第42話 二対百の戦い
マラユ・ケンバレストは、これからの戦いを想像し、少なからず昂っていた。
彼の人生は、最初から闘争ばかりだったわけではない。
かろうじて貴族階級といえる家に生まれた彼は、幼い頃から強力な文字への適性を示し、若くして法術ギルドで学び、頭角を現した。
同世代はもちろん、自分より遥かに先達であっても、彼ほどの術者はほとんどおらず、厳格かつ人格者でもあった父の影響もあって、彼は『人の役に立つ法術』の研究に邁進した。実際それで多くの成果を出していた。
だが、研究を続けていくに従い、彼の中には、常に何か違和感のようなものが芽生え、燻るようになっていた。
それが何であるか分からないまま彼は研究を続け、二十半ばになった頃、事件がおきる。
暴漢に襲われたのだ。それまで研究一筋だった彼にとって、生命の危機を感じたのは初めてのことである。
彼は命からがら法術によってその男を撃退、というよりは殺害した。
無論、それで彼が罪に問われることはなかったが、この時彼の中で何かが変わったのだ。
その時反射的に使用した法術は、得意としていた炎の法術。
それにより暴漢が四肢を焼き尽くされ、苦悶する様を見て――彼は、自分が求めていたものを悟ったのだ。
それが、業炎のマラユの始まり。
その強大な炎の法術で敵対する全てを焼き尽くし、破壊することを喜びとする法術士の誕生だった。
それから二十年あまり。
今回、彼はこれまでで最も困難な状況に赴こうとしていた。
相手は二千人もの兵。対して自分が率いるのはたった百人。
かつて、二個中隊を単独で倒したとされる彼だが、これにはやや誇張がある。
確かに二個中隊を単独で壊滅させはしたが、正面からではない。
さすがにそれでは、術を発動させる前に殺される。
彼は戦場の地形を利用し、また、自分が単独であることを悟らせず、各個撃破したのである。
その時に比べれば、今回敵の数は多いが、味方もいる。
しかも、地形的には極めて自分に有利となる。
炎の法術で、存分に敵を蹂躙する過程を楽しめるだろう。
これほどの軍との戦いとなると、マラユは二十年振りだ。
二千人もの兵が業火にあえぐ姿を想像すると、それだけで自然と笑みが漏れてくる。
「マラユ様」
その想像で悦になっていたところに突然声をかけられ、マラユは不機嫌そうに振り返った。
「なんだ?」
「その、街道の先に、立ち塞がるように立っている者がいるのです」
「は? まさかもう遭遇したのか?」
「いえ、違います。僅か二人、人間と森妖精のようです」
「はあ?」
マラユは馬を進め、軍の前に出る。
彼我の距離は十五メートルほど。
ただその二人の姿に、マラユは驚いて目を見開いた。
「まさか、あの時爆発に巻き込んだはずの二人か!?」
あの時に、標的であったアルフィンという冒険者を抹殺するのに、マラユは効果範囲を絞ったとはいえ、最強クラスの衝撃の法術を用いた。
もっとも得意とする炎の法術にしなかったのは、単に延焼を恐れてだ。
とはいえ至近距離の爆発に等しい衝撃は、人間であれば木っ端微塵できるほどの威力だったはずで、五体満足である可能性は皆無だったはずだ。
だが前に立つ二人は明らかに無傷で、数日前に大怪我を負ったようにはとても見えない。
驚異的な治癒法術が使えるのか、それともあれを無傷でやり過ごせたのか、あるいは直前に逃げていたか。
後の状況を考えれば、逃げていた、というとこだろう。
いくらあの法術でも、肉片一つ残らないのはさすがに奇妙だとは思っていたのだ。
驚異的な反応速度といえるが、あるいは気付かれていたのか。
事前に十分な対策をしていれば、不可能な話ではない。
「驚いたな。あの術で無事だったとは。それで、何の用だ?」
