第15話 黒幕との対決
日が落ちる直前、パリウスの郊外にある森の中にある廃墟。
そこが、襲撃者が指定してきた、報酬の受け渡し場所と時間だった。
この手紙と前後して、計画の遅延を訝しんだアウグストがトレットに調査のための兵を派遣していたのが戻ってきていた。
それによると、雇った刺客の半数以上は何者かに殺され、残りが南に向かって行ったことが分かっている。
どうやって刺客を倒したのかが不思議ではあるが、現地で護衛を雇ったらしい。
ただ、その後ラクティとメリナとあと一人が南に徒歩で向かい、その後刺客によって殺されたのだと思われる。
手紙が送付されたのは刺客らがそのまま南に移動して、この近郊からだとすれば、時間的にそれほど不自然さはない。
情報の通りだと、トレットの街を出る時点での刺客の数は四人。
全員生きているかは分からないが、彼らが手紙を送りつけてきたのは間違いないだろう。
アウグストも無論、この可能性は皆無ではない、とは考えていた。
出来るだけ学がない者を襲撃者に選ばせたつもりだったが、それでもこの程度の知恵は回ったということだろう。
だが、自分が本当の依頼人であることが知られた以上、賊を生かしておく理由はない。
報酬を渡す時に、殺す。
それは決定事項だった。
アウグストは、特に信頼できる私兵七人を連れて行く。
アウグストに昔から仕える者であり、彼の今回の所業についても知る、腹心たちだ。
正規兵や傭兵を雇うことも考えたが、その場合、あの賊が今回の襲撃について殺される前に話でもしたら、その兵たちをも始末しなければならなくなる。
ならば、身元が分かるリスクがあるとはいえ、手駒である兵を連れて行くほうがいい。
どうせ、すでに見抜かれているのだから。
「くそっ、何でこんなことに……」
「申し訳ありません。私も予想外でした。あの連中、読み書きすらまともに出来ない愚物と思っていたのですが……」
執事の謝罪は全く意味がなく、アウグストは苛立たし気に城館の床を靴で叩いた。
当初の予定では、手紙送付の十日後、トレットの街の郊外で金の受け渡しに見せかけて殺害する予定だった。ラクティの殺害成功後は、トレットの街に留まるように伝えていたのだ。
ところが送られてきた手紙は、内容が渡したものと異なり、受け渡しの場所と時間を指定してきてる。日時の指定から察するに、殺害はとうに成功していたのに、パリウスまで移動してきていたのだろう。
さらに、パリウス領主代行アウグストを名指しで、直接金を持ってくるように、と書かれていた。
報酬の上乗せこそ記載されていなかったが、後々要求してくる可能性は、十分考えられる。
「まあいい。やつらを殺せばすむことだ。お前たち、絶対にしくじるなよ」
指定された廃墟は、元は古い神殿だ。
日が落ちる直前ということもあり、すでに森の中は暗く、足元もおぼつかない。
神殿の敷地そのものはいくらか開けているが、打ち捨てられてかなり経つため、木々も少なくなく、全体的に非常に見通しが悪い。
「来たぞ!! 護衛は一人だけだ」
廃墟の敷地と森の境目まで来たところで、男が声を張り上げる。
すると、廃墟の入り口に人影が見えた。
その奥にも数人、見える気がする。
「金を持って、廃墟に、入れ!」
ややイントネーションの弱い、たどたどしい、怒声めいた声。
これだけで、学がない者だと分かる。
なぜこんなやつに、という思いがアウグストに溢れるが、かろうじて自制した。
(アウグスト様。申し訳ありませんが、弓では狙えません。巧みに、射線を遮るように木々があります)
その『ささやき声』は、アウグストの耳元で呟かれたかのような小さい声。
風の法術の一つ、[風声]である。
