第308話 猶予期間の過ごし方
「どういう……ことだ?」
先ほどヴェルヴスの力ならクレスティア大陸に戻れるという話だった。
確かに言われた通り、あの悪意の王と戦って、今勝てるかと言われると――難しい。
あの時、コウは文字通り持てる力の全てを出していた。
唯一発揮出来ていない力があるとすれば、あのエルフィナを救った時に一瞬だけ感じられた、自分の中に眠る力。
原初文字である[神]すら打ち消すほどの力だ。
あれならば、あの悪意の王が持つ[虚無]に対抗できる可能性があるだろう。
使い方が全く分からないが。
ただそれも、クレスティア大陸に戻れなければどうにもならない。
考えてみたら、ここはヴェルヴスの世界ということだが、そもそもそれの意味が分からなかった。
「言葉通りだ。我でもさすがに距離が開き過ぎていて、そうやすやすとクレスティア大陸には戻れぬ。そのためにその武器に我が力を付与し、道標としていたのだが、まさかそれが狭間に飛び出すとは思わなんだ」
コウは意味が分からず首を傾げる。
「……ああ、そうか。貴様は世界の在り様をそもそも理解していないか」
「在り様?」
「確か貴様は別の世界から来たと言っていたな」
「ああ。地球という惑星だ」
「我もその世界には行ったことはないが――面倒だが説明してやろう」
ヴェルヴスはそういうと、面倒くさそうにしながら意外に丁寧に説明してくれた。
正直に言うなら、粗暴な雰囲気があるのに教え方の上手い教師のようだ。
あまりに意外な一面だが。
そのおかげで、コウは狭間の世界、クレスティア大陸世界、地球の関係はおおむね理解できた。
「おおむね分かったが……じゃあここは、どこなんだ?」
「先も言ったであろう。《《我》》そのものと」
「それは……なんとなく意味は分かるのだが」
とはいえ、世界そのものが竜であるというのはあまりにもスケールが大きすぎる話で、コウは一応理解したつもりでも捉えきれているとはいいがたい。
「じゃあ、その『狭間の世界』とやらに在る世界の一つなのか?」
「その通りだ。さすがに、地球やクレスティア大陸ほど広くはないがな」
そもそもで『地球』というのは一体どこまでがあの世界なのか。
コウが漠然と知る知識だと、地球はもちろん太陽系、銀河系、銀河団といった規模で大きくなり、その大きさは確か百五十億光年だったそのくらい。
それはもはやとんでもないサイズだ。
クレスティア大陸にしたところで、あのファリウス航宙船を建造していたということは、少なくとも統一国家エルスベルの時代にはあの惑星を飛び出して宇宙に進出していたのは間違いない。
概念的な広さで言えば地球と大差ないだろう。
「そういう事であるなら、お前がいた世界とクレスティア大陸のある世界は、同じ世界に存在すると言ってもいいだろう。それは、こことて同じだ」
「なに?」
「狭間の世界は――お前の理解で言うなら、一種の亜空間だ。通常空間の座標が入り乱れ、混在している。故に、本来行き来不可能なはずの距離があっても、世界の距離が近くなる」
さらにヴェルヴスは次元結界についても説明してくれた。
次元結界は、狭間の世界と通常空間を隔てる存在であると同時に、その結界の内側に余計な存在が入り込むのを防ぐための結界だという。
これにより、クレスティア大陸にも悪魔が容易に現れられなくなるらしい。
地球も次元結界で守られた世界だというのは驚くばかりだが。
そもそもこの宇宙には魔力と呼ばれる力はふんだんにあり、それはどの世界も同じだという。つまり地球にも、魔力はあったらしい。
そして物理的には確かに同じ宇宙に存在はしているが、その距離があまりに遠く、本来は行き来することは不可能。それを可能にしてしまうのが、狭間の世界といういわば『歪んだ』空間らしい。
いわば、位置関係がぐちゃぐちゃになったもう一つの宇宙の様なものだろう。
ただ、その狭間の世界では『似た』世界は近付き合う傾向にあるらしい。
「ということは、もしかして地球にも悪魔は現れることがあるのか?」
「極めて稀だろうがな。地球とやらは我は知らぬが、通常、次元結界は極めて強固で、それを越えて異界の者が入り込むことも、そして出ることもほとんど不可能に近い。我ら竜の様な存在は例外だ」
