第十五話 黒い魔物
「何だ、こっちも【宝石喰らい】じゃない」
正面から来る魔物の集団は、【宝石喰らい】の群れだった。これなら恐るるに足りない。
杖を薙ぎ、その軌道上に無数の火の玉が生みだす。【宝石喰らい】の前を走る人間に当てないように注意して、それらを放った。
幾多の弧を描き、次々と【宝石喰らい】に命中していく。命中するたび、【魔結晶】が地面に落ちる音が微かに聞こえた。
「感謝する!」
「助かった!」
「ありがとう!」
逃げてきた三人は、口々に感謝の言葉を述べると、そのまま私の横を通り過ぎて行った。私は言葉を返すことも、見送ることもなく、重ねて【宝石喰らい】を屠った。
一撃で【魔結晶】と化していく【宝石喰らい】たち。これならば、本当に千や二千ならどうってこと――
「おい、行くな!」
誰かの叫び声。直後――
聞き慣れない音がした。その音が繰り返される。それに交じって、悲鳴も聞こえた。これはレネーのものだと思う。
何が起きたかを察することはできたが、あえて考えることは止めた。魔法を発動し、それを的に当てるという単調な作業に集中した。
不意に、昔の家族旅行が思い出された。南部の有名なビーチを訪れたときのことだ。私は、寄せる波を蹴り返す遊びをしていた。遊びではなく、来たくもない海に連れてこられたことに対する不満の表現だったかもしれない。どちらにせよ、そんなことが何の意味も為さなかったのは確かだ。
私がしていることは、それと同じようなことなんじゃないかと思えた。人間の力で寄せる波を返すことができないのと同様に、私もこの魔物の波を返すことはできないのではないかと。
このままでは埒が明かない。そう判断した私は、火柱をいくつも作り、厚さ数メートルの炎の壁を作り出した。寄せる波を返すことができなくとも、堰き止めることはできるかもしれないと考えたのだ。
「止まった……?」
その炎の壁を通って、【宝石喰らい】が雪崩れ込んでくることはなかった。
五秒、十秒と時間は過ぎていき、三十まで数えても、【宝石喰らい】は一体も通過してこない。
問題の解決にはなっていないけど、波を堰き止めることはできたようだ。ひとまずこれで時間稼ぎはできる。そう思うと、深いため息が出た。
「ふう、最初からこうしていればよかったんだわ。焦っていると、いい解決策は出ないものね」
こんなに魔法を連発したことはなく、さすがの私も若干の疲労を覚えていた。
でも、ずっとこうしてはいられない。入口方向にも【宝石喰らい】の群れがいるという話だ。今のうちにそれを片付けなければならない。
「こっちは一段落したわ。そっちはどう?」
言いながら振り向いた。
その瞬間、何かが視界の右端から左端へと高速で移動したのが見えた。
それが何かを把握するのには、数秒を要した。レネーだ。レネーが右から左へ動いたのだ。今は向かって左側の壁に身体を預けるような形で、座り込んでしまっている。私が強すぎるせいで回復役には仕事がないから、ひと休みということなのだろうか。
アダンはレネーに駆け寄って、その身体を揺さぶっている。レネーったら、そんなところで寝てしまったのかしら。
あれ、何でレイドは剣なんか抜いて――
ガキンッ、と重く鈍い金属音で現実に引き戻された。ガストンの盾で黒い物体を受け止めている。
その黒い物体は、逆光で見づらいが、人型をしているように見える。とはいえ、あれが人であるはずがない。なぜなら、身長二メートル近いガストンより頭三つ以上大きいのだから。加えて、頭部が縦長な菱形をしている。そんな人間がいてたまるものか。魔物に違いない。
あれが魔物なら話は早い。魔法を浴びせかけて、この世から消滅させるのみだ。
「マリ!頼む!」
ガストンがそう言い終わるころには、この空間が許す限りの火の玉を生み出していた。それを同時に放つ。的が大きいおかげもあり、狙わずとも全弾命中した感覚があった。
しかしその黒い魔物は、相も変わらずそこにいた。すなわち、まだ死んでない。
「ぐっ!クソッ!――うああああっ!」
黒い魔物はガストンの頭を掴んで持ち上げた。頭だけにあの巨体と鎧の重さがかかるとなると、どれほどの苦痛があるのかは想像もつかない。
そいつは自分の頭の上を通して、そのままガストンを入口方向へ投げ飛ばした。
「ガストン!」
思わず叫んだけど、宙を舞うガストンが答えてくれるはずもなかった。
