第三十二話 帰宅
二週間ぶりの実家だ。そう長く離れていたわけでもないけれど、懐かしさすら感じる。
馬車内にいる私以外の四人は、初めて見るフラーム公爵邸に、感嘆の声を漏らしていた。きっと、ガストンと御者も同じようにしているに違いない。
「デカい家だなあ」
「生まれてからここで暮らしてたから考えたこともなかったけど、人が住んでいる建物では王宮の次に大きい建物かもしれないわね。近いうちに、ここがあなたの家になるのよ」
ジャンから返事はなかった。唇を真横に引き、硬い表情を浮かべている。もしかすると、ジャンは大きい家より、小さい家の方が好きなのかもしれない。
「大きな家が好みじゃないなら、こんな屋敷は叩き壊して、小さなのを建てればいいわ」
「いやいや、そうじゃなくて。俺が住むなんて、恐れ多くて」
「恐れ多い? そんな腑抜けた言葉が飛び出てくるとは思わなかったわ。あなたはフラーム公爵になるんだから、もっと堂々としてないと。それとも、私と一緒に住むのが嫌なのかしら?」
「そんなわけないだろ」
ジャンは少し語気を強めて反論した。
私の夫となって、公爵になるという覚悟はあるらしい。この期に及んで、結婚はすると言ったけど、公爵になる気はないとか言い出されたらどうしようかと思った。
「それなら、堂々としていてちょうだい。これからお父様の前に出たとき、弱気なことを言ったらすぐにそこを突かれるわよ」
「わかった」
力づく頷くジャンを見ると、私から不安は取り払われた。
ジャンなら、きっと上手くやってくれることだろう。慣れない場所で堂々としていろというのも酷な話だし、私も最大限の助力をするつもりだ。
「じゃ、作戦通りにね」
「任せてくれ」
白い歯を見せて笑ったジャンは、屋敷からは死角になっている方の扉から見えないように馬車を降りた。ジャンとはまたあとでだ。
「マリちゃん、あれって執事さん?」
「ああ、そうね。ジローよ」
レネーが目線で示す方向を見ると、執事長であるジローがこちらに向かってくる。身を包む執事服は漆黒と純白のコントラストが朝日に眩しく、足取りは貴族以上に優雅である。
ジローは馬車に近づくと、御者の方に向かってお辞儀をした。そして、淀みない動作で馬車の扉を開ける。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ええ」
ジローが差し伸べた手を取ることなく、私は馬車を飛び降りた。
「皆様もどうぞこちらへ。旦那様がお待ちです」
「ああ、どうも」
私に続いて、ガストンが御者台から降りた。ガストンは身体が大きくて目を引くから、ジャンの存在から目を逸らさせるのに適任だ。特に打ち合わせをしていたわけでないけれど、いいタイミングで降りてくれた。たぶん、ガストンは早く硬い御者台から降りたかったのでしょうね。
♢♢♢
私たちは、この屋敷で一番大きな居間的な部屋に通された。てっきり応接室だと思っていたのだけど、予想が外れた。
お父様は上座のソファでふんぞり返っている。大方、三週間の期限よりも私が早く帰ってきたことに気分をよくしているのだろう。
でも、結果はお父様が期待しているのとは全く異なるものだ。婚約を承諾するどころか、元婚約者の兄を夫として連れてくるという混沌とした結果なのだから。
今から数分後にはそれをお父様に明かすことになると思うと、笑いが込み上げてきて仕方がない。その笑いを我慢するのに、全神経を集中させなければならないくらいだ。
「随分早い帰りだったな、マリ」
「まあ」
お父様と長々と話してしまっては、本当に笑いが我慢できなくなる。私はごくごく短い言葉とも言えない音だけで返事をした。
「冒険者の仕事はどうだった?」
私の言葉少なな様子を見て、お父様は満足気だ。柔和な顔で私に話を振ってくる。迷惑だから、早く本題に入ってほしい。
「フラーム公、ここからは私が」
「ん? まあ、いいだろう」
やや怪訝そうに、お父様はガストンに話す権利を明け渡した。
ガストンは、私たちが出会った経緯や向かったダンジョンのことについて語った。肝心なことは何も言っていないのに、お父様はふんふんと頷きながら聞いている。わざとらしい。
向かったダンジョンがレベル四だと聞いて、お父様は確信していることだろう。私が改心したことを。しかし、それは大きな間違いだ。
