第十四話 危機
三番目の通路の入り口が見えた。
「やっと着いたわね」
「まさか【ジュエルリザード】を二体も倒すことになるとは思わなかったよ」
「倒したのは私だけどね」
「失礼いたしました、お嬢様」
「お嬢様っての止めなさいよ」
それが当然のことであるかのように、私と気軽に言葉を交わすレイド。
だが今ここで、私がフラーム公爵令嬢であることを明かせば、たちまち怖気づいて一言も発することができなくなるだろう。高貴な私と会話できることをありがたく思ってほしい。
「で、どうすんだァ?」
先頭のガストンが振り返って、無意味な質問をして来る。
「進むに決まってるでしょ!」
「へいへい。――進むのはいいとして、ちょっと休憩しねえか?腹減った」
「仕方ないわね、全く」
渋々といった感じの演技をして見せたけど、実際のところ私もお腹が減っていた。魔法を連発しているせいかもしれない。
ちょうどいい高さの岩を見つけ、そこに座った。ガストンなんかは地面に座り込んでいる。
休憩と言っても、家にいたころのようにケーキと紅茶と言うわけにはいかない。ボソボソしたパンと干し肉を水で流し込むだけだ。こんな美味しくないものは生まれて初めて食べた。空腹は最高のスパイスなんて言葉は嘘っぱちだ。まずいものはまずい。
それでも、食べてしまえば否が応でもお腹は満たされてしまう。私の身体は、今まで食べてきた派手な料理でできているけど、こんな質素な料理でも受け付けつけられることに驚いた。
「さ、行きましょ」
岩からぴょんと飛び降りて、通路の入口に立った。
今までよりも地面や壁が白っぽく、光が弱いように感じた。また環境が変わるということなのだろう。
「ここからは本当に気を引き締めて行かないと、命がいくつあっても足りないぞ」
「同じようなことを何回も聞いているせいで、なんとなく緊張感を持てないのよね」
「毎回新鮮な気持ちで聞いてくれ」
「無理なお願いね」
とはいえ、ガストンは冒険者の先輩である。それも、ミスリル一級という上から二番目の格付けの実力者。それが実際どれほどすごいのかは知らないけど、まあまあすごいはずだ。そんなガストンが言うのだから、多少は心に留めておこうとは思う。
♢♢♢
一分は通路を歩いた気がする。振り向けば、入り口はかなり小さく見えた。もしかすると、二、三分経ったかもしれない。これまでの二つの通路と同じくらいの長さならそろそろ出口が見えてもおかしくないのだけど、今回はまだそれらしきものは見えない。
「なんだか代わり映えしないわね」
「確か、通路の中ではここが一番長いんだよ。そうだったよな、アダン?」
「そうそう」
「へえ、そうなの。それはいい情報だわ」
ガストンは自分の記憶に自信がなかったようで、わざわざアダンに確認を取っていた。歳を取ると、こうして記憶力が落ちていくのかと妙に納得した。
それはさておき、ここの通路が一番長いということは、今後の通路はこれよりも短いということだから、
「止まって。何か来る」
「おいおい、通路でかよ」
ガストンは悪態をつきながら盾を構えた。私を含めた他の面々も警戒を高める。
が、何も現れない。ここに来て、アダンが失敗したのかしら。
「何も来ないじゃない」
「しっ、黙ってて。通路は音が反響して聞き分けづらいんだから。――正面から来る」
目を凝らすと、薄暗闇の中、確かに何かが近づいて来ているのが見えた。
通路での戦闘は初めてだ。拍動が早まっていくのを感じる。一体、何が――
「あ、あれ人だな」
「何よ、身構えて損したわ」
身体から力が抜けすぎて、杖を落とすところだった。
そんな私を見て、ガストンが身体ごとこっちを向いて言った。
「そんなこと言うなって。警戒は冒険者にとっては美徳だぞ」
「深そうで浅いこと言わないで」
「……別に深いと思ってねえよ」
「そ。なんか説教臭かったから、深いと思ってるのかと」
ガストンが言い返してくることはなかった。代わりに、背中を向けてしまった。一回り小さくなった気がする。
そうしているうちに、正面から来ている人物との距離は随分縮まっていた。さらに近づいて来る。どこかで見たような――
「あ、あの赤髪!」
顔がわかるくらいまで近づいたとき、赤い髪の毛が見えて、つい声を上げてしまった。
しかし赤髪の男は、こちらに一瞥をくれることもなく、私たちが来た方へと走り去って行った。
「何なのよ、あいつは。少しくらい反応しなさいよ!」