それでも、地球に悪魔の伝承が残っているのは、あるいはその稀な出現例なのかもしれない。
さらに、そもそも狭間の世界では通常、物理的な存在は存在を保つことがほぼ不可能であるという。
悪魔は基本的に実体を持たない魔力だけの存在だからかろうじて可能らしい。
「だがそれなら、ここ……も惑星か? ここから移動すれば地球にいつかはたどり着く、のか?」
「可能だろうな。ただそれに、お前の時間でどのくらいかかるかは分からんぞ。そもそも方向が分かるのか?」
返す言葉もなかった。
宇宙空間へ闇雲に飛び出したところで、目的地にたどり着けるはずなどない。
さらに、どれほど距離があるか分かったものではない。
「じゃあ、狭間の世界を越えることは……?」
「そちらの方が現実的だろうな。なぜかお前は狭間の世界で生きていられるようだし」
「そう……なのか?」
「その武器――それがあるから、此度は守られていた可能性はある。だが、そもそも我と最初に会った時、お前は地球からあの大陸の世界へ狭間の世界を越えてきたのだろう。つまりそれは、生身であそこを越える力がお前にあったことになる」
ヴェルヴスによると、肉体がある存在で狭間の世界を越えられるのは、竜くらいしかいないという。
だが、自分にそんな特別な力は――思い当たるのは一つだけだ。
関係しているか分からないが、原初文字を打ち破れるほどの力であれば、何かあるかも知れない。
ただどちらにせよ、狭間の世界に行く方法も、そしてどのように行けばクレスティア大陸に戻れるかもわからない。
ただ、絶対に戻る。
そして、エルフィナ達の仇を取らなければ、そもそも遠からず気が狂うとすら思えた。
「いきり立つのは良いが、先ほども言った。《《しばらく》》あの世界には行けぬ、とな」
「どういうことだ」
先ほどの問いをもう一度繰り返す。
「狭間の世界は常に揺らいでいてな。いつも同じ位置関係にあるわけではない。この辺りは宇宙で星々が動くのと同じだ。先に言った通り、今狭間の世界に行ったところで、クレスティア大陸に行くのは、宇宙に飛び出すのと何ら変わらんということだ」
言葉に詰まる。
つまりヴェルヴス自身も再びクレスティア大陸に行くことは出来ないという事か。
では、コウはこの世界で、エルフィナ達にも再会できず、ただ朽ちていくことしかできないという事か。
「逸るな。《《しばらくは》》と言ったであろう」
「竜の『しばらく』ってのはどのくらいだ? 俺の感覚で、百年か? 千年か?」
「……仮に我にそこまで強く突っかかれるのは、お前くらいだろうな。今も本能では恐れておるだろうに」
分かっていた。
もし今、目の前のヴェルヴスと戦えば、おそらく一瞬でコウは文字通りバラバラにされてしまう。
そのくらいの差があることは、肌で感じている。
ただそれでも、このやるせない怒りと憎しみは、それすらねじ伏せるほどの強さでコウの身体を駆け巡っているのだ。
「安心しろ。お前の感覚だと……クレスティア大陸の暦でいえば、せいぜい三年程度だ」
「三年……」
短いとは言えない。
だが、長すぎるということもない、微妙な時間だ。
「時が来れば我がお前をクレスティア大陸に送ってやろう」
「……今更だが、いいのか?」
「構わん。我もいく」
「は?」
「元々またその武器を起点に戻るつもりであった。いつにするか特に決めておらんかったが、そういう契機があるのであればせぬ理由もない」
ヴェルヴスはどうやらいつでも戻ることはできたらしい。
それなら、あのファリウスの結界の間で戦っている時に来てくれれば――と思うが、それは都合が良すぎるだろう。
とはいえ、エルフィナを失った喪失感は埋めようもなく――。
「これ、は……」
ふと、左手についていた腕輪が目に留まった。
あの、コウの誕生日の際にエルフィナから贈られた腕輪だ。
二つ一組でお互いに持って、お互いの位置がなんとなくわかるような術が施されたと言っていたが――。
「……エル……フィナの、腕輪の反応が、まだ、ある……?」
どこにいるのかなどは全く分からない。
