第313話 思わぬ騒動
初日の一年A組の舞台『新説 竹取物語』は大盛況のうちに終了した。特に話題になったのは、やはりあの最後の大立ち回りである。
高校生の劇はもちろん、プロの劇団でもそうは見れないほどの大迫力に、観客は大いに盛り上がったらしい。
他のクラスからもあのシーンをどうやったかという話が多く来たが――これに関してはクラス全員が口を噤んだ。
実は担任教員すら詳細を知らない。
さすがにあの、『本当は脚本なしで全力でやり合ってました』などという無茶は普通は認められない。
ああなったのは、あの最後のシーンの練習をしてる際に、エルフィナが「いっそみんなで本気で撃ち合ってみたらどうでしょう?」などと言い出したのが始まりである。
ただ、もちろん本気でやりあえば、倒されないように振舞うため、お互いにらみ合いなどが起きる。
なのでそれをしない、という条件で試しにやってみたところ、エルフィナの技量が際立ってたのと、その時相手を務めたのは剣道部の一年生のホープの川上明人という男子生徒だったのだが、その二人の打ち合いはかなりの迫力があった。
そしてなぜか一年A組には、剣道部などの経験者が多かったのである。
結果、この方が迫力が出るということで、このシーンの台本には『剣戟のシーン』としか書かれていない。
あとは各自アドリブでセリフを入れろとなっていただけである。
「しっかしマジでエルフィナさんすごいな。本格的に剣術やったことが?」
「ええと……そうですね。ちょっとだけ」
五年間みっちり父親にしごかれていたので、ちょっとだけというのはおそらく違うとは思うが、他に言いようもない。
「日本の剣道とは違うけどすごいな……どうせなら剣道部に……と言いたいけどお勧めは出来ないか」
「そうなんです?」
入るつもりはないが、そう言われると理由が気になった。
「うん、まあ……剣道着って、暑いから」
「ああ……うん、遠慮しますね」
「だよなぁ。まあ好きじゃなきゃ無理だよ」
そう言って明人は笑った。
剣を学んでいるという点で、少しだけコウを思い出さなくもないが、やはり感じは全然違う。
考えてみれば、コウは今二十歳で、彼はまだ十五歳か十六歳。人間のその年齢の違いは、小さくはない。
とりあえず片付けも着替えも終わり、明日の準備も一通り終わったところで、ちょうどお昼ご飯が食べたくなる時間帯になった。
文化祭実行中は、特に時間に縛りはないので、いつでも食事をしていいことにもなっている。
そして今日は、あとはフリータイムで、何なら帰ってもいいらしい。とはいえさすがにエルフィナもせっかくだから青蘭祭を楽しもうというつもりはある。
そんなわけでエルフィナは玲奈、柚香、由希子たちと一緒に文化祭をめぐることにしたが――。
「エルフィナさん、その焼きそばとチマキ、何個目ですか……」
「ほえ……えーっと……七個目?」
唖然とした三人の顔が並んだ。
これに関してはもうエルフィナは開き直っている。実際今も魔力の消耗はすさまじく、お腹がすぐ空いてくるのだ。むしろちゃんと一日三食プラス二食――おやつと夜食――で我慢しているのは褒めてほしいと思うくらいである。
これに関しては、今後精霊王との契約が増えることも考えると、かなり深刻な問題なのだ。
とりあえず食べ物を売ってる展示を中心に周りつつ、他にエルフィナが興味を持ったのは、意外だが郷土資料などの展示である。
「エフィちゃん、意外な趣味だね」
「そうですか? でも、自分の知らないことを知るのは楽しいですし、とても良くまとめられてると思いますし」
「そういえば、日本語があまりに上手だから忘れそうになりますが、エルフィナさん、まだ来日して一年経ってないんでしたっけ」
玲奈の言葉に、エルフィナはあいまいに頷いた。
一応、旅券には今年の二月に日本に来た記録が記載されているらしい。らしいというのは、最初に見ただけで当時エルフィナもよくわかってないのだ。
ああいう記録を偽造するのはとても難しいと今ではわかるが、そうなると美佳は何者かと思えてくる。
(まあ、話の通りなら一万年前からこの地球にいるんですしね……)
まだこの地球に文明もない時代。
