第44話 ラクティの戦い
コウらが戻った時点で、領主軍とエンベルク軍はまだにらみ合いを続けたままで、戦端は開かれていなかった。もっとも、これは予想通りではある。
オルスベールが立て籠もるのはエンベルクから五キロほど東にある砦。
エンベルク防衛の要であり、そこに八千ほどの兵で立て籠もっている。
その手前、二キロほどの距離まで領主軍は迫っていたが、そこで布陣し、未だに動いてはいない。
オルスベールは、他の地域の『顧客』らに支援を依頼していた。
彼らからしても、『顧客』だったことが明るみに出ることは、身の破滅を意味する。
直接兵を送ることは難しい者も多いだろうが、傭兵を雇うなどして、支援をさせる手はずだった。
オルスベールはすでに『現領主はパリウス領主に相応しくない』と宣言し、自らが領主になる、ということを内外に示している。
領内の叛乱ということになれば、国はその戦乱が長期にわたらない限りは介入することはない。
援軍が到着し次第、領主軍を打ち破って支配権を確立してしまえばいい。
そうすれば、次期パリウス公爵は自分となる。
パリウス公爵ともなれば、奴隷取引を隠すなど、容易なことだ。
領主軍が予想より遥かに多かったとはいえ、援軍を約束してくれた『顧客』からの援軍が到着すれば、彼我の戦力差はほぼなくなる見込みだ。
ついこの間まで学生だった、政も戦も知らぬ小娘と、短期間で無理やり集めた雑兵に負ける道理など、あるはずはない。
ドパルに送られた二千の兵も、マラユに任せておけばまず大丈夫だ。
彼に必要なのは、援軍が到着するまでの時間。
それも、さほど長い時間ではない。
せいぜいあと二日から五日程度。それだけ待てば、彼の勝利は確実となる。
その、はずだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
だがラクティは、オルスベールが思うような何も知らない小娘ではなかった。
ラクティは領主に就任してすぐ、アウグストの元で腐敗した行政組織、軍を解体。
必要な人材には残ってもらいつつ、不足したところは、アウグストの元から去った、かつてパリウスを支えた人々を探し出し、一人一人説得。新公爵に協力してくれる人を多く招き入れ、新体制を半月も経ずに構築している。
軍の再編成もその一環である。
かつての将軍などはもう老齢で現場復帰は叶わない者もいたが、それでも多くがラクティに協力してくれた。
ラクティの言葉に前領主である父の面影を見たという者もいた。
そしてどうにか軍を再編したのが四月頭。数は本来あるべき常備軍の三割程度。
ただしこの軍はオルスベールが言うような弱兵ではない。
この十年、在野に下っていたかつてのパリウスを支えた武人たちが、未来を信じて鍛え上げていた兵たちであり、後のパリウス軍の中枢を担うべき精鋭たちだ。
それと別に領主就任直後にすぐ手を付けたのが、領内の情報集め。
このためにラクティは、真っ先に情報収集専門の部隊を新設している。人材の大半はラクティ自らが選定した。一部、冒険者ギルドにも――コウ以外だが――協力してもらっている。
それらが集めた情報と過去の記録を分析し、ラクティはパリウス領の全領地の状況を把握、その中で特にエンベルクが最も危険な状態にあると判断した。
アウグストの元部下の中で、彼のいわば裏の顔に関わっていたと思われる者達をわざと泳がせた結果、そのほとんどがエンベルクへ向かったことも、エンベルクを注視する理由になっている。
そしてラクティは、エンベルク領内で何かしらの犯罪行為が行われていることを確信。それに関係する領主または関係者が多く、内乱となると、最悪の場合はかなり大きな戦いになりえることを正確に把握していたのだ。
そして、エンベルクの内情と自分の状況を見て、公爵として今動かせる軍では不足と考え、王家にも最初から根回しをしていた。
さらにラクティは自らすら囮にして、オルスベールが蜂起せざるを得ない形を作りだした。アウグストの処刑も、その一環でしかない。
そしてコウからドパルについての情報がもたらされた後、ラクティは直ちにあらゆる資料から状況的な証拠となりうるものを添えて、国へ報告。
事態を重く見た国はラクティの提案を受諾し、転移門の起動、および軍の派遣の実施を決定する。この速度も驚異的なものだった。
いくら常備軍があるとはいえ、王国は要請されたそのわずか二日後に、王都から転移門を使って一万二千もの兵を派遣している。
