第343話 悪魔に侵された国
「ヨーエンベルグ共和国は、結論から言えば悪魔に乗っ取られていると考えられる」
開口一番、ヴィルダートはそう断言した。
「乗っ取り?」
「ああ。ヨーエンベルグ共和国は百五十年ほど前に誕生し、このクリサリス島にあった大国、クリウス王国の王都で叛乱が起きて成立した国なのだが」
そのあたりはコウも以前話を聞いている。
ただ、百五十年前となるとゲッペルリンクが悪意の王に乗っ取られ、一時的に次元結界が揺らいだ時期でもある。
それを考えると、ヨーエンベルグ共和国は最初から悪魔の影響を受けた誰かが手を引いた可能性は低くない。
ヨーエンベルグ共和国の建国は聖暦一〇一〇二年。『暗黒の十年』と呼ばれた聖暦一〇〇九〇年代からは少しずれるが、誤差と考えることは出来る。
「そのヨーエンベルグ王国が急激な攻勢に出たのが、ファリウスの絶望の直前だ。そして明らかに悪魔の影響と思われる様な現象がいくつも確認されてたという」
「悪魔の影響?」
ヴィルダートが頷く。
「悪魔の影響を受けた人間は強力な法術を使う力や、あるいは人間ではありえないほどの膂力を得ると云われている。その傾向が、ヨーエンベルグ共和国の軍に顕著なのだ」
悪魔の影響というと、思いつくは真界教団の導師だったユスタリアやヴァスルドだ。
彼らは悪魔の力を体内に取り込み、大幅な身体強化を成し遂げていた。あの時は滅魔の結界とやらで魔力を完全に阻害されていたので、法術の力にどのような影響があるかは分からないが、身体能力が大幅に向上していたのは確かだ。
彼らは悪魔の力を完全に使いこなしていたが、未熟な者でも近い領域に到達する可能性はある。
実際、ヤーランで戦ったガランディは悪魔の力をわずかに発揮するだけで、コウすら及ばないほどの超速戦闘を可能にしていた。
「しかし……悪魔というのはどこから?」
コウの感覚では、悪魔を手引きしてたのはいずれも真界教団だ。とすれば、真界教団の勢力がこの島まで及んでいたという事だろうか。
だがコウのその言葉に、ヴィルダートもドワイトも不思議そうな顔になる。l
「ああ、そうか。コウ殿はファリウスの絶望を知らなんだな。あれ以後、悪魔は不意に人間の傍らに現れるようになったんだ」
「は?」
ドワイト曰く、ファリウスの絶望以後、悪魔は簡単にこの世界に出現するようになったらしい。
故に文字通りの意味でどこに出現するかなど全く分からず、冒険者ギルドとしても対応に苦慮しているという。
アルガンド王国やバーランド王国の国王が暗殺されたのも、おそらく突然悪魔が出現したのだろうと予測されているらしい。
(悪魔は本来違う世界の存在。突然出現するというのは、要するに次元結界が揺らいでいるから……だろうな)
この世界に戻ってくる際に、コウはヴェルヴスに次元結界の状態がどういう状態か確認している。
そしてヴェルヴスによると、前に来た時より遥かに弱くなっているという話だった。
「そういったことが大陸各地で起きてるという事か」
「そうなる。帝国南部も、悪魔の影響ではと云われておる。帝国と云えど、直轄領周辺であればともかく、南部の辺境までは手が回らなかったようだ」
ドワイトの説明は、コウにも納得できるものだった。
とはいえこうなると本当に厄介だ。
悪魔の影響というのはつまりどこにでも突然出現しうるということになる。
「ともかく、ヨーエンベルグ共和国の兵は悪魔の影響を受けた者が少なくないと思われる。それこそ、先に妹を追ってきた兵も、だ」
「だろうな。俺が加勢したのも、あれに悪魔の魔力を感じたからだ」
するとコウ以外のこの部屋にいる者が全員驚いてコウを凝視する。
「貴殿は、悪魔の魔力が分かるのか?」
「……分かるが。というか、あれだけ異質だと分からないか?」
するとエルランシアが首を横に振る。
「あれほどの法術を使えるのも納得です。魔力を感知するという能力は、本当に優れた法術使いが持つ能力だとは聞いたことはありますが……」
「そういえば……そうだったか」
考えてみれば、コウが法術使いとして話したことがあるのは、アクレットやシュタイフェンくらいだ。どちらも破格と言っていい使い手だろう。
仲間としてはランベルトなどもいたが、彼は奇跡の使い手で、やはり普通ではありえないほどの使い手だ。
あとはティナやアメスティア。
そしてエルフィナだ。
バーランドで一緒に戦った冒険者には法術の使い手もいたが、あの時は法術が使えない状況だったので気にもしなかった。
帝国で一緒に戦った冒険者も、相手が悪すぎて一瞬でみんな殺されてしまっている。
コウとて正確な魔力の分析は法術を使う必要があるが、単に気配に似たものであれば、漠然と感じることができる。
そして悪魔の魔力の影響を受けたそれは、コウには明らかに異質なものとして感じ取ることができるのだ。
「ですが、あの追手の騎士たちが悪魔の魔力の影響を受けていたのですね」
「ああ、それは間違いない」
エルランシアの確認に、ヴィルダートとドワイトも頷いた。
「となれば、やはりかの国は悪魔に支配されているとみるべきであろうな」
コウからすれば、あの暗黒の十年と呼ばれた時期と建国時期がほぼ重なることからも、ほぼ確定的だとは思えるが、考えてみればあの時期に次元結界が揺らいでこの世界が悪魔の影響を受けたというのは、そもそもが極秘だったことを思い出す。
