第318話 神子の力
風の精霊王と契約した翌朝、エルフィナはベッドから起き上がれなくなっていた。
魔力自体は食事を(思いっきり)したことでほぼ回復したのだが、文字通り限界まで魔力を振り絞った反動で、頭がぐらぐらしていたのである。
それでも何とか食事をして部屋に戻ってきたが、そこでベッドに倒れ込んでしまう。
「稀に魔力が強い人間にはあることなんだけどね……ここまでってのはあまりないけど。要は魔力の筋肉痛……なんか違うわね。そういうものなんだけど」
「あう……」
「まあ午前中寝ていたら回復すると思うわ。今日もこのホテルに停泊予定だし。ゆっくりしてなさい」
そういうと、美佳は部屋を出ていこうとする。
「あの、どっか行くんですか」
「せっかくだから観光。別に何があるわけでもないけど、結構いい街だったら別荘調達するのもありだし。ここは私も初めてだからね」
そういうと美佳は出て行った。
まだ平衡感覚が怪しいエルフィナは、ベッドの上でごろ、と転がって上を向く。
「さらっと別荘とか言ってましたが……そういえばこの後も行くんでしたっけ」
この後、イグアスの滝というところに行った後、さらに北上して美佳の別荘があるという場所で年を越す予定だ。詳しい街の名前は憶えていない。
日本に帰るのは学校が始まる四日ほど前の予定である。
「そういえば年明けの祭事とかなんかあるんでしょうかね……気にしてなかったですが」
夏休みと異なり、冬休みはそれほどは長くない。
エルフィナとしてはこの地球であればどこであろうと初めての体験になるのだが、どうせならコウの故郷である日本のものを体験したいという気持ちがなくもない。ただそれは、後日の楽しみでもいいだろう。
ともかく今は、七つの精霊王との契約を済ませて、クレスティア大陸に帰る必要がある。
今回の風の精霊で、契約した精霊王は四つ。残るは水、光、理の精霊王。
そしてこの後、水の精霊王との契約に臨むことになる。
寝転がったまま、腕を天井に伸ばす。
見えるのは、細い腕と指。
そして手首にあるのは、あの腕輪。
「コウ……生きてます、よね」
腕輪からは確かに対となる腕輪の気配は伝わってくる。
ただ、それだけだ。
どこにあるのか、漠然と伝えるはずの力が、全く動かない。それはおそらくこの世界――地球にないからだろう。
不安がないといえば、嘘になる。
本当に彼が生きているのか。
生きていたとして、再会できるのか。
エルフィナはその気になればまだ何百年かの時間があるが、コウにそこまでの時間はない。
狭間の世界にいないとなれば、同じように時間が経過してる可能性だってある。
百年も過ぎてしまえば、コウに再会することは不可能になるだろう。
それが、怖い。
ただ、コウが生きていたとすれば、おそらく彼もなんとしてもクレスティアに戻ろうとするだろう。
あの時狭間の世界に落ちたコウだが、コウ自身は狭間の世界に対して耐性がある可能性が高い。
そうなれば戻る努力をする。
そして戻るための力も、持っている可能性が高いのだ。
「私は私の出来ることを……ですね」
頭がぐらぐらするのは、一度完全に魔力が枯渇した影響だろう。
ハワイやアイスランドでも全力を出したが、今回は本当に完全に魔力が枯渇した。
気力がなくなったとか言う以前に、実のところあの時、まともに起きていることすら難しくなったほどだ。
これまで、自分の魔力が尽きるという体験をほぼしてこなかっただけに、あの感覚はある種恐ろしいとすら思えた。
「神子である私でも……足りないという事ですよね」
魔力の保有量は潜在的に持つ資質によるところが大きい。
ある種の才能の世界だとされている。
だが、エルフィナにこの先必要とされているのは、七つの精霊王の力を同時に発動させるだけの力だ。
ただ、現在の自分がそれをやれば、それを維持できるのはおそらく一分もない。それでは、狭間の世界を越えることは出来ない。
魔力は元に戻っている感覚はあるのだが、それでも足りないということか。
あるいは――。
意識を内側に向ける。
今は精霊王たちは全員、狭間の世界とこの世界の中間の位置、つまり次元結界に待機している状態だ。そこにいる限り、エルフィナの魔力が消耗することはない。
精霊は、存在するだけで魔力を必要とする。
普通の精霊であれば、それは世界に遍く存在する魔力でその存在を維持できる。
だが、精霊王は別格。
その存在を維持するためには、膨大な魔力を必要とする。
故に精霊王は次元結界に宿るわけだが――。
(逆に言えば、次元結界であれば精霊王を容易に維持できるという事でもあるわけですよね……)
次元結界の魔力は膨大なもので、ほぼ無尽蔵に近い。
無論限度はあるだろう。
美佳が推測していた通り、古代に存在した統一国家エルスベルは次元結界を利用し過ぎた結果、結界の弱体化を招き、悪魔の侵攻を許してしまった可能性が高い。
ただ、あれは文字通り大陸中が膨大な魔力を次元結界から吸い上げていた結果だろう。
