ラッキーガール
「ねえ、どうしてまだ生きているの?」
ひどいやつだ。たくさん傷つけて。
いつもそうだ。遊具の裏に連れてきて。
なぜだろうか。タイミングが悪い。
全て、お前のせいだ。
中学校の2年生から、私はいじめられるようになった。
始まりは、女子同士の些細なナワバリ争いからだったと思う。私が友人と宿題のノートを提出しに、職員室へ行っていた間に、何かしらのきっかけがあったらしい。私たちが2-1教室の後ろの扉から戻ったときには、すでにボス猿同士が正面から睨み合っていた。取り巻きはそれぞれのボス猿の周りを囲み威嚇している。下層の女子は、巻き込まれないようにひたすら身を縮め、男子は触らぬ神に祟りなしと、遠巻きに眺めているだけだった。
女子同士の喧嘩というのは、ある程度の文句を言い合うと均衡状態に陥りやすい。そうなってしまうと、決して自分からは手は出さず、相手の出かたを伺うのだ。そして、取り巻きを使って相手を威圧する。そこからどうなるかは、彼女ら自身も知る由もない。
何も知らない私たちが教室に戻ってきたとき、すでにリーダー同士は均衡状態に陥っていたらしい。どうやら、戻ってきたタイミングが悪かった。リーダー格の千田 寿莉の取り巻きのうちのひとり、星井 逢花が私を見た。星井さんと私は、同じグループではなかった。前に席替えで隣同士になった時は、それなりにおしゃべりをした程度の、当たり障りのない関係だ。星井さんは相手側のリーダー格である橋口 梓との睨み合いを先に崩したかったのか、自分のリーダーである千田さんに良いところを見せたかったのかーー。星井さんはよりによって、私に喋りかけてきた。まさか、これがきっかけで私の生活が終わるだなんて、微塵も考えていなかった。
「桃原さんはさ、寿莉ちゃんと橋口、どっちの味方なの?」
考えうる中で、一番最悪な質問だった。
教室中の視線が、教室の扉を開けて固まったままだった私に集まる。この場はすでに、何があったの? どういう状況なの? なんて聞ける空気ではなかった。あぁ、なぜ教室に入った瞬間に、無邪気にもしくは馬鹿っぽくーーすぐに話を蒸し返さなかったのか。周りの目は、何も答えない、という選択肢を許す気は無いようである。
そもそもどうして、千田さんと橋口さんのグループが急に敵対しているのか。確かに2人は馬が合わないようではあったが、表立って喧嘩するような様子はまだ、なかったのに。ちらりと横を見やる。わざわざ一緒に職員室までついてきてくれた私の「お友だち」は、扉の影に移動し教室の中からは見えない位置にいた。私の「お友だち」は、女子の下層グループに所属している。つまり、彼女はこの空気の中で口を挟める権利を所有していなかった。彼女の手元には、自分と誰かの立場を入れ替える、「自己犠牲」の権利のみしかなかった。私は少しの希望を持って、彼女と目を合わせた。助けて。私たち、友達だよね? しかし、「お友だち」は私と目が合うと気まずそうな顔をして、パッと下を向いたのだ。私にはもう、手段が無かった。蜘蛛の糸も切れてしまった。どうにか、沈黙でやり過ごそう。
「えぇ……」
どうか、チャイムが鳴らないか。
どうか、先生が覗きに来ないか。
どうか、誰でもいい、邪魔しにこないかーー。
バンッ!!
