第32話 領主からの依頼
「コウ様! なんか綺麗な女の子と組んだって本当ですか!?」
コウとエルフィナの朝食の席に駆け込んできたのは、あろうことかこの街の領主様だった。
すぐ後ろから、苦労性の侍女がついてきている。
幸いというか、数日前に依頼のあった大規模討伐に多くの冒険者が駆り出されていて宿泊客が少なく、朝もまだ早いため、食堂にいる客はコウとエルフィナのみで、あとは給仕の女性と宿の主人がいるだけだ。
「……コウ、この方は?」
「ラクティ・ネイハ・ディ・パリウス。つまりここの領主様だ」
「それがなぜ、コウのところに?」
「前に色々あってな。彼女が領主に就任するのを手伝ったことがある」
「その子ですねっ……て……妖精族?」
ラクティは険しい目つきでエルフィナを見た後……毒気を抜かれたように凝視する。
「か、可愛い……妖精族って私、初めて見ましたが、本当に素敵なんですね」
「エルフィナといいます。少し前にコウと出会って、今は一緒に冒険者をやってます」
「あ、えと、私はラクティ。この領の領主をやってます」
考えてみれば、これほど奇妙な自己紹介もない。
ラクティの後ろで、メリナが額を押さえていた。
「で、でも、私の方が先にコウ様にお会いしてますっ」
言っていることが支離滅裂なのだが、感情が暴走してるのか。
どちらかというとエルフィナのほうが冷静なようだが、そこは年の功だろうか、とコウが考えていると――。
「コウ、なんか私に言いたいことがあるのですか?」
一緒に仕事をこなすようになって半月あまり。
いい意味でお互いに遠慮がなくなっているが、最近特に、エルフィナの勘がいい。
君子危うきに近寄らず。
コウは下手なことを言わないために食事に集中することにした一方、女性二人はなぜか話が盛り上がっていた。
実年齢はともかく精神年齢は近いし、仲良くなってくれるならそれに越したことはないが。
コウは食事が一段落すると、おしゃべりを続けているラクティとエルフィナは置いておいてメリナに向き直る。
「まさかこれだけのためにこんな場所に来たわけではないよな?」
「実はそうです……というとさすがにどうかと思いますし、実際あれが大半ではあるのですが、一応ちゃんとした用向きもございます。ギルドを通して依頼を行う予定ではありますが、先に確認しておくべきことがございまして……パリウス西方、エンベルクという街をご存知でしょうか?」
「名前は……記憶にあるな。かなり大きな街だったと思うが……」
詳しくは知らないので、コウは話の続きを促した。
領都パリウスはなだらかな丘陵地帯に存在するが、実は馬で西に一日も行くと峻険な山岳地帯になる。
この山岳地帯は鉱物資源が豊富で、北方であるがゆえに農業生産力が貧弱なパリウスにとっては、重要な場所だ、とメリナは説明する。
「それゆえに、この地域の中心都市、エンベルクはパリウスでは領都に次ぐ規模を誇り、そこを領地とする伯爵の力は、ネイハ家に次ぐものになります。ただ、現当主オルスベール殿は、先の領主代行であるアウグストと懇意にしていたためか、事態の経緯は十分に説明しているにも関わらず、明確な恭順の意思を示しておりません」
このアルガンド王国では、貴族の頂点たる七公爵の上に王家が存在する。
この公爵の任命権は王家のみが持ち、そして公爵家はその領内において他の貴族に土地を与えて爵位を授与する権限を持つ。つまり、他の領主は基本的に公爵家に従う存在でもある。
もっとも、公爵家への納税の義務さえ果たせば、その領は法の範囲内である程度の独立性を保証されている。
ただ、エンベルク伯であるオルスベールはその義務すら果たしてないという。
無論表立って反抗する姿勢を見せているわけではないが、のらりくらりと送られてくる使者を言いくるめ、納付されるべき税が未だに納められてないらしい。
もっとも、こういう領主は他にもいて、いずれも元領主代行であったアウグストと懇意にしていた領主ばかり。要はラクティを認めていない、という事だろう。
ただ、エンベルクが問題になったのはそれだけではない。
ある不穏な噂があるという。
ひそかに傭兵や武器が集められている、というのだ。
「反逆か?」
この世界において領主に対する反逆行為の是非が分からないが、いずれにせよ歓迎できるものではないだろう。
パリウスにも無論常備軍は存在する。
ただ、他国と境を接さないパリウスは、必要以上に軍備を持つ意味はないため、その規模は比較的小さい。
東方諸島部諸国との間に出没する海賊対策のための海軍や、北方辺境部の警備隊の方がよほど充実しているとすら言われるほどだ。
「現在調査中というところです。疑わしい動きは明確なので、後は現地で調査したいのですが……」
現在、ネイハ家の抱える組織に、その手の調査に長けた部隊がいないのである。
かつてはあったのだが、アウグスト直属の部下のみになっていて、実はあのアウグストを捕縛する際の廃墟の崩落で半数は死亡。残り半数はラクティの領主就任の後、あろうことかラクティの暗殺計画を立てて失敗、全員処断されていた。
失敗させたのは他ならぬコウ自身だが。
「それで冒険者に、か」
「はい。特にコウ様であれば事情もお察しいただけるので、是非お願いしたく。先の、クロックスでのご活躍もありますし」
「あれは公にはされてないがな」
「でも、直接依頼するには十分な理由です。お願いできますでしょうか?」
本来の依頼主であるラクティは、テーブルの向こうでエルフィナと謎の盛り上がりを見せている。
が、話が終わったのを察したのだろう。
幾分まじめな表情で、コウに向き直る。
「メリナから話のあったとおりです。正式には、後ほど連絡があるかとは思いますが」
