第三十五話 フィリップの力
「どういうこと!? 好きな人と結婚すればいいって言ってくれたじゃない!」
私はお父様を睨みつけて叫んだ。お父様は何も答えない。横顔も安穏そのもので、娘から怒鳴られている父親には見えない。
今度は私が混乱する番だった。この数日間、お父様は私とジャンの結婚を応援してくれていた。さらには、オレアン伯の罪を明るみに出すことへの協力もしてくれると言っていた。それなのに、なぜ急に意見を翻したのか。
ここまで来て、二度目の裏切りを受けることになるとは思ってもみなかった。まさか、ここまでお父様の「計画」だったのだろうか。
いや、それは考えにくい。ジャンが初めてお父様の前に現れたときの反応は、今思い出しても笑いそうなくらい滑稽なもので、あれが演技だったとは思えないからだ。
「ねえ、何か答えてよ!」
必死な思いで、お父様の両肩を正面から掴んだ。勢い余って、椅子の背に叩きつけてしまった。私が覆い被さったことで、お父様の顔は自然と影になる。
そこで目に入ったのは、光のない瞳だ。そこには意思が感じられない。虚ろな瞳とでも言えばいいだろうか。
膝の裏辺りに硬質な感触。お父様の異様な姿に、気づかないうちに後ずさりしていたらしい。
これは尋常ではない。何かよからぬ力が働いたと考えるのが妥当だ。そして、私にはその心当たりがある。
「フィリップ、あんたがこれをやったんでしょ! お父様を元に戻して!」
テーブルを踏みつけて下座へと渡り、今度はフィリップの両肩を掴む。
それでもフィリップは微笑を崩さず、落ち着き払った様子で言った。
「これ、とはどれのことでしょうか? 何のことかさっぱり」
「お父様に何かしたでしょ! 正直に言いなさい!」
「その何かをおっしゃっていただけないと、見当がつきませんね」
こちらを煽るような態度に、私の怒りは頂点に達した。右手を前に突き出す。
「おや、どうされたのですか? そんな珍妙な格好をして」
「おい、マリッ! やめろ!」
フィリップとジャンは対照的な態度だった。私の意図を察しているかいないかの差だろう。
ジャンの制止も無視して、私は全力で火球を放った。
それはオレアン伯とフィリップの後ろの壁をぶち抜いて、隣の部屋の壁をも貫通し、そのまま外の庭まで焦がした。壁に開いた穴の周縁部は炭化し、白い煙を上げている。
オレアン伯はテーブルに突っ伏して頭を抱えるようにし、フィリップはその白い顔を醜く歪めている。
最初からこうしておけばよかったのだ。冒険者たちがオレアン伯爵領に集まっていようが、このフラーム公爵領まで引きずり出して、直接脅せば関係ないではないか。もう一押しして、完全に屈服させればこちらの勝ちだ。
「おい、どうした!?」
扉を勢いよく開けたのはガストン。後ろにはパーティーの三人も揃っている。屋敷を破壊した火球を見て、その火元を見に来たというところか。
何でもない、という風に肩をすくめてから答える。
「羽虫がいたから、ちょっとね」
「ずいぶんデカい羽虫だったんだなァ」
「ええ、今もその辺にいるわ」
「そりゃ怖い」
私が平然としているところを見て、ガストンも平静を取り戻したようだった。
そのとき、フィリップから奇妙な声が漏れ聞こえてきた。それは徐々に大きくなり、それが笑い声なのだと判別できるようになった。
「とうとう頭がおかしくなっちゃったのかしら?」
返事はない。が、屍というわけでもない。笑っているのだから。
「気持ち悪いわね、燃やすわよ?」
「これは失礼いました。ですが、笑わずにはいられませんね。ククク」
「何が面白いの?」
「私の幸運ぶり、ですかね」
「どういうこと?」
不穏な発言の意図を問いただしてみても、フィリップは答えない。代わりに気味の悪い笑みを浮かべるだけだ。
しばらく誰も声を出さない時間が続いた後、フィリップが口を開いた。
「あなたたちは、ミスリル級冒険者のパーティーですよね?」
「ああ」
ガストンは言葉少なに答えた。伯爵の令息に対してはいささか無礼な答え方だが、フィリップは満足そうに笑った。これは別に、フィリップが寛大であるわけではないだろう。何か企むところがあるに違いない。
「では、少し手伝ってもらえますか? 私がマリ様、いえ、この女と結婚できるように」
