第306話 休み明けの学校
一か月ぶり以上の学校は、すでに学生の多くがその校門を抜けようとしていた。
今日は九月一日。ネットなどによると、多くの学校はもう始まっているところも多いらしいが、聖華高校の夏休み明けは九月一日からだ。
ちょうど月曜日だが、初日から講義がある。
「あ、おはようございます、玲奈さん」
教室に行く廊下の途中で、西恩寺玲奈がいた。
「おはようございます、エルフィナさん。お久しぶりですね。夏休みはどうでした?」
「とりあえず今の暑さに滅入ってます……」
スウェーデンには、結局八月の末頃まで居た。
その後、学校が始まるタイミングに合わせて帰ることになり、あちらを出たのは八月の二十三日。
そこから列車で近くの都市へ。行きと違い、今度はここから飛行機だったのだ。
なぜ行には使わなかったのかと聞いたら、行は接続が悪く、結局空港のある街で一泊することにからだったらしい。
この世界の交通網の便利さには本当にいつも驚かされるが、そういう不便さもあるようだ。
「ああ……故国に行ってらしたんですね。スウェーデンでしたっけ」
「はい。それもだいぶ北なので……こっちに比べると涼しくて」
というより日本が暑すぎる。
帰国して、空港内はともかく外に出た時の空気のあの『むわっ』とした肌にまとわりつく様な感触に、一瞬何が起きたのかと思ったほどだ。
「北欧は涼しいと聞きますしね」
「あとでお土産もお渡ししますね」
「それは楽しみです」
二人は並んで教室に入る
「おー。玲奈ちゃん、エフィちゃんおはようっ。エフィちゃんはお祭り以来だね」
すでに教室に入っていた烏丸柚香と渚由希子が、手を挙げて二人に挨拶した。
現在、この四人は席が近い。
「お祭り……?」
「そそ。偶然なんだけどさ。八月の上旬に、エフィちゃんと地元のお祭りで遭遇したの」
玲奈と由希子がエルフィナの方を見てきたので、エルフィナも小さく頷く。これを隠す理由はないが――。
「で、その時にはっきり聞いたんだよね、エフィちゃんの好きな人の話」
「はい!?」
「え!?」
二人の驚く声に、教室の注目が集まる。
「……柚香さん。その話をするなら、私も柚香さんの話をするということでいいんですよね?」
「う……」
すると由希子がこれ以上ないほど愉しそうな笑みを二人に向けた。
「お二人とも是非お話を。うふふ。ああ、そういえば玲奈さんも確か婚約者がいらっしゃいますよね」
「婚約者……いるのですか」
婚約者と聞くと、真っ先に思い出すのはアルガンドのステファニーだ。
今頃どうしているだろうと思うが。
そういえば、玲奈と柚香は共にこの国でかつて貴族の地位にあったから、そういう話もあるのか。
ただ、柚香の場合は普通に他校の生徒の話だったので、そのあたりは個人個人で事情が違うのかもしれない。
ちなみに柚香にコウのことを話はしたが、コウとは里帰りでも会えないことになっている。実際会えないのだから仕方ない。
コウが別の地域に行っていてそうそう押し掛けることが出来ない地域ということにしているのだ。
本当のことはもちろん言えるはずもない。
由希子が嬉しそうに追及の手を誰に伸ばそうかと見定めている間に、担任教師がやってきていったん解散となった。
あの様子では逃がしてくれるかは怪しいが。
教師が全員の出席を点呼で確認していく。
どうやら全員いるようだ。
「よし、全員元気だな。夏休み、全員それぞれ楽しんだだろうが、今日からまた気持ちを入れ替えて頑張ってくれ」
「先生は夏休みどうしてたんですかー?」
「俺か? 嫁さんの実家行ったりしたくらいだぞ。北海道の地方だから涼しかったな」
ちなみにこのクラスの担任教師は三十半ば。
なんでも去年結婚したらしい。
エルフィナは内心、人間としては三十過ぎての結婚は遅い気がしたが、考えてみたらアルガンド王国の王弟ハインリヒがそういえばまだ未婚だったので、地球もクレスティアも、人それぞれなのだろう。
考えてみたら、コウにそのあたりの結婚観を聞いたことはなかったが――とりあえずこの国が一夫一妻制なのは確かだし、コウが自分以外にそういう気持ちを向けることはないという信頼もある。
そうしてるうちに授業が始まり、エルフィナは気持ちを切り替えつつ勉強に集中するのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