「分かった。……まあ、後始末みたいなものだろうしな」
普通なら報酬の話もすべきなのだろうが、領主直々の依頼であり、そこを心配する必要はない。
ラクティの領主就任は決して平坦なものではなかった。今回のこの動きも、残り火のようなものだろう。
であれば、これはコウにとってもやり残した仕事とも言える。
「それと、今回は私もエンベルクに参ります。領内視察の名目ですが。なので、正しくはコウ様は、護衛の一人となっていただこうかと」
「な!? ちょっと待て、それは……」
「私もお止めしたいのですが……ただ実際、公爵になってまだ各地に赴いておりません。確かに、ラクティ様自ら赴く必要は、確かにあるのです」
「普通、そういうのは公爵のところに先方から挨拶に来るものではないのか?」
「王家は別にして、アルガンドでは公爵自らが支配地域に赴くのが普通です。それをどのように迎えるかによって、その領の今後の立場が定まるとされているくらいで」
つまりどれだけもてなせるかということが、忠誠心やその領地、ひいてはその家の家格を示すことになる、ということらしい。
「だが、普通は叛意がある可能性のある場所は行かないものではないのか?」
「だからです。恥ずかしながら私はまだ未熟で、私を認めない領主も多いです。だからあえて、もっとも危険な地域へ最初に行くことで、彼らに認めさせます。無論、彼らが反乱を起こす可能性がないとはいえませんが……少なくとも、現時点で彼らの旗頭は、行く前に失わせます」
「旗頭?」
「叔父を――反逆者アウグストとその血縁を、出発の前日に処刑します」
「思い切るな……」
アウグストは現在獄中にある。また、領主代行時代の数々の不正についてはすでに明らかになっており、領主への復帰は叶わない。
ただその一方、ネイハ家の血縁は、ラクティを除くと彼と彼の家族しかいない。
パリウスを受け継げるのは、現状ではネイハ家の血縁のみ。
つまり、その処刑によって、ラクティを害することはネイハ家の消失を意味するようになる。
この国の爵位はやや特殊で、基本的に土地に紐づいている。
この辺り、『家』に爵位が与えられる日本や欧州とは状況が異なる。
なのでパリウス公爵領がなくなることはないが、その爵位を与えられているネイハ家がいなくなれば、領地はいったん王家預かりとなるらしい。
その後新たにパリウス領を授けられた家が、次のパリウス公爵となる。
無論ネイハ家の傍系などはいるだろうが、少なくとも旗頭にするには弱い。
貴族制度に馴染みがない上に、神の祝福などという継承の仕方をするこの世界の事情は分からないが、ラクティの対応は、それなりに効果のあることなのだろう。
「今でも私が若輩であることを理由に、叔父を領主にという貴族がいるようですが、これでそういった者たちが大人しくなるならよし、ネイハ家への叛意をあらわにするのであれば、討ち果たす大義名分ができますから」
「自分が殺される可能性は考慮しないのか」
「していますよ。ただ、それを恐れては何もできません。ですから、それを回避するために、私が知る最も強力な手札として、コウ様に護衛をお願いしているわけです」
ラクティには第一基幹文字を使えることは話してはいない。
ただ、冒険者としての功績は聞いているだろうし、あるいはアクレットから何か聞いている可能性はある。法術ランクは公開されているし、黒というのはギルド長であるアクレットに次ぐランクだ。
「もちろん、それなりに軍勢は連れて行きますよ」
「……分かった。だが、出発はすぐではないだろう? いつだ?」
「ええと、来月の頭にはエンベルクに到着したいので、出発はだいたい一週間後、というところでしょうか」
この世界の暦は地球に近い。
その最たるものが『週』の概念だ。
七日がそれぞれ地の日、水の日、風の日、火の日、光の日、闇の日、理の日と呼ばれ、要するに第一基幹文字に対応している。
それで四週間と、月の最初と最後に一日を付け足して三十日で一月となるのだ。
ちなみに今日の日付は四月十七日の水の日。ラクティがパリウスを発つのは四月二十四日の予定らしい。軍勢を率いてエンベルクに行く場合、だいたい六日ほどかかるとのこと。
「まだ時間はあるな。ならすぐに出て、先に行って状況を確認しておきたい」
護衛任務となるなら、街のことを少しでも知っておいた方がいい。
それに、街の雰囲気から、事態がどう転ぶかも分かるし、何より――。
「処刑前後で街の雰囲気がどうなるかも知りたいし、実際の状況の調査も頼みたいのだろう?」
「分かりました。一緒に行けたらよかったのですが……そういうことであれば。では、合流の方法だけ――」
「ラクティ様。そろそろお時間です。あとは私がつめておきますので、お仕事にお戻りください」
メリナの言葉を待っていたかのように、おそらくは侍女と思われる少女が二人宿に入ってきて、ラクティの両脇を固めた。
「ちょ、待って、せめて、あとちょっとだけーっ」
ラクティの悲鳴めいた声が遠ざかっていく。
「なんか、素敵な方ですね」
エルフィナの言葉に、何をどうやったらそういう感想を持つのだろう、と思いつつ、コウは曖昧に頷いた。
その横で、メリナがやはり眉間を押さえている。
若くして皺が刻まれそうだ、と考えていると――
「コウ、何か失礼なことを考えていないですか?」
エルフィナの勘は自分自身以外にも働くらしい。
コウは聴こえなかった振りをして、メリナに向き直る。
「ではコウ様。依頼は急ぎ体裁を整えて、今日中には。合流の日程と連絡方法ですが、そちらも依頼時に指定させていただきます」
メリナの事務的な言葉にうなずいて、コウは出発までにすべき準備について考え始めたのだった。