しかし、私の祈りは橋口さんがロッカーを叩く音で、むなしくかき消された。さらに緊張感が増し、無言の圧力が私に重くのしかかる。じっと喋らない私に、怒りを増していくのを感じる。ある瞬間から、千田さんと橋口さんがお互いに向けていた怒りの矛先を、私に向けたことが分かった。きっと、彼女たち自身も、この争いの落とし所を探していたに違いない。私は哀れな犠牲者となったのだ。
チャイムが鳴って、何も知らない、無駄に陽気な担任が教室に入ってくる。バラバラと教室中に散っていく同級生たちは、誰も、私の顔を見なかった。
次の日から、2-1教室の状況は一変していた。千田さんと橋口さんのボス同士が、一つの机を共有して仲良く喋っている。共通の敵というのは、彼女たちを休戦させるのに都合が良かったらしい。昨日とは打って変わって、教室には平和が訪れたように見えた。表立っていじめをするようなやつはいなかった。校内ではせいぜい無視するぐらいだった。しかし、私を取り巻く環境は地獄になった。学校での私は、1人だった。
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私は、桃原 優紀が嫌いだ。
前に席替えで隣の席になってから、桃原 優紀が嫌いだ。桃原 優紀とは2年生になって、初めて同じクラスになった。桃原 優紀のことを認識したのは4月のはじめ、出席番号順にクラスで自己紹介をしていた時だった。大抵の人が名前と部活、趣味の話をしていたが、私にとっては右から左へ流れていく情報でしかなかった。私の記憶に残る人っていうのは、ムードメーカーや委員長、または目立つ部活に所属している、もしくは容姿やスタイルの良い、つまり、上位の人たちだ。桃原 優紀は、顔が綺麗だった。白い肌に大きい黒目が目立ち、肩甲骨のあたりまで真っ直ぐに伸びて、ぱっつり切り揃えられた黒い髪が特徴的だったーー。しかし、大人しそうな雰囲気から、私にはそれ以上の興味は湧かなかった。
席替えで隣の席になって、桃原さんと初めて喋った。大人しいグループに所属しているから、つまらないやつかと思えば、なかなか話が合って面白い人だった。ある日、たまたま私の席まで寿莉ちゃんが来たとき、寿莉ちゃんが桃原さんに話しかけた。寿莉ちゃんは私の1番仲が良い「お友だち」だ。クラスの可愛い女子を束ねるリーダーで、チアリーダー部に所属している。優しくて、明るくて、可愛くて、スタイルが良い、素敵な女の子だ。そんな寿莉ちゃんが話しかけてくれたにも関わらず、桃原さんはちっとも嬉しそうにせず、平然と寿莉ちゃんと喋っていたのだ。偶然かと思っていたが、何度も、それは起こったのだ。ある時、私は寿莉ちゃんに桃原さんと仲が良いのか聞いてみた。その時から、私は桃原 優紀が大嫌いなのだ。
「優紀ちゃん? まあ、仲良いよー可愛いし」
許せなかった。許すことはできなかった。私の方が良いが、同じチームの私の方が、寿莉ちゃんといっぱい過ごしているのに。寿莉ちゃんに可愛いと言われるなんて、認められているなんて。焦りもあった。桃原 優紀に寿莉ちゃんを取られてしまうかもしれない。どうにか確保している今のポジションを、可愛いだけの桃原 優紀に一瞬で奪われるかもしれない。私には、大人しいふりをした桃原 優紀が恐ろしかった。
ある日、私は橋口 梓に話しかけた。橋口も私のクラスのリーダー格の女子だ。バスケットボール部のエースで、運動部の女子から人気がある。どうしても、寿莉ちゃんのグループと橋口のチームは色が違いすぎて、意見が食い違うことが多かった。では、チームの違う私がなぜ橋口に話しかけたのか。彼女がバスケ部員で体育委員であり、私は次の体育の授業の準備当番だったからだ。今は体育の授業でバスケットボールを行っているが、私は体育館の天井に吊り下げられたゴールの降ろし方がよく分からなかったのだ。橋口は親切にゴールの降ろし方を教えてくれた。しかし、私たちの様子を快く思わないやつがいたらしい。なぜか、橋口が寿莉ちゃんのグループにちょっかいをかけている、なんて事態にまで発展したのだ。そこからは、トントン拍子に事が進んだ。桃原 優紀は失墜した。タイミングよく教室に戻ってきてくれたから。
