第三十四話 オレアン家
その日のうちに、お父様はオレアン伯へ手紙を送った。私が出て行ったことはすでに伝えてあるらしく、今回送ったのは私が帰ってきたから結婚について話し合おうという旨のものだ。端的に言えば、公爵からの呼び出しということになる。立場的にはこちらが上なので、日時も指定させてもらっている。
四日後には早馬で返事があった。送られてきた手紙に異存はないとのことだった。ということは、明後日の午前中には全ての決着がつくということになる。
どうやってオレアン伯とジャンの弟――本当に名前が覚えられない――を納得させる、あるいは黙らせるかはまだ決まっていない。もしかすると厳しい戦いになるかもしれないけど、ジャンがいれば勝てる気がしている。
そして、指定の日付はあっという間にやって来た。指定の時間までは、あと一時間といったところだ。馬車での移動は到着時間が前後しがちだが、公爵の指定時間に遅れるわけにはいかないし、私の予想ではもうそろそろ到着するころだと思う。
応接室の上座に腰を下ろし、そのときを待つ。お父様には下座に座れと言われたけど、いずれ貴族でなくなるオレアン伯とその次男に対して敬意を表するなんて損な気がする。というわけで、私は上座に座っている。
「お嬢様、お代わりはどうですか?」
「ああ、気が利くわね。ありがとう」
「っ、ありがたきお言葉にございます」
私の専属メイドであるアンナは、さっきから応接室で待っている私の世話をしている。二週間ほど家を空けていたから、久しぶりの仕事に気合が入っているのだろう。よく働いてくれている。
以前の私なら、それを当然のものと受け止めていたはずだけど、今は自然と感謝の念が湧いてくる。メイドに向かって、ありがとうなんて初めて言ったかもしれない。
メイドで思い出したけど、レネーをメイドとして雇うという話があった。あのレネーに、アンナのような働きができるのだろうか。
「そういえば、近々新しいメイドを雇うから、あなたが指導をしてあげて」
「メイド、ですか。かしこまりました。お任せください」
「あなたみたいな優秀なメイドになるには、相当な時間がかかるでしょうけどね」
「そんな……滅相もございません」
恭しいアンナを見ると、レネーにこんな態度が取れるわけがないと思えてくる。もはやそんな態度でいる必要もない気がしているけど、他のメイドに示しがつかないわよね。
そんな取り留めもない思索に耽っていると、アンナがもじもじと身じろぎしていることに気づいた。
「何、お腹でも痛いの?」
「いえ、そうではありません」
「言いたいことがあるなら言いなさい」
「はい。――あの、ご結婚おめでとうございます」
すぐには言葉が出なかった。完全に予想外の言葉だったということもあるけど、本当に祝福しているのか、雇い主――お父様のことだ――の意に反する結婚を暗に咎めているのかがわからなかったというのが大きい。
私が黙っていると、アンナは調子を変えずに続けた。
「お嬢様には、望んだ相手と結婚して欲しかったものですから。今回の結婚は、自分のことのように嬉しいのでございます」
「ジャンとの結婚自体はしようと思えばできるけど、それを私とジャンが望んだ形のものにするには、まだ色々な段階を踏まないといけないわ。だから、さっきの言葉はまた改めて聞かせてちょうだい」
「かしこまりました」
アンナのお辞儀に合わせるように、ドアがノックされた。ついに時が来た。
「オレアン伯フランソワ様、並びにフィリップ様がご到着されました」
ジローの声だ。抑揚はなく、事務的も事務的なものである。
この知らせのおかげで、オレアン伯の次男の名前がフィリップだということを思い出すことができた。フィリップ、フィリップ、フィリップ……せめて今日くらいは覚えておいておかなければ。
緊張して扉の向こう側で待っているだろうオレアンの二人を焦らせてみたいという好奇心に駆られるが、そんなことをしている暇はない。
「待ってたわ。入っていいわよ」
ジローの断りの声とドアが開く音。
そして、あの日見た金髪の男と少年が見えた。ドア付近に立ったまま、まずはオレアン伯が口を開いた。
「お久しぶりでございます、マリ様。本日も――」
「久しぶり? 話すのは初めてだと思うのだけれど」
「え、いや、以前パーティーでご挨拶を……」