多少の距離があっても声を届ける事が出来る術だが、このようにささやき声で使えば、距離のある内密の話なども可能になる。
可能なら狙撃して終わらせたかったが、それは出来ないらしい。
法術は発動前に文字が光るという特性上、このような時間ではかなり目立つので不意打ちは難しい。かといって気付かれても構わず広範囲を一撃で殲滅するような法術の使い手は、アウグストの部下にはいなかった。
廃墟とはいえ建物はまだ頑丈に見え、迂闊にこちらから手を出せば、逃げおおせられる可能性がある。それは何としても避けねばならない。
こういう時、完全に囲むだけの手駒を用意できないのが悔しい。
アウグストは苦虫を噛み潰したような表情になりつつも、かろうじて平静を装う。
「護衛の同行を許可してもらい……」
「まて。お前は、代行、違う!」
賊の言葉に、アウグストは戦慄した。
確かに、今賊の前に立つ男は、アウグスト本人ではない。
アウグストは、森の中に隠れて様子を見守っている。
賊がアウグストの顔を知るはずがないと考え、彼の服を部下に着せて、アウグストとして振舞わせたのだ。
彼自身は剣の達人であり、金の受け渡しと同時に、伏せていた部下たちが廃墟を取り囲み、この場にいる者を全員殺す予定だった。
ところが、相手ははっきりと『アウグストではない』と断言した。
つまり、その程度の下調べを済ませている、ということになる。
背格好は一応似せたはずなのに見抜かれたということは、よほど入念に調査した、ということ。
「閣下……」
部下の言葉に、アウグストは先ほどの何倍もの悔しげな表情になった。
これ以上、ここでの交渉は危険だ。
アウグストは、我欲こそあれ無能ではない。
ゆえに、すでに自分が、相当に相手を侮っていたことは理解していた。
アウグストは考えを巡らせる。
この場はいったん退くか。
だがそうなれば、相手はさらに用心深くなるだろう。それにいつ暴露されるか分からない。やはり今ここで殺さなければならない。
そして、出した結論は――。
「すまない。私が本当のパリウス領主アウグストだ」
彼は木陰から出て、賊の目の届く場所に立った。
両脇には護衛の兵がさらに二人。
「お前が殺し、頼んだ相手、本来のパリウス領主、だな?」
怒声ではないが、くぐもった声。それに僅かに違和感を感じたが、それ以上に内容が重要すぎた。
アウグストの顔すら判別がついた相手だ。
当然、殺した相手のことを知っていても不思議はない。
「……お前が知る必要はない」
「その答えは、認める、ということだ」
アウグストはそれに肯定も否定もしない。
いずれにせよ、彼らを殺すことはもはや確定事項だった。
ここまで知られた相手を、生かしておく理由はない。
すでに、周囲は殺気に包まれていた。
事前に把握している人数は四人。廃墟の入口に一人と、奥に二人は影が見えるから、他にいたとしても一人だ。ここの者を始末してから探し出しても何とかなる。
「ずいぶんと頭の回る賊であったが……愚かだな。もはや生かしておくことは出来ん。やれ!!」
アウグストの号令と同時に、森から五人、剣を持った男たちが飛び出し、廃墟に殺到する。
さらに、アウグストの振りをしていた男も、剣を抜いて一気に踏み込んで、入り口の男を斬りつけ――その手応えにぎょっとした。
あまりにもあっさり、抵抗なく斬れたからだ。
直後、自分が斬った相手が、人間どころか、生物ですらないことに気付いた。
それは、人間サイズに積み上げられた、ただの土の塊だったのだ。
「なっ……」
この瞬間、彼だけは、気付いた。
自分たちが、完全に罠にはめられたことに。
そしてその直感は、直後、何かが軋む音で確信に変わる。
ズドドドドドドド!!!