「一つだけ聞きたい。お前たちはこれから向かう場所が、どういう場所か知っているのか?」
若い男の方が、大声で問いかけてくる。
「なるほどな。どうやってかそれを知って、正義感に燃えたというところか? だが、下らんな。奴隷制度は、必要な制度なのだ。あの場所はむしろあるべき存在で、それを禁止する国こそが間違っている。……まあ、言っても国も聞かないから、見て見ぬ振りをしてくれる領主が必要なんだよ」
「お前は、お前自身が奴隷として扱われることを良しとするのか?」
その問いはマラユには予想外で――考える必要もないほど愚かな質問だった。
「するわけがないだろう。奴隷と人は違う。俺は人だ。だから奴隷を、自らの所有物をどう扱おうが、気にする必要などありはしない。実際、術の効果を検証するのに、奴隷は最適だったからな!!」
マラユが狂人とされる理由の一つに、奴隷による人体実験を行っているという噂があった。どうやらそれは事実だったらしい。
「……他も大なり小なり、同じようだな」
マラユと共にいる兵たちの、蔑むような笑いが響いた。
それを見て、若い男――コウは、隣に立つエルフィナに一瞬だけ視線を向ける。
「エルフィナ、遠慮はなしだ。全ての力を使っていい。どうせ目撃者は全員消える」
「……分かりました」
コウの言葉から察するに、生かして帰すつもりはまったくないらしい。
ならば、とエルフィナは何事かを呟く。
それは、人間には聞き取ることさえ困難な、精霊たちの言葉。
そしてその直後に生じた変化は、圧倒的だった。
突然、炎が、風が吹き荒れ、水が逆巻き、大地が隆起する。
突然目の前で生じた変化に、兵たちに動揺が走る。
だが。
「業火、柱となりて全てを焼き尽くせ!!」
さすがに歴戦の法術士だけのことはあり、マラユは一瞬で目の前の相手が卓越した術士であると判断した。
ゆえに自分が使い慣れた法術の中で、最大のものを発動させた。
直径五メートル、高さ十メートルもの業火の円柱を出現させ、敵を焼き尽くす法術だ。
人間はおろか、剣などの装備ですら溶かしきれるほどのすさまじい熱で相手は焼き尽くされ、灰と化す――はずだったのだが。
炎が晴れたとき、そこには変わらず、二人が立っていたのである。
「なっ……」
完全に無傷。直撃したのは間違いない。だとすれば、何かしらの法術で防いだのだろうが、マラユ自身、この術を完全に遮断することができる防御法術など、聞いたことがない。
第一、炎で見えなくなる直前まで、文字の輝きすら見えなかった。
「わぁぁぁぁぁぁ!!」
兵の何人かが、半ば恐慌状態で突然走り出した。
今の術で無傷であったことで、正常な判断ができなくなったらしい。だが、これはチャンスだ。
どういう防御法術を使ったのかは分からないが、あれだけの防御法術を使えば、再び法術を使うためのマナは、すぐには回復しないはずだ。
回復を早めるには意識を集中すればいいが、近接戦闘を行いながらそれができる人間など滅多にいない。
その間により強力な術で――というマラユの思惑は、一瞬で崩された。
先ほど生じた現象が集まると、人の形をとって、近づいてきた兵に攻撃を行ったのだ。
ある者は隆起した大地に挟まれてすり潰され、ある者は不可視の風の刃で一瞬で見えなくなるほどに細切れにされ、ある者は水柱に包まれた直後に凍結、そのまま霧のように消滅した。
そしてマラユが操るより明らかに狂暴な炎が、まとめて数人を蒸発させている。
しかもそれらは、その周囲に浮かぶ存在が自律的に行っているとしか思えない。
「まさか……精霊!?」
自然現象が意思を宿した存在ともされる精霊。第一基幹文字に匹敵する能力を発揮できる存在だが、人前に姿を現すのは稀で、そもそも人を害することは原則ない。
