祈りと目覚め
そこに地獄があった。
魔軍の襲撃に都市が陥落したのである。
いつも笑いかけてくれたギルドのお姉さんが四肢をもがれて喰われている。院にパンを寄付してくれるおじさんは臓物をまき散らして路上に打ち捨てられている。今度商人の叔父さん連れられて別の都市に行商にいくのだと自慢していた少女は頭蓋を握りつぶされた。抵抗しただろう兵士や冒険者たちは杭に貫かれて、メインストリートに立てかけられている。
孤児院の地下に立てこもっているがここも耐えられるわけがない。
地下室にはシスターたちと子どもたちの祈りがひっそりと響く。
僕は、全身を燃やす怒りに包まれていた。手の中に愛用の短剣を握りしめる。
『神でも悪魔でもなんでもいい。どんな代償だって支払ってやる。だからあいつらを殺す力を俺にくれ。この子たちを奪わせたりするものか』
程なくして、地下室の入り口が叩き壊された。
同時に飛び出した僕は、目の前のコボルドの首に短剣を突き立てようと―――視界が回った。眼に入った自分の首のない身体に、遅まきながら首を落とされたのだと理解した。
◇
魔法による黒い大津波が襲い掛かってくる。ガード不能な範囲攻撃である。しかし、事前のモーションから分かっていたので同時に発動した魔法障壁で何とか耐える。
メニューを開いて回復アイテムを使用した。
直後、黒い大きな竜―――魔王へと跳躍しながら接近する。敵は大魔法の術後硬直で動くことができないことは分かっていた。大上段から弱点である額の逆鱗に剣を突き立てた。
砕けた逆鱗から瘴気が溢れ出る。耐えられず吹き飛ばされるが、なんとか着地することができた。
魔王は、自らの中に渦巻く力に耐えきれなくなったかのように爆発した。
魔王を討ち果たした勇者が、王国に凱旋するシーンが映されている。
そのシーンを横目に、机に置いてあったお茶を飲み干した。ゆっくりとした喜びがにじみ出てくる。とうとう最高難易度のヘルモードをクリアしたのだ。はまっていたゲームでの最後の目標を達成してしまった寂寥感もあるけれど、今はこのぬるま湯のような喜びをかみしめたい。
最初の雑魚モンスターにさえタンポポの綿毛のように狩られてくHPを思いだせば、ノーマルモードでさえ苦戦したこの魔王に勝てたのは偉業のように思えた。
このゲーム、『ルーンレコード』は、VRMMOのアクションRPGである。
大手のゲーム会社が万全を期して発売したこのゲームは瞬く間に売れた。俺も発売日当日に予約していたゲームを買ったひとりだ。
購入してから1か月半空き時間は全部このゲームに注いできた。確信している。このゲームこそ今年一番のゲームだった。それだけ熱中させてくれた。
攻略サイトや動画を見て新しく発見された情報、裏技がないか確認をして、明日の学校に備えて寝ることにした。
◇
「レク、レクってば!」
自分を呼ぶ声に目が覚めた。二段ベッドの上段が視界に入った。
二段ベッド…おかしい。自分は一人っ子だったはずだ。違和感と納得が妙に混じった実感があった。
直前の記憶を思い出す。年少組の子どもたちを寝かしつける自分とゲームクリアに浮かれる自分、二人の自分がいた。
「起きてる。起きてるよフレア」
自分でも思ってみなかった言葉が口をついた。フレアって誰だって思うと同時にずきりと頭痛がした。殺された人々、魔軍の哄笑、首を失った自分の身体。
思い出した。僕はもう死んだのだ。レクの人生が俺の中に入ってきた。
死んだ僕の身体に俺が憑依しているのだろうか。
俺は改めて、起こしてくれた赤毛の女の子に尋ねた。
「おはようフレア。ところで今日は何月の何日だっけ?」
馬鹿を見るような目で見られるが、些細なことでだと思うことにした。
「今日は蛋白の月の14日よ。どうしたのレク、寝ぼけてる?」
「寝ぼけているかもしれない。そうか10月、あと1か月しかないのか」
「じゅーがつ?変なこと言ってないで顔でも洗ってきなさいな」
「そうするよ」
孤児院の庭に出て井戸の水をくみ上げる。桶に入っている水に映った俺の顔を見る。茶髪に生意気そうな青い瞳。レクの顔だ。いつも眠そうだねって言われる俺の顔ではない。両手で水を掬って顔を洗う。
時間が巻き戻って、俺がレクになったことはあまり問題ではないのかもしれない。
今となっては僕も俺もレクだ。あんなこと絶対にさせない。
あの日起きた魔軍の襲来の撃退、それが今の俺の第一目標なのだから。
原作の『ルーンレコード』は人類の敗戦から始まるリベンジャーたちの物語だ。
だけど俺はそうさせない。
あんな理不尽をもう見たくないと思った。圧勝の物語に変えてやる。
そんな思いで小さな拳を握りこんだ。