第301話 氷の国
空港や飛行機も二度目となるとエルフィナもさすがに戸惑うことはなかった。
ただ、驚いたのはその移動時間である。
「ふぅ。ようやく到着ね」
「乗り換えはともかく……前回とは比較にならないほど時間かかりましたね……」
途中、フィンランドのヘルシンキで乗り換えて、合計二十四時間以上。
これでも美佳によればかなり効率よく来れた方だという。
帰りは風の都合でもう少し短い時間で済むらしいが、それでもほぼ一日はかかるらしい。
「まあこれで、一万キロ以上移動してるからね。歩いてたら四カ月はかかるわよ?」
「そうですね……それが一日なんですから、とんでもないというか」
言われた距離をクレスティア大陸に当てはめたら、ほぼほぼエルフィナの故郷であるティターナの森からファリウスまでか、それよりも遠いくらいだ。
それを、たった一日で移動できるのだからとんでもない。
日本の羽田空港を出発したのは十八時ごろ。
そこから一度乗り換えて、アイスランドのケプラヴィーク国際空港に到着したのは、翌日の朝九時過ぎ。
単純計算では十五時間で着いたように見えるが、時差が九時間あるとのことで、やはり丸一日はかかっている。
入国手続きを終えて、到着ロビーと呼ばれる場所に来る。
思ったより人が多いが、それでも日本よりはさすがに少ない。
「ま、とりあえず身体を馴染ませるのと、今日はさっさと宿に行きましょう。目的地に行くのは明日ね」
美佳はそういうと、スマホを取り出し誰かと話していて、しばらくするとこの国の人と思われる男性が現れて、美佳と何か話をしている。
「身体を馴染ませる……ですか?」
「すぐわかるわよ。じゃ、行くわよ、エルフィナ」
「あ、はい」
男が歩き出したのに続いて美佳が歩き出す。
誰なのだろうと思ったが、駐車場に出るとすぐにある車の前に止まった。
要するにレンタカーを借りたらしい。
美佳は男に何か言うと、男は立ち去って行った。
「今回は空港からなんですね」
「アイスランドはタクシー高いからね。それに、ホテルのあるレイキャビクまでは五十キロほどあるから、ここから借りた方がいいのよ」
五十キロ、つまり百メルテ。普通に一日かけて移動するような距離という感覚になるが、車を使えば一時間かからないくらいの距離だ。
「さ、行きましょうか」
この手際の良さは本当にありがたいと思えた。
エルフィナだけでは、そもそもどうやって移動したものかと悩むことになるだろう。
借りた車は二人だけにしてはかなり大きい。
日本で使っていた車より、高さもかなりある気がした。
「さ、乗って。行くわよ」
二人が乗り込むと車はアイスランドの地を走り始めた。
「前も思いましたが、全然光景が違いますね」
「そりゃそうよ。でもそれは、あっちだって同じでしょ?」
「それはそうなんですが、こんな短時間で移動することなんてないですから。あの、なんでしたっけ。日本の小説。トンネル抜けたら……って」
「あー。ごめん、私はそっち系はよく知らないわ」
「まあとにかく、そんな感じで、私からすれば、移動が短時間過ぎて、本当に転移してるみたいな感じですよ」
空港を出てからすぐ、見渡す限り何もない大地が拡がっている。
そもそも空港を出た時に驚いたが、真夏のはずなのに寒い。
ファリウスほどではないが、少なくとも夏の気温ではないと思う。
さすがは『氷の国』だとは思わされるが。
「ま、人間が住んでる中でも最も北の地域の一つだしね、ここ。いわゆる北極圏にかかってるし」
「美佳の言った身体を馴染ませる、という意味が良くわかります。まあ、ファリウス行った時もそうでしたが」
「ファリウスって、確か聖都だっけ? そうなの?」
「はい。行ったのは真夏の八月だったんですが、あの地域、いつも雪が降ってるような場所なんです。だから、ホントに一気に気温が変わりましたね」
あれはファリウスにある魔力炉が大気の熱を奪うことで起きていた現象だが、こちらは単により北にあるからというだけだろう。
