第二十八話 荷車酔い
ガストン、レイド、アダンの三人は街を出ると、近くの森を進み始めた。当初は馬車での逃亡を考えていた彼らだが、目的の国境まで行く馬車を捕まえられなかったため、徒歩での逃亡に切り替えていた。
粘り強く探せば彼らのお眼鏡に適う馬車も見つかったと思われるが、一刻も早くダンジョンから遠ざかりたいという潜在的な意識は、そうした悠長な行動を許さなかった。
しかし、暗い森を進んで行くうちに不安になったのか、レイドが終わった話を蒸し返す。かれこれ一時間以上は歩いているのだから、彼らにとっては今さらな話題だ。
「本当に馬車に乗らなくてもよかったのかな?」
「馬車じゃ街道を行くしかないが、こうして徒歩なら森を進める。近道だし、見つかりづらい」
「追手を出すなら公爵だろうから、時間に余裕はあるよ。俺たちが逃げてることに気づいて追手を出すまでには、それなりの時間がかかるはずだから」
「そう、だよね」
ガストンとアダンの冷静で理知的な意見に、レイドも納得したように見える。とはいえ、このやり取りも数度目であり、今後またレイドが同じ話をしないとも限らない。
夜の森ではいくらかの魔物にも遭遇する。もちろん、ミスリル級の三人には取るに足らない存在ばかりではあるが、彼らの進行速度に多少の悪影響を及ぼしていた。回復役のレネーがいないことで、普段の戦闘よりも慎重さが要求されることにより、精神的負担も増している。
そんな中、アダンはなるべく敵となる魔物が少ないルートを選択してはいるはずだが、ここ数十分の間、魔物との遭遇が増えている。
ガストンはアダンの索敵精度が落ちていることを見かねて、声をかけた。
「どうする? そろそろ休憩、というか野営するか?」
「そうさせてもらえるとありがたいかな」
前を行くアダンは、振り返って力なさげに笑った。明るい月夜でも、森の中は暗い。アダンのやるせない笑みは、ガストンには見えていなかっただろう。
「悪いな、苦労かけて」
「いいんだ。俺は自分のためにも、お前のためにも、そして何より妹のために逃げなきゃいけないんだ。必要な苦労さ」
「そう言ってくれると助かるよ」
ミスリル級の三人は、野営の準備も手慣れたものだ。野営をすると決まれば、てきぱきと準備を始め、ものの十分でそこそこ見栄えのする野営地を作り上げていた。
特にこれまで頼りなかったレイドは、汚名を返上すべく意気盛んにその設営に尽力した。周囲の木を伐り飛ばし、彼らの野営地を見晴らしのいい場所に変えたのはレイドである。
「ほとんど朝から動きっぱなしだったからなァ、さすがに俺も疲れたぜ」
「馬車に乗ってるときには、こんなことになってるなんて思わなかったよねえ」
街を出る前に買い込んだ食料をシンプルに直火で炙りながら、ガストンとレイドは今日一日を振り返って言った。
三人の中央で揺れる炎が彼らの顔を仄かに照らす。照らし出されたその表情は、どれも似たような疲れと安息が入り混じったものを湛えている。
ダンジョンで一度休憩を取って以来、彼らにとってはこれが初めての休憩だ。心と身体がこうして弛緩してしまうのも無理ない。
三人の間で、ぽつりぽつりと会話が交わされる。中身のある会話ではなかった。ただ空白の時間を埋めるためのものだった。
しばらく三人はそうしていたが、やがて話題は尽きた。会話が途切れると、ガストンは会話を総括するように痛切な様子で言った。
「人生、思った通りには運ばないもんだなァ」
「ああ、全くその通りだよ」
応えたのは、残りの二人のどちらでもなかった。
♢♢♢
私たち三人は、街の北口に集まっていた。この季節は夜になると冷え込むので、全身を覆ってくれるローブがありがたい。
「そんなに遠くないから、俺だけで捕まえに行ってもいいんだけど――」
「ダメよ、そんなの。置いて逃げたはずの私が追いついて来るっていうのが面白いんじゃない。――あ、レネーもいた方が面白いからついてきなさい」
「仰せのままに、奥様。オホホ」