事前に準備していなければ不可能な規模だ。
さらにラクティは、パリウスの領都周辺に徹底した情報統制を行い、王国軍が派兵された事実を徹底的に秘匿し、あくまで、自分自身がエンベルクの叛乱鎮圧のために急ぎ兵を集めた、という虚報を流した。
同時に、事前に把握していた叔父が領主代行をやっていた期間の要人らの通行記録から、『顧客』と思われる人々に対し、エンベルク伯爵による重大な犯罪行為が発覚したため、その討伐が行われること。
その犯罪にて責任を負うべきはエンベルク伯爵のみであること。
そして、これからエンベルク周辺で起きる争乱に対して、一切の手出しをしないことを『要請する』文書を送りつけた。
文書の送付は、法術ギルドが持つ特殊な文書転送法術を用いている。
これだけのことを、ラクティはコウからドパルの情報をもらって、パリウスを出発するまでの僅か二日でやってのけた。
結果――オルスベールとラクティの双方から書面を受け取った『顧客』らは、決断を迫られることになる。
彼らの道は大きく二つ。
奴隷を取引していた事実が明るみに出るのを防ぐため、新領主ラクティをオルスベールに打倒させるための支援を行うか。
あるいは、オルスベール一人に罪があるというラクティの言葉を信じ、静観を決め込むか。
ただ、結果としてどちらであっても、戦局に影響を与えることはなかった。
ラクティはエンベルク、およびその周辺を、地図にほとんど記載のない道も含め、徹底的に封鎖。それを行ったのは、先に派遣されていた三千の領主軍だ。
そして、エンベルクへ行こうとした傭兵などをことごとく追い返すようにし、結果、オルスベールへの援軍はただの一人としてエンベルク地方に入ることは叶わなかった。
その後、防衛部隊がすでに壊滅し、何の抵抗もなくドパルの制圧を完了した王国軍は、その結果とドパルで行われていたこと――奴隷の密売――を直ちに国に報告。
国王勅使がエンベルク手前に陣を張る領主軍の元に来たのは、コウ達がドパルを事実上壊滅させた、僅か一週間後だった。領都からの移動時間を考えたら、ほとんどタイムラグなどなかったに等しい。
まるで最初から、すべての準備がされていたとしか思えないほどだ。
実際、仮にコウがいなくても、ほとんど同じ状況になっていただろう。
ラクティは結局、戦いが始まる前にこの結果をほぼ確定させていたのだ。
おそらく、コウにこの依頼をするはるか前から。
「すごいですね。ラクティさんの予想を超えたのは、ドパル制圧が順調すぎたくらいですか」
「あれとて、ドパル攻撃軍には、飛行騎獣使いがいたという話もあるからな。それも織り込み済みだったんだろう?」
エルフィナとコウの言葉に、ラクティは少しだけ恥ずかしそうに顔をそらす。
気心の知れた相手に褒められるのは、また違うのだろう。
「さすがに全部ではないですよ。私も、何か明らかに法に触れる行為を行っているとは思っていても、奴隷取引というのは……候補の一つではありましたが、断定できていませんでしたし、ドパルという場所は特定できていなかったんです。ただ、あの辺りになんかありそうだな、くらいで」
この場にいるのはラクティ、メリナ、コウ、エルフィナ、アルフィンの五人と、あとはラクティの護衛の騎士たちだ。
国王勅使がエンベルクに向かうのを見送るところである。
「私が一年以上かけて調べていたことを、二月ちょっとで、それも書類上で特定されるんですから、本当に自信なくします……」
がくりとうなだれるアルフィン。
実際、ラクティは膨大な資料や記録のみで、領都にいながらオルスベールの不正な動きを見抜いたのだから、その能力は驚異的といえる。
「そんなこと言わないでください。いくら私でも、あんな僻地のあんな場所までは特定しきれてませんでした。それは貴女の功績です」
それに、とラクティはコウの方を見る。
「コウ様に最初に依頼した時、本当に万に一つのための護衛としてだけ考えていたんです。でも、貴女がコウ様と協力してドパルの実態の情報をくれたからこそ、王家は即座に動いてくれました。そうでなければ、結構泥沼の戦いだった可能性もあります。あれだけ決定的な情報が手に入るのは、いくら私でも予想できませんでした」
そう言うが、ラクティが最初からこれに近い状態になることを予見していたのは間違いない。でなければ、手持ちの三千の兵を先に派遣して、封鎖にだけ使うなどできないからだ。
