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桜が散る前に

作者: 葛城早希

桜が散る前に


令和五年二月某日、沢田マツは阪急京都線京都河原町行き列車に揺られながら想い出を回顧していた。彼女は四十の頃に主人を事故で亡くしている。今日が主人を亡くして三十三回忌になる。主人は大阪の大手スポーツメーカー勤務の愛妻家であった。彼は仕事が終わると直ぐに帰路につきマツを労ってくれていた。たくさん冗談を交わし幸せに暮らしていた時間がマツにとって宝だった。マツは主人を今でも愛している。心の中に彼がいるからマツは今日まで強く生きてこれた。列車は桂駅で停車している。間もなく発車する様だ。


「拝啓 

本日もお日柄がよくお天道様が微笑んでいます。まるで貴方があたしに微笑みかけているかのような、そんな陽気でございました。今あたしは輝かしかったあの日々を回顧しております。【僕は君が大好きだ。星の数ほど人がいるこの星の上で、天文学的な確率で君を見つけたのは奇跡だと思っている。君もそう思わないか?…僕は君を幸せにする。だからどうか僕の側にいてくれないだろうか。結婚しよう。】平安神宮の花菖蒲の中で、はにかみながら貴方が指輪を差し出してくれた夜を今でもありありと覚えています。酔狂だと笑われても構いませんのよ。あたしにとって貴方と過ごした時間こそが宝であり、全てですもの。それは昭和四十六年三月二日のことでした。」


マツは手紙を綴っている。すると車内アナウンスが聴こえてきた。

『本日も阪急電車をご利用頂きましてありがとうございます。この電車は準特急京都河原町行きです。停車駅は烏丸・京都河原町が終点となります。ー・』乗り換えの駅が近づいていることに気づき、マツは慌てて支度を始めた。間もなく列車は停車し、マツは烏丸駅で電車を降りた。そして辿々しい足取りで駅から数分歩き、祇園・平安神宮行きの市営バスに乗車したのだった。


「それから九回目の結婚記念日に、平安神宮の境内を歩くあたしをよそに貴方はこう仰ったの。【ごらん。ヒガンザクラだ。僕はこの桜を見るたび理想の人生の在り方を瞼の裏に思い浮かべるんだ。…幸せな日々はあっという間に過ぎ去ってしまう。晩年までこんな日々が続くのだとしたらそれはきっと刹那のことだろう。人生の最盛期ではらりと散って大往生。そんな人生を送りたい。散るならせめて桜の如くゆらゆらってね。】

貴方は毎年この季節になると桜を愛でていましたね。気づけばいつしか、桜はあたしにとっても特別で大切な花となっておりました。その日の貴方の言葉も克明に覚えております。『その時が来たらあたしもお供しますよ』と、そう言ったのに、貴方はひとりで逝ってしまわれました。あれから三十三年間貴方がそちらでひとりでも寂しくないようにと、手紙と一緒に貴方の好きな平安神宮のヒガンザクラを墓前に供えて参りましたが、それも今年が最期になりそうです。心丈夫に七十三年間暮らして参りましたが、お医者様曰くお迎えが近いようで。実のところ足も覚束ないの。もってあと半年でしょうと宣告されました。桜の季節に自らの足で最期の手紙を手向けることができてなんと仕合わせなことでしょう。貴方と出逢えて、あたしの人生はたいへんに豊かなものになりました。本当にどうも有難う。

これまで連年に渡ってあたしの人生の土産話をしたためて参りましたがそろそろ筆を置くことにします。続きはそちらで語らいましょう、

願わくば桜が散る前に。


敬具」


沢田マツ

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