轟音が響く。
土煙が巻き上げられ、悲鳴と怒号が飛び交った。
アウグストの視界も土煙に塞がれ、黄昏時であることもあいまって、まったく何も見えなくなる。
すさまじい揺れで立っていられなくなったアウグストは、必死に頭を庇い、地面に伏せるしか出来なかった。
どれほど時が流れたのか。
轟音はすでに収まり、いくつかのうめき声だけが聴こえる中、恐る恐る顔を上げたアウグストは、目の前にある巨大な穴に腰を抜かした。
廃墟があったはずの場所に、巨大な穴が出来ていたのである。
暗がりもあって深さは良く分からないが、人の背丈の倍はあるだろう。
地面にあったはずの廃墟は、穴に落ちて瓦礫の山と化している。
飛び込んだ彼の部下たちは、ことごとくその穴に落ちたらしい。
「なっ……」
「叔父様。私は本当に……悲しいです」
呆然とするアウグストに、ありえないはずの声がかけられた。
愕然として振り返ると、そこにいたのは死んだはずのラクティ・ネイハだ。
「ば、馬鹿な!? お前は死んだのでは!?」
そう叫んでから、そもそもそれが罠であったことに、彼もまた気付いた。
つまりラクティは襲撃者を撃退し、さらに襲撃者を差し向けたのがアウグストであることを看破し、こうして罠にかけたということか。
「ま、まさかお前がこのようなことを……」
深窓で育てられたはずのラクティに、そこまでのことが出来ると言うのか。
驚愕のまま固まったアウグストに、横にいる侍女――メリナが、ゆっくりと首を振った。
「ラクティ様や私だけでは、到底無理でした。すべては、コウ様のおかげです」
知らない名前に、アウグストがまだ分からない、という表情をしていると、背後に人の気配がした。
部下が生きていたのでは、と期待して振り返ったが――立っていたのは、まったく知らない、黒髪の青年だった。
「部下はみんな死んだ。残るは、お前だけだ」
その言葉は日本語だったので、アウグストには意味不明だったが、その意図は嫌というほどに伝わった。
男の手にある、血塗れた刃が光る。気付けば、横にいたはずの護衛と執事は黒い血だまりの中に沈んでいた。
それを見て、アウグストは「ひっ」と情けない声を上げて、後ずさる。
「だ、誰だ、お前は……」
しかしその返答を聞くことなく、アウグストは首筋に痛烈な打撃を受ける。
そして、その意識は闇に落ちた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「こんなに上手くいくとは、思いませんでした」
まだ少し疲れた様子のメリナは、それでも安堵したように大きく息を吐いた。
目の前には、縛られたアウグスト。
ここは、すでにパリウスの中にある神殿である。
「アウグスト本人が来るの、賭けだった。まあそれでも、情報は入っただろう」
廃墟が突然崩れたのは、もちろんメリナの法術である。
崩れるギリギリの状態にする、という繊細な作業を無茶振りしたコウの期待に、メリナは完璧に応えて見せた。
廃墟の下の土を、崩れるぎりぎりまで別の場所に移動させ、いつ落ちてもおかしくない状態にする。
その上でダミー人形を置いて、コウ自身は、実は廃墟の脇にいたのである。
あの状況では、声の発生源を特定するのは、非常に難しい。
無論気付かれる可能性もあったし、また、廃墟を囲まれればコウに気付く者がいる可能性もあったが、幸い、彼らは表側を半包囲しただけだったので、コウには気付きようもなかった。
そして、彼らが廃墟の敷地内に入った瞬間、コウは素早く飛び出し、メリナは準備していた最後のトリガーとなる法術で、敷地を崩したのである。
その後、彼らは捕らえたアウグストを縛り、堂々とパリウスに入り、そのまま神殿で、ことの顛末を報告した。
神殿を預かる司祭はたいそう驚いたが――彼は、ラクティに許可を求めた上で、何かの法術を行使、その後、ラクティの言い分を信じてくれた。
あとで聞いたが、あれは言葉の真偽を判別するものだったらしい。
便利な法術もあるものだ。
「本当にコウ様がいなかったら、どうなっていたかと思うと……本当に、感謝の言葉もありません」
「俺は、護衛する、と決まっただけ。ただ、そういうなら、頼みたいこと、ある」
「頼みたいこと、ですか?」
ラクティは首を傾げた。
「この世界について、色々、学びたい」




