第322話 異世界の年越し
店を出た時、すでに空は紫色になっていた。
こういう空の色は、地球もクレスティアも同じだ。
スマホで時刻を見ると、十九時近い。太陽はすでに西側に連なる山の稜線の向こうに沈んでいた。
「加工は日本に帰ってからだけど……考えてみたら、そのコウって人器用ね。それ、彼が作ったのでしょう?」
「そうですね……元々こういうデザインの装飾品だったとは言ってますが、はめられている宝石のサイズは少し違うわけで、そこは彼が加工したのだろうとは」
中心に少し大きめの白い宝石があり、それを囲むように透明、黒、赤、青、緑、黄色の宝石が配置されている。
そしてそれぞれの宝石に精霊が宿っているのだ。
クレスティアにおいて宝石は高純度の魔石と同様の性質を持つため、宝石それ自体が持つ魔力によって、コウが付与した法術は今も維持されている。
さすがに見た目でも十分高価な装身具だとはわかるので、普段は服の下に隠しているが。
「まあ今回はプロに任せましょう。まずは宝石の調達だけど、それもあと三日くらいかかるみたいだし、それまで時間潰さないとね」
先の店で美佳は宝石の手配を依頼していた。
事前にもある程度伝えていたのだが、年末年始であることもあり、一部はまだ届いていなかったらしい。
「じゃあ……それまでこの街で?」
「いいえ。元々行く予定だった別荘で時間潰しましょう。行くのは明日だけどね」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日。
美佳が手配したレンタカーで、二人は北に向けて移動していた。
昨夜は、折角だからと美佳が案内してくれたレストランで食事し、それから宿に戻っている。
食事は、リオデジャネイロでも随一の高級店だったらしいが、エルフィナとしてはシュラスコ――現地の発音だとシュハスコとなるらしい――が本当に美味しかった。
何より実質食べ放題というのがいい。
結局二時間以上は食べていた気がする。
そして翌朝は早めの朝ごはんを終えたらすぐホテルをチェックアウトし、ホテル前まで来てもらったレンタカーを受領、出発したのである。
「なんていうか……日本と全然違いますね」
「そう?」
「その、これまで行った場所は私でも地方だと分かる地域でしたから、まだそういうものかと思いましたが……リオデジャネイロって、大都会ですよね」
「そうね」
「でも、その街も郊外に出てしまうと本当に何もなくなるのは、日本ではほとんどない光景かなと思って」
夏に富士山の樹海に行った時がそうだ。
車で移動したわけだが、平地を走っている間はほぼ周囲は建物があり、建物がなくなったのは明らかに山間に入ったと思われてから。
平地は全て人が住んでいるのかと思ったほどだ。
対してこちらは、市街地はそれなりに広かったが、それが終わると唐突に周りは何もなくなる。
広大な自然が広がっているだけだ。
そこに道路だけがあるという感じである。
「日本とこの国だと広さが違うからね。それも大きな理由よ」
「人が多ければ広い土地が……と思いましたけど、考えてみたらあっちもそうではないですね」
「人間、集まっていた方が色々便利なことが多いからね。地球の場合は、特に移動手段や運搬手段はとても発達してるし」
「この自動車だってすごいですよね。燃料を数分補給するだけで、何時間も走れる」
「そうね。もっともこの世界がこういう風になったのは、本当にこの百年ほどの話。それこそ、貴女が生まれた頃は、まだ馬車が普通に走ってたわよ」
「それが一番信じられないですけどね……」
エルフィナの感覚では、それほど急激に世界の在り様が変わるということが信じられない。
学校で学んだ歴史でも、百五十年ほど前といえば日本は江戸時代から近代化したばかりだという。
さらに二百年もさかのぼると、もう動力すらほとんどない。
三百年さかのぼれば、クレスティアと技術的な水準はほぼ同じ、むしろあちらの方が法術がある分上と言えた。
それが――エルフィナの感覚では本当にわずか――数百年でこの変化である。
クレスティア大陸がそれほど大きく変化するなど、エルフィナには到底考えられない。
「それは寿命が異様に長いあなた達エルフの感覚だろうけどね。でも、実際あの世界はおそらくその法術とやらがあるからこそ、逆に発展しづらい部分もあるのでしょう」
「そう、かもですね……」
あまりに便利すぎる法術があるから、それ以外の技術を模索しない。