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リーダー同士でつるむことは、千田 寿莉と橋口 梓を怖いものなしに仕立て上げた。抑制を失った彼女らは、自分の手を汚す危険は犯さず、取り巻きを使ってストレスの発散をし始めた。学校を出てまっすぐ進むと、大きな公園がある。松が丘公園といって、入り口から真っ直ぐ奥に進むと、突き当たりに寄せ集められたように遊具が密集している。彼女らの新しい放課後の過ごし方は、遊具の裏で取り巻きに私の両腕を押さえつけさせ、星井 逢花に私の腹に蹴りを入れさせることだ。コツとしては、私の制服が汚れないように、スカートは少し下にずらして、上着は後ろで縛ることだ。新しい玩具は、はじめは彼女らを楽しませたが、長くは保たなかった。
しばらくすると、千田と橋口は遊具に上がって喋るようになった。こちらを見向きもしない。お気に入りの取り巻きを見張りにして、遊具の上を陣取っている。彼女らにとっての私は、自分たちが上位であることを確立し証明するための道具だ。十分にそれを証明できた彼女らには、もう私のことなどどうでも良いらしい。それなのに、なぜ私が蹴られ続けているのかというと、星井のせいであると思う。他の取り巻きたちが嫌そうに続けている中、星井だけが嬉々として、媚びた目で千田を見上げながら、私の腹を蹴っていた。飽きもせず星井は私を蹴り続けた。他のやつらが帰っても、星井はその場に残って、私が腹を庇いながら立ち上がり公園を出て行くまで、何をすることもなく何かしゃべるでもなく、ずっと遊具の裏から私を見ていた。まるで、明日もここで待っているとでも言っているのか。本当に気味が悪い。彼女は一体、公園に残って何をしているのだろう。
毎日、毎日続いても、学校を休むのだけは、負けた気がして嫌だった。あと少し耐えれば、きっと終わる。私は、この教室の中で唯一何も知らない担任の古沢 善則の気の抜けた顔を眺めた。最近、この辺りで盗撮事件が起きているから気をつけるようにーーまるで生徒を心配する様子のない、他人事のように言う古沢に、私は心の中で舌打ちをした。
その日も、私は松が丘公園の遊具裏に連れてこられた。いつもと違ったのは、その日は途中から雨が降ってきたことだ。いつも喋って時間を潰している遊具に屋根は無く、千田と橋口は早々に帰った。取り巻きも、もう私を押さえつけて蹴ることに飽きたのか、もともと嫌だったのか、千田と橋口と一緒に帰りたがった。しかし、星井だけが引き止めた。彼女は、私達が寿莉ちゃんの代わりになって桃原に立場を分からせないといけない! と酷い剣幕で他の子達を説得していた。取り巻きは帰るにかえれず黙って聞いていたが、ついに橋口のグループである平野 あゆみが怒り出した。
「ずっと思ってたけどさ。あんた頭おかしいんじゃない? そんなにやりたきゃ1人でやんな。梓も寿莉ちゃんもこれいつまですんのって言ってんだよ!」
この言葉を皮切りに、1人、また1人と公園を去っていき、最終的に私と星井の2人きりになった。星井は千田グループの子にも見捨てられて、1人取り残されたのだった。ざまあみろ。星井は、私を痛めつけることこそが、グループ内での自分の役割だと考えているようだった。えてして、実行犯というのは立場の弱い奴がするものだ。きっと、星井は私を痛めつけることで、自分の存在意義を確かめていたのだろう。可哀想なやつだ。
「私は、お前の、その目が大嫌いなんだ。」
もう、帰るか。解放された私がさっさと帰ろうとすると、星井はカバンからロープを取り出し、私の腕と足をそれぞれ縛った。私も暴れたが、今日もすでに何発か蹴られていたし、連日の暴力に心も身体も確実に弱っていた。さらに、星井はカバンから裁ち鋏を取り出すと、震える私の前髪を掴んで、顎の下あたりで髪をざくざくと切っていった。最後の仕上げに星井は私の腹を思い切り蹴ると、捨て台詞を吐いて帰っていった。
「ねぇ、どうしてまだ生きてるの?」
