第26話 妖精族との邂逅
戦時下であるカントラント河の南岸には、一定間隔で歩哨が立っていた。
だが、コウが乗ったその小船を見つけることは、不可能に等しかった。
コウは法術を用いて船の周辺の光を歪め、よほどの至近距離まで来なければ見えないようにしてしまっていた。
そして、船は櫂もなしに水の上を滑るように進む。
だが、水面には一切の航跡がない。
河の流れで航跡が消えているわけではない。
まったくないのだ。
「さすがは水の精霊」
船を隠すのはコウの力だが、船を進めているのは、水の精霊の力だ。
カントラント河の川幅は、クロックス周辺では五キロにもなる。
これを小船で渡るのは相当面倒に思えたが、それをあっさり解決してくれたのが水の精霊だった。
およそ水という水が全て力を貸してくれるようなものだ。
おかげで一切その存在を気付かれることなく、コウは兵から死角になる場所で上陸した。一応、初めて外国に来たことになるのだろうが、そもそもいる場所が異世界なので、そんな感慨とは無縁だ。
あらためて、キュペルの大地を見渡す。
上陸したのは、カントラント河沿いにあるホランドという街よりやや上流。
遠くに街が見えるが、建物は総じて低い。直接見たことはないが、地球の砂漠の街などの石造りの建物が並んでいる光景に似ている気がする。
河岸近くはさすがに若干の樹木もあるが、その向こうに緑は見えない。
砂漠化が進んでいるのかと思わせる、乾いた大地が続いてた。
この、極端なまでの大地の恵みの違いは、常に吹き続けている南風に原因があるという。乾いた風が河の南側の大地からは恵みを奪うが、カントラント河でその風は、湿り気を帯びた恵みの風に変わるらしい。
クロックスで感じていたそれと違い、明らかに風や空気が乾いているのを、コウは感じていた。確かにこれでは、河の北側の大地を欲すること自体は仕方ないのかもしれない。
三時間ほど歩いたところで、精霊が主の存在をより強く感知できたらしい。その案内でしばらく歩くと、問題の少女が監禁されていると思われる場所が見えてきた。
「あれか」
河のほとり、少し河岸が高くなって、崖のようになっている場所の上。
おそらく元は貴族か大地主の館だったのだろう。
その立地上、入ることができるのは正面のみ。
かなり経年劣化の跡が見えるが、二階建ての建物はまだしっかりしているようだ。
建物にはところどころヒビの様なものも見え、窓格子にもガラスがない場所が多く、ぱっと見には廃棄された館に見える。
だが、数人の武装した人間が見えた。
それは、ここに何かがあることを示している。
敷地の入口に見張りが一人。
建物の入口にも一人。
敷地の入口にある門は壊れていて、開け放たれているので都合がいい。
見える範囲はそれだけ。
コウは物陰に隠れると法術を発動させた。
予め用意していた術で、地球で言えば、音響探知と赤外線探知を組み合わせたような術だ。
術の探知結果は直接視界にかぶさるようになる。
発動させるための文字の数が二十字に及ぶ術で、そもそも音響探知や赤外線の概念を知らなければ、術を使いようがないというおよそコウ以外には使えない法術だが、効果は確かだ。
もっとも、コウも技術的に詳しいわけではないが、この場合なんとなくで使えてしまうのが法術の便利なところである。
あっという間に建物の構造、生命体と思われる熱源の位置が把握できる。
建物は地下もあったようだが、すでに崩れていて入れそうにない。内部もだいぶあちこち崩れているようだ。
建物自体は二階建てだが、一階の奥に他と構造が違う部屋が一つあり、中に一人誰かがいる。
その部屋の入口と思われる場所に二人いることから、おそらく監禁場所はその部屋だろう。
『主、わかる……?』
『ああ、場所もおそらく特定できる。あとは……』
水の精霊が不安げな様子に、問題ないと安心させる。
精霊に感情があるとは本にはなかったのだが、あるいは契約精霊は違うのだろうか。
確実を期すなら暗くなるのを待つべきだが、コウ自身、このような手段をとる相手に腹が立っていた。
拘束して無理矢理言うことを聞かせるような輩に、コウは一片たりとも容赦するつもりはない。
再び姿隠しの法術を発動させると、コウの姿が消える。
無論、マナによる視覚を持つ精霊には効果はないので水の精霊が混乱することはない。
音をかき消すわけではないので、ゆっくりと敷地に近付いていく。
強い風のおかげで、地面を踏む音もほとんど聞こえないはずだ。
よく目を凝らせば、地面にわずかに靴の跡が付くのが見えるだろうが、見張りの男たちはまったく気付かなかった。
この姿隠しの術は非常に便利だが、一つ欠点がある。
効果範囲の移動が、歩く程度の速度しか出せないのだ。
そのため、渡河の時も非常にゆっくりと移動させてきた。
しかもその間、ある程度の集中を必要とされる。
また、術者から二メートル以内だと、光の歪みの内側になるので発見されてしまう。
ただ、そのギリギリ外は、コウにとっては必殺の間合いである。
術の効果が意味がなくなる距離に入る手前から、コウは術を解除して一気に踏み込んだ。
ヒュン、という風切音に続くのは、乾いた大地に散る血飛沫。
敷地の門の前に立つ男は、一言も発することなく絶命した。
