第340話 現状把握
「言っておくが、我は手を貸さんぞ」
「最初から期待していない」
高度が三十メートルほどになれば、さすがに状況の識別も十分にできる。
馬車は一台。二頭立ての馬車である。御者が一人。鎧姿なので、本来は戦士かもしれない。
屋根に火矢が刺さっていて屋根が一瞬燃えたように焦げているが、おそらく表面に塗ってあった防水用の塗料が少し焼けただけで、まだ馬車それ自体が燃えるほどにはなっていないようだ。
走っているのは一応街道と言えるだろうが、石畳などで固められたものでななく土がむき出しであり、街道というより畦道に近い。
(そういえば今更だが、馬に関しては地球とこっちはほぼ同じだな)
昔友人が見せてくれたあるゲームでは巨大な鳥が馬の代わりになっていたのもあったが。
この世界と地球は部分的には非常に生態系が似通っているところが多い。
そもそも妖精族の存在を別にすれば人間が同じなのだ。
大きな違いは、魔獣の存在と。あと虫類はかなり違う。
いずれにせよ、馬はすでに限界に近いようで、御者は必死に鞭を振るっているが、二頭立てとはいえ馬車はかなり大きなものであり、一方追う側は人が一人乗っているとはいえその装備は軽装であり、何より魔力によって増強されているらしい。さらに言えばその魔力が明らかに悪魔のそれだ。
馬が半ば魔獣化していると云えた。
(裏を返せば、魔獣というのはやはり悪魔の影響を受けた動物が元か?)
ただの魔力という可能性もあるが、いずれにせよ軽視できない。
上空を飛ぶコウ(とヴェルヴス)にはまだ気付いていないようで、追う側の男達――四騎いるようだ――は弓を番えて、再び射ち放った。
その弓勢は悪魔の力の影響か、威力だけならエルフィナのそれを上回るほど。
だが。
その矢は突然空中で暴風に煽られ、くるくると回ってあらぬ方向へ飛んでいく。
「なに!?」
そこでようやくコウの存在に気付いたらしい。
四人のうちの一人が空を指さして警告を発した。
その間にコウは一気に速度を上げつつ高度を下げて、馬車と騎兵の間に入る。速度は馬車に合わせてそのまま移動し続けていた。
「悪いがその魔力を帯びたことを後悔してくれ」
コウは悪魔相手に容赦するつもりは全くなかった。
直後、無数の炎の矢が生じ、それが一気に解き放たれると先の矢を超える速度で四人の騎兵に襲い掛かる。
男たちの悲鳴が聞こえた気がしたが、それも一瞬。
容赦なく一人当たり数十発の炎の矢の直撃を受けた男と馬は、あっという間に炎に包まれ、直後には崩れていた。
それを確認すると、コウは馬車の前に踊りだす。
すると御者が驚いて目を見開いていた。
「何者だ!?」
自分が逆の立場でもこの状況で突然こんな形で現れた相手を信用することはあり得ないだろう。
とはいえいったん止まってもらうしかない。
「敵じゃない! それに、追手は今俺が撃退した!」
「え?」
御者は驚いて御者台の上に立ち、後方を見て、驚いていた。
追ってきていたはずの騎兵がいずれもいない。
「コルネリア、本当です。窓から見てました。この方が法術で撃退してくれたんです」
馬車の中、御者台の横にある窓が開き、わずかに顔が見えた。
おそらくは女性か。
コルネリアと呼ばれたその御者は驚きつつも、馬車の速度を少しずつ落とし始め、やがて停止した。
それを見て、コウも地面に降り立つ。
御者もまたすぐ降りると、剣を抜いて近付いてきた。
「何者だ、貴様は」
「何者と言われると……ああ、そうだ」
コウは『証の紋章』を取り出した。
そこにはコウが冒険者であることが記されている。
あの戦いの後、ヴェルヴスの世界に行っても失わなかったものの一つだ。
「冒険者……まさかこんなところにいらっしゃるとは」
相変わらず冒険者の信用度はこの世界においては高い。普通ならこの状況で信頼されることなどまずないとは思うのだが。
剣士は兜を外し、会釈する。
声から予想は出来やはり女性だった。
赤い髪は短く切られていて、緑色の瞳は鋭く、精悍な印象を与える。
年齢はコウより少し年上、という程度だろうか。
身長もコウより少し低い程度で、女性としては高いといえる。
鍛えられていることはその動きからも分かるし、かなりの手練れだろう。
「これは失礼いたしました。私はコルネリア。ネルテリウス王国、王室親衛隊に属する者です」
「ネルテリウス王国……?」
コウは必死にクレスティアの地図を思い出していた。