このままでは、私もやられてしまう。早急に、さっきの魔法を上回る二発目を用意しようとしなければならない。
そう思って杖を握り直したとき、閃光が走った。目を開けていられないくらいの眩しさだった。目を瞑っても、瞼を貫通するほどの光。
しばらく続いたその光が収まり、目を開いた。黒い魔物はその場を動いていない。レネーも変わらず座り込んでいる。しかし、レイドとアダンの姿がない。ガストンも投げ飛ばされてから見当たらない。
「どういうこと?」
頭に浮かんだ考えを退けるように呟いた。わかっているのにわかっていないふりをしたと言い換えてもいいかもしれない。
呼吸が荒くなってくる。心臓が早鐘を打ち、悪寒がした。座りっぱなしのレネーと私だけで、こいつをどうにかしなければならない。そう考えると、余計に心臓の動きは速くなり、呼吸も覚束なくなった。
私の焦燥を嗅ぎ取ったのかのように、黒い魔物が一歩前に出た。そして二歩目。相手の歩みに対して、自分が後ずさっていたことに気づいたのは、そいつが三歩目を踏み出したときだった。
背後には自分で作り出した炎の壁が迫っている。後退できる余地はそれほど残っていない。かと言って、この壁を消してしまえば、無数の【宝石喰らい】に襲われることは間違いない。そして、【宝石喰らい】を倒そうとしたって、その隙にこいつに襲われてしまえば元も子もない。結論として、目の前の黒い魔物を倒すしか私が生き残る道はなかった。
その結論に至った一秒後には、巨大な火の玉を黒い魔物にお見舞いしていた。しかし、無傷。気にする素振りも見せずに前進してくる。
もう一発、もう二発。繰り返したところで、杖を振るう腕が疲れるだけだった。
「嘘でしょ?」
これは何かの間違いだ。悪夢だ。そう現実を適切に捉えられない思考――と呼べるかはわからない――へとだんだん切り替わっていった。
熱い、と感じたときには、髪の毛の先が炭になっていた。後ろの炎の壁に触れてしまったらしい。だが髪は燃えても、ローブに火が点く気配はなく、それは救いだった。
黒い魔物はもう四、五メートルまで近づいてきている。私にこれ以上の後退は不可能。あと取れる手段と言ったら、足止めくらいだろうか。
しかし、これだけ炎魔法が効かないのだから、きっと炎の壁だって通り抜けてくるだろう。こうした直感が、新たな行動を起こさせる気を挫いた。
こいつに通用しそうな魔法と言ったら、疑似太陽くらいだ。こんな狭いところで使ってしまったらどうなるかわからないけれど、もうやるしかない。
多少の諦めとともに、通路を完全に塞ぐ程度の超高温の球体を生み出した。球体までの距離は、二メートルもないだろう。熱い、熱すぎる。
露出している顔の皮膚が火傷している感覚があった。フードを被り、露出面を抑える。それで幾らかは熱さが軽減された。
フードの隙間から燦燦と輝く球体を睨む。あの黒い魔物がこの球体を通り抜けられるようなことがあれば、それが私の終わりを意味するからだ。
眩い光の中に、黒が見えた。何の感慨もなかった。全身に強い衝撃。私が終わりを迎えた。
♢♢♢
これでダメなら、俺は復讐に生きよう。そう決めて、何度目かのジュエルム大空洞の土を踏んだ。
俺があの隠し通路に気づいたのは、二度目か三度目にジュエルム大空洞を訪れたときだった。ジュエルム大空洞は、通路と小空洞の繰り返しで構成されている。初めて挑戦したときから、その奇妙な構造を訝しんではいたのだ。自然にこんな構造物ができるものなのか、と。
そしてその疑念は、あの隠し通路の発見によって、的を射ているものだったのだと証明された。つまりこのダンジョンは、天然ものじゃなかったということだ。ただ小銭稼ぎのために一人で潜ったときに見つけたものだから、俺は思わぬ幸運に浮かれた。
これで俺のクソみたいな人生も変わると思いもしたが、さすが俺の人生、そう上手くはいかなかった。隠し通路の奥で見つけたのは、巨大な扉。何をしようがビクともしない、ミスリル製の扉だった。
あの日以来、これを開けさえすれば、俺の人生も開けるに違いないというような考えに取り憑かれた。そこに何があるのかもわからなかったが、逆にその未知性が俺を惹きつけたのかもしれない。
そして今日、ついにその扉を開くときが来た。
タイトルとジャンルをしれっと変えました。




