第326話 精霊王珠
二月に入り、寒さが和らぐどころか、一段と厳しくなってきた気がした。
この地域は雪は降らないが、日本の各地でも雪の情報が出回っていて、連日テレビのニュースをにぎわせている。
「寒かった……ただいま戻りました、美佳。……美佳?」
扉を開けたが返事がない。どうやら出かけているようだ。
それほど珍しいことではないので、エルフィナは自分の部屋に荷物を置いて、制服を着替える。
とりあえず食事の準備を始めることにした。最近はもっぱら、食事当番はエルフィナだ。弁当も美佳の分を作り置いていくことも多い。
(明日は土曜日ですが……どうしましょうか。光と理の精霊王のヒントだけでも何か調べたいところですが)
目下、その二精霊のヒントが全くない。
単に眩しい場所に行けばいいというわけでもないだろう。
そんなことを考えていると、扉を開く音が聞こえてきた。
「お帰りなさい、美佳。どちらに……?」
「あ、エルフィナ。明日、暇よね?」
「ええ。特に予定はないですが」
どうしようかと考えていたところなので、当然何の予定もない。
「なら出かけるわよ。日帰りだけど」
「それは良いですが……どちらに?」
「うーん。どこでもいいのだけど……」
「へ?」
すると美佳はリビングまでいってから、カバンからなにやらきれいな箱を取り出した。
それを開くと――。
「これは」
そこに入っていたのは、直径二センチほどの銀色の台座と、美しい七色の宝石がはめ込まれた装飾品。それに細い鎖がついていて、これ自体はペンダントトップなのだろう。
はめられている宝石は、紅玉、蒼玉、翠玉、黄玉、紫尖晶石、金剛石、そして中央に変彩金緑石。
「貴女の持つ精霊珠とほぼ同じ。つまりこれが――」
「精霊王珠というところですか」
「そうね。台座は銀ではなく白金だけど」
大きさは今持っている精霊珠の二倍程度。当然、はめ込まれた宝石の大きさも違う。さらに言えば、その宝石の純度も違った。
この世界においては純粋な宝石としての価値しかないだろうが、クレスティア世界にとっては、超一級の魔石でもある。
「これなら、精霊王でも宿すことができると思うわ。あとは、これに施術する必要があるけど……」
「それは私が。この精霊珠に付与された法術はなんとなく理解できてますので」
「そ。じゃあそれは今日のうちにやっておける?」
「多分。でも明日出かけるっていうのは……?」
「あのさ。精霊王を完全な形で召喚して入ってもらうなら、さすがにこの家でやるのは勘弁してほしんだけど」
「あ」
わずかに精霊王から力を借りる程度なら問題はないが、完全に顕現させるとなると、当然だがそれはその精霊の属性の力が噴出する。
闇ならともかく、火や水、地などは大変なことになるだろう。
「というわけで、明日は出かけるわよ」
「はい、わかりました。でも、どちらに?」
「そうねぇ。ま、人がいないところよ」
果たしてそんな場所が日帰りできるような距離にあるだろうかと、エルフィナはなぜか少しだけ不安になるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あの、美佳」
「なに?」
「ここ、どこですか?」
「海の上ね」
「それは分かりますが……いや、それでもちょっとこれは一体」
翌朝。
朝食を食べたりゴミ出しをしたりといったいつもの作業が終わった後、美佳に連れられて電車で移動。三浦半島の海辺まで来たところまでは問題なかった。
ところがその後、人気のないところから飛行によってさらに上空に上がると――全開で空気抵抗を緩和しろと言われ、直後。
美佳の力でとんでもない移動を開始したと思ったら、あっという間に陽が落ち、暗くなり――気付いたら周りに何もない海の上にいたのである。
時間にして十分程度だったと思う。
「ここは『ポイント・ネモ』なんて呼ばれる場所で、地球で一番陸地から遠い場所なのよ」
「は?」
「要するに、ここなら思いっきり精霊王を現界させても、誰にも見咎められないってわけ」
「ちなみにどの辺りなんですか、それ」
「南太平洋上かな。ニュージーランドと南米の中間辺りよ」
ざっと考えて、軽く一万キロ以上。それをわずか十分で移動してきたことになる。
「……無茶苦茶な移動手段あったんですね……これ使えば楽だったのでは」
「入管法とか後の滞在考えると面倒だし、そもそも移動も旅の楽しみでしょ。なんだけど、さすがにこんな場所に来る観光ルートはないからね。なんせここは、宇宙施設の墓場だし」
「へ?」
思わず周囲を見回すが、そもそも暗くてよく見えない。
周囲は全て海しかなく、水平線の境界から上が、文字通り満天の星空だ。
「この辺り、陸から遠い上に生物も少ないみたいでね。だから、人工衛星とかを地球に落とすのに都合が良いそうよ。地球からしたら迷惑な話だけど」
「はあ……」
「ともかく、ここなら精霊王を呼び出しても大丈夫ってわけ。まず確実に誰にも見られないし、人工衛星は私が遮断しておくわ」
要するに精霊王を全開で呼び出してもいいという事らしい。
実は、確かにエルフィナはこれまで精霊王の力を全開では使えていない。
風の精霊王と契約した時までは、魔力が足りなくて精霊王の力はほんの一瞬顕現させるのが精いっぱい。
