第24話 暗殺事件の犯人
コズベルト・フェルナークはキュペル王国所属の特務士官である。
キュペル王国は、カントラント河を北限として南部に広がる国だが、その国土のほとんどは乾いた荒地だ。
河を一つ隔てただけでアルガンド王国の領土は沃野となるのに、なぜかカントラント河の南岸は砂漠に等しい状態である。
これを理不尽といわずして、なんと言おう。
そのため、キュペルはカントラント河を越え、肥沃な大地を手に入れることを悲願としているが、ここ二十年、渡河にすら成功していない。
あの忌々しい法術砲の存在ゆえだ。
無論、キュペル王国とて手をこまねいていたわけではない。
法術砲の技術を手に入れ、あわゆくば船に搭載して戦艦を作る計画なども立案されたことがある。
だが、こと法術に関してはアルガンド王国の方が進んでいて、対抗兵器の開発は芳しい成果はまったくない。
そしてそもそも、法術砲は移動させることが不可能な兵器であることがすでに判明している。
では、カントラント河の北岸を手に入れるのを諦めるのか。
それは断じてありえない。
正攻法で勝てないのであれば搦め手となる。
クロックスに兵を潜ませ、内応させる手も、幾度も行われた。
だが、ことごとく失敗している。
クロックスの防備があまりにも堅牢過ぎるのである。
あの街の出入りは、厳重なチェックが行われる。
少しでも疑わしい場合には、すぐ取調べが行われるのだ。
法術を使って隠れている者がいないかのチェックまで行われる。
あの街は商業の街として開かれているように見えて、その実態は文字通りの城塞都市だ。街の中まで入って商いができる商人は非常に限られていて、その全員に『証の紋章』が発行されているという徹底っぷりだ。
だが、コズベルトは潜入に成功した。
無論、正面から入ったわけでは、ない。
ある力を手に入れ、それにより普通では絶対入れるはずのないルートを用いたのだ。
与えられた任務は、クロックスの領主、バルクハルトの暗殺――だが、これは困難を極めた。
城館への潜入は不可能。
外出時は、必ず腕利きの護衛が三人以上ついている。
しかも、本人も卓越した法術の使い手だという。
そこで、国から受けた指示は、彼の周りの人間を異様な方法で殺し続けろ、というものだった。
そんなことをやってどういう効果があるのか、と思ったのだが、存外効果はあったようだ。
バルクハルトはもちろん、護衛らや城館の人間が疲弊してきているというのが伝わってくる。
最初、公爵は事件を伏せていたようだが、人の口に戸は立てられない。
そしてそれは、わずかばかりの恐怖となって人々に蔓延する。
かすかな効果しかない、だが確実に浸透する毒のように、クロックスの街を侵す。
この綱渡りの任務がいつ終わるのかという恐怖はあるが、だが、コズベルトは殺害を続けていた。
そして今日、ついに公爵と無関係の者を殺せという連絡が来た。
殺害方法は同じ。
数回も続けば、街の人間は恐れるだろう。
次は誰が殺されるのか、と。
姿が見えず、手段も分からない殺人者の影に怯えるクロックスの街。
それこそが、キュペルの狙いだった。
そして今夜、彼は再び、街へ出る。
新たな殺人を行うため――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
コズベルトが目をつけたのは、夜の自然公園である。
日が落ちてからも、この公園でくつろぐ人間は多い。
この公園は木々が多く、適度に視界が遮られ、見通しが利きにくい。
おあつらえ向きに標的を探しやすいため、目をつけていたのである。
今日を皮切りに、一般人も犠牲になってもらう。
次々に起きる謎の溺死事件。
明らかに不自然なそれは、誰もが人為的なものと疑う。
だが、殺害方法はいつまでも分からないだろう。
人々は見えない暗殺者の恐怖に苛まれ、それがやがて都市全体へと広まる。
街を恐怖が支配するまでには、そうはかからないだろう。
クロックスの住民の一部がパニックで暴動でも起こせば、その時こそ、待機している軍が攻勢を仕掛ける。
今日は、その最初の一日となるのだ。
標的を慎重に探す。
捕縛されるわけにはいかない以上、慎重にやらなければならないが――。
「あの男でいいか」
木陰のベンチで座っている老人。
その横にいる老婆は、おそらくは夫婦か。
二人同時に殺すのは初めてだが、訓練では問題なく行えている。
『応えよ、水の精霊。我が命に従い、彼の者の呼吸を止めよ――』
かすれるような男の言葉に応え、男のすぐそばに、ふわりと浮かび上がる透明の塊。
よくみると、それが少女の形の水の塊だと分かるだろう。
『もう、止めて欲しい!! これ以上、私は――』
嘆きにも等しい声が響く。
ただその声は、霊的に繋がっているコズベルトにしか聴こえず、そしてコズベルトはそれをまったく気にしなかった。
『応えよ。さもなくば、お前の主がどうなるか――』
少女は苦渋に満ちた――よく見ないと分かりにくいが――表情を浮かべると、命じられた老夫婦のほうを見る。
その老夫婦の目の前に、突然水の塊が出現し――
「マナよ散れ!」
水風船が割れるように、突然、弾けた。
「何!?」
驚いたのは老夫婦だ。
突然のパン、という音に、寝入っていた老人も目が覚めたらしい。
コズベルトは驚いて水の少女を見やるが、少女も何が起きたのか分からない、というように首を振る。
「精霊行使とはな――法術を辿っても分からないはずだ」
声のする方を向くと、立っていたのは若い男だった。
無論、コウである。
「馬鹿な……なぜここが分かった?!」
「精霊のマナは、個体ごとに異なる。そして、マナを検出すれば、たとえこの広いクロックスでも、特定するのは難しくない。あとは、実際に精霊を使おうとする場所を押さえさせてもらっただけだ」
