
なぜ領内の争いに王家が出てくるのか。
アルガンド王国では、公爵同士の争いでもない限り、通常王家が内乱に出てくることはありえないはずだ。
だが、『勅使』となってる以上、無視はできない。
勅使は、国王そのものの意思に等しい。
無視することは、国への叛逆を意味する。
ましてあの王国軍元帥でもある王弟、ハインリヒである。
いくらオルスベールでも、国に叛旗を翻すつもりはなかった。
「す、すぐに出る。城門を開き、殿下を迎え入れよ」
一体何ゆえの勅使か。
とにかく出迎えねばならない、と城門へ急ぐ。
オルスベールは、この時でもまだ自らの成功を信じていた。
だが、城門をくぐったところにいるハインリヒの言葉は、オルスベールの計画の全てが完全に失敗し、己の命運が断たれたことを宣告する内容だった。
「勅使ハインリヒが、エンベルク伯爵たるコーカル家当主、オルスベールに告げる。貴殿が、王国が禁忌と定めた奴隷を扱い、不当な利益を得ていたこと、既に明白となっている。本来領内の争いに王家は関与しないが、伯爵の重大な背信行為は、王家として看過できるものではない。直ちに武装を解き、裁きを受けるがいい」
周囲が一瞬でざわついた。
オルスベールにとってもっとも知られてはならないことが、突然暴露されたのである。
奴隷のことを知ってるのは、オルスベールの部下の中でもごく一部。
そのほとんどはドパルにいた者か、マラユと共に派遣した者のみ。つまり彼はまだ知らぬことだが、すでに一人を除いて全ていなくなっている。
それ以外は、オルスベールの正当性を信じて仕えてきた者たちだ。
だが、今勅使であるハインリヒが告げた言葉は、オルスベールの正当性を完全に否定するものだった。
ガランガラン、と周囲の兵が武器を捨てた。
オルスベールは呆然とハインリヒを見上げている。
王家とて、打ち倒すことで実力を示せば、取って代わることは可能というのがこのアルガンド王国の気風だ。
だが、それには自らが恥じ入るところがない、正々堂々とした戦いでなければならない。
それが、あろうことか奴隷を扱っていたというのは、エンベルクの兵のほとんどにとっては、戦いを放棄するのに十分すぎる理由だったのである。
かくしてエンベルクの叛乱は、結局一度も刃を交えることなく終了した。
戦死者は、公式にはドパルにいた兵士のみ。
文字通り『消滅』してしまったマラユら百名は、行方不明とされた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「奴隷が関わったとたんこれか。やや極端な感じは否めないが……」
地球でも奴隷がいた時代はある。
だが、奴隷が解放されてもその影響は強く残り続け、二百年以上経過した時代でもなお、差別意識などは色濃く残っていたものだ。
それが、僅か十年前に禁止されたからといって、ここまで意識がすぐに変わるのは、驚かざるを得ない。
もっとも、地球の場合は奴隷イコール黒人という差別につながっていたが、この世界の奴隷は人種的な偏りがない。見た目の差別は起きないのだろう。特に、奴隷に焼き印を押す、といった風習もなかったらしい。
ただ、出身地による差別などは日本ですら昔はあったというから、差別意識というのはそう簡単になくなるものでもないと思うのだが。
「他国はともかく、アルガンド王国は元々奴隷は少なかったというか、ほとんどいなかったからな。犯罪を犯した場合にその刑罰としての犯罪奴隷の制度はあったが、通常の奴隷はほとんどおらず、気風的に嫌う傾向にある。オルスベールはどうやら昔から扱っていたようだが、それも秘匿してのことだろう。相当巧妙に隠されていたので、よく気付いたと思うが……」
「それに関しては、私ではなく父の手柄でもあるといえます」
コウの独り言を拾ったハインリヒの言葉を、ラクティがつなぐ。
「父は、十年前に奴隷制度の完全禁止を受けて、国内で僅かに残っていた犯罪奴隷についての扱いの見直しをする中で、エンベルクが怪しいと睨んでいたようです。僅かですが、その資料も残っていました。また……その秘匿に、叔父のアウグストが関わっていたようです」
「まさか、それは……」
コウの言葉に、ラクティは少し残念そうに頷く。
十年前というと、ラクティの父が死んだ時だ。
奴隷制度廃止決定と同時期の死。奴隷制度を秘匿していたアウグスト。
それはつまり――。
「当時から可能性は噂されていたようですが、おそらく父は叔父に殺されたのでしょう。無論、それと分からぬような方法で」
「王国でも当時からその疑惑はあった。それほどに不自然な死だったからな。だが、確たる証拠もなく、また、遺児であるラクティ殿に対する対応は正当なものだったので、静観せざるを得なかった」
「当然の対応だと思います。それに、叔父は少なくとも十年前、父を喪った私をとても慈しんでくれたのは確かでした。公爵位も次は私だと宣言して自身の継承権を放棄、代理に収まった。まあそれらは結局、自分に嫌疑が向かないための手段だったのでしょうが……」
ラクティが悔しそうに俯く。
だが、ラクティは当時四歳。大人のそんな裏面をうかがい知ることなど、到底できる年齢ではない。
「それに私が育つのに最も良いだろうと、王都の学院へ入るようにしてくれたのも叔父です。そのおかげで、私は王都で学ぶ機会を得ました。今思い返しても、それはとても貴重な経験でした」
その優しい叔父の記憶があったからこそ、彼に命を狙われているという事実を、最初は考えもしなかったのだ。
ラクティが、少し懐かしむような顔になるが、すぐに頭を振って表情を引き締め、ハインリヒに向き直った。
「殿下。この度は我が領の争いに王家のお力をお貸しいただき、ありがとうございます。全てはネイハ家の力の不足が原因ではございますが、何卒、この始末は我らで付けさせていただきたく、お願い申し上げます」
「無論だ。我らはあくまで貴殿に協力しただけのことだ」
そういうと、ハインリヒもまたラクティに正面から向き合った。
「パリウス公爵たるネイハ家当主ラクティ殿。貴殿は、領主就任からごく僅かな期間で、これだけの膿を出し切ることを成した。それは貴殿がパリウス公爵に相応しいことを、何よりも如実に証明するものだ。王家は、パリウスに有能なる領主がいることを誇りに思う。今後とも、アルガンド王国の一翼として、力を尽くしてくれることを願う」
そういうと、ハインリヒはラクティに手を差し出す。
ラクティはその手を握り返した。
こうして、エンベルクの争乱は終わりを告げたのである。




