第三十六話 決着、そして後日
腑抜けた表情の三人は、不気味な空気を漂わせてゆらゆらと近づいて来る。【黒曜人】が迫って来たときのような、粘着質な恐怖がまとわりついてくる。こんな腰抜け三人組に恐れを覚えるとは、我ながら恥ずかしい限りだ。
後ろの方では、下卑た笑いを浮かべたフィリップとオレアン伯がこちらの様子を窺っている。この二人には怒りしか湧いてこない。
脚が小刻みに震えるのは、恐怖からか怒りからか。恐怖だとすれば、これは三人に対する恐怖ではない気がしてきた。彼らを操る得体のしれない力への恐怖のように感じる。人は未知のものを恐れる傾向にあるから。
いずれにせよ、今はそんなことは些事だ。迫ってくる目の前の脅威に対し、何かしらの策を講じなければならない。そして、ジャンに言ったように、私には一つの策がある。
私は杖を一振りした。にわかに現れたのは、炎の壁。ダンジョンにおいて、私が酸欠および気絶するに至った元凶である。
しかし前回とは違い、今回の壁は、我が家の敷地全体を包囲するような形だ。炎の壁が高いせいで視認はできないけど、少なくとも私の感覚上は、上部が閉じないように作った。上から中の様子を確認するためだ。炎の厚さは一メートル以上確保しているし、出てくるためには傷を負わざるを得ないだろう。
「ジャン、上から中を見てみて」
「わかった」
ふわりと私の髪が持ち上がった。風に乗って、ジャンが浮上したのである。空を飛ぶことはできないけど、宙に浮くくらいならできるらしい。これが終わった暁には、ぜひ私も宙に浮いてみたい。
「どうなってる?」
「フィリップと親父は、屋敷の中に逃げ込んで行ったな。他の三人は、ボーっと突っ立ってる。これからどうするんだ?」
「屋敷の中って……私が屋敷に穴を開けたことを忘れてしまったのかしら」
あの馬鹿二人は、私が屋敷をこれ以上破壊しないとでも思っているのだろうか。一度火の玉で穴を開けてしまえば、あとは全焼させようがどうしようが同じことだ。
「ジロー! みんなを避難させなさい!」
私は力の限り叫んだ後、炎の壁を屋敷がある方向へと縮め始めた。もちろん、お父様やお母様、執事やメイドが非難する時間を確保できるようにゆっくりと。
返事はなかったけど、ジローなら上手くやってるに違いない。でも、もしジローもフィリップに操られるなり何なりしていたら、危ないかしら。
いや、もしそうだとしても、うちには他にも執事やメイドがたくさんいる。彼ら彼女らが何とかしてくれるだろう。今はそう信じるしかない。
そう思ったとき、ジャンから朗報が聞かれた。
「うわ、砦からぞろぞろ人が出て来るぞ。こんなに執事とメイドがいるなんて、さすがはフラーム公爵家だ」
「感心してる場合じゃないわよ。ここからは何も考えてないんだから」
「ええ!? ここまで大胆なことするから何か考えでもあるのかと思ってた」
「文句言ってないで何か考えてよ。ほら、夫婦の共同作業よ」
「はいはい」
何も考えが思い浮かばない間、特にやることもないので炎の壁をさらに狭めていく。そろそろ、内部は灼熱地獄と化しているころだろう。何の罪もない執事やメイドたちには申し訳ないけど、もう少しの辛抱だと思ってほしい。
炎の壁に囲まれた範囲を縮め始めて五分。すでに屋敷はその外側に出ている。つまり、すでに屋敷は炎が通過した後であるということだ。
木造建築物に炎が触れれば、燃えるのが自然の摂理。その摂理に従って、屋敷は轟々と音を立てて燃えている。
そんな燃え盛る屋敷を見ながら、私はジャンに尋ねた。
「フィリップはまだ倒れないの?」
「見た感じでは、相当参ってるみたいだけどな。親父なんか、もう地面に這いつくばってるし」
「そう、それは朗報ね。だけどそうなると、お父様とかお母様もしんどそうね」
「確かに苦しそうではあるな」
「じゃ、こうしましょ」
――私が提案したのは、私をジャンに担いでもらって、上からフィリップを狙い撃ちするのだ。軽い怪我もしたこともないだろうお坊ちゃまなら、火傷の一つや二つで気を保っていられなくなるだろう。
そんなわけで、私はジャンに抱きかかえられたまま宙に浮かび上がった。一気に視点が高くなる。炎の壁の高さを超え、中でぐったりとしている人々が見える。
浮かび上がる前には心地よい風を想像していたけど、全然、全く、ちっとも、断じてそんなことはなかった。炎の熱が上がって来て、全身が焼けるようだ。
これほど暑いところに、ジャンはずっと一人でいたのか。そう思うと、申し訳ない気分がしてきた。