ただ、日本のあの暑さに辟易していたエルフィナからすれば、この寒いとすら思えるくらいの涼しさはとても心地よい。
車はほどなく市街地に入り、美佳はカーナビと呼ばれる案内装置に従って車を進め、大きな建物の前に停車した。
ガラス張りのきれいな建物だ。
「ここが?」
「ええ。とりあえず念のため四泊ほど予約してるわ。正直今日は私も疲れたし」
「美佳でも疲れること、あるんですか」
すると美佳は少しだけ呆れたようにエルフィナを見る。
「前に言ったでしょ。今の私は本来の力からほど遠いほどしか力は持っていない。そしてその中でやりくりするしかない。そりゃ、貴女やこの世界の人間よりははるかに強い力を持つけど、限度はある。別に好きで転移とか使わないわけじゃないのよ。消耗したくないからだから」
それでもおそらくエルフィナとは比較にならないほど強い力を持っているとは思うのだが、多分水準が違うのだろうと思うことにした。
実際、美佳の正体が竜であれ、今は人として在る以上、その精神は人間に近い状態だと思われる。
だとすれば、二十五時間近いの移動の後にさらに一時間の車の運転は――車の運転はとても大変だと色々見て知った――大変だろうとは理解できた。
多分普通の人間だと、もっと疲れているに違いない。
実際、エルフィナも長い時間飛行機に乗っている間は何とも思わなかったが、到着して立ち上がろうとした瞬間に身体がバキバキに強張っていて驚いたものだ。
ちなみに、機内食はとても美味しかった。
欲を言えばもっと食べたかったくらいである。
なお、美佳によると、次元結界というのはその世界に合わせて変質していくものらしい。
この地球においては、現在は魔法を含めた神秘が極めて具現化しづらい。
自分の力やエルフィナの力は何ともないと思っていたが、あくまで個人レベルであって、例えば大規模な魔法はダメらしい。
そのあたりも、美佳が強すぎる力を振るわないようにしている理由のようだ。
「そういう意味では、先日のハワイのあれは……大丈夫だったんでしょうか。美佳が溶岩流を逸らしたという話でしたが」
「あのくらいは問題なかったわ。私もそこまで力を使ったわけじゃないし」
「あとはそもそもで、あの噴火させてしまったのも……」
「あれは結界それ自身が起こしたようなものだからね。それに、あの瞬間あの場は世界の『外側』と接触していたから、厳密には結界の内側とはいいがたいしね」
とりあえず美佳はホテルでチェックインを済ませると、部屋に荷物を運ぶ。
部屋は六階。
そこから市街が一望できた。
「遠くまで良く見えますね」
「この街は日本と違って高層ビルは多くないからね。本当にこの辺りは国それぞれよ」
そう言ってから、美佳はエルフィナを振り返った。
その視線の意味を感じ取り、エルフィナは少し目を閉じる。
「だいぶ――まだ距離はありますが、地の精霊の力を確かに感じます」
「ま、そうよね。というかここが外れだったらちょっと驚くし。まあそっちは今日はパス」
「そうなんですか?」
ハワイに行った時は到着したその日に火口近くまで車を出したが――とはいえ、確かに移動に罹った時間は段違い。エルフィナも精神的には少し休みたいというのはある。
「ええ。キラウェアよりさらに距離があるからね。道も整備はされてるとはいえ大変だし。今日は早く寝て、朝起きたら行きましょう。どうせこの時期、この辺りはほとんど夜がないしね」
「あ、そういえば……そうでしたね」
八月のレイキャビクでは、太陽が完全に沈むことがないという。
なんとも不思議な現象だ。
一応、本などで理屈は理解してはいるのだが。
「さて、とりあえずお昼を食べに行きましょうか……なんだけど」
ちなみに朝食というかは機内で早朝に出た食事がそれということにはなっている。
「あまり食べ過ぎないようにね」
「わ、わかってます。私をなんだと思っているんですか」
「腹ペコエルフ?」
全く否定できない美佳の評価に、エルフィナはガクリと膝を落とすのだった。




