第二十二話 生い立ち
マリと目が合ったとき、こちらの全てを見透かされたような気がして怖かった。
美しいものはゾクリとするような恐怖を覚えさせることがあるが、マリの目も似たようなものだと思う。
しかしあのときは、その恐怖が俺を捕えて離さなかった。レネーが話しかけてこなければ、このまま固まってしまうんじゃないかと思ったほどだ。
なぜ俺がそこまで捕らえられてしまったのかはわからない。もしかすると、俺はその全てを見透かすような目で、この復讐心を見透かして欲しかったのかもしれない。見透かしてもらったところで、何をして欲しいのかもわからないけど。
しばらく扉の奥を覗いて、マリは無言で去って行った。扉の前から立ち去る前には、なぜか布で扉を拭いていた。何かの願掛けだろうか。
全く何を考えているのか読めない行動だ。幼いころからほとんど一人で冒険者をしていたせいで、他人が何を考えているのを読むのは苦手なんだが、マリに関しては本当にわからない。
わからないものを考えても仕方ないとは思う。だから、さっさと切り替えて扉を開けることに専念すべきだ。
そうわかっているはずなのに、なぜか上手く考えを切り替えられなかった。いつまでも精神が整わない焦りから、そんなぼんやりとした状態で俺はまた扉と相対した。
♢♢♢
ジャンの神がかり的な剣技によって扉に刻まれたのは、幅一センチにも満たない溝だ。その奥から光が差しているのはわかるけれど、何があるのかまでは見えない。
扉の厚さが目測で五十センチくらいはあるので、少し角度をつけて覗くだけで何も見えなくなってしまう。そのため、しっかり正面から覗かなければならない。
そこで私が編み出したのは、首を九十度横に曲げて、溝に対して両目を沿わせる覗き方だ。ミスリル製のひんやりとした扉に鼻やほっぺたが張りつくくらい近づいて、少しでも中が見えないかと試行錯誤する。自分の鼻息が跳ね返ってきてくすぐったいのも我慢した。だけど、やっぱりよく見えなかった。
これ以上ここに居座っていては、ジャンの作業の邪魔になる。そろそろ立ち去ろうと思って扉から一歩下がったときだった。
ミスリルの表面に少しくすんでいる部分が見えた。気になって顔を近づけると、すぐに私の顔の油分がついてしまったのだとわかった。
こんなものをジャンに見られてはいけない。というか、見られたくない。
私はポーチ――装備のうちで、これだけは自前のものだ――からハンカチを取り出して、そのくすんだ部分を拭いておいた。
凝視すれば、拭いた跡が薄っすらと残っているのがわかるけど、たぶんそこまでは気にしていないだろう。
何か悪いことをした後のような気分になり、顔が熱を帯びるのを感じた。ジャンに顔を見られないよう、そそくさとその場を離れた。
扉から離れた後、顔を触ってみると、やっぱり熱かった。たぶん、赤くなっている。
こんなところは、ジャンはもちろん、レネーにも見せたくない。むしろ、レネーの方が見せたくないかもしれない。一瞬でも顔を見られれば、私をからかってくることはわかりきっている。
幸い、レネーはジャンの方しか見ていないし、もちろんジャンは扉しか見ていない。顔の火照りが収まるまで、二人からは少し離れて、顔を見られないようにしよう。
そうして私が二人から顔を背けたときだった。
ガキン、と耳をつんざく音がした。それに対して、ひっ、とレネーが短く声を上げたのがわかった。その後、カランカランと軽やかな金属音。
その金属音は私のそばで聞こえた気がしたので、辺りを見回すと、青く発光する地面の上できらりと光る欠片が目に付いた。
私はそれに近づいて、拾い上げようと屈んだ。
「これって……」
拾わなくてもそれが何かわかった。ジャンの剣の破片だ。
触れるだけで切れてしまいそうな圧力を感じて、もうそれを拾い上げようなどという考えは消えていた。
「マリちゃん、危ないから触っちゃダメよ」
「わかってるわよ」
いつの間にか横に来ていたレネーの言葉に答えた。
私は少しの間、地面に転がっているそれを眺めていたけど、ドサッという音が聞こえて我に返った。
見ると、ジャンが座ってうな垂れている。
「どうしたのよ、剣が折れたくらいで」
気づいたらジャンを見下ろして、そんなことを言っていた。答えはない。