私は冷たい雨に打たれて、もうなにもしたくなくて、地面に寝転んでいた。しばらくすると、雨は止み辺りも暗くなってきた。ドロドロの格好で目立ちたくなかった私は、もうしばらくここで時間を潰すことにした。縛られた手足をどうにか外せないか、手首を縛るロープの結び目に噛み付く。口に入った砂が気持ち悪い。しばらく足掻いていると結び目が緩み、ようやく手が自由になる。続いて足の結び目に取り掛かる。手に比べれば簡単だった。あと少しだと奮闘していると、まっすぐに近づいてくる足音がする。誰か、戻ってきたのだろうか。振り向くと、帽子を深く被りマスクで顔を隠した男が歩いてきていた。
「いつもここにいるよね。僕は君の行いをしっかりと見ていたよ」
男は私の身体を引き倒す。地面に倒されてから気づいたが、男は手に刃物を持っていた。見上げた先にある、街灯を鈍く反射した刃先に、私は目を奪われる。逃げようにも、私の足にはまだ、ゆるくだがロープが絡まっていた。男はわざと私の足の間に刃を刺した。すぐさま私は身体を翻して、手で地面を手繰り寄せて、どうにか逃げようと遊具の下をくぐって公園の入り口を目指した。前を見ると、公園の入り口に立った、タオルを持った星井と目が合う。
「たすけ……」
声を出そうとしたが、後ろから足を引っ張られる。体勢を崩した私は、顔を地面を擦りつけ、もうそれ以上喋ることは出来なくなった。
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桃原 優紀が死んだ。
学校の近くにある、いつもの松が丘公園でだ。
放課後、いつものように公園で橋口とあゆみと喋っていたら雨が降ってきた。傘を持っていなかった私は、すぐに家に帰った。雨で濡れてしまったため、帰宅後すぐにお風呂に入った。お風呂から上がると、逢花から電話がかかってきていたのに気がついた。逢花にSNSで今気付いたと折り返すと、すぐに今から電話していいかと返事がきた。
「急に電話してごめんね! 星井だけど」
「あー、うん。どうしたの?」
「平野さんから聞いたんだけど、寿莉ちゃん、公園で集まるの、もうやめたかったって……ほんとう?」
「あー、うん、もうやめようと思ってたよ。…可哀想だし。でも、ちょっとタイミングわかんなくなっちゃって」
「そうなんだ……。寿莉ちゃんやめようとしてたんだ……私、寿莉ちゃん続けたいんだと思ってて……ごめんね」
「え、なんで逢花が謝るの? 逢花が言ってくれたし、もう今日でやめる。逆に、ありがとう」
「私、寿莉ちゃんの役に立った? 嬉しい!」
私が夜ご飯を食べていると、学校から連絡網が回ってきた。安否確認なんて初めてで、何かあったのかしらとママが酷く狼狽えていた。ママが次の家に電話をかけている間に、私はテレビをつけて適当にニュース番組を探す。すぐに右上にLIVEの表示と、パトカーのランプが点滅している番組を見つけた。ニュースキャスターが、やや焦りを含んだ声色で原稿を読んでいる。
「本日18時半ごろ、松が丘公園内で中学生が刃物で複数刺される事件がありました。被害者はすぐに救急搬送されましたが、搬送先の病院で死亡が確認された模様です。被害者は、桃原 優紀さん。犯人は現在捜査中とのことですーー」
その日の夜は、どうやって寝たのかあまり覚えていない。ただ、ニュース翌日の学校の通学路には、テレビ局の人がたくさんいて、とんでもない状況になっていた。先生たちが校門の前に立って大声を出している。取材しようとする記者から、生徒を身を呈して守っている。私は身を縮めて、記者と目を合わせないようにしながら学校に入った。必死にたどり着いた教室の空気は、最悪だった。だって、クラスメイトが、昨日、死んだのだ。
「寿莉ちゃん、来る時大丈夫だった?」
逢花の問いかけに、私は頷くことしか出来なかった。逢花と喋ってしまうと、私が公園から帰ったあと、まだ残っていた桃原と何かあったか、聞いてしまいそうだったから。いつもは先生が来るまで、グループで集まって喋っているけど、今日はそんな気分にはなれなかった。朝のホームルームで、古沢先生が桃原 優紀が死んだことを伝える。クラスにいる全員が知っていたから、特に誰も反応しなかった。放課後に警察が来て、何か知っている事がいないかクラス全員に事情聴取をすると言われた。
その日の授業は、いつもと違って本当に静かだった。いつもだったら先生たちが、元気ないけどどうした? 体育の後か? なんて言ってくるけど、今日は先生たちも静かだった。ようやく、授業が終わった。校内放送が繰り返し流れる。