ネルデリウス王国といえば、確か大陸西方にある巨大島、クリサリス島――ニア・クレスティアとも呼ばれる――の南部にある国だ。
そして王室親衛隊と名乗ったということは――。
そこへ、馬車から別の人物が降りてきた。
こちらは見てすぐ女性だとはわかるが、旅装姿だ。年齢はやはり二十半ばくらいか。茶色の髪で、こちらは明らかに戦いに長けているタイプではない。
その女性はコルネリアに近付くと怪訝そうな顔をするが、コルネリアが何事か耳打ちすると、頷いてすぐ馬車に戻る。
ややあって、別の女性がまた出てきて、先の女性がその後に続く。
三人目の女性は明らかに二人より若く、おそらく二十歳にはなっていない。
やはり旅装姿ではあるが、明らかにその服の質がいい。
薄い金色の長い髪と青い瞳の持ち主で、やはり戦いに赴くタイプではないし、どちらかというと貴族の令嬢という方が近い。
初めて会った時のラクティが少しだけ思い出された。
どういう三人組かと考えるが、先ほどの話から推測すると――。
「窮地をお救い下さり、感謝したします。冒険者の方」
そう言って現れた女性は、小さく会釈をする。
「私はネルテリウス王国第二王女、エルランシア・ヴィア・クリシュリーナと申します」
その言葉に、コウはこれが面倒事かあるいはコウにとって今後助けになることなのか、一瞬判断がつかない状況になったと思ってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
コウは先の場所からもうしばらく移動し、大きな岩の影で野宿となった。
エルランシアと名乗った王女の乗っていた馬車は、かつての宿馬車ほどの機能はないごく普通の馬車ではあるが、それでも野宿のための装備は積んであったらしい。
そして彼女らの厚意で食事の準備をしてもらい、ようやく人心地ついたところで、コウとエルランシア達とで話をすることができた。
「では、ずっと人里離れたところにお住みだったと」
「ああ。だから『証の紋章』の更新もずっとやってないんだ」
強力な身分証にもなる『証の紋章』だが、一般的には一年に一回程度は情報を更新するという不文律がある。
それにより、刻まれている情報に偽りがないことを示すためで、大抵は一年に一回は所属する組織――コウの場合は冒険者ギルド――で更新するものなのだ。
コウはこれまでは技量位階が上がるたびに更新していたので気にしたことがなかった。
だが、あの事件後コウは更新できる状態になかったので、三年以上も未更新のままである。
その説明として、人里離れたところに住んでいたことにしてしまった。
何よりこうすれば、現在の情報をまるで持ってない説明にもなってくれる。
「これほどの技量をお持ちの方がいたとは……しかし三年ということは、『ファリウスの絶望』はご存じないのでしょうか。あれはちょうど三年前くらいですが」
「ファリウスの絶望?」
聞いたことはない。ということは間違いなくコウがこの世界から離れている間の出来事だが、同時に何であるか、いくらか想像が出来てしまった。
「永遠なる聖都ファリウスが、悪魔によって蹂躙され、神殿がその放棄を宣言した事件です」
「なっ……」
つまりあの後、聖都ファリウスは悪魔によって支配されたという事か。
一万人近い神官がいたにも関わらずとなると――やはりあの悪意の王の存在が大きすぎたのか。
あれに対抗できる存在は、正直あの時点でファリウスにはアメスティアくらいしかいなかったはずだが、そのアメスティアはあの時点で重傷だった。
彼女があの後どうなったのかは分からないが、少なくとも悪意の王を止められなかった可能性が高い。
「やはりご存じないですか。今から三年前の九月、新たに就任した教皇ティナの名で宣言されたのが、聖都ファリウスの放棄と同地域の完全封鎖です。以後三年間、ファリウスのあった地域一帯は誰一人立ち入っていないと聞きます」
「教皇……ティナ?」
「ああ、そちらもご存じないのですね。はい。ファリウスで何があったのかについては未だに明らかにされておりませんが、その事変の際に当時の教皇アメスティア様は身罷ったそうです。そして後継者となったのが、当時十一歳だったティナ様と」
一体あの後に何があったのか。
三年という月日の重さを、今更ながらにコウは痛感していた。
「その、今教皇はどこにいるのだろうか」