「要するに、ヨーエンベルグ共和国の脅威を取り除きたいという事か」
「そうだ。すでにアルベリウス王国は王都も陥落し、一部王族がかろうじて逃げ延びているだけだという。実質滅んだと考えていい。そしてヨーエンベルグ共和国は今度は我が国にその矛先を向けようとしているというわけだ」
むしろそうなる前にさっさと南北で協力すればよかったのにとも思うが、歴史的背景やそもそもこのクリサリス島がヨーエンベルグ共和国によって南北に分断されているので、連携も取りづらかったのだろう。
「しかし国家間の争いに冒険者が介入するのは、通常はあまりないとは考えているが……悪魔の存在故か」
「うむ。さらに言うと、ヨーエンベルグ共和国には冒険者ギルドはもちろん神殿もない。無論、かつてクリウス王国だった時にはあった筈だが、ヨーエンベルグ共和国になってから追放されている」
ドワイトの言葉に、コウは軽く驚いた。
確かにそれは尋常な事ではない。
ただ、冒険者を嫌う国は少なくはない。
そして、神殿を排除すれば王位継承の正当性を保証する存在がないことになるが、あの国は共和国。
王を持たない。
故に神殿の権威は必要ないとなったのだろう。
「当時ギルドや神殿の勢力を排除した理由自体は、理不尽だとは思われつつも納得せざるを得なかった。実際、敵対こそすれど、あのファリウスの絶望の直前くらいまでは、ある程度の通商もあったのだが……」
ドワイトによると、三年前の八月末、突然ヨーエンベルグ共和国がアルベリウス王国に対して大攻勢を仕掛けたらしい。
それまではどちらかというと防衛線が主だったはずが、凄まじい勢いでアルベリウス王国の領土を侵略。
苛烈な侵略は一ヶ月あまり続いたが、その後何とかアルベリウス王国も盛り返して、膠着状態が二年ほど続いていた。
これには、ネルテリウス王国がヨーエンベルグ共和国に攻撃に出ることで援護をしていたのもあったということだ。
ただ最近になってまた攻勢を強めたらしく、アルベリウス王国の王都陥落の報がもたらされたのは、つい一ヶ月ほど前の事である。
そこからヨーエンベルグ共和国の南、つまりネルテリウス王国への対応も防衛戦から侵略戦争に変わっていき、前線での苦戦の報が届き、王女エルランシアの陣中見舞いを希望すると請願があったのが半月前。
そしてエルランシアは兄王子の反対を押し切り、兵を鼓舞するために親衛隊を含めた三百の兵を連れて戦場に向かったのだが、味方のはずの二千の兵が突然裏切り、あわや死ぬところだったわけである。
「悪魔は人の心に付け込んでその意志を奪うとも噂されている。我が国の兵がいきなり裏切ったのは悪魔の力によるものだと考えている」
ヴィルダートは悔しそうに拳を握りしめていた。
「ここまでの話は分かるが……現状で、何とかなるのだろうか」
コウがバッサリと言い切ったことに対して、ヴィルダートとエルランシアは鼻白んだ。
コウとしてももう少し言い方を考えるべきだったかとも思わなくもないが、現実問題としては明らかに情勢は悪い。
敵がこちらの兵を寝返らせる――おそらくヤーランで行われていたようなこと――が出来る以上、時間をかけて侵攻するのは論外だ。
あるとすれば速攻だが、今のネルテリウス王国にそれだけの戦力があるとは思えない。
コウ単独でも、やろうと思えばおそらくヨーエンベルグの首都で大暴れをすれば数千単位で敵兵を倒すことは可能だし、問答無用で吹き飛ばしていいなら、核融合法術を炸裂させればおそらく終わる。
だがそれは問題外だろう。
いくらヨーエンベルグ共和国が悪魔に支配されているとはいえ、そこに住んでいる人のほとんどはごく普通の人々のはずだ。
「これは貴殿がこの地に来たばかりというのもあるのだが」
ドワイトがそう前置きして、コウを見る。
その言葉で、コウは大体何を頼まれるかが想像がついてしまった。
「ヨーエンベルグ共和国の首都、カスカに潜入してもらいたい。噂程度の話ではあるのだが、カスカにも現在の支配を良しとしない勢力がいるという話があるのだ」
「つまり、カスカでその勢力と接触して、反乱を起こして足元をぐらつかせろ、と」
随分無茶な話だ。。
何より、それを来たばかりの、しかもクリサリス島に詳しくない冒険者に任せるなど――とまで考えて。
コウはこれが冒険者としては当たり前の判断であると気付いた。
コウの持つ冒険者としての評価は、おそらくこの島にいるどの冒険者より上だ。
そんな冒険者がいれば、そういうことを頼むのは当たり前だろう。
しかもこの地では、まだ全く顔は知られていない。
彼らからすれば、とんでもないベテラン冒険者がやってきたのだ。頼らない理由はない。
「……分かった。やってみよう。といっても、制限時間があることだろう?」
ヨーエンベルグ共和国の攻勢にネルテリウス王国が耐えられなくなれば終わりだ。
つまりそれまでの間に、反撃の糸口をつかむ必要がある。
「年内。それがおそらく――」
ヴィルダートはその先を続けない。
その意味するところは、ネルテリウス王国の滅亡だろう。
それも、それは国がただ滅ぶというわけではない。悪魔に世界が蹂躙されるという事であり――それはコウにとっても容認できるものではなかった。
「分かった。出来る限り努力する」
コウはそういうと、立ち上がり――直後、ヴェルヴスのことを思い出して少し頭を抱えたのだった。




