第310話 妖精弓姫
一通りの球技の体験を終えたところで、お昼時となった。
午後も運動系の部活を少し回る予定なので、四人は体育着のまま、お昼ごはんにすることにする。
場所は中庭。ここは木々の影になるようにテーブルやいすがたくさんあって、さながらオープンテラスのようになっているのだ。そこに各自、お弁当を持ってくる。
「相変わらず……エルフィナさんのお弁当はすごいですね。というか夏休み終わってから大きくなってませんか」
「う……だってお腹すくんです」
エルフィナのお弁当は朝自分で作ってきているのだが、今日のお弁当は巨大おにぎり四つ、唐揚げ(十個ほど)、卵焼き(卵三個分)、ブロッコリーとソーセージの炒め物、ほうれん草のバター炒め、ハンバーグ(ミニサイズではない)。それにバナナ三本と桃二個分。
それが巨大な重箱の様な弁当箱二段に詰まっている。なお、果物類は別だ。
実は夏休み前までは、多少大きい――運動部の男子並み――の弁当で満足していた。それでも大きいという評判はあったわけだが、それが夏休み以降大幅に大きくなっている。
さすがにあまりに目立つので、基本教室以外で食べるようにしているほどだ。
理由は魔力消耗度合いが大幅に上がったからである。
精霊使いは精霊と契約することでその力を借りられる。
そして契約した精霊は、基本術者の近くに待機し、必要に応じて術者の魔力を受けて現界し、力を揮うのだ
ただ、エルフィナが元々契約していた精霊は、現在はコウが作ってくれた精霊珠の中に常時現界し、待機している。
この場合常に魔力を消耗し続けるのだが、エルフィナの膨大な魔力はその程度であれば全く問題なく維持できた。これは、精霊珠自体に現界するための力を補助する法術が付与されていることも大きい。
しかしそこに生じた問題が精霊王との契約である。
基本、精霊王たちは当然普段は位相の異なる結界の中にいる――はずなのだが。
契約して最初の頃はそうしてくれていたのだが、どういう影響を受けたのか、やたらと現界したがった。
もちろん、完全に現界したら大騒ぎどころでは済まないので、力は絞っているらしく、外部を知覚する程度のようだが、力を絞ってくれていても消耗する魔力は変わらないらしい。
そして精霊王の現界を維持するための魔力は、通常の精霊の比ではなかった。
感覚的には数百倍から一千倍ほど。
神子であるエルフィナの魔力は常人の比ではない。なのだが、それを以ってなお、消耗してしまうほどの魔力を消費する。
結果、エルフィナは常時魔力を消耗する状態になってしまっているのである。
そして厄介なことに、神子の魔力補充は、通常の方法――休息などで魔力を周囲から吸収する――ではほぼ出来ない。基本、食事で何とかするしかないのだ。
精霊王側も分かっているのか、エルフィナが寝る時や魔力が減ってくると――具体的には半分程度になると――ちゃんと現界を解いて、魔力消費を抑えてくれる。
それなら最初からそうしてくれと言いたいが、どうにもエルフィナの、いわば精神をコピーして生まれた通常の精霊の自我と異なり、やたらと我侭だ。
この状況は美佳も憂いていて、現在精霊王用の精霊珠を作るための材料を探してくれているらしい。
そんなわけで当面、魔力消費でお腹がすく分、弁当が大きくなっているわけである。
「その量がどうしてエルフィナさんのお腹に収まるのかが不思議ですわね……」
玲奈の弁当は、多分エルフィナの二十分の一もないだろう。
運動部に所属する由希子でも、せいぜい十分の一程度だ。
「普通にフードファイターとかになれそうな勢いだよね、エフィちゃん」
かつて同じ神子であるティナがそういう催しで優勝したことがあるらしいが、正直神子がそれに参加するのはズルだとは思う。
もちろんそんなことで目立つつもりは、エルフィナにはもちろんない。
「え、遠慮します。多分そこまでじゃないと、思いますし」
最近テレビでそういうのも見るが、正直に言えばやろうと思えば多分同等以上のことは出来てしまうだろう。もしかしたらあの人たちも神子なのではと思いたくなるが。