「あなた、こんな熱いところにいたのね。悪いことしたわ。ごめんなさい」
「いや、俺一人のときは、熱を別のところに逃がす風を吹かせてたから、それほど熱くなかったよ。マリを抱えてる今は、そっちまで手が回らないだけ」
「え……私の謝罪を返してよ」
「ほら、早く。フィリップを撃つんだろ?」
ジャンの言うことはもっともだ。それでも、私の心はモヤモヤした。だから、それをフィリップへ向けることにした。要は八つ当たりだ。
杖は地面に置いてあるため、フィリップに重なるように手をかざした。都合のよいことに、フィリップのそばにはオレアン伯しかいない。これならば狙いが多少逸れても、うちの者には被害は出ないはずだ。
こんな暑いところに長くはいられないし、ジャンの言う通り、早いところ勝負をつけるに越したことはない。短く息を吐いてから、連続して二発の火の玉を放った。
「なっ……」
しかし、その二つの火の玉は、ガストンの大盾によって弾かれてしまった。それを見て、続けて十発以上は放ったものの、それも最初の二発と同様の末路を辿った。
「厄介なのが残ってたわね。まだフィリップに操られてたなんて」
「みたいだな。だったら、少し危険だけど、上も炎で塞いじまうってのはどうだ? これなら、間違いなく酸欠で倒せるだろ」
「それしかないかしらね……」
いささか猟奇的ではあるけど、私もそれしかないと思っていたところだった。こっちの暑さも限界だし、これしか私たちに残された道はない。
それからは早かった。炎で上を塞いで、一分を数えてからその塞いでいた炎を消してみれば、全員仲良く気絶していた。試しにガストン目がけて火の玉を撃ってみたけど、ガストンは抵抗することなく鎧で受け止めた。気絶していると見て間違いないだろう。
地面に降りて、炎を完全に消した。そうしても誰も逃げ出さないところを見るに、一人残らず気を失っているか、死んでいるかしているらしい。
全員が生きていることを確認するまでは、二人とも無言だった。その作業が終わってから、ジャンがぽつりと漏らした。
「あっけなかったな」
「そうね」
二人とも汗ぐっしょりで、喉はカラカラ。まともなやり取りはできなかった。だけど、いつまでも呆けているわけにはいかない。フィリップやオレアン伯が目覚めないとも限らないからだ。
オレアン伯が乗ってきた馬車のカーテンを裂いて、縄代わりにし、フィリップとオレアン伯を一つの身動きも取れないほどぐるぐる巻きにして、目隠しもしておいた。あと、馬車内にあった水はありがたく頂戴した。
♢♢♢
あの日のことは領民の間でも話題になり、気の触れた『烈火』が、屋敷を全焼させたのだという噂がまことしやかに囁かれるまでに至った。どちらかと言えば、気が触れていたのはフィリップに操られていた四人なのだから、全くもって心外である。
その四人は、フィリップが気絶したことで正気を取り戻した。お父様には声明を発してもらい、私に関する一連の噂を否定してもらった。それでも一部の町民たちは、面白がってそうした噂話をやめることはなかったのだけれど。
オレアン伯とフィリップは、今回の一連の出来事の責任ほとんど全てを負うことになった。私が気づいたときには、屋敷が燃えたことまでがオレアン伯とフィリップのせいということになっていた。そこにどんな政治の力が働いたのかは、私には知る由もない。一つ言えるのは、本気を出したお父様は怖いということだ。
屋敷が燃えた責任をオレアン伯とフィリップに追及することができると、何が起きるか。それは簡単で、屋敷の資産価値分の金銭を要求できるようになるのだ。そのおかげで、私とジャンの新居を好きなように建てられるようになった。
今は、屋敷のあった場所に近い宿で、どんな屋敷を建てたいかを二人で話し合っている最中である。
「ジャンはやっぱり、小さい家がいいんでしょ?」
以前、ジャンが大きな家に住むのを恐れ多いと言っていたことを思い出し、そのことを突いてみた。
「そのことは忘れてくれよ」
ジャンは嫌そうに顔の前で手を振って、話を続けた。
「俺は気が変わったんだ。今はデカい家に住みたいと思ってる」
「あら、どういう心境の変化なの?」
「どうせ親父とフィリップに金を貰えるなら、なるべくデカい家を建てた方がお得だろ?」
私は肩をすくめて、返事の代わりとした。何か前向きな変化がジャンの中にあったのかと思ったら、ただの貧乏性だったとは。
結局、元あった屋敷よりも大きなものを建てる予定になった。