「あなたみたいなおじさん、しかも下位の貴族をいちいち覚えているわけがないでしょう。それは思い上がりというものだわ。――ほら、座って待っていてくださるかしら。話は父が来たら始めましょう」
「で、では、そうしましょうか……」
およそ対貴族の言葉遣いとは思えないほど高圧的に出たけど、そのおかげで初動では相手を威圧することに成功した。お父様が来れば、簡単に話が決着してしまいそうである。
「入るぞ」
そんなお父様の声が聞こえてきたのは、二人が到着して間もなくのことだった。
フィリップの方はここまで一言も発しておらず、
「お待ちしていました、フラーム公。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、時間通りの訪問に感謝する」
適当な受け答えをしながら、お父様は私の隣に着席した。この上座と下座の関係は、そのまま今の力関係を表している。
席に着くなり、お父様は早速本題に入った。
「――さて、今日は我が娘から話があるのだ。それを聞いてくれると嬉しい」
「左様でございますか。では、聞かせていただきましょう。いいお話だといいのですが」
今日初めて、オレアン伯の顔に笑顔が貼り付いた。私が結婚を了承するとでも思っているのだろう。
「いいお話かどうかはわからないけど、とりあえずお話させてもらおうと思います。――まず、私は結婚することを決めました」
「それは本当ですか!?」
「ええ、本当よ」
オレアン伯は私の言葉に食い気味に反応した。お父様に話をしたときと同じで、誰と結婚すると言ったわけでもないのに、思い込みとは怖いものだ。
さて、今回はあえて本題を逸らして、相手の反応を楽しむことはしない。なぜなら、お父様で一回やったからだ。端的に言えば、もう飽きた。
「じゃ、早速未来の夫を紹介させてもらうわ」
「は?」
「ジャン、入っていいわよ」
事態を飲み込めていないオレアン伯だが、そんなのは放って置いて話を進める。
ジャンが部屋に入ってきても、オレアン伯もフィリップも顔色一つ変えない。いや、ジャンのことをジャンだと認識できておらず、顔色の変えようがないのかもしれない。
「父上、お久しぶりですね。十三年ぶりくらいでしょうか。私の結婚の挨拶に同伴してもらえるとは思いませんでしたよ」
「は? 誰だ、お前は。そんなみすぼらしいなりで、無礼だぞ」
「自己紹介が必要でしょうか。私はジャン・オレアン、あなたの長男ですよ」
「……ふん、知らんな。私の息子は、このフィリップ一人だけだ」
ここまで話すと、さすがにオレアン伯も動揺の色を隠せなくなってきていた。もはや、私の結婚云々の話など頭から飛んでしまっているのではないだろうか。
だけど、お父様もそうだったように、白を切るつもりらしい。ここまでは想定通りだ。
「これを見ても、そんな態度でいられるでしょうか」
ジャンは例の黄金の柄を取り出して、自分がオレアン家に連なる者であることの証拠を示す。
オレアン伯は黙った。返事をしないことで、動揺を隠したり、ボロを出さないようにしたりする作戦だろう。往生際が悪いとはこのことだ。
それを見かねて、お父様がオレアン伯に話しかけた。
「これは、オレアン家の家紋。オレアン家直系の者のみが所有することを許されたものですよね?」
「ええ、そうです……」
「ということは、こちらのジャンという青年は、オレアン家の人間ということで間違いないのですかな?」
「いや、それは……」
お父様の協力もあり、完全にこちらが優勢だ。もうこのまま幼いジャンを捨てた罪を問い、それを公にしないことを条件にして、ジャンにオレアン伯領を継がせることを認めさせてしまおう。
そう意気込んでいたとき、ここで初めてフィリップが口を開いた。やや目尻を下げ、口角は上げ、典型的な微笑を浮かべながら。
「このジャンという者がオレアン家の人間だったとして、私と彼のどちらがマリ様の結婚相手に相応しいと思われますか? あのとき、私にこの領地を任せてくださるとおっしゃいましたよね」
「あ、ああ。そうだな」
「もう一度お聞きします。どちらが相応しいと思われますか?」
妙な間が空いた。ジャンの方が相応しいと答えるだけで、ほとんど話は終わりも同然なのに。無意味に流れて行く時間が、不安を掻き立てる。
「この領地の繁栄を考えれば、フィリップ君が相応しいだろうな」
そして、不安は的中した。