「それはともかく……午後はまず弓道部いってみましょうか。エルフィナさんが弓が出来るという話ですが、和弓と洋弓では違うでしょうし」
「そう……なんですか?」
由希子の言葉にエルフィナは首を傾げた。
確かに弓は大きさによる違いはあるが、それ以外に何かあるのか。
「見てみた方が早いとは思いますよ。……って、もう食べ終わったんですか」
いつの間にかエルフィナの弁当箱は空であった。すでに最後の桃を食べている状態だ。
「……いっそフードファイター部作ったら……部費が全部食費に消えるね……」
柚香のつぶやきに、玲奈と由希子が深く頷き、エルフィナは顔を真っ赤にしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「これが……弓道」
エルフィナは少し驚きつつそれを見ていた。
服装が全然違う。どちらかというと動くのには向いていないように見える服装だが、どこか清廉さを感じる。
弓もエルフィナが使っていたそれに比べるとかなり大きい。
「タイミングよかったねぇ。お昼直後でまだ誰も来てないから、すぐやれるよ」
どうやら弓道部は人気らしく、エルフィナ達四人が案内されている間に、次々に体験希望が列を成していた。
とりあえず四人は更衣室に案内されて、着替えを渡される。
部員の一人が着方を分かりやすく解説してくれた。
「エルフィナさんがそういう服を着てるのは、なんかとても素敵ですね」
「そ、そうですか……?」
「うん。そういえば浴衣も可愛かった!」
「え。柚香さん、エルフィナさんの浴衣姿を見たことがあるのですか?」
「ほら、夏祭りで偶然会った時。エフィちゃん浴衣着てたの」
そういうと柚香はスマホを取り出し、玲奈と由希子に見せていた。
恥ずかしい写真というわけではないが、何とも言えない気恥ずかしさを感じたエルフィナは、部員に早く移動するようにと目で求めたが、その部員まで柚香の写真に注目して「可愛い~」などと言っている。
「あ、あの、まだたくさん人がいるんですし」
「あ、ごめんごめん」
やっと更衣室から出た四人は、射場に出た。
「弓道はその名の通り、競技というより礼法に近い部分もあってね。一応体験会だから、的に向けて射ることまでやってもらうつもりだけど」
そう言いながら、先輩と思われる部員が説明してくれた。
射法八節というその一連の動作は、一つ一つは小さな動きだが、その先輩が一連の動きとして実演して見せると、流れるような美しさがある。
四人は思わず、ため息が出ていた。
「もちろん、的に中ることは大事だけど、一つ一つの動きをおろそかにせず、心を残す……というのかな。まあまずは矢を番えずにやってみようか」
言われて、四人――あとから来た人もいたので合計八人――は先輩の動きを真似る。
(なるほど。弓が大きい分、迂闊な動きは逆にバランスを崩しますね)
動きが画一化されているから、逆に目を閉じていても弓の状態も体の向いている方向も知覚できる気がする。これはこれで、矢を射るのであればある意味合理的だと思えた。
剣と違い、矢は射放してしまえばもうその先は矢が飛ぶのに任せるしかない。
エルフィナの場合は風の精霊の力を借りれば軌道を変えたりすることもできるが、エルフィナは基本そういうことをすることはない。
だからこそ、放つまでの全てで矢が到達するまでの全てを掴み、射る。エルフィナにとって、弓とはそういうものだった。
「すごいね。ええと……エルフィナさん、だっけ。動きが凄くきれいだ」
「あ、ありがとうございます」
「どうです、先生」
「うん。確かにこれだけきれいなフォームなら、試しに射てみないかい?」
「えっと……じゃあ、少し」
渡された矢は、エルフィナに馴染みのある木製の矢ではない。金属製のようだ。しかし驚くほど軽い。軽く持ってみると、普段使う矢とは少しバランスが違う。
エルフィナは一度目を閉じ、それからゆっくりと開いた。