「なっ……」
コズベルトはその言葉が、自分がすでに見張られていたという事実を示すと気付いて戦慄した。
それに自分は気付いていなかったということか。
だが、コズベルトは冷静になって、状況を確認する。
見張っていたというようなことを言っていたが、今目の前にいる男以外に、人が駆けつける気配はない。
つまり、相手は単独。
何者かは分からないが、今この男を殺せば、まだ打開可能という可能性が高い。
一方のコウも、正直驚いていた。
今説明した通り、この男の潜伏場所は昨日には捕捉していた。
ただ、この男が犯人だという絶対の確証があるわけではない。
なので、現場を取り押さえることにして見張っていたのだ。
これまでの殺害対象のパターンからして、おそらく他に応援の呼びやすい場所にいる誰かが襲われるかと思っていたのだが、殺されそうになったのは、少なくともバルクハルトとはほぼ無関係の老夫婦だ。
これは、いよいよ無差別殺人に切り替えてきた、ということだろう。
改めて、男の横に浮かんでいる精霊に目をやる。
目を凝らさないと夜闇ではほとんど見えないが――法術でマナを視認できるようにしている今では、その姿はむしろ照明にも等しい存在感だ。
精霊。
一つの属性のマナが集まり、自我を持った存在。
自我があるとはいえ、基本的には自分の意志で何かをすることはなく、このように人を害することは絶対にない。
むしろ異常な自然現象を正常化するための存在であるらしい。
ただ、精霊の力を借りる力は存在する。
精霊行使、または精霊術などと呼ばれる術だ。
特定の精霊と契約し、その力を借りることができる術。
ただ法術とは違い、どちらかというと精霊に協力してもらうような術のはずだが、先ほど見た限り――。
「くそ!! お前、あいつをまず殺せ!!」
男の怒号が響く。
精霊は、まるで拒否するように首を振るが、すると男は、首から提げた何かを、精霊に示した。
「こいつがどうなってもいいのか!?」
その言葉で大体の事情をコウは察した。
精霊は基本的に人には従わない。
精霊と契約できるのは妖精族だけとされているが、あれはどう見ても人間だ。
だがあの精霊は従っている。
いや、従わされている。
精霊が男の言葉に観念したように、コウに向き直った。
水が、正しくは水のマナの塊が精霊の近くに出現し、矢のように放たれた。
マナを見えるようにしていたからいいが、そうでなければほぼ透明の矢だ。
まして夜闇で、視認すら困難だろうが――マナが見えてしまえば、避けるのは造作もない。
「避けただと!?」
攻撃されたことすら理解しづらいはずの攻撃を回避するという時点で、コズベルトは目の前の男が相当な手練れだと判断し、武器に手をかける。
その、直後。
「[縮地]」
ぼそりと呟かれたその言葉は日本語であるため、彼には理解できなかった。
そして、その直後に起きたことも、やはり理解できなかった。
彼我の距離は、十メートルはあった。
だがその距離が、ほぼ一瞬でゼロになったのだ。
「な……!?」
コウの手がコズベルトの顎にかかる。
そのまま、抗いようのない勢いで、コズベルトは地面に叩きつけられた。
いわゆる『のど輪落とし』といわれるプロレスなどの技に近いが、およそありえない勢いで、いくら柔らかい土とはいえ、後頭部を大地に叩きつけられたコズベルトは、一瞬で意識が吹き飛んだ。
「ふぅ……」
コウは一息ついて、それから驚いている老夫婦の元へ行く。
彼らからすれば、何が起きたのか分からない、というところだろう。
「色々説明も必要かと思いますが……すみません、後日、おそらくバルクハルト殿から説明もあると思いますので、今日はご帰宅願えないでしょうか」
この男の所属などがわかってないし、何よりまだ浮いている水の精霊の対応もあるので、コウはそれだけ言うと、今度は水の精霊に向き直る。
老夫婦はコウの意を察したのか、逃げるように立ち去ってくれた。
『さて――意思疎通は可能なようだが、水の精霊、だな?』
コウは久しぶりに能動的に《意思接続》を用いた。
平然と精霊と話すコウの存在に、精霊は驚いたようにコウを見返す。
予想通り、この力なら精霊とも対話可能のようだ。
精霊でも自失することがあるのか、話しかけられるまで呆然としていた水の精霊は、すぐコクコクと頷く。
このあたりの反応は人間と同じらしい。
『そして、何かで脅されて――いや、誰かを人質にとられて従わされていた、か?』
精霊が頷くのを確認すると、コウは気絶している男の胸元にあるペンダントを摘み上げた。
飾り気のない、ドーナツ状の掌ほどの鉄の板で、空いた穴部分に少し膨らんだ水晶がはめ込まれている。
覗きこむと――少女の顔が映し出された。
『閉じ込められ……いや、違うな。遠隔を映しているだけか。この子が、お前の本当の主か?』
そう判断したのは、少女の耳の形が、人のそれと違ったからだ。
人のそれと異なる、やや長く尖った耳の形は、妖精族共通の特徴。
そして妖精族には精霊との親和性が高い者がいて、彼らが精霊行使を行える、と書物にあった。
もっとも、精霊行使が出来る存在自体、妖精族でも極めて稀だそうだが。
わずかに肩が上下していることから、絵ではなくおそらく映像を中継している法術具なのだと分かる。
『そう。でも、だめ。捕まっているから、彼らに従わないと、主、殺される――』
『詳しく話せ』
『あなた、何者……? 人間で、私たちの声が聞こえて、話すことも出来るのなんて、初めて……』
『説明は後だ。この少女を助けるのに協力する、といっている。このままこいつを片付けても、誰かが殺されるのでは寝覚めが悪いからな』