ただ、そのラクティにとっても、さすがに奴隷取引はやや予想外だった。
アルガンド王国の貴族として、それだけはやってほしくなかったというのが本音だ。それを秘匿してた叔父にも、心底呆れている。
だからこそ、彼や彼の係累を処刑するのに、何のためらいもなかったとも言えた。
彼の息子やその妻、それに娘――ラクティにとっては従兄姉たち――は奴隷取引については知らなかったらしいが、かといって温情をかける理由はない。奴隷取引は知らずとも、領主継承者暗殺のことを知っていたのは確かだったからだ。
もっとも、息子夫婦の間に生まれたばかりの赤子だけは、さすがに処刑することはできなかった。その子だけは、身元が絶対に分からないようにして、遠く離れた場所に里子に出す予定だ。
無論、公的には処刑したことになっている。
「奴隷取引は、実際このアルガンド王国以外でも、多くの地域で廃止の動きがあり、この点に限っては敵対する国々……我が国とキュペルですらかつて協力したことがあります。逆に、奴隷制度維持を掲げて、それが戦争の理由になってしまったことがありますが。それだけに、この問題は国も大事と見て、あれほどの軍を派遣してくださいました。ただそれでも……」
ラクティは先ほど面会を終え、これからエンベルクへ向かう使者の列に目を向ける。
「国王勅使として、まさか王弟殿下がいらっしゃるとは思いませんでした」
アルガンド王の弟にして、王国軍元帥の称号を持つハインリヒ・エル・アルガンディア。
一見すると三十歳手前くらいの優男に見え、王族ゆえに軍を統括する立場を与えられたと思われがちだ。だが、その戦歴たるや華々しいものであり、血筋ではなく、実力でその地位にいるとされる。
遠目に見ただけだが、コウも相当な実力の持ち主だと感じさせられた。
「それだけ陛下は、本件を重大事と捉えているということだ。パリウス公におかれては、領主就任直後に災難ではあったな」
出立の準備が整ったのだろう。
ハインリヒが、ラクティやコウが雑談していた場所に現れた。
慌てて、供の者が追いすがる。どうやら、メリナと同じような苦労をさせられていそうだ。
「いえ。全ては我がネイハ家の不徳の致すところ。王家の力をお借りせざるを得ないこと、忸怩たる思いです」
「それを言えば、たとえ領邦のこととはいえ、これほどのことを見逃してきた王家にも責はあろう。だが、公爵はこうして見事にこれを暴き、追い詰めた。その手際は見事というしかない」
年齢で言えば倍以上も違うが、ハインリヒのラクティに対する態度は、気安いものに見えて、一定の礼儀を保っている。
ラクティもまた、領主としてハインリヒに対し気後れした様子もない。
普段、どちらかというと親しくしているコウにとっては、ラクティの領主としての面は新鮮さすら感じると同時に、凄いと思わされる。
果たして、自分が同じ立場だったらと考えると、あまり自信がない。
「そして……貴殿がコウ殿か。今回、尽力してくれたとのことだが――ドパルを制した騎士長が、一体どうやったのかと不思議がっていたぞ」
「恐縮です、王弟殿下」
「かしこまるのはなしだ。貴殿は冒険者であろう。ならば、王族だろうと対等であるべきだ」
確かに冒険者はその立場ゆえに、王族であろうと命令に従う必要はない。
アルガンド王国はクロックス公爵もそうだったが、冒険者に対しては常に対等であろうとする気風らしい。とはいえ、公爵であればラクティも同じなのでまだいいが、王族となるとさすがのコウでも少し気後れするのは否めない。
「あのアクレット殿が認めた冒険者だ。今後の活躍も期待させてもらおう。ところで、どうやって二人だけで百もの兵を退けた……いや、違うな。壊滅させたのだ?」
思わずコウはハインリヒの顔を見るが、別に詰問するような感じではなかった。
「そこは……まあ、秘匿させてください」
詳しく言うと、精霊使いであるエルフィナのことも言及しなければならない。
お互い、自分の力の異常性はもう理解しているので、あまり知られるのはいいことではない、と思っている。
「はは……まあいいさ。貴殿が敵にならないことを祈ろう。……さて、ではこのバカ騒ぎを終わらせるとするか」
ハインリヒが馬上の人となる。
二十騎ほどの騎士が彼に続いた。
後に『愚者の暴挙』とも伝えられたパリウスの内乱が、終わろうとしていた。
めっちゃ長いんですが……分割するとこがほぼなかったのですみません。




