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小説家と編集者

作者: だるまんず

 ラジオ番組で話を聞いた話。

 プロの小説家に付いている編集担当の人は、小説家にあーだこーだとアドバイスするし、これは使える使えないの判断もするのだけれども、小説家にはなれないと言う。


 編集者は「1を2や10にすることは出来ても0を1にする事が出来ない」のだそうだ。


 小説家は0から1を作る。

 裏返せば、0から1を生み出せた時に小説家になれるのだろう。


 振り返るに、私が小説家になれないと感じたのは自分の文章が好きな小説家の劣化コピーにしか見えなかったことだった。10を1に編集しただけのような感覚。


 ただ、最近はある程度開き直っている。(書けてないけど)

 私という存在は、私以外のいろんな人の欠片の寄せ集めでしかない。

 どんな偉大な作家であれ、その人が書くならば、その言葉を両親や友人から受け取り借りて使っているに過ぎない。思想や発想も誰かから受け取ったものが絡み合ってるだけであって、本質的に0を1にできているのかは怪しい。神ではない人間はパズルゲームをしているだけで、素材を排除してしまっては素材を共有する読者との接点が失われてしまう。


 異世界転生の作品が多いのも、身近なゲーム世界という素材が共通言語となることで、読者に伝わりやすく、世界の構図も描きやすいためでしょう。でも、世界観があまりにも固定化されてしまうことで、0から1というより、10を12や20にするような書き方になっているようにも感じる。

 それでも消費者は0から15を生み出した作品より10から20に編集した作品を評価するだろう。


 SF系やファンタジー系ではアイデアが命という部分があるのだけれども、そのアイデアの根幹が中世風剣と魔法の異世界をベースにしている時点で、振り幅に限界があるようにも感じる。わかりやすい世界にはわかりやすいルールが存在し、それを逸脱すると伝わらなくなるというジレンマもある。


 だから開き直りは重要だ。

 オリジナルに拘って類似アイデアの存在に行く手を阻まれ行先を見失ってしまうより、味付けをがんばって、素材の新しい味を生み出す方がいいのではないか。


 そして、編集者の話に戻る。

 0から1を生み出せた時に小説家になれる、ではなく、1を10や20へ高倍率に盛り付けてオリジナルであると開き直りが出来た時に小説家になれるのではないだろうか。

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