「そもそもで……どうやって次元結界から魔力を得ていたのか……」
次元結界は異なる次元に存在する。通常、接触することすら出来ない。
それを、エルスベルは可能にしていた。
「でも、考えてみたら今の私って、精霊王と接続が確立してるはずですよね……」
精霊との契約は、魔力によって術者と精霊を結びつける。これは、精霊王であっても同じだ。
名を与え、魔力を繋ぐ。それにより、名を呼ばれた精霊はいかなる場所にいようとも術者に応える。それが精霊使いの力だ。
これは、精霊王であろうとも同じだ。
ただ、待機している場所が身の周りか、次元結界の中か、という違いがある。
契約したことによって、次元結界の中にいる精霊王に対しても、今のエルフィナの呼びかけは届くわけで――。
「もしかして、次元結界に直接接触できるのでは」
エルフィナはベッドに横になったまま目を閉じた。
そして、自分の内側から、外へ伸びる魔力を感じ取っていく。
するとやはり、内側から外側へと通じる魔力があった。
それは物理的な外側ではなく、世界の外側。
つまり――。
(あ、やはり。これが……次元結界)
感覚的に手を伸ばす。
かつてファリウスの地下で見たあの次元結界が、エルフィナの目の前に広がっている感覚があった。
無限の輝きを宿すその結界に触れると――。
「え」
突然、膨大な量の魔力がエルフィナに流れ込んできた。
それは、瞬く間にエルフィナの中にあふれていく。
「ちょ、え。あふれ……あ、いえ、大丈夫……?」
人間が宿すことができる魔力には限界があるとされる。それを越えると、過剰になった魔力が肉体を傷つけることすらあるらしい。
だが、今のエルフィナは膨大な――普段自分が宿している魔力の軽く十倍以上――の魔力を宿してるのにも関わらず、全く負担がない。
「もしかして、私……というか、神子の魔力って、その限界は思ってたよりずっと多い……?」
こうしている間にも急速に魔力が吸収されていく。
ようやくその速度が鈍化した時、エルフィナは普段自分が宿している魔力の、軽く五十倍以上の魔力が自らに宿っているのを自覚した。
「すごい……これなら、精霊王四体同時でも、何の問題もない」
「ちょっと、なんかすごい魔力が……って、エルフィナ?」
「あ、美佳……」
いつの間にか美佳が戻ってきたらしい。
「なんかすごい魔力を感じたから急いで戻ってきたんだけど……ああ、なるほど。結界から魔力を吸収したのね」
「そう……みたいです。こんなことできるなんて思わなかったのですが」
「ますますフィオネラみたいねぇ」
その言葉に、エルフィナは驚いて美佳を見る。
「あの子も、結界から直接魔力を回復させることができたのよ。もっとも、末期のエルスベルはあまり魔力を使わない方がいいとは言って、あまりやらなかったけどね」
「もしかして、これがエルスベルの神王の……力?」
「それはないわね。あの子が言ってたけど、次元結界に直接接触できるのは、精霊王と契約した者だけらしいわ。だからエルフィナが出来る可能性はあると思ってたし、そのうち試してもらおうとは思っていたんだけど……自力で辿り着くとはね」
何気に無視できない話があった気がする。
「あの、フィオネラという人は、精霊王と契約していたのですか?」
「そうよ。……あら。言ってなかったかしら」
「聞いてないです……精霊王に頼んで結界を強化したとは聞きましたが」
ただ、考えてみたら精霊に頼みごとをする時点で契約してたと考えることは出来なくもなかったが。
「そういう事。これが代々のエルスベルの神王がそうだったのか、それは私も知らないけどね」
フィオネラが特別だったのか、それともエルスベルの神王がそういう存在だったのか。
ただ、エルスベルは次元結界を利用する技術を持っていたはずで、当然精霊王のことも知っていただろう。
あるいは精霊王の力すら利用してしまい、それによって次元結界のバランスを壊してしまったという可能性もあるかも知れない。
いずれにせよ、エルフィナがフィオネラ同様、精霊王との契約を成し遂げ、そして精霊王とのつながりを利用しての魔力回復――というより魔力の大幅増強――が可能になったことは大きい。
これで、魔力が枯渇することは、ほぼあり得なくなった。
「ますますフィオネラに近付いてるわね……ホントに。貴女、何者なのやら」
「う……不安になること言わないでください。やっぱりそこは、ちょっと怖いんですから」
「大丈夫よ。少なくとも今いる貴女がエルフィナという存在であることは、私が保証してあげる。貴女は断じて、フィオネラではないわ」
他ならぬ美佳の――竜であるファルネアの言葉。
それに少し安堵したエルフィナは、少し笑ってから――。
「あの、美佳。お昼ごはんにしません?」
「ただ、その食欲だけはフィオネラと同じね、ホントに」
思わず笑った美佳を見て、エルフィナも同じように笑うのだった。