そこからずっといれば、多分いろいろな繋がりや力を得ることもあるのだろう。まして、この世界では空想の産物とされている、魔法めいた力――というよりそれすらはるかに超える力を持つ竜だ。
話の通りならそれこそ核兵器だろうが美佳にとっては玩具かもしれない。
考えてみれば、本当に運がいい。
最初に、それこそ紛争地に出現していたら。
意識を失った状態の自分がどうなったかなど想像もしたくない。
美佳はフィオネラの魔力を感じて見つけてくれたわけだが、何千キロも離れていたら果たして来てくれたかどうか。
その美佳が言うのだから、この地球の知識を得ることは、きっと意味はあるのだとエルフィナは思っている。
そうやってあちこちの展示を巡ってるうちに、文化祭一日目の終了のアナウンスが流れ始めた。
「さて、そろそろお開きだねぇ。また明日頑張ろう」
柚香のセリフに、エルフィナ達も頷いた。
ちなみに柚香と玲奈はかぐや姫役であるエルフィナに使える侍女の役をやっている。由希子は照明係。かぐや姫登場シーンは由希子が必死に色々考えた結果らしい。
四人は一度教室に戻って荷物を回収。同じタイミングで帰る生徒らと挨拶をかわしつつ校門に向かうと、予想外の人物が立っていた。
「あれ。美佳?」
「そろそろ帰るだろうと思って。どうせなら一緒に帰りましょう」
「エルフィナさん、この方は?」
「えっと、確か竜崎さん、でしたよね。エフィちゃんのホームステイ先の人」
柚香は夏祭りの時に会ったので覚えていた。
「そうなのですか。初めまして。エルフィナさんのクラスメイトの渚由希子と申します」
「同じく、西恩寺玲奈です。よろしくお願いします」
それに対して美佳は少しだけ微笑んで、軽く会釈する。
「竜崎美佳よ。エルフィナと仲良くしてくれてありがとう」
その仕草と声に、三人がやや呆けていた。
「す、すごい美人ですね、エルフィナさん」
「そ、そうです……ね?」
「玲奈ちゃん、ダメだよ。エフィちゃん、自分の美貌にも自覚ないんだから」
「それは全くその通りですね……」
「あ、あの……?」
何か非難されている気がして、エルフィナは思わず戸惑う。
それを見て、玲奈たちが笑い出した。
エルフィナをそれでさらに不満気な顔になってしまう。
「さて、帰りましょう。エルフィナさんはここでお別れですね。また明日」
「はい。玲奈さん、柚香さん、由希子さん。また明日――え。あ、後ろ……」
「?」
直後。
玲奈と柚香の間を突き飛ばす様に男が走って割り込んできた。
一人分のスペースには少し足りなかった上、男はかなり大柄だったため、盛大にぶつかり、玲奈と柚香が突き飛ばされ、転んでしまう。
「きゃあ!?」
「玲奈さん柚香さん!?」
ぶつかった男――おそらく三十歳くらいか――も、バランスを崩したが、つんのめりつつバランスを保ったらしい。
そして、さらにその後ろから「待て!」と声が響いてきた。
(あれは……警察官?)
一瞬何事かとよくわからずエルフィナは倒れた二人に駆け寄ろうとし、美佳もさすがにそれに倣おうとした直後。
突然、美佳の首に男の太い腕が回された。
「ん?」
「う、動くな!! こ、こいつがどうなっても知らねえぞ!!」
よく見ると、男は右手に小さなナイフを持っていて、それを美佳に突き付けている。さらに左手には男には到底似合わない女性向けバッグを持っていること、警察に追われていることを考えれば、おそらくはひったくりか。
とはいえあっさり警察に追われる辺り、間抜けとしか言いようがないが――。
身長が百六十もない小柄な美佳を人質に取ったのは、分からなくはない。
が、それでもエルフィナは唖然としていた。
これで、玲奈や柚香、あるいは由希子が同じ状態になったら、本気で対処を考える所だが――。
(よ、よりによって美佳って)
おそらくこの地球上で一番人質にしてはならない相手だ。
まだエルフィナの方がマシだっただろう。
ただ、美佳は見た目は小柄な女性だ。
男の判断は分からなくないし、その判断を責めるのは酷だろう。
実際、警察はいったん足を止めた。
男の目は血走っていて、追い詰められていることがよくわかる。
というより――。
(かなり正気を失ってますね……ちょっと普通ではない?)