(技術の在り様、それ自体が全然違うんでしょうね)
あらためて、地球からクレスティアに行ったコウにとって、あの世界はどう映っていたのだろうと思う。
そして、この地球をも超える技術を有していたと思われるエルスベルを見た時の衝撃は、あるいはエルフィナ以上だったのかもしれない。
地球とクレスティア、どちらが正しいというのはエルフィナには分からない。
地球にもこの発達した技術故の問題が出てきてはいる。
絶対の正解などないのだろうが――二つの世界を知った今、エルフィナはそれを見出すのも大切な事なのではと思い始めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
車は途中から山道に入った。
かなり曲がりくねった道を進み、さらに途中、まるで巨大な指の様な――と思ったら本当に『神の指』と呼ばれてるらしい――山を横目に、目的地に到着したのは十時過ぎ。
出発してから一時間半もかからず到着したのは、緑の多い住宅街だった。
「なんか静かできれいですね」
「そうね。このエリアに住んでる人か、招かれた人しか入れないようになってるの。この国の治安は日本に比べるとだいぶ悪いけど、このエリアは安全ってわけ」
車はほどなくある家の前に停まる。
その駐車場に美佳は車を入れた。
「ここですか?」
「ええ。ただ、北欧と違って管理人とかいないからね。ちょっと掃除しないと。あと買い物してこないと食べ物ないし」
「え……」
「ああ、別に掃除を手伝えとは言わないわ。さすがに面倒だから手抜きするわよ」
そういうと、美佳は鍵を開けて中に入る。
入ってすぐが広い空間になっていた、目立つのは、奥にある暖炉。
ただ、長いこと閉ざされていたからか、少し空気が澱んでる様に思えたが――。
「ちょっとだけ呼吸止めてなさい」
「え。あ、はい」
直後、一瞬だけゴウ、という風が吹き抜けたように思えた。
すると、先ほどの屋内の空気が一変している。
「……何したんですか」
「ちょっと中の空気を強引に入れ替えたの。ついでに埃やらも一緒に外に」
大雑把なのか繊細なのか、判断がつかない。感覚的には、精霊に頼んだのに近いかもしれないが、おそらくは竜の力か。
「大雑把な事しかできないという割には……繊細な力の使い方ですね」
「数年ぶりに行く場所とかがよくあるから、これだけは慣れたわ」
「ああ……なるほど」
どうやら必要だったから使えるようにした力らしい。
「……慣れる前は、もしかして」
「それ以上突っ込んだら今日のご飯抜きにするわよ」
「はい」
多分色々何かやらかしたのだろう。
その後、電気などのスイッチを起動させた後、二人はお昼ごはんがてら買い物に出かけた。
街はずいぶんと賑やかな雰囲気で、まるでお祭りのようだが――。
「あ、そうか。今日が今年最後の日なのね」
「そういえば……そうでしたね」
今日は十二月三十一日。エルフィナの感覚だと『三十一日』というだけで少し違和感があるのだが、それは言っても仕方ない。
ともあれ、どうやらここで年越しとなりそうだ。
「街の中心近くの丘から花火が上がるみたいね」
「花火。それはまた派手ですね」
「そういえば、クレスティアの新年はなんか祭りとかやるの?」
言われてから、エルフィナは何とも言えない顔になってしまった。
「どうしたの?」
「その、私は一般的な人間社会の新年の祝い方を知らないんですよね……」
故郷では十年に一回くらいしか新年を祝わない。
それも十年紀の始まりを長が宣言して、少しだけ宴めいたことをするだけだ。
それだけでも、たまにあるご馳走が供される催事なので、エルフィナは楽しみにはしていたのだが、正直に言えばあの程度であれば人間の街なら毎日の出来事レベル。
そして故郷の森を出た最初の新年は、よりによってロンザス山脈の山中でコウと二人で迎えた。
それはそれでありだが、人間の祝い事を経験はしていない。
その次の新年を迎える前に、エルフィナはこちらに来てしまっている。
「人間社会に出てきてから一年半以上旅してて、年明けが人里離れた山奥とか、さすがの私でも呆れるわね」
「コウに言って下さい。山越え提案したのは彼です」
エルフィナが頬を膨らませたのを見て、美佳がクスクスと笑っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
買い物を終えた二人は一旦家まで戻ってきた。
時刻は十七時過ぎ。まだ外は明るいが――。
