第28話 陰謀の全容
ホランド・エブルグ。
十八歳で士官学校を卒業、キュペル王国の騎兵部隊に配属。
キュペル王国は三十年前に前国王がそれより以前にあった合議制の国でクーデターを起こして打ち立てた新興国である。
彼は国民に対して恵まれないカントラント河の南から沃野たる北へ人々を連れていくと宣言して国をまとめ上げ、軍事国家としての道を歩んでいった。
ホランドはまさにその国の政策を体現する典型的な軍人だった。
ホランドは東部の叛乱鎮圧における軍功により昇進を重ね、二十五歳という若さで大隊三百人を任される。
そしてその戦果を評価され、北部戦線へ配属された。
目的は無論、クロックスの攻略。
そして、彼は正攻法では攻略不可と考え、最初から搦め手を用いた。
最初は毒物等により、クロックスの都市機能を麻痺させることを考えた。
だが、あの街は水源のほとんどをカントラント河に依存しており、あの河に少量の毒物を流したところで、効果など見込めない。
取水口に仕掛けるなら別だろうが、当然そこは警戒されていた。
かといって、河全体を汚染するほどの毒は、キュペル王国にとっても被害は甚大になるし、さすがに無理がある。
次に、工作員を潜入させて内部から破壊することを考えたが、これは早々に中止になる。
厳重過ぎるとすら思えるクロックスの警戒の前に、断念せざるを得なかったのだ。
その他にもいくつもの手を用いては断念を繰り返し――そんな時に飛び込んできたのが、妖精族、それも精霊行使が出来る存在が捕縛された、という情報だった。
元々、キュペル王国は法術では後進国である。
その一方、精霊行使については、なぜか伝承が多かった。
昔、精霊の助けを借りることが出来る人間がいたからでは、と考えられているが、定かではない。
失われて久しい技術であるが、精霊に関する伝承がいくつか伝えられており、それによって彼らは精霊との仮契約に成功した。これで、精霊を一時的に契約者から奪い取ることができるようになったのである。
そして、精霊行使を用いて、クロックスの街に工作員を潜入させることに成功。
長期間にわたり、街を混乱させるための作戦を実行したのである。
ちなみに、冒険者がかかりっきりになっている魔獣災害も、彼が仕掛けたものだった。多様な能力を持つ冒険者に計画の邪魔をされないため、魔獣をおびき寄せる法術を使ったのである。
ある種の呪いの様なものだが、キュペルはなぜかそういう法術には長けていたらしい。
「そういうことだったのか」
バルクハルトは悔しそうに臍を噛んだ。
目の前には、虚ろな目のホランドが椅子に座らされている。
一応縛られてはいるが、逃げ出すようなことは出来ないだろう。
法術を用いて作戦の全容を語らせ終わったのが、つい先ほどである。
バルクハルトはここまで尋問に効果のある法術に驚いていたが、コウは発動の瞬間を見せていない。ただ、コウのランクからそういう事も可能なのかと判断してくれたようだ。
実際には[理]と[闇]の第一基幹文字を用いた――この城館には[火]と同様の法印具が全属性あった――法術なので、見たら卒倒していただろう。
「もう少し対策が遅れていれば、あるいは本当に暴動が起きていたかもしれないな……」
酷く迂遠な計画ではある。
だが、それだけ慎重に、体を蝕む病魔や毒のように、ゆっくりとクロックスを侵そうとしていた。
実際、一般市民が次々に殺されるようになっていれば、街はいずれその恐怖に支配されていただろう。
「エルフィナは……あの妖精族はどうする?」
「状況を見れば、彼女は完全に被害者だ。確かに直接手を下したのは精霊だろうが、精霊に罪を問うわけにもいかないだろう。無論、命じたわけではない契約者である彼女にもな」
バルクハルトの言葉に、コウは少しだけ安堵する。
コウとしても、彼女自身が実行したわけでも望んだわけでもない以上、彼女に咎が負わされるようにはなってほしくなかった。
一通りの尋問を終え、執務室に戻ったバルクハルトとコウを迎えたのは、騎士の敬礼と――ソファで寝入っている森妖精、エルフィナだった。
あの後、監禁されていた場所からほど近い場所にあった廃村で船を調達し、水の精霊の力を借りてクロックスまで戻ってきたのだが、エルフィナは河上で完全に寝入ってしまったのだ。やはり解放された安心感があったのだろう。
「こちらで保護する必要があるなら保護するし、故郷に帰りたいというなら支援もするが……」
バルクハルトの話は至極妥当だが、おそらく彼女はそれを望まない気がした。
それならば、コウが助けたあの時に帰ると言っているはずだ。
「彼女の意思次第か。まあアルガンド王国では、妖精族自体はそれほど珍しい存在ではない。旅を続けたいというのなら、通行証を発行するのはかまわないが……精霊使いであることはあまりおおっぴらにされるのは、おそらくお互いにとって好ましくはないだろう。アクレット殿なら上手く取り計らってくれそうだが……」
暗にアクレットに押し付けようとしている気がする。
だが実際、それが妥当な気はしなくもない。
「ん……」
会話に気付いたのか、エルフィナが目を開けた。
「私の、こと?」
キュペルを離れたのは日が落ちるのを待ってからだったので夜に入った頃。帰ってきたのは深夜のことで、今の時間は朝、八時頃だ。六時間ほどは寝たからか意識ははっきりしているようだ。
「起きたか。今後のことだが、君はどうしたい?」
「コウ様と一緒にいたいです」
バルクハルトの質問に、エルフィナは迷うことなく答えた。
「……俺と? あの時も聞いたが、故郷に戻る気はないのか?」