事件の犯人がまだ捕まっていません。
今日の部活はすべて休みです。
校内に残っている生徒は全員帰ってください。
出来るだけ一人にならないようにしてください。
2-1教室だけに人が残っていた。全員が、自分の席に座ってじっと黙って放送を聞く。この教室だけ、世界から切り離されたみたいだ。放送が止んだタイミングで、古沢先生が、ドラマみたいにお決まりのセリフを言う。
「この中で、桃原が何かトラブルに巻き込まれていたとか、虐められていたとか……なんでもいい。知っているやつがいたら教えてくれ。言いにくいかもしれないから、全員顔を伏せてくれ。言いにくいことだとは思うが、勇気を出して欲しい」
誰が言うかよ、と思いながら顔を伏せる。しばらく時間を置いて、顔を上げるように言われる。続いて、呼ばれた人から1人ずつ、昨日は何していたか警察に聞かれるらしい。いわゆる事情聴取だ。どういう順番なのか、私たちのグループばかりが呼ばれていった。指定された教室にそれぞれ移動する。私が入った1-4教室には警察官が2人いた。1人は女性の警察官だった。椅子に掛けるよう促され、さっそく、昨日は何をしていたのかと聞かれる。
「何って言われても、いつも通りです。放課後になったら、いつものメンバーで松が丘公園に行くんです。桃原さんも、一緒でした。いつもはみんなでお喋りするんですけど、昨日は雨が降ったから、私は途中で帰りました。家に着いたらお風呂に入って、その後星井さんと電話しました。何時だっけ、たぶん16時ぐらい。私、ずっと家にいました。ママと一緒にいました」
途中で警察官に、細かいことを突っ込まれ、そのつど答えながら話していく。私は何も知らないし、事件とは何も関係ないから、はやく家に帰りたかった。警察が調書を書き終え、帰っても良いと許可をくれる。1人で帰るのは危ないから、一旦教室に戻って、誰かと一緒に帰るようにと言われる。めんどくさかったが、犯人が捕まっていない以上、危ないことは確かだった。2-1教室に戻ると、帰った人は名前にマルをするように! という文字の横にクラス名簿が黒板に貼ってあった。私は自分の名前にマルをつけると、名簿を眺める。男子はすでにほとんど帰っていて、残っているのはほとんど私たちのグループだった。早めに呼ばれた子が多かったのに、時間がかかっているらしい。誰か、戻ってこないかな。
しばらく待っていると、逢花が教室に入ってきた。私は、まだ他のみんなは取り調べが終わってないみたい、と話しかける。逢花は嬉しそうに、じゃあ2人で一緒に帰ろうと誘ってくれた。そういえば、私は逢花と2人きりで帰るのは初めてだった。帰り道の話題は、どうしても事情聴取のことになった。初めて調書を取られて緊張した、警察署じゃなくて学校で取り調べなんて滅多に体験できないなどと盛り上がった。逢花は明るく喋りかけてくれた。
逢花はまだ一緒にいたいと、いつもの公園に行こうと私を誘った。私もなんとなく1人になりたくなかったが、人が死んだ場所には行きたくない、と言った。逢花は公園の入り口から、道路を挟んで正面にある、コンビニのベンチを指差した。いつもの放課後では、おばさんが井戸端会議をしているせいで、コンビニのベンチに座れることは滅多になかった。でも、今日は空いていた。
「私、コンビニでジュース買ってくる」
逢花はそう言うと、足早にコンビニの中に入っていった。1人残された私は、ベンチに座って逢花を待っていた。正面に見える公園の遊具の辺りは、まだ黄色い規制線が貼られていた。あんなにいたテレビ局の人たちは、すでに退散していた。どっちにする? と逢花が横に座りながら聞いてくる。私はジュース選んで逢花にありがとうと伝える。逢花は満面の笑みを浮かべている。あぁ、逢花は私のことが本当に好きだなぁ。彼女なら、教えてくれるだろうか。
「ねぇ、逢花はさ。事情聴取、なんて嘘ついたの?」
私たちの中で、事情聴取がこんなに早く終わったのは私と逢花だけだ。他の子はたぶん、自分達が桃原 優紀した事を正直に話しているのだろう。きっと、私が悪いって言っているに違いない。でも、私は桃原に直接暴力を振るったりしていない。身体に触れてもいない。周りの子達が、勝手にやったのだ。私は、きっと、悪くない。