「いいか、動くなよ! 動いたらこの女が……!?」
直後。
男が突然崩れ落ちた。
美佳にややもたれかかるようになったが、美佳がわずかに体をずらすと、そのまま地面に倒れこんだ。
周囲は何が起きたかわからず唖然としていたが、警察官はさすがにすぐ動き、男を確保する。ただ、男は完全に気を失っていた。
すぐに応援の警察官が来て、男は車に乗せられて連れていかれる。
一方の美佳は平然としたものだが、少し渋い顔をしていた。
そこに、女性警官が近付いてくる。
「怪我などは大丈夫ですか」
「ええ。勝手に気絶したようだし、私は何ともないわ。帰ってもいいかしら?」
「え、えっとできれば確認を……」
「私がなんともないと言ってるの。帰ってもいいわよね?」
「は、はい……わかりました」
その様子を見ていた玲奈たちは少し唖然としている。
「あの、竜崎さん、大丈夫だったんですか?」
「大丈夫よ。あの男が勝手に気絶しただけだし。エルフィナ、帰りましょうか」
「は、はあ……わかりました。では玲奈さん、柚香さん、由希子さん、また明日」
「あ、はい。それでは……」
エルフィナは会釈をして、美佳と二人歩き始める。
やがて周囲に人がいなくなったところで、美佳の方に少し視線を向けた。
「あの、美佳。何をしたんですか?」
もちろん周囲には聞こえないように――こっそり風の精霊の力まで使って――している。
「別に。ちょっと十秒ほど、体内の重力の影響を通常の十倍にしてあげただけよ」
「は?」
「人間、大体六倍くらいの重力がかかると直立してたら脳から血液が一気になくなるの。それで失神したってわけ」
相変わらず無茶苦茶だった。
しかも体内だけと来たものだ。
「警官にも何かしましたよね……」
「あっちは別に。ちゃんといい含めただけよ。事情聴取なんて面倒だしね」
「まあいいですけど……あの男の人、よりによって最悪の相手選びましたからね……命があっただけ良かったというべきか」
「ひどいわね。私だってあそこで殺してしまったらさすがにまずいとはわかるわよ。ただ……」
「ただ?」
「ちょっと妙だったわね、あの男」
「そうなんですか?」
追い詰められて強盗に走るくらいは珍しくないと思ってしまうエルフィナとしては、さほどおかしいとは思わない。
「クレスティアと同じにしないことね。特にこの日本であんな強引なひったくりを、それも警官がすぐ駆け付けるような場所でやるのもおかしな話よ。普通、逃げる手段を十分に確保してからやる。だから間違いなく衝動的なんだろうけど」
言われてから、エルフィナも少し考えた。
確かに、クレスティアに比べると特にこの日本の治安は段違いに良い。
良すぎると思えるくらいだ。
それだけに、あのような輩はエルフィナも初めて見た。
「気絶する際に、ちょっと変な感じがしたのよね……早まったかしら」
「変な感じ?」
「ええ。まあ気のせいかも知れないけど。まあ大したことではないでしょう。そういえばエルフィナ、いい演技だったわね」
「う……まあ、アルス王立学院の時よりは、マシですが」
「それ観てみたいのだけどね……さすがに時間遡行は私達でも出来ないから、やっぱ実演してもらうしかないかしら」
「絶対やりませんよ!?」
今回で演技に慣れたから、いくつかの役はむしろ無難にこなせる気がする。
ただそれでも、ロマンスシーンはやりたくない。
相手がコウでも、多分恥ずかしさで固まる自信がある。
二人きりなら――考えなくもないというか甘えたいところだが。
「会えるといいわね、その、コウという人に」
「……はい」
まるで考えを見抜いたような美佳の言葉に、エルフィナは微笑んで頷くのだった。