「せっかく年明けですから、美味しいもの作りましょう」
「妙にたくさん買うと思ったら、そんなこと考えてたのね。でも、調理器具あまりないわよ。日本と違って電子レンジとかはな……え」
「任せてください。こういう精霊行使は得意なんです」
エルフィナがやってみせたのは、精霊行使で再現した調理法術だ。
エルフィナはひそかに、この地球に来てから色々な調理方法があると知ってそれらを再現すべく、かたっぱしから色々実験していたのである。
おかげで今は、蒸気による加熱から蒸し料理、さらに短時間での解凍からノンオイルでの揚げ物まで、すべて対応可能だ。
なんなら、この地球でも数時間放置することでやる行程を、無理矢理短時間で再現可能になっているものもある。
「好きこそのものの上手……違うわね、これ。食欲のなせる業かしら」
「いいじゃないですか。便利なんですから」
「それは……確かにそうね。これなら、キャンプに調理器具要らないわね」
「ええ。あっちでは調理法術のための法術符とかが、長距離の旅の基本装備でしたからね。私やコウは自分で出来てしまうので、必要としませんでしたが」
「あっちの世界も意外に便利ね、そう考えると」
この地球にも『魔法』という概念それ自体はある。
ただそれは、ほぼほぼ現代で存在しない力だ。
かつては少しだけあったが、それでもクレスティアほどの汎用性はなかった。
少なくとも美佳は知らない。
そうやって次々に料理を作り上げてると、ドン、という大きな音が響いた。
ふと外を見てみると、空に美しい光の花が咲いている。
「もう新年ですか?」
「まだ。あと数時間ってところだけど」
「私がこの世界に来たのは、二月頃でしたっけ」
「そうね」
「じゃあ一年近く経ってるんですね……いい機会なので言いますが、美佳……いえ、ファルネア。ありがとうございます」
突然の言葉に、美佳は少し面食らったようになった。
「……唐突ね」
「多分、私一人ではこの世界で生きていけなかった。もしかしたら、精霊行使が使えると気付いて、パニックになって大暴れして、大変なことになっていたかもしれない」
「貴女はそこまで自暴自棄にならないとは思うけど」
「自信はありません。でも、美香が見つけてくれたことで、私は絶望しないで済んだ。だから、本当に感謝しているんです」
「そ。ま、貴女がそういう風に恩義を感じるのをやめろというつもりはないわ。でも、私は私のために貴女を利用してる部分もある。フィオネラに何か関係があるかも知れないからね」
「分かってます。でもそれで十分ですから」
「じゃ、この後の料理は期待させてちょうだいな」
「はい。もうすぐ全部終わりますから、食堂で待っててください」
「わかったわ」
そういうと、美佳はテーブルを拭くための布を持ってキッチンを出て食堂に向かう。
誰もいなかったやや広いリビングダイニングは、かなり冷え込んでいた。
この辺りは標高千メートル近い。そのため、夏であってもかなり冷えるのだ。
「……ま、雰囲気はあるか」
美佳は暖炉に適当に薪を放り込むと、それに指を這わせ――とたん、ぱっと火が点いた。揺らめく炎からの熱が、わずかに部屋に放射されて行く。
「正直、ここまで関わるつもりはなかったんだけどね……」
テーブルを拭きながら、美佳は一人呟いた。
「やっぱ最初に泣かせたのが尾を引いてるのかしらね」
多分それだけではないというのは美佳自身分かっていた。
本来竜は孤高の存在だ。
単体で完成された存在であり、世界そのものを構築する存在でもある。
故に、世界そのものである竜にとっては、他の世界の存在は瞬きする間に消えている存在でしかない。
ただ同時に、竜であってもその意識それ自体は人とそう変わるものではないことに、美佳は気付いていた。
心の在り様、言い換えるなら精神というのは、竜であれ人であれ、その存在の重さには、さほどの違いがない。これはおそらく、精霊王や神々――美佳は神々の存在を知らないが――でも同じだ。
あるいは、人と関わるために同レベルの意識を宿すようになったのか。
だから、美佳にとってはフィオネラやエルフィナは、おそらく――。
「美佳ー。運ぶの手伝って下さい。ちょっと多くて」
「あのね。作り過ぎ。まあ貴女が全部食べられるでしょうけど」
「思ったんですが、美佳もその気になれば私より食べられません?」
すると美佳は小さく笑った。
「さあ、どうかしらね?」
このやり取りの楽しさを、美佳は確かに感じていた。