ただごく稀に、妖精族の中に精霊使いが誕生することがあるとは聞いたことがあるが、それでも――。
「複数精霊同時だと!?」
この時マラユは、自分がとんでもない存在と相対している事実を認識した。
精霊使いは、一種であっても第一基幹文字の使い手に匹敵するとされる。
それを複数ということは、第一基幹文字を複数同時に扱える術者、つまりアクレットなどの英雄級を相手にしてるのに等しいのだ。
百人どころか千人連れてきたところで、勝負にならない。
だが直後、彼はさらなる絶望を目にすることになった。
横にいる男――コウが、軽く腕を振る。
そしてその腕の軌跡に、十以上の文字が浮かび上がった。
あれだけの法術を行使しようとすれば、一体どれだけの時間を必要とするのか。
それだけでも驚嘆すべき事実だが、マラユが絶望したのはそこではない。
「第一基幹文字が……」
構築された術式で、一際強く輝くのは、[火][風][闇][理]の四文字。
文字の形なら誰もが知り、そして法術士なら一度は扱うことを夢見る、第一基幹文字たる七文字。
それが同時に、四つ。
それをただ一人の術者が、目の前で顕現させている。
あのアクレットですら三文字。
四文字の第一基幹文字を使った記録があるのは、伝説とされるアクレットの師、《法聖》の二つ名を持つ歴史上最高の大法術士、アルバトス・ウェンリーのみである。
「バカな……お前は一体――」
マラユの言葉はそこで終わった。
マラユが自失しているそのほんの一瞬で、コウは法術の構築を終えていた。
「全てを無と化せ」
彼と彼の部下の存在は文字通りの意味で消滅し、あとには何も残らなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ずいぶんとまた強烈な法術ですね。第一基幹文字を四つとか、やりすぎだと思いますが」
エルフィナが、呆れたように言う。
実際のところ、エルフィナの精霊だけで敵を全滅させることは十分可能だった。
そもそも予定では、一人くらいは生かしておいて情報を引き出す予定だったのだが――。
コウが問答無用で消してしまった。
比喩でもなんでもなく、本当に、完全に消滅している。
彼らの痕跡は、ここまで歩いてきた足跡以外、何も残っていない。
唯一、指揮官だったマラユが使っていた馬だけが所在なさげに佇んでいたが、それもどこかに走り去ってしまっている。
「すまん。どうも相当に頭に来ていたらしい」
「そ、そう素直に謝らなくても……私もその、ちょっとやりすぎたとは思いましたし」
実際、エルフィナも相当に怒っていた。
でなければ、四精霊同時顕現などはやったりはしない。
顕現させただけで、あとは好きに暴れさせただけなので、まだ自重したとは言えるが、精霊たちはエルフィナの感情を読み取ってあの兵たちを蹂躙したのだ。
エルフィナは精霊使いの特性として、強い感情や記憶を雰囲気的なイメージとして感じてしまうことがある。
この能力は、言語をあまり用いない精霊――闇や理の精霊は言語での対話をほとんどしない――と対話するために必要な技量なのだが、人間相手でも感情を感じ取れてしまうことがあるのだ。
そしてあの兵士たちのそれは、吐き気をもよおすほどに気持ちの悪いものだったのだ。
「これでドパルへ向かう王国軍の障害はないが……」
「あの地形なら、立て篭もれば、数十人でも粘れますし、捕まっている子達が心配です」
「だな。王国軍はそんなもの気にせずに攻撃するだろうが、後味が悪くなる」
普通であれば移動にかかる時間を考えて、合流を優先すべきである。
だが、およそこの二人にその常識は通用しない。
飛行法術と風の精霊の力を駆使し、二人は高速でドパルへと飛び立った。
彼らが飛び去った後。
風が百人の痕跡である足跡すらかき消してしまっていた。