「寿莉ちゃん。大丈夫。寿莉ちゃんは、悪くないよ」
逢花が私の手をそっと握る。そして、無意識のうちに握りしめていた私の手を、逢花はゆっくりとほぐしていく。大丈夫、悪くないよ、寿莉ちゃんは見ていただけだったもん、やったのは私だよと、逢花は何度も私に言ってくれた。いろいろ警察についたであろう嘘を、私に言い聞かせてくれた。私に微笑む逢花にどんどん涙が溢れてくる。悪いのは私だった。やらせたのは、私だったのに。1番悪いことをさせた逢花が、私を許してくれている。他の子は私を裏切ったけど、逢花だけは違う。私は大泣きしながら逢花に縋りついた。私は、悪くない。
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寿莉ちゃんと2人で帰れるなんて、夢のようだ! いつもはオマケがいっぱいくっついていたから、2人きりは初めてだ。空元気の間に垣間見える、少し不安そうな顔の寿莉ちゃんは、本当に可愛い。初めて見る表情にどきどきした。楽しい時間はあっという間だ。私はもっと2人で話がしたい。いつもの公園で話さないかと誘うが、公園は嫌と言われてしまった。そりゃあそうだ。不安そうな顔してる寿莉ちゃんを公園に誘えば、そりゃあ断られる。今のは私が悪い。でも、話すこと自体は断られなかった! 私は道路の向こうにあるコンビニを見る。今日も、ベンチは空いている。
「私、コンビニでジュース買ってくる」
寿莉ちゃんがいつも買っている紅茶パックと、寿莉ちゃんの好きそうな期間限定のフルーツジュースを選ぶ。寿莉ちゃんと並んでベンチに座る。いつもは1人で座っているベンチに、寿莉ちゃんがいる。今日の寿莉ちゃんはジュースの気分らしい。私にありがとうって、また言ってくれた。
「ねぇ、逢花はさ。事情聴取、なんて嘘ついたの?」
強張った表情でわざとイタズラっぽく聞く寿莉ちゃんが、いつもの強気な感じとギャップがあって、可愛かった。そして、何より私に興味を持ってくれているのが分かって嬉しかった。髪の毛と同じ薄い茶色のキラキラした目で、じっと私を上目遣いで見上げる寿莉ちゃんを、ずっと眺めていたかった。
寿莉ちゃんは、不安なようだった。桃原 優紀が悪いのに。寿莉ちゃんの味方だって、あの時にすぐに答えなかった桃原 優紀が悪いのに。その罰を受けたのは桃原の自業自得だ。でも、寿莉ちゃんは優しいから。放課後の罰をやめようとしていた矢先に「あんなこと」が起きたから、自分を責めてしまっている。あぁ、可哀想な寿莉ちゃん。
「寿莉ちゃん。大丈夫。寿莉ちゃんは、悪くないよ」
きっと、あの日、私を残して自分が先に帰ってしまったことも後悔しているんだ。私に桃原を罰させた事も、後悔しているに違いない。でも、私は寿莉ちゃんの手足になれて嬉しかった。私は少しでも寿莉ちゃんに安心して欲しくて、なんだって答えた。
「あの日、寿莉ちゃんが帰ったあと、少し平野さんと喧嘩してしまったの。私は寿莉ちゃんが、あの集まりをまだまだ続けたいんだって思い込んでいたから。平野さんが寿莉ちゃんが本当はやめたがっていたって事、教えてくれて良かった。寿莉ちゃんは優しいね。また明日、平野さんに謝っておかないと」
「結局ね、すぐには平野さんの言ってたこと信じられなくて、昨日は1人でいつもの……しちゃったの。でも、平野さんの言ったことが本当だったらどうしようって、はやめに切り上げたんだ。それで、昨日は平野さんが言っていたことが本当かどうか確かめたくて電話したの」
「平野さんが言ってたことが本当だって分かったら、私、あの日は桃原に少しやりすぎちゃったかなって思って。実は、夜に桃原がちゃんと帰ったかどうか見に行ったんだ。何したかっていうと……まぁ、私1人でしてたから逃げられないように手と足を縛ってたんだ。解けてなかったら困るなぁと思って。雨降ってたし、泥もついてるだろうと思ってタオルも持って見に行ったの。でも、誰も公園にいなくて、よかったー家に帰ったんだと思ってたら、あんな事が起きて……本当びっくりしたよ」
寿莉ちゃんを抱きしめて、ゆっくり頭を撫でながら喋りかけていると、公園の方から、男が1人歩いてきた。帽子にマスク姿の男はこちらをまじまじと見た。男はゆっくりと帽子を取り、私と視線を確かに交わしながら、私を指差し言ったのだ。車も、人も居ない、寿莉ちゃんのすすり泣く声しか聞こえない空間に、男の声はよく響いた。