その後、次元結界からの魔力供給を受けることで爆発的に魔力が上昇したが、直後の水の精霊王は戦うことはなかったので、精霊王の力は使っていない。
つまり、全開で呼び出すのは今回が初めてということになる。
「分かりました。では――行きます」
意識を集中する。次元結界のわずかに内側。狭間の世界と地球の隙間。そこに在る精霊王への呼びかけを行う。
「火の王の刃、地の守護、闇の静寂、猛き風、水の聖女――来て」
直後、魔力の一割ほどが一気に削られた。
そして同時に、エルフィナの周囲に現れたのは、かつて対峙したそれぞれの精霊王たち。
ただしその力は、かつてより遥かに大きくなっている。
『凄まじいな。最初に対峙した時とは比較にならぬほどの魔力。我ら全員を使役するに相応しい力だ。あらためて、我が炎は契約者の力になることを誓おう』
『星の大地たる我も力となろう。契約者の意に従うことを誓う』
『我は――闇なる意志。主と共に』
『我はありとあらゆる場所に遍在する。そしてそのすべては、契約者の力となろう』
『命を育み、奪う力。我は契約者に従うことを誓う』
それぞれの精霊王が契約を交わす。
そしてエルフィナの胸にある精霊王珠に、精霊王が全て吸い込まれるように消えて行った。
同時に、七つある宝石のうちの五つが輝きを放つ。
残るは金剛石と変彩金緑石。
『主。光が、来る』
「え?」
闇の精霊王の言葉の直後、今が夜であるはずなのに、眩いほどの光が溢れた。
そして現れたのは――直視するのが難しいほどの光を纏う、巨大な翼。
「光の精霊王……?」
『然り。この世界に非ざる契約者よ』
「……驚いた。どうやって接触したものかと思ってたんだけど」
『闇からの招きだ。応じぬわけにもいくまい』
「え?」
精霊王珠の中にいる闇の精霊王に意識を向けるが、特に何の反応もない。
『汝は我との契約を望むのか?』
「ええ。私に力を貸して、光の精霊王。あなたの同胞が最後の力で守った世界を、私も守りたい。そのためにあなたの力が必要なの」
はたして精霊王同士で同族意識があるかなどは分からない。
ただそれでも、エルフィナにとってはクレスティアに帰るために、そして帰った後に戦うためには、精霊王の力が何が何でも必要になる。
『良かろう。汝の力は其処に従う精霊王たちの存在で知れる。我と契約を』
「それでは――大いなる光翼と」
『承った。それでは契約者よ。ここに契約は確かに果たされた――』
光が収束し、エルフィナの胸にあるペンダントに吸い込まれると、金剛石が輝く。
「これで六種。あとは理の精霊だけね。しかし光の精霊王が、こんな形で出現するとは思わなかったけど」
美佳が少なからず驚いたように言う。
実際、エルフィナも予想外だった。光と闇はどちらも予想外の形で接触した気がする。
『それなんだけどさー』
いきなり軽い口調が聞こえてきて何かと思えば、精霊珠から闇の精霊が現れた。
「闇の精霊?」
『同じ立場になって、感覚が共有されたから分かったんだけど、闇の精霊王から呼びかければ、光の精霊王は来てくれたらしいよ』
「え」
『闇の王様、すっごいしゃべるの苦手だから、やってなかっただけみたい』
「えっと……闇の静寂、さん?」
『――訊かれなかった』
それっきり、闇の精霊王は沈黙する。
『王様だからって、無口でいいことはないと思うんだけどなーっ』
ちなみに、通常の精霊の性格は基本的にエルフィナの影響を受けて構築されたもので、特に闇の精霊はどちらかというと悪戯っぽい性格だ。
それだけに、特に闇は精霊王との性格にはかなりの隔たりがある。
「ま、まあ、闇の精霊。ともあれこれで六種……あの、精霊王の皆さん。もしかして最後の理の精霊王も、呼びかけたら来てくれたりしないですか?」
そもそも精霊王は精霊王に反応する性質がある。
六種がここに揃った以上、理の精霊王が反応する可能性はある気がするのだ。
すると、精霊王たちはわずかな否定と肯定の意志を示してきた。
『契約者よ。汝の言うことは正しくもあり、間違いでもある』
精霊王たちを代表してか、光の精霊王が意志を発した。
『彼の精霊は我ら精霊達の要。故に我ら全てと契約を交わした汝であれば、契約の資格は持つ。だが――まだ力が足りぬ』
「え?」
『汝は契約を果たした。だが、その力を使いこなすには、まだ不足だ』
「不足……つまり、精霊王の力が馴染んでいない、という事ですね」
「エルフィナ、意味が分かるんだ」
「ええ。最初に精霊たちと契約した時もそうでした。力を十分に使いこなすのには、彼らの力に……馴染む、というのが一番正しいですが、そういう必要があるんです」
エルフィナは森妖精――人間であり、精霊は当然だが人間とは違う。だが、その力を揮うには、その違いを理解し、わがものとする必要があるのだ。
それは感覚的なもので、おそらく美佳にも説明しても理解できないだろう。
《意志接続》でもうまく伝えられるとは思えない。そもそも言語化できる感覚でもない。
「まあ……じゃああとはエルフィナ次第ってことね」
「そうですね。そうなります」
すると美佳は頷いてから――。
「じゃ、帰りましょうか。また風の抵抗を打ち消しておいてね。死ぬわよ」
「あの、行きにその警告してまし……ふにゃあああああ?!」
エルフィナの絶叫が、文字通り虚空に響き渡った。