「まだこれが残ってるじゃない」
ジャンのすぐ横に落ちている、折れた剣の柄側を見て言った。刃の長さはたぶん扉の厚さ以上あるだろうし、これを扉に突き立てて傷を作っていけば、さっきまでジャンがやっていたようなことができるはずだ。
「ジャンがやらないなら、私がやるわ」
折れた剣を手に持つ。結構重いけど、取り回せないほどではない。刃の部分よりも柄の方が重いので、重心がしっかりしていてむしろ取り回しやすいかもしれない。
気になって柄をよく見てみると、花を模した伝統的な意匠がいくつも刻まれていて、それが一つの大きな紋章を形作っている。これは、よくある貴族の家紋だ。
どこかで見たこともある気がしないでもないが、家紋なんてそれこそ無数に見てきたので、どこの家のものだとかまではわからない。他の公爵家や王家の家紋ではないのは間違いないと思うけれど。
でも、なんでこんなものをジャンが持っているのだろう。ジャンも貴族出身なのかしら。そういえば、ジャンは家名を名乗らなかったし、あり得る気がする。
「ねえ、ジャンって貴族なの?」
「え?」
ジャンは剣が折れてから、初めて反応を見せた。
「当たった!?」
私はそれが嬉しくて、つい大きな声を出してしまった。大きな声を出すと、何度も空間に自分の声が反響するのが恥ずかしい。
「半分当たりで、半分外れかな」
「何よ、その訳のわからない答えは」
「俺は貴族の実家を追い出されたんだよ」
「え……」
軽く教えてくれた割には、重い内容だった。私はすぐにはいい言葉を返せなかった。
「マリも貴族か、元貴族なんだろ?」
「なっ、なんでそれを」
「ってことは、当たりか」
「あ」
私が言葉を返せないでいると、ジャンは私が貴族であることを言い当てた。急な出来事だったので、つい自白してしまった。
とはいえ、貴族だということまではレネーも知っている。別にそれくらいバレたってどうってことはない。
「ジャンさんを追い出すなんて、ひどいですね!」
レネーは腰に手を当てて、憤りを表現している。どこか誇張された演技じみたものを感じる。
しかし、ジャンはそんなレネーに見向きもせず、つらつらと自分の生い立ちを語った。
「俺は伯爵の長男だったんだけど、妾の子だったんだ。正妻との子である弟が一歳になるときに家を追い出された」
「え、弟が一歳って、ジャンさんは何歳だったんですか?」
「五歳だ。次の日で六歳になるっていう日だったな」
「そんなっ。じゃあ、今日まで十二年以上も一人だったってことじゃないですか。そんなのあんまりですぅ」
レネーは目を潤ませ、口元を手で隠すような仕草をした。悲しい話を聞いたときのお手本みたいな反応だ。
レネーはジャンの年齢を知っているみたいな話し方をしている。おそらく、二人で話しているときに聞いたのだろう。
「ジャンって何歳なの?」
レネーが知っていて私が知らないというのが許せなくて、私はジャンに年齢を尋ねた。ジャンとレネーの話から計算できたのかもしれないけど、それは面倒くさかった。
「六月で十九だけど」
「ふーん、そう」
これでレネーしか知らないという状況を解消できた。私は満足感を覚えた。
ジャンが六月で十九歳ということは、件の弟は今年で十四歳ということになる。今は十三歳か。
え、伯爵家の十三歳って――
「まさかとは思うけど、その弟って金髪だったりしないわよね?」
「あー、金髪だったな。俺は銀髪だから、謎の劣等感を感じた覚えがあるよ。金は一番で、銀は二番みたいな。今となっちゃ、髪の色なんてどうでもいいけど」
まさか、そんなことがあるのだろうか。頭はあり得ないと叫んでいるが、直感がそれに否を突きつけてくる。
血の気が引く感覚があった。その感覚は、唐突に一つの記憶を呼び起こした。
『マリ、お前の婚約が決まったよ。相手はオレアン伯爵の一人息子、フィリップ君だ』
最初に婚約の話をしたとき、お父様はそう言ったのだ。これを聞いて、格下の伯爵家に売られるのだと知り、血の気が引いた覚えがある。
そのときの感覚と今の感覚が似ていたために、この記憶を思い出したのかもしれない。
「あなたは、ジャン・オレアンなの?」
確かめなければならないと思ったときには、口が先に動いていた。