妖精族は、基本的に氏族単位で暮らし、あまり外界に出ることはない。特に、森に住む妖精族である森妖精は、その傾向が強い。稀に、商取引などで外に出る者もいるが、基本的に極めて閉鎖的な社会を構築しているという。
ちなみに『エルフ』という名称も地球のそれと同じ響きだった。ドワーフや精霊名等、共通または類似の響きになる言葉は幻想系に偏っている気がする。
「森には帰りません。あそこは、とても退屈だから」
その答えは、予想の範囲内だった。やはり、変わり者の妖精族らしい。
確かに、パリウスの冒険者にも一人森妖精がいて、森は退屈だったから出て来たらしい。ただその冒険者も、自分が氏族の中でも変わり者なのは否めないとも言っていた。
たまに出る異端児という事だろう。
日本社会から見れば完全な異端児だったコウにとっては、少しだけ複雑な気持ちになる。
「森に戻らないのは分かったが、なぜ……」
「貴方に興味があるから」
目をそらすことなく、エルフィナは断言した。
その言葉に、そういう意味ではないと分かっていてもさすがに戸惑う。
正直に言えば、これほどの美少女にそういわれて、悪い気はしない。
控えめに表現しても、これほど整った顔立ちをコウは知らない。
どう答えたものかと逡巡していると――。
くぅ
その小さな音に、エルフィナの顔が真っ赤になった。
「……とりあえず、食事にする、か? 俺も考えてみたらずっと食べてないしな。公爵閣下、頼めるだろうか」
「ああ、そういえばそうだな。すまん、気が付かなくて。すぐ用意させよう。エルフィナ殿も食べるだろう?」
羞恥で真っ赤になった少女は、だがそれでも小さく頷き、肯定するのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お食事、ありがとうございました。美味しかったです」
エルフィナは、食事を終えると祈るように手を合わせた。
食事の開始、終了の言葉は『いただきます』『ご馳走様』というのがコウの感覚だが、あれは日本特有の表現である。
当然、異世界であるこの世界に対応する言葉はないが、食事に感謝する、というところは同じらしい。
ちなみにバルクハルトは、仕事があるらしく今ここにはいない。
しかし――。
「よく食べたな、正直」
バルクハルトが手配してくれて、城館の食堂で食事となった。
当然運ばれてくる料理は最高級で、味は申し分ない。
地球出身のコウだが、この世界の料理の味付けは、地球の、それも日本のそれと比較しても、遜色ないと思っている。
単純な塩味だけの料理と言うわけではなく、香草を使ったりスパイスなどもかなり種類があるようだ。出汁を取るという技法もまず間違いなくあると思われる。
ただ。
ここで驚いたのは、エルフィナの食べた量である。
コウ自身大食漢ではないとはいえ、それでも標準的な量を食べたつもりだが、エルフィナは軽くコウの二倍以上は食べた。
細身の体に、どう考えても入るはずのない量が消えた気がする。
それはもうとても美味しそうに食べていたので、給仕をしている使用人たちからも微笑ましい視線を投げかけられていたが。
彼女が寝ている間に調べて知ったのだが、助けた時にエルフィナが話したように、森妖精は飲み水があって光を浴びれば、数ヶ月は生きていくのに不自由はないらしい。光合成でもしているのだろうか。
この特性は妖精族でも種族ごとに異なり、これは森妖精特有の特徴だ。例えば洞妖精は人間と同じように食事がいる。水ではなく酒があればいいという記載もあったが、これは眉唾物だ。
いずれにせよ、空腹を訴える森妖精自体が珍しいわけだが……。
「あ、あの、その、とてもおなか、すいてて。一ヶ月以上、何も食べてなかったから」
監禁が一ヶ月以上になっても生きていられたのはさすが森妖精と言うところだが、一方でこれだけ食べる森妖精というのは極めて珍しいのではないだろうか。
食べている間は気にならなかったのだろうが、終わってから周囲の視線に気づいて羞恥を感じたのか、エルフィナの顔が再び真っ赤になっている。
「そ、その、私が外に興味がある理由の一つが、食事、なので……」
ぼそぼそとした声で話すところによると、元々森の生活で退屈を感じていたところに、行商にいった仲間から、菓子をもらったらしい。
森妖精といえど、まったく食事をしないわけではなく、稀に木の実などを食べてはいたそうだ。
リスかよ、とコウが思ったのは秘密だ。
いずれにせよ、森妖精というのは基本的に食事という行為に重きをおくことがないのが普通らしい。
ただ、エルフィナはどうやら外の味を知って以降、それに魅了されたようだ。
そしてついに、森を飛び出してしまったらしい。
もっとも、出てから数日でキュペル軍に捕まったそうで、つまり外界の食事は今回が初めてとのこと。
つまり今までお腹いっぱい食べるということをまともにしていないはずで、大丈夫なのかと思ったが、特に食べすぎで苦しんでいる様子もない。
森妖精の食べ物の消化プロセスは、人間とは違うのだろうと思うことにした。
後にパリウスにいる森妖精の冒険者に話を聞いたが、外の食事に魅了される同族は、かなり多いとのことだった。
だが、総じて身体的な都合で食が細いらしい。
地球にも、体格からは説明のつかない大食いの女性タレントなどがいたが、どうやらエルフィナがそれと同類だとコウが知るのは、もう少し後のことである。
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【作者より】
この話の公開直前あたりで★100到達してました。
お星さま下さった方々、本当にありがとうございます。