そして同時に、建物の入口にいた男が異常に気付いて、何かを言おうとした時――
「[縮地]」
彼我の距離は十歩程度はあったはずだが、それがほぼ一瞬でゼロとなる。
圧倒的な速度による踏み込みと同時の剣閃が男の首を捉え――男は声を上げる間もなく一瞬で絶命した。
『今の――最初に見たとき瞬間移動かと思ったけど、違うのね』
『ああ。これは、一歩目から最高速で走れる、それだけの術だ』
それも人間の限界を超える速度、という訳ではない。
縮地という術名は、日本にいたときに読んだある漫画にあった技で、この術にぴったりだったので名づけた。ついでにこの世界の言葉には適切な言葉がないので、日本語そのままである。
術の正体は、言ってしまえば超瞬発だ。
人間、十分に加速がついた状態であれば、一秒で十メートル以上移動可能だ。
この[縮地]という法術は、その速度を一歩目から出せるようにしただけの術である。だが、停止状態からその速度を出されると、それはまるで瞬間移動したように錯覚してしまうほどになり、普通の人間では到底反応できない速度で踏み込めるのだ。
欠点はあまりの速さのため、足場が悪いと使いにくいこと。
それと停止の制動も術に含んでいるとはいえ、かなり急激なのでその負荷は実はそれほど軽くないことである。
なお、おそらくコウ以外には使いこなせない。
この法術を構成する文字は五文字で、コウはコンマ数秒で発動できるが、普通の術者は十秒以上かかる。近接戦闘を行う前提の法術としては使い物にならないのだ。
残る見張りは、二人。
目的の部屋は、エントランスを抜けて長い廊下の奥。
見張りの位置から表側は視線は通ってないので、二人が倒されたことには気付いてはいないだろう。
ただ、エントランスから廊下に出るための扉は閉ざされていて、これを開ければ確実に気づかれる。
さらに、先ほど探査法術で確認した様子だと、廊下は瓦礫が散らかっており足場が悪く、[縮地]で近づくのは難しい。
となれば――
「[重炎集光]」
正確な位置は、探査で把握している。
そしてそこにコウは法術を撃ち込んだ。
アクレットにもらった法印の中でもっとも火力に優れた[炎]のルーン。第二基幹文字であるこの文字を基準にして、その力を高密度に集束、光線と化して放つ攻撃法術。
射程距離は二十メートル程度だが、とにかくその着弾速度が速い強力な法術だ。
それをコウは、少しアレンジした。
二条の白熱の光がほとばしる。
その光は扉を貫通し、見張り二人を直撃した。直後、『ジュッ』と何かが焦げるような音がした後、バタバタと倒れる音が続く。
念のためゆっくり扉を開けると、兵が二人倒れていた。
生死を確認するまでもないだろう。
一人は頭部が焼失しており、もう一人は頭の下半分と首がない。
グロテスクな状態だが、声を上げるまもなく絶命したのは確実だ。
コウは倒れた兵には一瞥もくれず、扉を調べる。
頑丈な鍵がかかっていたが、見張りの兵を探るとすぐ鍵が見つかった。
中にいるのは一人であることは分かってるし、おそらく救出対象のはずだが、コウは用心深く開き――奥に予想通りの少女を見出した。
部屋の大きさは五メートル四方ほど。
採光用の小さな窓はあるが、人が通れるほどではない。
この部屋だけは頑強な補強がされており、これが部屋の奥でうずくまっている人物を監禁するためのものだったと分かる。
間違いなく、あの映像で見た少女だった。
「だ……れ……?」
発せられた言葉は、コウが知る言葉だった。
幸い、言葉は同じらしい。
少女は最初コウを見て、何者か判断がつきかねているようだったが、飛び出した水の精霊を見て、喜色を露にする。
『主!!』
「ディーネ!! 無事だったのね!!」
水の精霊は、部屋に踏み出そうとするが――入口に見えない壁でもあるようにもがいている。
精霊に対する障壁でもあるのか。
コウは恐る恐る部屋に入ってみたが、特に何も妨害されることもなく入ることが出来た。
その時初めて、その少女の顔を間近で見た。
「あ、貴方は、だれ、ですか……」
一瞬、コウは見惚れてしまっていた。
それほどに美しいと思えた。
長い金の髪は監禁が長かったにも関わらず、まるで光を放っているかのように美しく艶めいて見えた。
長い金の睫毛に縁どられた少し大きめの瞳は左右で色が異なり、それぞれ地球で言えば、蒼玉と翠玉を溶かし込んだよう様ですらある。
細い鼻梁の下にある小さな唇は少しだけ血の気がないのか、薄い桜色。
肌は白く、触れるまでもなくその滑らかさが分かる気がした。
日本語には『妖精のような』という誉め言葉があるが、まさにそれがぴったり来ると思った。
もっとも、本当に妖精族なわけだが。
「俺はコウ。冒険者だ。事情があり君の水の精霊と出会い、君が捕まっていることを聞いて助けに来た。突然現れた男を信用しろ、というのは難しいかもしれないが、今は信じて欲しい」
少女は二度三度瞬きをして、それからコウの向こう側にいる、部屋の入口でじたばたしている水の精霊を見て――意を決したように、コウが差し出した手をとった。
「ありが、とう。私は――エルフィナ、です」
それが、コウとエルフィナの出会いだった。
イラストは さいとう みさき 様がAIを利用して描いてくださったものになります。