初日は午前中で学校が終わったのもあり、エルフィナは玲奈たちに誘われて学校から少し行ったところで昼食をとりつつ夏休みの報告をしあうことになった。
エルフィナは北欧に行っていたことはもちろん素直に話したが、さすがにアイスランドは伏せている。ただ、ハワイに行ったことを話すと、やはり真っ先に噴火が大丈夫だったかと言われてしまった。
他に、コウの事などは柚香に話した以上の事は話さず――というより、柚香が気になっている人が実は由希子の知り合いの可能性が出てきて、そちらで話が盛り上がってしまった。
ラクティもそうだったが、この位の年齢の女性がこういう話が好きなのは、世界が変わっても同じなのだろう。
あの、エンベルクで夜にラクティと語り明かした時、多分ラクティもこんな気持ちだったのだろうと思う。
あの時はエルフィナはその気持ちをほとんど理解できなかったが――今ならわかるし、あの時のことはいつかお礼を言いたいとすら思っている。
「しかし……エルフィナさん、ハワイも行ってたのはすごいですね。噴火は大変だったでしょうけど」
「そうですね……びっくりしましたが、キラウェア火山ではいつでもあり得ることとのことでしたし」
その原因となった存在がそもそも今ここにいるのだが。
「でも今年の夏も本当に暑かったですからね。その意味では、エルフィナさんは良かったのかもしれません」
「そういえば、玲奈さんも海外に?」
「ええ……といっても二週間ほど。カナダですね。兄の付き添いです」
「いいなぁ。お兄さんがかっこいい人は。うちの兄なんて、もう……そういえばエフィちゃんにも見とれてたけど、あの……エフィちゃんの同居人の人が一睨みしたらすぐ引き下がったよね」
「同居人?」
玲奈と由希子が同時にエルフィナに振り返った。
ちょうどコーヒーをすすっていたエルフィナは、反応に困り一瞬固まってしまう。
「えっと、私のホームステイ先の人です。現在の私の保護者でもあって、知り合いの人ですね」
嘘は言ってない。
「すっごい綺麗な人でね。年齢が全然わかんない人だった。私達より年下にも見えるし、でもすっごい上にも見えるしで」
「どんな方か想像できませんね……エルフィナさん、写真とかないんですか?」
「えっと……」
さすがにそれくらいは見せても問題はないと思い、スマホを取り出す。
ちょうど北欧で撮った写真があった。
「この人ですね。竜崎美佳。一応日本人です」
「わあ、可愛いですね。……でも、確かに年齢わからないですね……写真だけだと同年代くらいに見えますけど、違いますよね」
「それはさすがに……」
「エフィちゃんこないだも教えてくれなかったよね」
「実は、私も正確な年齢は知らないので……」
というか本人(本竜)も把握してない。
「あ、そうなんだ。免許証とか見せてもらったりは?」
「普通人にそういうものって見せます?」
こちらの常識はエルフィナには分からないが、証の紋章も必要な時以外は人に見せることはあまりない。
それ同じようなものだと思っている。
「……確かに」
柚香が納得したようにうなずいていた。
「しかしエルフィナさんの恋人の写真がないのは残念ですね……本当にないんですか?」
玲奈がなおも追及してくるが――あるはずはない。
やろうと思えば、精霊行使でコウのイメージを投影することは不可能ではない気がするが、もちろんやるわけにもいかず。
「日本に来る際にスマホを新調してたので……それに彼は、写真は好きじゃなかったですから」
これは適当だが、多分コウは写真を嫌う気がしていた。
ただ、もしこういう機会があったら、コウはそれでも応じてはくれた気はするが――そういう意味では、この手軽に映像を記録できるスマホを、なんとかあっちでも使えるようにして持って帰りたくはなる。
ちなみに柚香の気になってる人と玲奈の婚約者の写真は見せてもらったが、どちらも柔和そうな人物だった。
そうしている間に話題は今後の学校の予定――秋の文化祭など――に移っていく。
美佳によると、次に精霊王と接触するのは冬とのことなので、それまでは学生でいるのだろう。
あまりに平和で少し気が抜けてしまうところはあるが――それでも、かつてコウが過ごしたのと同じ環境を体験できているというのは、エルフィナには嬉しい。
(いつか、このことをお互いに話せるのが、とても楽しみですね)
今はどこにいるかもわからない恋人を想って、エルフィナは少しだけ、自分の左腕に着いている腕輪に手を触れていた。