だが、腕輪に付与された術はまだ間違いなく維持されていて、もう一つの腕輪を感知している。
正直どういう理屈かすらもう分からない様な奇跡だ。
もちろん、腕輪だけがどこかにあって、エルフィナはもう死んでいる可能性だってある。
だがなぜかコウは、エルフィナがまだ生きているように思えた。
全く根拠のない、希望的観測でしかないが――可能性はあるように思えたのだ。
「生きていて、くれ――」
少なくとも希望はある。今の彼女がどういう状況にあるのか全く分からないが、生きているのならば再会の可能性はあるのだ。ならば、絶望と怒りに任せて自暴自棄になっている場合ではない。
「ヴェルヴス。三年後――それなら、クレスティア大陸に戻れるのだな」
「うむ。それは約束しよう。間違いなく送ってやる」
そうなると、その三年ここで過ごすしかないのだが――。
あらためてみわたすと、本当に何もない。
ただひたすら荒野が続いている。
「この世界、他に人はいないのか?」
「この世界には他に人もおらぬがな。本来まともに人間が生きていける場所ですらないのだが」
「考えてみたら普通に呼吸できているのも異様だよな……それにやたら身体が重いし」
どう考えても竜が普通に呼吸する生物だとは思えない。
そもそも生物であるのかすら怪しい。
ただ、それはともかくここで三年も過ごすとなると、食料の問題から出てきそうな気がする。
「今のこの環境は、お前がいる。ああ、食料は気にせずともよい。ここでは魔力がそのまま体に吸収され、活力となる。故に食事は不要だ」
それはそれで微妙な気分になる。
食事が不要というのは助かるが――精神衛生上はあまりよくはない気がする。ただ、それを竜に言っても仕方ないが。
「それから、身体が重いのはおそらく重力の違いだろうな。この世界の重力は、クレスティア大陸の二倍程度はあった筈だ」
「な!?」
道理で、である。
先ほどから立っているだけでも身体が疲れてくるのだ。
「それに、そのままクレスティアに戻ったところで、悪意の王には勝てまい。少し鍛え直してやろう」
「え?」
直後、コウは反射的に伏せた。その、一瞬前までコウの頭があった場所を、ヴェルヴスの強烈な蹴りが通り抜ける。
それはどう考えても頭が砕けるかと思えるような威力で――。
直後、暴風が吹き荒れた。
「なあ!?」
暴風に吹き飛ばされたコウは何とか体勢を立て直して地面に膝立ちになる。
そこにさらに、ヴェルヴスの拳が襲い掛かった。
その速度は圧倒的で、まともには対処していられない。
コウは一瞬で魔技で全身を強化、かろうじて受け流す。強化していなければ、そもそも触れた瞬間に吹き飛ばされていただろうとすら思えた。
さらに回し蹴りが来たのを、かろうじて避ける。
が。
「ほう。なかなか面白い力だ」
直後、コウは腹部に強烈な衝撃を受けて、軽く二十メートル以上吹き飛んだ。
「あ、がっ……」
全身に凄まじい激痛が走る。すぐさま治癒法術を発動させ、身体を傷を何とか癒す。
「な、にをする」
「なに、三年あるのだ。少しばかり鍛えてやろうと思ってな。我も暇つぶしになる。どうせこのまま戻ったところで悪意の王には勝てぬ。ならばこの期間を猶予と考え、鍛えない理由は無かろう?」
冗談ではないらしい。
しかしコウからしてみたら、冗談でもたまったものではない。
あの、クレスティア大陸に来た時に戦ったヴェルヴスの方がまだマシに思える。
ここにいるのは、黒竜ヴェルヴスの、その本人だ。
人間のような形になっているとはいえ、その膂力も魔力も、桁外れどころではない。
「人間には適度に休息が必要なのも分かっておる。死ぬ前には休みもやろう。それに無学というわけにもいかぬしな」
「ちょ、ちょっと待て……!?」
当然だがヴェルヴスはそんなコウの悲鳴を聞くことはなく。
コウは、とにかく必死にヴェルヴスの攻撃をいなし続けるしかなかった。
三年間、わずかな休みを除きずっと――。
コウはコウで生きてました。
生きてたというのか、これ……という説もありますが。
エルフィナが地球で美味しいモノ食べて学生してる頃に、コウは地獄見てました(酷)
次話からまた地球編再会します(ぇ