徐々に口元が緩み始めたお父様は、再び私に話を振る。
「さっきも聞いたが、何か感想はないのか? 憧れの冒険者をやってみて」
うーん、しつこい。もう話してしまってもいいだろうか。笑いを我慢するのにも飽きてきたし。でも、あくまで冷静に、ジャンとの結婚は最後の最後まで隠さないとね。
「冒険者をやってみての感想ね。楽しかったわよ」
「ほう、どういうところが?」
「い、色々よ」
「強がっていないか?」
途中で吹き出しそうになって、ぎこちない口調になってしまった。それを見たお父様は、私が強がっているのだと解釈したみたいだ。早く種明かしをしてあげないと、もはやお父様が滑稽ですらある。
「強がってはないわよ。ただ――」
「ただ?」
「私は結婚した方がいいかなって」
「ケッコン……結婚か!」
結婚の意味がわからないという小芝居を挟んでから、お父様は手を打って言った。これまでで一番口の端が上がっている。顔面筋の制御に長けたお父様がこうもわかりやすい表情を浮かべているとは、よっぽど嬉しいのね。
きっとお父様は、私がジャンの弟――またも名前は忘れてしまった――との結婚を考え直したと思っていることだろう。
「いやあ、そうか。結婚か。私は嬉しいよ、マリ」
「ええ、私も嬉しいわ。愛する人と結婚出来て」
「愛する人とまで言うか。人は過酷な経験をすると、ここまで変わるものなのだな」
お父様は上機嫌に言った。失言に気づかぬほど上機嫌らしい。
「過酷な経験? ガストンはダンジョンで何があったかまでは話していないけど」
「ああ、いや、レベル四というと、かなりの高難易度だからな。初心者であるお前が足を踏み入れれば、過酷な目に遭うだろうと想像してしまったよ。実際、そうなんだろ?」
言い訳自体は平々凡々なものだ。だけど、最後の質問は誘導的で、極めて的確だった。ここで単に「はい」と答えてしまえば、お父様のペースになる。仕掛けるなら今しかない。
「死にかけたわ。ジャンはね、そこを助けてくれたの。その人と結婚することにしたの」
「は?」
その顔からは、目の前に星でも飛んでいるかのような混乱を感じ取れる。お父様が混乱している間に、私は立ち上がって窓を開けた。お父様の混乱はさらに強まったことだろう。
そして、ここからさらに混乱は強まるはずだ。下手をすれば、失神でもするかもしれない。
「お嬢様、窓を開けたかったのならば、私にお申しつけいただければ――」
「いいのよ、私の客だから」
「お、お客様……?」
お父様のそばに立っていたジローも狼狽えている。こちらもここからさらに狼狽えることになるだろう。
「――フラーム公、お初にお目にかかります。ジャンと申します。今日は、結婚のご挨拶に参りました」
「こちら、ジャン。私の夫になる人よ」
私が開けた窓から、ジャンは滑り込むようにして入って来た。素早い身のこなしに、お父様とジローの目は追いついていなかったことだろう。二人の目には、大道芸人の瞬間移動芸のように映ったに違いない。
案の定、目を白黒させたお父様は、立ち上がって言った。
「な、何を言っているんだ」
「言葉の意味がわからないほど耄碌してないでしょ。ここにいるジャンと結婚するって言ってるの」
「ダメだ、さっぱりだ。さっぱり意味がわからない」
「ん、本当に耄碌しちゃったのかしら。――大丈夫?」
「大丈夫なわけないだろう! 誰だ、そいつは! フィリップ君と結婚するんじゃないのか!」
お父様はとうとう激昂した。だが、何の圧も感じない。【黒曜人】や【ゴーレム】の方がよっぽど恐ろしかった。
「耄碌してしまったお父様に、一つ一つ丁寧に説明して差し上げるわ。一つ目、この人はさっきも言ったようにジャンという名の冒険者よ。二つ目、誰もフィリップとかいうのと結婚するなんて言ってない。そっちが勘違いしただけ。以上よ」
「ふざけるな、そんなことが許されると思うのか! そんなどこの馬の骨とも知れない小僧と結婚など!」
「誰が許そうが許すまいが関係ないわ、そんなの。私が決めたんだから、そうするだけ。それに、ジャンはどこの馬の骨とも知れない小僧じゃないわ」
「何だと?」
「だって、ジャンはフィリップの兄。つまり、オレアン伯の長男なんだから」
「は?」
お父様は再び混乱の渦に巻き込まれた。この感情の乱高下は、老体にはよくないだろうなあ。と、暢気にそんなことを思った。