「ねぇ、どうしてまだ生きているの?」
男は背負っていたリュックを下し、刃物を取り出すと走り出してきた。寿莉ちゃんが危ない! 私は寿莉ちゃんの手を掴んで立たすと、学校の方向へ走った。訳のわかっていない寿莉ちゃんは私のされるがままに足を動かしている。
ちょうど学校から、パトカーがこちらに走ってくるのが見えた。助けて下さい! と私はパトカーに向かって手を振りながら叫ぶ。異変に気が付いたパトカーが拡声器で、そこの男! 止りなさい! と怒鳴る。私をそのまま抜かして、男との間にパトカーが3台ほど停まる。警察官に囲まれた男は、走って疲れていたのか、諦めたのか容易に捕まった。捕まった男を見て、事態を把握した寿莉ちゃんがその場にへたり込む。泣きじゃくる寿莉ちゃんを見て、私も怖かったのと、安心したのとで、一緒になってわあわあ泣く。
後から応援に来た警察に保護され、学校の保健室に連れていかれる。事態を聞きつけた古沢先生が走ってやってきた。先生は、ちょうどお前らの事を探してたんだぞ、助かって、間に合って良かったと言って泣いている。桃原のいじめの件で、グループの他の子達との証言の食い違いがあるから、警察がちょうど私たちを探しに行こうとしていたらしい。古沢先生は、本当にタイミングが良かった、襲われずケガもしなかったのは奇跡的だと繰り返した。
「ええ、ほんとう、幸運でした」
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私達は学校の保健室で、泣いて腫れ上がった目を冷やしながら、警察の人に事情聴取されることになった。後日すぐに、あの時私達を追いかけてきた犯人である久貝 隆人が、桃原 優紀を殺した犯人だったと報道された。持っていた刃物に桃原の血液が付着していたようだ。ニュースはこの事件一色だった。女子中学生をさらに襲おうとした犯人を、警察が寸でのところで救出したというドラマは、世間の人々の興味を引いた。
事件の後、私のグループと橋口のグループのメンバーは、桃原 優紀をいじめていたとして、学校に親を呼び出された。いっぱい怒られた。それでも、私と逢花が犯人に殺されかけていたから、心配の方が大きかったようだ。先生やクラスメイト、他の周りの人達も同様で、私の日常は思っていたよりもすぐに戻ってきた。グループのみんなとも、今も仲良くつるんでいる。唯一心配だった桃原の両親も、みんなで謝罪しに行ってそれきりだ。娘がいじめられた事より、当然だが、娘が殺された事の方に強く怒りを感じているようで、矛先は全て犯人の久貝 隆人に向けられていた。
久貝の情報は連日たくさん報道された。久貝は公園のすぐ近くのマンションに住んでいて、自宅の窓からは犯行現場となった公園遊具がよく見えたようだ。窓にビデオカメラも設置していたらしい。きっと、自宅から誰を襲うか物色していたのでしょう、訳知り顔でコメンテーターが言う。久貝は夜勤の仕事をしていたが、桃原の事件の前日に、たまたま職場でボヤ騒ぎが起きて、仕事が休みになったらしい。ニュースキャスターは、本当に被害者の彼女は運が無かった、なんてあんまりな事を言う。
新しい情報です、とアナウンサーが話し出す。昨日、久貝の精神鑑定が行われることが決まったようだ。どうやら、僕は殺していない、どうしてあいつがあそこにいたんだ、僕は正義の味方なんだ、ずっと見守っていたんだ、など叫んだり、奇声を上げ自傷行為をしたり、錯乱状態になっているようだ。犯行も否認しているらしい。私はテレビを消すと、ママとパパと一緒に家を出る。広い道に出ると、逢花を見つけた。両親に行ってきますと声をかけて、逢花に駆け寄った。
「逢花!おはよう!」
「寿莉ちゃん! おはよう! 今日は髪の毛結んでるんだね」
「だいぶ、伸びたからね。ねぇ、寿莉も結構髪が伸びたね。切りに行かないの?」
「うん。今は髪を伸ばそうと思っているの。どうせなら寿莉ちゃんと同じぐらいまで伸ばしたいな」
「結構時間かかるから頑張って! あぁ、でも逢花は綺麗な黒髪だし、前の髪型すごい似合ってたよ。顎の下でぱつっと切ってさ、日本人形みたいで私、好きだったよ」