私がジャンの提案を即座に却下したことで、三人で追うことに決まった。
レネーはうちのメイドとして雇うと言ってから、私のことを奥様とか呼ぶようになった。ジャンのことは旦那様とか呼んでいる。あと、笑い方が気持ち悪くなった。
「そう言うと思ってたよ。――じゃあ、必要な魔法をかけるからちょっと待ってて」
「私はもう旦那様の魔法にかかってますぅ」
そう言いながらレネーはジャンにもたれかかった。私はすかさずそれを引き剥がす。
「気色悪いのよ、それ。本当に燃やすわよ?」
「奥様はお堅いですわね、オホホ」
「あんたの本性はわかってるんだから、そんなに取り繕わなくていいのよ」
「そう? じゃあ、今まで通りにするね」
「……まあ、一人くらいこんなメイドがいてもいいか」
変な風に取り繕われても、今まで通りでも、どちらにせよ癇に障る。それならば、慣れている後者の方がまだマシだ。
「さ、魔法もかけ終わったことだし、出発しようか」
またもジャンは私とレネーがごちゃごちゃやっている間に、やることを終わらせてしまったらしい。魔法をかけると言うから、どんな詠唱をするのか聞いてみようと思っていたのに、レネーのせいで聞けなかった。
「何の魔法をかけたの?」
「空気の抵抗を軽減する魔法を二人とこの荷車にかけたんだ。正確には少し違うけど、大体そんな感じ」
「そんなことしてどうするのよ」
「こうするんだよ」
「ひゃっ」
突然、足が地面から離れる。自分が抱きかかえられていたのだと気づいたのは、荷車に降ろされたときだった。
「ジャンさん、私も私も」
レネーはジャンにせがんだ。私と同様に、抱きかかえて荷車に乗せてもらおうという魂胆なのだろう。
そんなことはさせられない。ジャンなら何も気にせずやってしまいそうだから、ここは私が制さねば――
「ほい」
「えっ、きゃあああ!」
私が荷車から手を伸ばしてジャンを止めようとした瞬間、レネーの身体が勝手に浮かび上がり、私の横にちょこんと着座した。
何が起きたのかわからない様子で、レネーは周りをキョロキョロしている。傍から見ていた私でも何が起こったのかわからないのだから、当人がわかるはずもない。予想では、風魔法で浮き上がらせたのだと思う。
「よし、二人とも乗ったな」
レネーの不服そうに唇を突き出して、ぶすーっとしている。が、ジャンはそんなことを気にする素振りも見せず、私たちに背を向けて荷車を引き始めた。
このジャンの態度を見るに、私を抱き上げたのも何の気なしにやったのだろう。そう思うと、少しムッとした。
「ねえ、なんでこんな移動方法なの? これなら馬車でいいじゃない」
移動し始めてすぐ、荷車から伝わってくる振動が気になって、私はジャンに尋ねた。
「馬に引いてもらうより、俺が引く方が速いからな」
「何の冗談よ、それ」
「しっかり口閉じといてくれよ。飛ばすから」
ジャンがそう告げた直後、流れて行く景色の速度が一気に上がった。それにもかかわらず、肌に当たる風量は大して変わらない。奇妙な感覚のズレがあった。
なるほど、確かに馬車に乗るよりも早いかもしれない。だけど――
「とんでもなく乗り心地が悪いんだけど!」
「舌噛むぞ!」
「いっ!」
噛んだ。痛い。これではもう、ジャンが止まるまで喋れない。早く止まってくれ、と願い続けるだけの時間が続いた。
ジャンが止まったのは、それから二十分くらいしてからだった。完全に乗り物酔い状態だし、お尻も痛い。
「さ、ここからは歩くぞ」
「れ、レネー、乗り物酔いを治す魔法を……」
「え、ええ……」
軽く息を弾ませているだけのジャンに対し、乗っていた私とレネーは完全に参っていた。
か細い声でレネーは詠唱をする。自分と私の乗り物酔いを治し、私はついでにやや鞭打ちのようになっていたお尻を治してもらった。
「さ、逃亡犯たちはもう間近だぞ」
ジャンは至って平静に言った。私をあんな劣悪な乗り物に乗せておいて、よくもまあそこまで落ち着いていられるものだ。
この復讐が果たされたときには、何かしらやり返してやろうと心に留めた。