「すみません。私はそこまでは。ただ、ファリウスの絶望以後、大陸中が乱れ国がいくつか滅んだとも噂されています。このクリサリス島は大陸から離れてますが、影響は小さくなく……アルベリウス王国は、ヨーエンベルグに滅ぼされつつあり、我がネルテリウスもまた、共和国の攻勢を防ぎきれなくなりつつあります」
「王女殿下は、兵を鼓舞するため、危険を承知で前線に向かったのですが……」
コルネリアが説明するには、前線から王女の激励によって士気高揚をしてほしいという依頼があったらしい。
エルランシアは十九歳。
その容姿と、神官ではないのに奇跡を使うことができるため、近隣では聖女とも呼ばれ、慕われている存在だという。
しかし、その招聘自体が実は罠で、赴いた先の兵が裏切っていたらしい。
「よく逃げ切れたな……違うか。あなた方以外残らなかったのか」
味方だと思っていた兵が敵に回ったとすれば、あっという間に鏖殺されそうなものだ。
だがそこまで考えて、王女がこれだけの人数で前線に向かうはずがないと思い直す。少なくない数の護衛兵がいたはずだ。
その予想を裏付けるように、エルランシアは小さく頷いた。
「はい。三百の兵を連れていましたが……彼らは皆、私を逃がすために。愚かでした。父上に危険だと反対されたのですが、どうしても兵を元気づけたいと思ってしまい。無駄に兵の命を損なってしまいました……」
コルネリアに確認したが、敵兵は二千ほどはいたらしい。
そこに三百の兵で行くのであれば、それはそれほど間違いではないだろう。
味方が全部裏切るなど普通は考えられないが――。
「そういうことがしばしばあるのです。あのファリウスの絶望以後。突然兵が、いえ、兵だけではなく場合によっては将軍や領主などが心変わりして、敵になることが多い」
コルネリアが悔しそうに剣を握る手に力を籠める。
「悪魔の影響か」
「そうだと言われています。あのファリウスの絶望以後、悪魔の出現例が数多く確認されておりますから……以前から少しはありましたが、この三年間での出現例は、それまでも三百年を遥かに凌ぐとすら云われてますので」
「さらに大陸では、実体を伴った出現があったという噂すらあります」
コルネリアが付け足した。
それに関しては、バーランドやヤーラン、ファリウスでも三年前にすでに出現している。特にヤーランでのあの事件は多くの人に見られているだろうから、それが噂となって広まった可能性はあるだろう。
「ところでコウ殿は、これからどうされるのですか?」
コルネリアの質問に、コウは返答に窮した。
実のところ、帰還してからの予定はあまり考えていない。
何よりもまずエルフィナを探すつもりだが、奇妙なことに腕輪の反応がヴェルヴスの世界にいた時と同じなのだ。
これはつまり、エルフィナがこのクレスティア大陸にいない可能性を示唆している。
反応があるということは、少なくとも対となるエルフィナの腕輪は存在しているはずだが、この世界にいないのは正直予想外だった。
こうなると、当面どうするかが全く決められない。
三年の間に情勢は大きく変わっているようだから、どこへ行くにしても情報が足りない。
今のコウでも、高速移動は飛行法術による時速百キロが限界だし、それも一日中飛んでいるわけにもいかない。この広い大陸をめぐるなら通常の移動手段を考えざるを得ないのだ。
「その、もし行くところがなければ、我が国にいらっしゃいませんか。貴方のように優れた冒険者は歓迎ですし、もう少し詳しい情勢をお教えできると思います」
エルランシアの提案に、コウはしばらく黙考する。
ふと、これまで一度も話してないヴェルヴスを見ると、さも「好きにしろ」と言いたげな表情だ。実際別に彼にとってはどうでもいいことなのだろう。
「分かった。数年ぶりなので、俺も情報が足りない。ならば、貴女が国に戻るまでの護衛を引き受けるとしよう」
「あ……ふふ。抜け目ないですね。ではそのように。よろしくお願いいたします、コウ殿」
エルランシアはそういうと、小さく会釈した。
「あと、そちらの方は……」
「我か? われのことはヴェルと呼ぶが良い。コウの……そうさな。師匠だと思え」
その予想外の自己紹介に、コウは危うく吹き出すところだった。
ただよく考えてみれば、確かに間違いではない。
「では、ヴェル様もぜひに」
「うむ」
こうしてコウは、ネルテリウス王国へと向かうことにした。