感覚が研ぎ澄まされていって、的がより大きく見える感覚になる。
軽く息を吸い、それからゆっくりと吐くと――先ほど教えられた射法八節を順番になぞる。といっても無理に意識しなくても、自然その動きになっていった。
奇妙なほど周りが静かな気がしたが――それはそれで心地よく、ゆっくりと矢を番えて弦を弾き絞った。
射法八節で会と呼ばれる状態で静止する。
普段だと、ほとんど間髪入れずに矢を放つが、この状態で静止し、狙いを絞る感覚は逆に新鮮に思えた。
どこまでも感覚が細く、広く拡大し――どうやっても外しようがない、というほどに的までの軌道が見える。
その感覚と、身体のわずかなブレが一致した時――エルフィナは自然、矢を放っていた。
放たれた矢は一瞬で的に飛来し、的の中央を打ち抜いた。
一瞬の静寂の後、周りから歓声が溢れる。
「すごい、いきなり的に当てるなんて。それも……完璧に真ん中じゃない!?」
先ほど射法八節を教えてくれた先輩が驚いていた。
エルフィナとしては、むしろこれだけゆっくり集中して射ることができるなら狙いを外しようがないのが本音なのだが、さすがにそれを言うことはない。
「上手くいきました。ちょっと勝手が違うけど、弓は弓だったので」
「え? エルフィナさん、アーチェリーか何かやってたの?」
「えっとその、アーチェリーとかではないんですが、弓を使ったことはあって。でも、なんかこの競技、凄く集中できる感じですね」
「もう一度射てみる? 本来は最低二射するものだし」
「あ、じゃあ……やってみます」
そういうと、再びエルフィナは矢を持ち、先ほどと同様に構えた。
(さすがに、矢に当てたら……まずいですよね。壊れますし)
多分やろうと思えば、今的に刺さっている矢に後ろから当てることができる。ただそうしてしまうと、さすがに矢がどちらも傷つく可能性があるから、避けるべきだろう。
エルフィナは再び集中し、先に当てた場所から、矢一本分だけ上にずらした場所に向けて射放し、当然のようにそこに命中させた。
弓道場は、一瞬水を打ったように静まり返った後、再び歓声が沸き起こった。
「西恩寺さん、あの留学生、何者……?」
「私もエルフィナさんが弓が得意というのは先日聞いたばかりなので……これほどとは思いませんでした」
「面白かったです。ありがとうございました」
「た、試しにもう二射してみない?」
「えっと……私だけがそんなに、いいんですか?」
するとむしろ弓道場にいる全員が大きく頷いている。
なんとも面はゆいが、悪い気はしなかったので続けて二射したエルフィナは、今度は先の矢の下と右にずらした場所に射た。
「……エルフィナさん、もしかして、その、最初の矢の隣を正確に……狙ってる?」
「はい、そうですね。慣れない大きな弓ですが、あの射法八節に従うととても扱いやすいと思えました。楽しかったです。ありがとうございました」
エルフィナはそういうと、弓を先輩に渡した。
「あの、エルフィナさん……だっけ。弓道部入らない? 貴女なら、大会でもすごく活躍できそう。というか日本一だって夢じゃない気がするわ」
「え、えっと……その、やりたいことが色々あるので、すみません」
一瞬興味がなくもなかったが、この手の運動部は長期休みなどでは合宿をしたり大会があったりと拘束時間があるというのは知っている。
精霊王との契約をしなければならないエルフィナとしては、それらに参加しているわけにはいかないのだ。
「うう……残念。でも、気が変わったら是非!」
「私からもお願いしたい。技量もさることながら、射形も素晴らしかったよ」
先生にまでいわれて、エルフィナとしては恐縮するしかない。
少しやり過ぎたのかと思ったが、楽しかったのは事実だ。
ちなみにその後、玲奈や柚香、由希子も体験していたが、彼女らを含めて、的に当てられたのは一人もいなかった。
その後しばらく、エルフィナはこっそりと妖精姫ではなく、妖精の弓姫と呼ばれていたとかいないとか。




