第302話 大地の裂け目
「本当に……明るいんですね」
おそらく『時差』とやらの影響だろう。
昨夜――日がいつまでも落ちなかったが――眠りに就いたのは、移動の疲れもあって二十二時くらいだったはずだが、目が覚めたのは朝の五時前。
元々森妖精の眠りは人間のそれに比べると不規則なのはあるが、今のエルフィナは生活環境に合わせて、ほぼ人間と同じサイクルで眠る。
なのだが、異様に早く目が覚めてしまった。
ちなみに美佳はまだ眠っている。
窓を少し開けると、日本の冬の様な冷気が感じられた。これで夏だというのだから驚く。
こちらに来る際に、ほとんど冬用と言えるような服を持ってきた理由がよくわかる。
確かにこれは、日本の、少なくとも普段住んでる地域の冬――というか正しくはエルフィナが来た頃の気温に等しい。
「考えてみたら、もう半年が過ぎているんですね」
こちらに来たのは二月なので、ちょうど半年だ。
先日火の精霊王とやっと契約出来たが、まだあと六種類。
今回で地の精霊王と契約をなんとしてもやらなければならない。
半年で二種。このペースではあと一年以上かかってしまう。
ペースを上げたいが、実際のところ難しいというのが美佳の意見だ。
「あら、早いわね」
いつの間にか美佳も起きたらしい。
考えてみたら、美佳も睡眠のサイクルは今でこそ人間のようにふるまっているが、エルフィナ以上に本来は人間離れしてるはずだ。
この辺りはどうなっているのだろうと思えてくるが。
「おはようございます、美佳」
「おはよう。時差ぼけ?」
「かもです。なんか妙に早く目が覚めました」
「朝食にはちょっと早いわね……折角だし、ちょっと散歩行きましょうか」
美佳はそういうと、コートを羽織る。エルフィナも頷いてそれに続いた。
外に出ると、雲が空一面に広がっている曇天だ。
「アイスランドの八月は大抵曇ってるらしいけど、ホントねぇ」
「美佳も来たことはないのですか?」
「さすがに……多分ね。もしかしたら数千年前にちょっと立ち寄ったくらいはしてるかもだけど、さすがに覚えてないわ」
事前に調べた歴史だと、その頃はおそらくこの島に人はいなかっただろう。
少し行くと海岸線に出るが、風が強い。
遮るものが全くないからか、エルフィナの髪も美佳の髪も風にあおられて空を踊っている。
「当たり前ですけど、全然気候が違いますね」
「そりゃあね。でも、北極圏に属する地域では一番過ごしやすいって言われてるのよ、ここ」
「北極圏?」
「定義は色々あるけどね。要は北の方の地域を指すの。このアイスランドもそこに属してるといわれてるわ」
意味からとりあえず寒そうだというのはよくわかる。
実際、夏だというのに明るい太陽はなく、風も強い。
海もどことなく寒々しいそれは、先日行ったハワイとはまるで違った。
ただそれでも、どことなく過ごしやすい印象はあるのだが。
その後二人はホテルに戻り、朝食にした。
朝食はビュッフェスタイルで、どれもとても美味しかった。
一応エルフィナも程々を心がけたが、それでもとりあえず全種類制覇しつつ、かつとても美味しかったスモークサーモンとスクランブルエッグは二度お替りしている。
「フィオネラもそうだったし不思議なんだけど、あなたたちの身体ってどうなってるのかしらね」
「……それを私に言われても……ですが。でも、美香だって大概じゃないですか」
「私は良いのよ。人間じゃないし。というか竜にそれ言う?」
それはその通りではあるのだが。
ちなみに美佳は美佳で実は味覚に関してはかなり人間のそれに近い状態になっているので、味は楽しめる。そしてエルフィナ同様、当然だが食べようと思えば無限に食べることすら可能だ。
ただ、そこまで食に楽しみにを求めていないだけである。
美味しいものは美味しいとは思うが。
「今日……行くんですよね、その、地の精霊王がいると思うところに」
「そうね。いったん部屋に戻って荷物持ったら、車で行くわよ。地図アプリ通りなら、一時間はかからないくらいみたいだけどね」
「わかりました」
その後、とりあえず準備を終えた二人はさっそく車で出発した。
レイキャビクの街を抜けると、あっという間に広々とした平原だけが拡がっている光景になる。
日本ではあまり見られなかった景色だ。
「広いですね……」
「実際には日本の方がはるかに広いんだけどね。ただ人口が確か三百倍くらい違うからね。当然土地は余ってるわけ。まあ人が住むには適した土地ではないけどね」
「そんなに違うんですか?」
「日本は確か一億……今は二千万ちょっとだったと思うけど、この国は四十万人くらいだからね」
「……私からしたらどちらもすごい数ですが。というか日本は多過ぎですけど」
どちらかというと、アイスランドの方がクレスティアに近いイメージか。
特に街の外に出たら荒涼とした大地になるのはイメージが近い。
アルガンド王国にしたところで、王都アルガスは五十万人の人口を抱える大都市だったし、その周辺都市を合わせると四百万人くらいはいたという。
アルガンド王国全体では四千万人くらいはいたとされるので、アイスランドの百倍。
ただ、国土の面積は十倍どころではないし、住むことができる場所も遥かに広い。
「アイスランドは人口の五十パーセントくらいがレイキャビクに集中してるからね。隣接した都市も合わせたら六十パーセント以上だったんじゃないかしら」
「人は集中しますしね……。そういえば、夜一度目が覚めたのですが、本当にずっと明るいんですね」
朝五時前ですでに明るいのは、日本でも六月頃はそうだった。