私は唖然としてしまった。私を「この女」呼ばわりするなんて、この世から消える覚悟があるということだろうか。なければ、そんなことが言えるわけがない。
それにしても、ガストンたちに助けを求めるのが企みだったとは、浅はかにもほどがある。彼らは罪を逃れるために私の配下に入っているのだから、フィリップ側につくわけが――
「いいだろう」
「はあ!? 何言ってんのよ、ガストン!」
意味がわからない。理解できない。何がどうなったら、ガストンがフィリップに協力することになるのか。
「レイド、あんたからも何か言ってやりなさいよ!」
ガストンのすぐ後ろにいたレイドの方を見た。ガストンがおかしなことを言っているのだから、仲間だったら止めろということだ。
しかし、私のそんな目論見は脆くも崩れ去った。レイドもお父様と同じような目をしているのだ。ガストンも同様だった。
「やはり、フィリップには人を操る力があるみたいだな」
「え?」
異常事態の発生にも、ジャンは冷静に言った。
人を操る力って、そんなものが本当にあるのか。でも確かに、フィリップがあの気持ちの悪い笑みを浮かべると、おかしなことが起きている。お父様然り、ガストンやレイド然りだ。
私は魔法を火魔法しか知らないし、世の中にはそういう魔法もあるのかもしれない。もしそんな魔法が使えるなら、真っ先に私を狙えばいいとは思うが、何かしら狙えない事情があるのだと思う。それだけは不幸中の幸いと言っていいわね。
「兄上には、さすがにバレてしまいましたか。とはいえ、今ごろ気づいても手遅れですけど」
「手遅れ?」
「そうです。お手遅れです。――やりなさい」
聞き返した私に被せるように、フィリップは冷たく言い放った。
直後、身体に強い衝撃。気づいたときには、外でジャンに抱きかかえられていた。
「何が起きたの?」
「ガストンとレイドが同時に襲って来たんだよ。あの状況でマリ一人を残すわけには行かないから、連れて逃げさせてもらった」
「そう。ありがと」
「どういたしまして」
言いながら、ジャンは私を降ろした。降ろされたのは、ちょうど私が炎で焦がした辺りだった。真っ黒焦げになっている。我ながらやりすぎたかもしれない。
「さて、これはまずいな。相手は四人で、こっちは二人。しかも向こうには回復役がいる。分が悪すぎる勝負だ」
「レネーとアダンまで操られちゃってるの?」
「そうみたいだな」
想定外の事態に、私はすぐに返事ができなかった。
「で、でも、ジャンならあんな四人は楽勝でしょ?」
「無茶言うな。これしか武器がないんだぞ?」
ジャンは半ばから折れたオリハルコンの剣を抜いた。心なしか、ダンジョン内で見たときより輝きが弱く感じられた。
「そう言えばそうだったわね……」
「っ!」
カキンという軽い金属音が連続して聞こえた。足元を見ると、かなりの数のナイフが転がっている。アダンの投げナイフをジャンが弾いたらしい。
「来るぞ!」
ジャンの声で我に返った。猛然と迫るガストンとレイド。右側からアダンが距離を取りながら回り込んでくる。
面倒なのは、様々な策を弄してくるアダンだろう。そう判断した私は、アダンに対して火の玉を連射した。
しかし――
「ちょっと、避けないでよ!」
数十発もの攻撃が一つも当たらなかった。さすがはソロで幾多のダンジョンを攻略してきたというだけはある。
「まずは回復役から潰さないと、傷を負わせたところで回復される。ひとまず体制を立て直そう」
頷いて返事をすると、またもジャンは私を担いで逃げた。ジャンの移動には風魔法が使われており、四人には追いつく術がない。
だが当然ながら、逃げているだけでは勝つことはできない。むしろ、向こう側が仲間を増やしてきて、さらに不利になる可能性すらある。
私たちは攻撃役の三人から逃げ回り、いつの間にか広大な敷地の端にまで追いやられていた。だけど、これは好都合かもしれない。
「ちょっと、いい作戦を思いついたかもしれないわ」
「そんなのがあるのか?」
「ええ。いとも簡単に逆転できるわ」
こんな不利な状況を一発で逆転させる奥の手。あのダンジョンで、愚かにも自分の首を絞めてしまったあれが役に立つかもしれない。
コ□ナに感染し、執筆が滞っておりました。
おそらくあと数話で完結ですので、お付き合いいただけると幸いです。




