第30話 エルフィナの力
その日は、ちょうど宿場と宿場の中間で日が暮れてしまったため、野宿となった。
エルフィナは野宿に慣れているらしく、手際のよさはコウ以上のようだ。
手早く火をおこし、街で購入していた食料を素早く調理する。
出された食事は、野外で短時間で作ったとは思えないほどに美味しかった。
「……見事なものだな、これは」
コウは素直に感心した。
見た目はせいぜい十五歳程度だが、森妖精は人間よりはるかに寿命も長いという。
つまり見た目通りの年齢ではなく、エルフィナも実際の経験は、コウよりも遥かに多いのだろう。
その事を言うと、エルフィナは少し複雑そうな表情になった。
「確かに私たち森妖精は人より寿命が長いです。私だって、コウ様より確実に年上です。確か……百五十四歳です」
あまりに違う桁に、思わず飲みかけた水を噴出しそうになった。
「ただ、文字通り『成長が遅い』んですよ。人間は、早ければ一歳前後から言葉を話し始めると聞きますが、森妖精が言葉を話し始めるのは十歳以上が普通です。遅いと十五歳でも話せません。もちろん、体の成長もそれに応じます」
つまり、人間の十分の一の成長速度、というところか。
ならば、エルフィナは人間で言えば十五歳程度、印象通りといえた。
「違うのは、大体私くらいから二百歳くらいで、成長が止まります。それからはほとんど変化することなく、長いと千年以上生きるそうです。そして、最後に老いがきてからは早いらしく、十年程度で樹へ還ります」
「……樹へ還る?」
あまりに不思議な言い回しなので、思わず聞き返す。
「比喩表現でもあり、事実でもあります。森妖精は、死ぬと木々のうろの中に葬られるそうです。そうです、っていうのは、私もそういうお別れを経験したことはないので」
人間のおよそ十倍の時間を持ち、しかし死ぬ時は早いというのだから、一度もそういうのに立ち会っていない、ということだろう。
「そして、その長い時間を、ほとんど何もせずに過ごします。前に言いましたが、水と光さえあれば食事すら要らない私たちは、その気になれば丸一日どころか、一ヶ月何もしなくても生きていけるんです。実際、本当に何もせずに数ヶ月動かない者すらいました」
コウからすれば考えられない話だが、確かに食事の必要すらないのであれば、そういう生態にもなりえるという事か。
人間の十倍の寿命を持つ森妖精は、むしろそういう生態が必要だったのかも知れない。
ただ、そういう生活に耐えられない異端者も当然出てくるわけで、その一人がエルフィナなのだろう。
「森にいたらその長い時間を、ただ無為に過ごしていただけだと思います。私は、外のことを知る人から色々聞いてから、自分でも色々知って、体験したいって思ったんです。そうすると、それまでの森での変化のない毎日がとてもつまらなく思えて」
挙句、外の世界に魅せられて森を飛び出したらしい。
外に出る前に色々できるようにと事前に練習しておいたことの一つが、この料理だという。
「で……話を戻すが、精霊を全て、と?」
「はい。話したのはコウ様が初めてですが」
そう言って、エルフィナはなにごとか呟く。
その音節は人間には出せないのではないか、という複雑な音で――後にこれが精霊に呼びかけるための言葉だと知ったが――その音が終わると、エルフィナの周りに七体の精霊が現れた。
水と風はすでに見た。
他の精霊も姿は似たようなものだが、理の精霊だけは他と違い、人型ではなく、淡く光る球体だ。
「正直俺は、それがどれだけすごいのか分からないが……普通の人が見たら、仰天する光景なんだろうな」
書物によると、精霊を使役できる妖精族は、第一基幹文字の使い手と同じくらい稀少らしい。
そして、精霊が使える力というのは、第一基幹文字に匹敵する。つまりエルフィナの力は、コウのそれとほとんど同じという事になる。
「……やはり。コウ様、少なくとも普通に生きてこられた方ではないですよね。だから、私もこの力のことをお話ししたのですが」
コウは怪訝そうな顔になる。
「そもそも、七つの第一基幹文字を全て使える存在というのは、およそありえないほどの特異性です。しかも、その力のことを誇るでもなく、振りかざすこともない。第一基幹文字の使い手というのは、一つだけでも国家レベルの特殊存在なんですよ?」
人の社会で生きていたわけではない森妖精に、逆に世間の常識を説かれてしまった。
といっても、この世界に来てからまだ半年も経っていないのだから、仕方ないとは思うが。
「コウ様のそのお力を知るのは、アクレット様だけでは?」
「いや、あの時ギルドにいた人たちは多分知ってはいると思うが……」
「多分、ですが……記憶を調整されてると思います。アクレット様が噂どおりならば、その程度は可能でしょう」
「……アクレットを知っているのか?」
はい、とエルフィナは頷く。
「かつて『灼光』の二つ名で知られた、アルガンド王国最高の法術士にして最強の冒険者。第一基幹文字の適性を、火と光、さらに理の三つ持ち、その絶大なる力でアルガンド王国の危機を救った英雄。森に引きこもっていた私たちですら、彼の話は噂話としてよく聞きました」
「彼は、師が第一基幹文字の使い手だとは話してたが……」
「彼の師も有名……というか、ほとんど伝説の存在です。で、それを知らない時点で、コウ様は普通の人ではないと分かるんですよ。だって、私ですら知ってる話をご存じないのですから。こう言っては何ですけど、多分ある程度の年齢でそれを知らないの、大陸でコウ様一人だと思いますよ?」
エルフィナの言葉は容赦がない。
文字通り常識知らず、と言われてしまっている。
街にいた時にアクレットの話は多く聞いたが、どうやらそれ以上の存在だったらしい。確かに能動的に調べはしなかったが、おそらくちょっと調べるだけで山ほど色々な話が出て来たのだろう。
「私も伝聞程度でしか知りませんが、確か、ある戦争の講和の条件の一つが、アクレット様がその国境から離れることだったと聞いたことがあります」
コウは思わず呆気に取られてしまった。
講和の条件になる個人とか、どれだけの化け物だ。
「アクレットは……見た目どおりの人間、だよな?」
「はい。今の話はいずれも二十年ほど前の話で、それ以後、アクレット様の話を聞くことはなくなりました。まさか、東方でギルド長をされてるとは思いませんでしたが……」
エルフィナの顔が曇る。
そんな大英雄の子供が殺害される原因が、自分自身だったからだろう。
ただ、コウの知るアクレットがエルフィナに苛烈に当たるとは考えにくかった。
「……話を戻します。だから、少なくともコウ様は、まともに人間社会にいた方ではないと判断できます。一方で第一基幹文字全てを使える特殊性も考えると……一体どういう方なのか、全然分からないんです」
「それは、七系統全ての精霊を使える君も大概だと思うが……」
「私のこれは……いえ、私も異様ではありますね。もっとも、氏族の者でもせいぜい水と風だけと思われていたでしょうが……その代わりなのか、私は文字への適性がどうやら皆無らしいですが」
文字への適性が高いとされる妖精族でそれは、相当に異質な事だろう。精霊使いであることの代償なのだろうか。
「……俺のことは、いずれ必要があったら話すさ」
自分のことを彼女に話すべきか、コウは一瞬迷ったが、すぐその考えを捨てる。
少なくとも現状、コウとエルフィナの道行きが重なるのはパリウスまでだ。
その後どうするかは分からないが、それからでもいいとコウは判断した。