ただ、真夜中にふと目が覚めたのだが、窓から見える空は青いわけではないが、かといって夜の色ではなく、薄い紫といった感じの色だったのだ。
その時の時間は午前二時。日本ではどうやっても真っ暗だ。
「白夜ね。まあそろそろ季節的には終わるはずだけど、この辺りならではね」
「クレスティア大陸でもあるんでしょうか」
「北の方に行けばあると思うけど、大陸内ではないんじゃないかしら。あの大陸、地球で言うところの北緯五十度くらいが北限だし」
「やっぱりあの世界も、地球の様な惑星なんですか?」
「そりゃ……って、考えてみたら普通は知らないわね。そうよ」
「あのクレスティア大陸以外にも大陸ってあるんでしょうか?」
アルス王立学院の研究でも大きな課題の一つになっていた。
あの世界に他に大地はあるのか、という難問。
東西南北、いずれの方向に船を出しても帰ってきた者がいないという――東の諸島部の東端に届いたという記録はあるが。
「そうね……そこは伏せておきましょうか」
「ということは、知ってるんですか?」
「知ってるというか……聞いたという感じね。エルスベルの時代は、あの惑星全域に支配が及んでいたのだから」
考えてみれば宇宙に出るだけの力があった世界だ。
当然、現在のクレスティアより遥かに遠くまで到達していただろう。
「気になるの?」
「気には……なります。でも確かに、答えを、しかも又聞きで聞くのは違いますね」
「そうね。頑張りなさい。まあ、一つだけ教えてあげると、推測出来てるかもだけどあの世界と地球は、ほとんど大きさは一緒よ」
それはコウも話していた。
ただそうなると、あのクレスティア大陸はこちらの北アメリカ大陸と同じかもう少し大きいくらい。
ニア・クレスティアと呼ばれるクリサリス島を含めるとさらに広いとはいえ、地球に比べると陸地が少ない。
無論そういう可能性もあるが、他にもあるのかどうか。
あるいは――。
(一万年前に何かの影響で沈んだか、ですね)
一万年前の異変の規模がどの程度だったのかは分からないが、一度世界が滅び、あらゆる記録を抹消されたほどの時代だ。
自分達妖精族が生まれるほどの異変が起きた時代でもある。
大地が海中の没する程度の異変だって、起きていた可能性はあるだろう。
そうしてる間に、車は一時間ほどで目的地に着いたらしい。
美佳が車を駐車場に止めた。
「さて、ここからは歩きね。……やっぱそれなりに人はいるわね」
「そうですね……」
ハワイのキラウェアほどではないが、それでも百人程度の人がいる。
おそらくは観光客だろう。
「さすがに前の様な事が起きたら……ちょっとまずいですね」
あれは火山だったから噴火したが、今度は何が起きるのか。
地の精霊だけに大地震などが起きたら大変なことになりかねない。
「地の精霊は他よりは少しおおらか……ってのはただのイメージだしね……火の精霊とそう変わるものではないから人がいないような場所に行く方がいいわね。この辺りは、どこも地の精霊の力は強そうだし。どう?」
「ええ。ものすごい強さです。息が詰まりそうなほど」
近付いて来る時も感じていたが、実際にその『大地の亀裂』の方を見ると、まるで大地から地の精霊の力が溢れているかのようだ。
まさしくここは、大地が生まれる場所だ。
「まあ、夜になるのを待ちますか。さすがに、人が減るでしょ」
「でも、夜でも明るくないですか……今」
「そういえばそうね。しまった、冬に来ればよかったかしら」
「それでも時間帯的には減るとは思いますが」
「それを期待しましょうか。とりあえず……軽く下見に行きましょう」
「はい」
二人は車を降りて近くにあるキャンプ場まで来た。
いくつかテントを広げている人がいるところを見ると、夜もここにいるつもりだろう。
「あれね。大地の裂け目」
美佳が言う方を見ると、確かに大地に亀裂が入ったような割れ目が、延々と続いている。
一部であればそういう地形だと思うところだが、延々と続いている時点で、普通の場所ではない。
何より、膨大な地の精霊の力が、まるでエルフィナ達を覆い尽くすかのようだ。
「すごいですね……まさに、大地が生まれる場所というか」
地の精霊が次々と生まれ来るような場所に思える。
先のキラウェア火山での火の精霊より、さらに強い。
「ここで地の精霊王と接触出来ないというのはあり得ない、と思えるほどですね」
現在時刻をスマホで確認すると、十時過ぎ。
とりあえず日が暮れる――ことはないが、夕方までは時間をつぶそうと、いったん車まで戻ろうとしたところで、エルフィナは何かピリピリとした緊張感の様なものを感じた。
「なに……?」
どこか懐かしい感覚。
強大な敵を相手にしたときの感覚に近いが、それとはまた違う。
どこか覚えがあるのは――。
(これ、火の精霊王と対峙した時に近い……?)
『主』
突然心に声が響いた。
それが精霊の声だというのはすぐにわかったが、ただ、あまり慣れない声。
つまり、それほどまだ会話をしたことがない精霊――火の精霊王だ。
(なに?)
『あやつ、主の力を感じ取ったようだ。それで、堪えられなくなったようで――来るぞ』
(え?)
直後、エルフィナの視界がブレた。
「エルフィナ!」
美佳の緊張した声が響く。
その直後、大地が揺れているというのに気付いたエルフィナは、倒れないように足を踏ん張ろうとして――できなかった。
「え――?」
強烈な揺れの後、あろうことかエルフィナの足元の地面が裂けたのだ。
「しまっ……」
反射的に風の精霊に頼んで飛行しよとするも、圧倒的な地の精霊の力に、風の力の発現を阻まれ――。
エルフィナは、地の底に落ちて行った。