遠のく背中にそう声を浴びせても、全く振り返る素振りはなかった。
「あんたたちも、何とか言いなさいよ」
黙ったままの四人を不思議に思い、四人にそう声を掛けた。
しかし、あの赤髪と同じように返答がない。まさかこの狭い通路で私の声が聞こえていないわけでもあるまい。
「ちょっと!何とか言いなさいよ!」
一番近くにいたレイドの顔を覗き込むと、口が真一文字に結ばれ、不自然に力が入っているようだった。
後ろにいるレネーは目を見開き、驚きとも恐怖とも取れる表情を浮かべている。
そしてその隣にいるアダンの顔は、明らかに一つの感情を表現していた。恐怖だ。
「ど、どうしちゃったのよ!」
さすがにこうなってくると、私の心の中にも不安が芽生えてくる。正体不明の不安を感じるのは、生まれて初めてだった。
「……逃げるぞ、マリ」
一瞬、誰の声かわからなかった。首を絞められているかのような、かすれた声だったからだ。ガストンが振り返ったため、辛うじてそれがガストンのものだと推測できた。
「本当にヤバい。逃げよう!」
アダンから接敵報告以外の言葉を聞くのは、久しぶりだった。それに、口調からはかなりの焦りが窺われる。言葉通り、本当にヤバいのだろう。
「ヤバくなったら逃げる」という掟は聞いていた。だから、逃げるというのは抵抗感があったけど、それが冒険者の姿勢なら従おうと思っていた。
ただそうは言っても、理由も聞かずに逃げることはできない。逃げるという行為が、どうしても卑しく思われてしまうのだ。
まずは、理由を聞こう。そう思ったときだった。
身体のバランスが崩れ、足がもつれた。疲れが原因かと思いもしたが、そうではない。大地が、ダンジョンが揺れたのだ。
悲鳴。私たちの誰のものでもない。でも、そこまで遠い場所からではない気がした。
理由を聞かなくとも、その悲鳴で危機を直感した。
身体を反転させると、アダンはもう走り出していた。レネーがそれを追う。私も走った。後ろからレイドとガストンの足音も聞こえる。
何から逃げているかはわからなかった。ただただ逃げるだけだった。逃げるのが卑しいとか、そんな考えは霧消していた。人間の生存本能を前にして、余計でちっぽけなプライドが頭に居座る余白がないのは道理かもしれない。
歩いて進んでいたときには長く感じた通路も、走ればすぐに出口、いや入口が見えてきた。あと十メートルも進めば、この通路を抜けられる。
「止まれ!」
先を行くアダンが急に止まって叫んだ。
「な、何なのよ!」
「たぶんだけど、【宝石喰らい】に待ち伏せされている」
「【宝石喰らい】なんて、私が蹴散らしてやるわ!」
「さっきまでは焦っててわからなかったけど、二十から三十はいる。敵は出てきたところを叩くだけだけど、こっちは相手の場所が正確にわからない。不利すぎる」
「じゃ、じゃあどうするのよ!」
「今考えてるって」
こんな問答をしている暇はないという焦りが、まともな思考を奪う。
「それよりも、こっちの方がヤバそうだぜ」
思考は鈍っているけど、感覚は鋭敏だった。ガストンの声がいやに明瞭に聞こえた。
通路の奥に目をやると、何かが集団でこっちへ向かってくるのがすぐにわかった。
「人が魔物に追われてるみたいだな。とんでもない数の魔物だぞ」
「さっきの赤髪の仲間だろうな。モンスターハウスに遭遇しちまって、それを仲間に押し付けて自分だけ逃げたってとこか」
アダンによると、集団の正体は人と魔物らしい。
ガストンが言っていたモンスターハウスというのは何かわからないけど、とにかくあの赤髪のせいで、私たちまで窮地に陥っているらしい。許せない。
いよいよ、私にもその姿が確認できる間合いに集団は近づいてきた。先頭には人間が三人。そこから数メートル距離を空けて、魔物の大集団が迫っている。
いまだに打開策は見つかっていないけれど、もう何でもいいから行動を開始しなければ、あれに飲み込まれてしまうのは明白だった。
「とりあえず、奥から来る魔物どもは私が始末するわ!ガストンたちは、入口の【宝石喰らい】がこっちに来ないようにしといて!」
「え、お、おう!」
まだまだ気力や体力に余裕はある。千や二千の魔物が来ようとも、全てを灰燼に帰す自信もある。それにこの閉鎖空間ならば、魔法を外す心配もほとんどない。私に持ってこいの戦場に思えた。
「行くわよ!」
四人に背中を向けて、私は杖を構えた。




